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第4章「好奇心は猫をも殺す」
70話
しおりを挟む〝鉄〟
その匂いから連想させるものに、心臓がドクリと脈打つ。
突如、冷たい牢屋と、そこに漂う鉄の臭いが私の脳裏にフラッシュバックした。
「…っ、」
口元に運んでいたティーカップをテーブルの上に置く。カタカタと震える手のせいで、カモミールティーの水面が揺れていた。
「姉上?」
義弟と聖女は不思議そうに首を傾げている。そんな姿すらそっくりだ。
私は何とか彼らに笑顔をみせる。
「お昼までに提出しないといけない課題があったのを思い出したわ。せっかく入れてくれたのに、ごめんなさい。早く行かないと。」
勿論、嘘だ。そんな課題存在しない。
早口で嘘を吐きながら、私は椅子から立ち上がった。
「ですが、姉上。まだ時間はありますし、飲んでから行っても…」
「ごめんなさい、ユーリ。先生が待っているから早く提出したいの。」
「そう、ですか…。」
寂しそうに視線を落とす義弟をなるべく視界に入れないように、私は肩にかけている聖女の膝掛けを丁寧に畳む。
「聖女様、ブランケットありがとうございました。」
「い、いえ。あの、エリザベータ様が持っていて下さい。今日は特に寒いですし…」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。冬の寒さには慣れていますから。」
椅子に座る聖女にブランケットを差し出せば、彼女は反射的に受け取った。
「それでは、そろそろ失礼します。」
「あっ、待ってください!」
足早に立ち去ろうとした私を、聖女は引き止めた。思わず顔が歪みそうになったが、何と耐える。
聖女は椅子から立ち上がり、私に駆け寄ってきた。
「…どうかされましたか?」
「あの良かったら、これ持っていってください。」
そう言って聖女が差し出してきたのは、可愛らしくラッピングされたカップケーキだった。
「食後に出そうと思っていたデザートです。エリザベータ様の好きなチョコレートを入れてみました。」
不思議なことに聖女は私の食の好みを完璧に把握している。…大方、義弟にでも聞いたのだろう。
「…聖女様が作ってくださったのですか?」
「はい!…ユリウス様に教わりながらですけど…。」
「…そう、ですか。」
今まで、義弟と一緒に料理をしたことなんて一度もない。そもそも、彼が料理が出来るだなんて知らなかった。
私の知らない義弟を、聖女が知っているという事実に心が軋む。
「焼き上がるのが待てなくて、何度もオーブンの蓋を開けてしまいましたが、美味しくできたと思います。エリザベータ様に食べてもらいたくて、頑張りました。」
頬を朱色に染め、私にカップケーキを差し出す姿は、まるでラブレターを差し出しながら告白してくる乙女のようだった。
想い人の姉に普通、こんな態度をとるだろうか。
以前、私を慕う理由を聞くと聖女は、殿下から庇ってくれたから、と答えた。果たして、それだけなのだろうか。
彼女が私に対する態度は、純粋な敬愛にしては度が過ぎている。何か別の思惑があるのでは無いかと勘ぐってしまう。
…だが、そう思ってしまうのは、私の心が歪んでいるからかもしれない。
平然を保ちつつ、聖女からカップケーキを受け取る。そんな瞳で見つめられたら断れないのだ。今まで、聖女を拒めなかったのは、聖女の瞳が義弟と似ているからなのだろうか。
―――いや、それだけではないはず。
確証はない。だが、そう思ってしまうは、彼女に何故か懐かしさを感じているから。
「まぁ、ありがとうございます。とても美味しそうですね。後で味わって食べさせて頂きます。」
にこりと笑って見せれば、聖女もにこりと微笑み返してきた。
…正直、上手く笑えている自信は無い。
早くここから立ち去ろう。
これ以上、ここに居たら自分を保てなくなる。
聖女に軽く挨拶し、植物園の入口へと向かう。だが、入口は生徒たちが塞いでいた。「ちょっと、道を開けてくださる?」と言おうと人だかりに近づくと、私が言う前に彼らは波が引くように、さっと道を開けた。そして、私を睨みつける彼らの視線が、早くここから出ていけと物語っている。
彼らの異様な雰囲気に恐怖を感じた私は、その道を通るのを躊躇する。だが、後ろに戻っても、あの2人が居るだけだ。前に進むしかない。
姿勢を正した私は早歩きで、彼らが作った道を通り抜けた。
彼らを見ないようにしていた私は、その人だかりの中に、最近姿を見せていなかったトミー=キッシンジャーとカトリナ=クライネルトが居るのに気付かなかった。
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