2 王への元献上品と、その元調教師

華山富士鷹

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思い出の味

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一年中雪が溶けないここ北部国では、年に一度だけ気温が上昇する日があり、人はその日を春の日と呼んでいる。
その春の日というのが、風斗さんの誕生日で、何を隠そう、今日なのだ。
今朝はその準備で慌ただしく、私は鳥取さんをお遣いに走らせ、それで得た食材を使って日本食の小鉢をいくつも用意した。
「少し休憩しませんか?昼食の時間をとっくに過ぎていますよ?」
「え、あぁ、ほんとだ。すいません、鳥取さん。私が休まないと鳥取さんも休みづらいですよね」
私はキッチンからリビングの掛け時計を見てタイムスリップしたような変な時差に驚く。
「そんな事はまったくありませんが、翡翠様は最近体調が悪そうでしたから、無理をさせてはいけないと思いまして」
鳥取さんはすかさず私の背後へ回り、白い手袋をしたまま有無を言わさず私のエプロンを上からスポッと脱がした。
「貴方は没頭すると時間を忘れるタイプの人間なんですね。まるで子供だ」
やれやれと鳥取さんはエプロンを壁のフックに掛ける。
「よく言われます。亥年の牡羊座でA型だからですよ」
私はクスクスと笑いながら作った料理の一部をリビングのテーブルに並べていく。
「はぁ、そうですか。どうでもいいですけど、何故、2人分並べているんですか?」
私は訝しむ鳥取さんの背を押してリビングまで行くと、今度はソファーの前で上から肩を押してそこに沈めた。
「毒……味見して下さい。私、味音痴なんで」
「毒味って言おうとしましたよね?」
鳥取さんから疑いの目を向けられたが、彼は思ったよりもすんなり私の手料理に手をつけてくれた。当初の徹底したソーシャルディスタンスを思えば、彼もだいぶ寛容になったと思う。
「本来なら、私が王妃様と並んで食事をとる事はご法度なんですからね」
「大丈夫大丈夫、内鍵をかけてますから」
私はヘラヘラと笑いながらキッチンへ白米をよそいに行く。
「そんなもの、風斗様は鍵を持ってますので無意味でしょう?」
「あ、そっか。とにかく、冷めないうちに食べて」
私は鳥取さんを適当にいなし、彼の正面に座って大盛りにした丼飯を手渡す。
「どこが味見ですか、がっつり、定食じゃないですか」 
「いいじゃないですか、味見という体で。私も、たまには誰かと食を共にしたいんです」
そう言うと、鳥取さんは黙って私の作ったけの汁をすすった。
「貴方に似てやかましい味ですね」
「ありがとうございます」
私は子供みたいに元気にお礼する。
「褒めていません」
「じゃあ、まずいんですか?」
私がニコニコしながら尋ねると、鳥取さんは仕方なさそうに他のおかずにも手をつけた。
「いいえ、貴方のようにいい味が出てますよ」
「ありがとうございます」
「正直、元献上品がこれだけの品数をこれだけのクオリティで作れる事に驚いています。献上品時代は下働きか何かしてたんですか?」
鳥取さんは時々私に視線を移しつつ、どんどん箸を進めていく。
意外とよく食べる人なんだな、嬉しい。
「とんでもない。使用人の女性から嫌がらせされるかもしれないからって、ご飯の準備からお風呂のお世話まで全てセキレイさんがしてくれていたんですけど、私もセキレイさんに何かしたくて、特別枠の献上品だった料理上手なユリに色々と教えてもらってたんです。だから、日本食の他に、動物クッキーとかおっぱいプリンなんてのも作れるんですよ。因みに今日は風斗さんの誕生日ですから、ユリのレシピのコイン入りガトーショコラを焼いたんです」
「コイン入り?」
「はい。ホールケーキにコインが入っていて、それを皆で分けて、そのコインが当たった人が幸せになれるとか、願いが叶うってやつです。ユリのケーキの場合は、どこを切っても必ずコインが当たるようになっていて……」
私はそこまで言ってユリの事を思い出し、何とも言えない気持ちで息が詰まった。
「すみません、亡くなったユリの事を思い出してしまって」
私は鼻をすすり、目を見開いて潤んだ瞳を乾かす。
「張間ユーリ君ですか」
「ご存知なんですか?」
私はパタパタと自分の目元を両手で扇いで涙を奥底へと追いやる。
「鷹雄さんのところの特別枠ですよね。彼が戦死した後、鷹雄さんは何処かに旅に出たとか?」
「はい。翠や木葉もそうだけど、今、何処で何をしているのか、凄く会いたいです」
あの頃は、皆がそばにいてくれて毎日が本当に楽しかった。また皆で鷹雄さんの部屋に集まってユリが焼いたお菓子を食べたい。
今は凄く、寂しい。
「すいません、王妃は私的な事を口にしてはいけなかったんですよね、忘れてました」
鳥取さんも、最近は態度が柔らかくなり、私はすっかり緩んでしまっていた。
やはり、私は王妃として失格なのかな。
「構いませんよ。私の前でだけは見逃して差し上げます。風斗様は誤解しておいでですが、厳しくしたところで相手の心は掴めませんからね。ただ、紅玉様の事もありますし……」
「紅玉さん?紅玉さんがどうかしたんですか?」
鳥取さんが言葉を濁すので、私は逆にそれが気になり、前のめりに尋ねた。
すると鳥取さんは箸を置き、一呼吸おいてから口を開いた。

私は鳥取さんから花梨さんの裏切りや紅玉さんの裏事情や死因までを事細かに教わり、暫く言葉を失う。
そして思う──
全てを手に入れた筈の王がこんなにも孤独な人生を送ってきたなんて、やるせない。
どうして風斗さんが私を執拗に束縛したり、拷問したり、監禁して支配したがるのか、それでいて距離をおくのか、本当の意味で全て分かった気がした。
花梨さんや紅玉さんにされたように、私から裏切られ、傷付くのが怖かったからだ。
私が逆の立場でも、きっと風斗さんのようになっていたと思う。
あの人はただの変態なんかじゃない。鞭や蝋燭は単なる虚勢で、本当は臆病な人なんだ。
「鳥取さんが私を抜き打ちで監視してたのは、紅玉さんのように自死させない為だったんですね?」
「はい」
「私に厳しくあれこれ制約を押し付けたのも、風斗さんを不安にさせないようにとの配慮ですよね?」
「はい」
私はこれまで、思い出は、決して忘れてはいけない大切な宝物だと思い込んできた。けれど時として思い出は自身や大事な人の足枷になったり、道を塞ぐ障害になるのだと、この時初めて知った。
私は今まで、一体何にしがみついてきたのだろう?
私がこんなだから風斗さんがあんななんだ。
「鳥取さん、このメモリーカードを覚えておいでですか?」
そう言って私は、胸元からセキレイさんとのツーショット画像が入ったメモリーカードを取り出す。
「ハメ撮りが入ったメモリーカードですよね?」
違う。
「よく見てて下さい」
私はそれをけの汁が入った自分の椀に投げ込む。
メモリーカードは『トプッ』という水音と共に椀のカーブに沿ってけの汁の底に沈んだ。
「良かったんですか?大事な物だったんじゃないんですか?」
鳥取さんは一瞬フリーズしていたが、すぐに箸を持って筑前煮に手をつける。
「そうですね、大事な思い出でしたが、こんなプラスチックよりも風斗さんを大事にすべきだと、気が付きました」
目が覚めた。
「風斗様の事は無理に愛せとは言いませんが、貴方様があの方を裏切らないのであれば、私はそれでいいと思っています。それでお悩みなられて、紅玉様のようになっては本末転倒ですから」
「いいえ、私は絶対に夫を愛してみせますよ」
私は鼻息も荒く、胸の前で拳を握り締める。
「そんなに意気込む事ですか?人間の心なんて、自分でもどうにもならないものなんですから」
「そうですね。鳥取さんも、いけないとは思いつつ、紅玉さんを愛してしまっていたんじゃあないですか?」
これはただの女の勘というやつだったけれど、鳥取さんが一度咀嚼を止めたところを見ると、図星だったんだなと思った。
この人が私に厳しく接していたのも、何も風斗さんからの命だった訳ではなく、私を、好きだった紅玉さんの二の舞にしたくなかったからだと思う。
「貴方の作る筑前煮、懐かしくて美味しいですね」
「書庫にあった手書きのレシピで作ったんです」
「そうですか。きっと風斗さんも気に入るはずです」
そうして鳥取さんは筑前煮の汁まで完食してくれた。
「時に鳥取さん、下のお名前はなんていうんですか?」
私は今なら聞き出せるのではないかと思い、ニヤニヤしながら尋ねると、鳥取さんは至極イヤそうに──
「……春臣」
──と教えてくれた。
「なーんだ。隠すから、もっとイヤらしい名前かと思ってました」
私は気分を削がれたように、メモリーカード入りのけの汁をごくごくといっきに流し込む。
「イヤらしい名前って何なんですか?というか、お腹壊しますよ?」
「大丈夫です。メモリーカードから出汁が出て、美味しい思い出の味がします」
私はメモリーカードだけを残し、けの汁をたいらげた。

本当のところ、思い出の味はとても苦かった。
それもまた、いい思い出だ。
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