私は貴方を許さない

白湯子

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第11章

229話

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傍観者side


ユリウスは毎晩、悪夢にうなされるようになった。

最初の頃は、ただ真っ暗な闇の中で、神蟲がじっとこちらを見つめてくるだけだった。
しかし、夜を重ねるごとに、その姿は少しずつ人間に近づいていく。

気がつけば、神蟲はユリウス自身の姿をしていた。
そして、ついに神蟲は人の言葉まで話すようになっていった。


「やぁ、ユリウス。」
「……。」
「無視するなんて悲しいじゃないか。」
「悲しいなんて感情、お前にはないだろう。」
「そうだね。でも、君を通してだんだんと分かってきたよ。言語も思考も感情も。……もうすぐだ。」


神蟲はユリウスの頬にそっと片手を添えた。


「もうすぐで、僕は君になれる。」
「ーっ、」


ゾワリと鳥肌が立つ。すぐさまユリウスは神蟲の手を叩きはらった。


「お前が僕になるって…?ふざけるな。」
「ふざけてないよ。僕は君になる。そしてカミツレと家族になるんだ。」
「………は?」


突然、神蟲の口から飛び出したカミツレの名前に、ユリウスは目を瞠る。
開いた口が塞がらないユリウスに構うことなく、神蟲は言葉を続けた。


「僕は最初こう思っていた。愛があるから人間の子供は生まれるのだと。でも違った。愛が無くても僕の子供は生まれた。…だから僕はまだ本当の愛を知らない。」
「さっきから何を言って…」
「でもきっと、カミツレと家族になれば僕は愛を理解することができる。」


その確信しきった言葉に、ユリウスの背筋が凍りつく。


「……どうしてカミツレなんだ……?」
「彼女を見つけた瞬間、僕は胸の高鳴りというやつを知った。彼女に名前を付けた瞬間、所有欲を知った―――彼女の全てが欲しいと思った。」
「違う…!」」


神蟲の言葉にユリウスは憤る。


「その感情は全て僕のものだ!お前のじゃない…!!」


そう叫んで、ユリウスはようやくカミツレへの気持ちを自覚した。


「感情が薄れてきているのに、どうして自分のものだって言い切れるの?」
「そ、れは……、」


ユリウスは言葉に詰まる。
だがすぐにかぶりを振った。


「本能と反射だけで生きてきた虫であるお前に、感情なんてあるわけがないだろ…!」
「……。」
「そもそも心が備わっていないお前には、人間の愛を理解することは出来ない。」
「…ハハッ。」


神蟲の表情が、初めて動いた。
まるで人間のように愉悦の表情を浮かべる。


「世界の管理者である僕が、理解できないなんて。そんなのあり得ないだろ?」


ユリウスが口を開こうとした瞬間、視界が歪み、世界が崩れ始めた。
そして、サファイアのような瞳を爛々と輝かせた神蟲は、最後にこう呟いた。


「もし、君が駄目だったとしても、代わりはいくらでもいる。」


それは一体どういう意味なのか。
そう問おうとして、ユリウスはハッと目を覚ました。
息を切らして辺りを見渡すと、そこは自室のベッドの上。
外はまだ薄暗く、汗に濡れた身体を早朝の冷気が刺すように包み込む。


「……。」


あまりにも生々しい夢の感触が、いつまでも肌にまとわりついていた。












❖❖❖❖❖


「ノルデン帝国万歳!ノルデン帝国万歳!!」


王冠を戴くユリウスは、皇宮の高みから祭りに沸き返る帝都を静かに見下ろしていた。
今日は建国記念日ーーーあの日、カミツレに「国をつくる」と告げてから、いくつもの季節が巡った。

大きく成長したユリウスの子供たちは、彼のように”神蟲の力”で動物や植物を蘇らせることはできなかったが、それでもその力は他国を退けるに足りるほど強大であった。
彼らの力を得た国はますます領土を広げ、いっそうの繁栄を遂げていった。

人々はユリウスを”優しい皇帝”と呼んだ。
しかし、彼の近くにいる者たちは、その優しさは何処か無機質なものだと感じとっていた。
ユリウス自身、それを誰よりも自覚していた。

かつての彼は、人を裁くことに躊躇し、罪人に対しても常に同情的であった。
だが今のユリウスは、合理を優先し、時には冷酷ともいえる最適な判断を下すようになっていた。

最初こそ、人としての温度が薄れていくことに必死に抗おうとしていたユリウスであったが、いつしかその意思すら失われていた。
そしてついには、妹の形見であるリボンを手にしても、何ひとつ感情が湧かなくなってしまったのである。








❖❖❖❖❖


祭りの喧噪から逃れるように、ユリウスが皇宮の渡り廊下を一人で歩いていたときだった。

真珠色の髪を持つひとりの美しい女性が、静かに佇んでいるのが目に入った。


「……カミツレ……?」


思わず、口から彼女の名前が震えながら零れ落ちる。
高い位置で結った髪をキラキラと靡かせながら振り返った彼女は、ユリウスを見て小さくて微笑んだ。


「久しいな。」


数年ぶりに目にしたカミツレは、記憶の中よりもずっと柔らかな雰囲気をまとい、更に美しくなっていた。


「どうしてこんな所に…?」


自ら距離をとった後ろめたさが、胸の奥を刺す。
それでもユリウスは、気がつけば彼女の元に駆け寄っていた。


「祭りの手伝いをしてたら、ツレとはぐれてしまってな。探していたんだ。」
「そっか…大変だね。僕も探すの手伝うよ。」
「いや、遠慮しておく。お前の手を煩わせるほどのことではない。…それにしても、ずいぶん気合いが入った格好だな。」


その時のユリウスは、祭礼用の豪奢な礼装を身に纏っていた。
鮮やかな青色の外套には金糸で細やかな薔薇の紋章が刺繍され、肩には無駄に立派な飾り金具。
皇帝として相応しいものをと周囲が用意したものだったが、彼自身はずっと衣装に着られている、という感覚が拭えなかった。


「あはは…建国記念日だから衣装係が張り切りすぎてさ。…やっぱり似合わないよね…」
「いや?悪くないんじゃないか。お前は身長もあるし、よく似合っている。」
「そ、そうかな…」


褒められてほんのり赤くなった頬を掻く。
彼女との他愛もないやりとりに、彼の胸には長い間忘れていた痛みのような熱が微かに走った。
それは、思わず視線を逸らすほどの、懐かしい温度だった。


「……おっと、すまない。つい昔の癖で。敬語を使わねば不敬にあたるよな。」
「えっ、いや、君なら構わないよ。今更敬語を使われても変な感じだし……。やっぱり僕は陛下なんて柄じゃないよ。」
「…素は"僕"のままなんだな。」


最近のユリウスは、周囲の勧めで自分を朕と称していた。


「あぁ…僕のままじゃ威厳がないって言われてね……」
「あいからわず、お前は流されてばかりだな。」
「ご、ごめん…」


情けなさのあまり、ユリウスは気まずそうに目を逸らす。


「そうやってすぐ謝るところも、変わらない。」


呆れたように笑うカミツレを見た瞬間、ユリウスの胸が強く脈打った。
それは、久しく忘れていた心臓の鼓動だった。

ーーーまだ大丈夫だ。僕はまだ神蟲に完全に呑み込まれていない。
カミツレが傍に居てくれるなら、僕は僕のままでいられる。

自分から距離をとったのにも関わらず、この瞬間、ユリウスは彼女の存在に縋ろうとした。

そして、震える声で彼女に「傍に居て欲しい」と告げようとした。
だが、その時。


「カミツレ、そこに居たのか!」


不意に背後から声が響き、ユリウスの言葉は永遠に喉の奥へと沈んだ。

振り返れば、見知らぬ男がこちらに駆け寄ってきていた。
眼鏡をかけた、穏やかな眼差しの青年だ。
カミツレは安堵したように柔らかく微笑み、その男をユリウスに紹介した。


「お前にずっと紹介したかったんだ。彼の名前はマルコ。私のーーー夫になる予定の人だ。」


頭を鈍器で殴られたような衝撃が、ユリウスを襲った。


「……おっ…と……?」
「お初お目にかかります、陛下。わたくし、マルコ=コーエンと申します。噴火前は北国で教師をしておりまして、今も子供たちの教育に携わっております。」


穏やかに微笑むマルコは礼儀正しく、深々とこうべを垂れた。


「陛下のお話はカミツレから伺っております。来週、私たちは式を挙げる予定でして…ぜひ陛下にも祝福していただければと―――」


カミツレとマルコは、学校を建設する際に知り合ったという。
読み書きが出来なかった彼女に、マルコは根気強く教えていた。
そのうち、自然と気持ちが育っていったのだと。

だが、頭の中が真っ白になっていたユリウスには、彼らの話は半分すら聞こえていなかった。


「そ、そうか。おめでとう……。君が幸せになってくれて、嬉しいよ。」


やっとの思いで絞り出した声は、まるで乾いた破片のように地面に落ちる。
その音を聞いたかのように、カミツレの表情がふと揺れた。
笑顔を引きつかせたユリウスの顔をじっと見つめ、何か言いかけようと彼女の唇がわずかに開く。

だがそこで止まった。
誰も気付かないほどの、一瞬の沈黙。
やがて彼女は言葉を呑み込むように息を吸ってから、丁寧に言葉を紡いだ。


「……ずっと、お前に伝えたかったことがある。」


その一言に、ユリウスは思わず耳を塞ぎたくなった。
嫌な予感が、胸を締め付け、心臓が嫌な音を立てる。
だがもう遅い。
カミツレは、どこか晴れやかな笑みを浮かべてユリウスを真っ直ぐ見つめた。


「…ありがとう。俺……いや、私をここに連れてきてくれて。」


それは、心のどこかでずっと待ち望んでいた言葉。


「お前のおかげで、私は人と生きる幸せを知ることができた。」


けれど今、それを彼女の口から聞くのは、あまりにも残酷だった。

彼女の柔らかな声音が、ユリウスの心臓を容赦なく抉る。

記憶の中のカミツレは、いつもぶっきらぼうで、素っ気なくて…でも優しかった。
こんな声音、聞いたことがない。
こんな笑顔、見たことがない。

彼女を変えたのは、自分ではなくーーー彼だ。

その事実に気付いた瞬間、ユリウスはこの場から一刻も早く消え去りたい気持ちでいっぱいになった。
もう、これ以上は耐えられない。

ふたりに形だけの別れの言葉を告げ、ユリウスが早々に踵を返そうとした瞬間ーーー


「―――っ!?」


ユリウスの右手が勝手に動き、カミツレの腕へと伸びかけた。

ーーやめろ…!

咄嗟に左手で右手を押さえ込む。
これはユリウスの意思ではない。
とうとう神蟲の意思が、ユリウスの身体に干渉し始めたのだ。


「どうした?大丈夫か?」


カミツレは心配そうにユリウスの顔を覗き込む。
そんな彼女に向かって、彼は引きつりそうになる頬に無理やり笑みを張り付けた。


「大丈夫だよ。お祭りで……少し疲れてしまったみたいだ。」


かろうじてそれだけ告げると、ユリウスは2人の前から逃げるように踵を返し、足早にその場を離れた。


❖❖❖❖❖


彼女への想いを消化できないまま月日が流れ、ユリウスの元にカミツレが子を授かったという知らせが届いた。
そして間もなく、カミツレは生まれたばかりの赤子をユリウスに一目見てほしいと、謁見を求めてきたのである。

よく晴れた謁見の日。
カミツレが腕に抱く赤子は、真珠色の髪に翡翠色の瞳を持つ男児であった。
その小さな顔立ちには彼女の面影が色濃く宿り、まるで彼女の幸福そのものを示す象徴のように見えた。

幸せに満ちた表情で赤子を見つめるカミツレを前に、ユリウスの胸にあった未練は鈍い痛みを残しながらも、ようやく蓋を閉じれそう気がした。
彼女が幸せならーーそれでいい。
そう自分に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐いたユリウスは、カミツレに友として祝福の言葉を贈った。

新たな命の誕生に、謁見室は明るい祝福の空気に満ちていた。
だが、その賑わいの中で、ユリウスの孫娘ーーー齢わずか五つの皇女エリザベータが、赤子をまっすぐに指さした。


「私、その子が欲しいわ。」


幼子の無邪気な一言に、周囲の人々は微笑ましげに目を細める。
しかし、ユリウスの胸中だけは、凍り付くようなざわめきに満ちていた。

赤子を見つめるエリザベータの瞳ーーーその爛々とした輝きが、夢の中で見た神蟲の目と恐ろしいほどに酷似していたからだ。

この時、ユリウスは夢の中で神蟲が放った言葉を思い出す。

―――「もし、君が駄目だったとしても、代わりはいくらでもいる。」

ユリウスは、自分だけでなく、神蟲の血を引く子どもたちにまで、その意思が侵食していることを悟り、更には神蟲の執着の対象がカミツレ一人では終わらず、彼女の血筋にまで手を伸ばそうとしているーーーその事実に、背筋を粟立たせた。

だが、神蟲の血を引く者全てが、カミツレの血筋に惹かれるわけではなかった。
神蟲の力ーーー今や魔力と呼ばれるようになった力を、とりわけ色濃く受け継いだ皇族のみ限られた。

このままでは危険だ。
彼女たちを、自分からーーーいや、神蟲の血が流れる皇族から、遠ざけなければ。

ユリウスはマルコ=コーエンに皇宮から少し離れた南方の領地を与える決断を下した。
名目はーーー建国に大いに貢献したことへの褒賞として。

こうして、ノルデン帝国初の貴族ーーー公爵家が誕生したのであった。




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