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第4章「好奇心は猫をも殺す」
69話
しおりを挟む義弟と聖女は私の手を引き、植物園の中へと招き入れる。その力は決して強くはない。振り払おうとすれば、いくらでも振り解ける。だが、2人の穏やかな垂れ目に魅入られたように、私は彼らを拒めなかった。
「さ、エリザベータ様。こっちです。」
2人に手を引かれ案内されたのは、いつも昼食を過ごしている芝生の上。そこには昨日までには無かったはずの、丸いガーデンテーブルと3つのイスが置かれていた。そのテーブルの上には、色とりどりのサンドイッチと何故か山盛りになっているポテトサラダが並べられている。
「姉上、こちらにお掛けください。」
私から手を離した義弟は白い椅子を引いた。
「ささ!どーぞ、どーぞ。」
手を繋いだままの聖女は、私を椅子に座らせようと誘導する。そのまま椅子にストンと座った私を2人は満足そうに見下ろした。
「…えっと、これは…?」
2人にとって邪魔な存在である私を、どうして彼らの世界にわざわざ招き入れるのだろう。彼らの真意が分からず戸惑っていると、聖女は「えへへ。」と愛らしく笑った。
「エリザベータ様、病み上がり何ですよね?」
「えっ、」
「ユリウス様から聞きました。」
思わず義弟の方を見れば、優しく微笑み返されてしまった。
「だから私とユリウス様で、栄養のあるものを揃えてみたんです。…ほとんどユリウス様が準備してくれたんですけどね。」
「あはは…」と力無く笑う聖女に、義弟はくすくすと笑う。
「いえ、僕は何も…。料理の内容を考えて下さったのはベティ嬢ですし、僕はそれに従っただけです。」
「…聖女様が?」
「はい!エリザベータ様の好きなお魚料理が良いかなと思って色々考えていたら、最終的に食べやすいサンドイッチになりました!」
元気良く話していた聖女は、突然私から視線を逸らし。ポツリと呟いた。
「…作ったのはユリウス様ですけどね…。」
分かりやすく落ち込んだ聖女を義弟はつかさずフォローする。
「ベティ嬢も作ったじゃないですか。姉上、このポテトサラダはベティ嬢が作ったんですよ。」
義弟が指さすのは、先程から気になっていた山盛りのポテトサラダだ。
「聖女様が、私のために…?」
「えっと、はい。その、つい調子に乗って大量になっちゃいました…。私、じゃがいもの皮むきだけは誰にも負けない自信があるんです。修道院に居た時も、私が1番早くて…。だがら、久々の皮むきに夢中になってしまって……えへへ。」
「…。」
照れたように頬を染め、俯く聖女はお世辞抜きで可愛らしい。
私はテーブルの下で手を握り締める。
「あ、あの、エリザベータ様。突然こんなことして迷惑でしたか?」
黙り込んでいる私に、聖女は不安げな表情を見せる。私は聖女を安心させるような、綺麗な笑顔を作った。
「迷惑だなんてとんでもない。聖女様が私のために、ここまでして下さってとても嬉しいです。」
心にも無い言葉を吐く度に、私の心は荒んでいく。
「よ、良かったぁ…。」
胸を押え、心底ほっとした表情を見せる聖女はとても演技にはみえない。
彼女が真っ直ぐで善人であればあるほど、私は惨めな気持ちになっていった。
私は聖女に嫉妬しているのだ。
義弟だけでなく、世界から愛されている貴女が、心底羨ましい。
そんなことを考えていると突然、視界にサンドイッチが現れた。
「…!」
「はい、エリザベータ様。あーん。」
いつの間にか席に着いていた聖女は、義弟と同じ垂れ目を細め、私の口元にサンドイッチを差し出す。その無邪気な仕草に私は目を剥いた。
「い、いけません、聖女様。1人で食べられます…!」
家族でもない人から食べさせてもらうだなんて、はしたない。いや、それよりもこの方は帝国の宝である聖女なのだ。人目が多いところで、こんな恐れ多いこと、許させない。
焦る私を不思議そうに見つめていた聖女は、何かに考え付いたように「あぁ!」と声を上げた。
「安心してください!先程しっかりと手を洗いましたので、汚くありませんよ。」
にっこりと笑う聖女に思わず顔が引き攣る。
「い、いえ、そういう問題では…」
「…………嫌、でしたか?ああ、そうですよね。私なんかがエリザベータ様に…。馴れ馴れしかったですよね。エリザベータ様と一緒に食事が取れると思ったら、嬉しくて…」
「…あ、…う」
―…似ている。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
こうして、悲しげに目を伏せる所も、必要以上に私を世話しようとしてくるところも、罪悪感を的確に刺激してくるところも、全部。
聖女と義弟はそっくりだった。
「ベティ嬢、あまり姉上を困らさないで下さい。姉上はそういうのに慣れていないのです。」
困ったように微笑む義弟を見た聖女は眉を下げた。
「すみません…。」
少し、空気が暗くなる。
それを敏感に察したのは、入口でずっとこちらの様子を窺っていた生徒たちだ。一斉に憎悪を含んだ強い視線を私に向ける。その鋭さに身体に穴が空きそうだ。
…私は何も悪いことをしていないはず。なのに、なんなのだ、この雰囲気は。まるで私が悪者みたいじゃないか。
たが、彼らの言いたいことはわかる。完成された絵画に、不純物質の私の存在が邪魔なのだ。今の私は、どこをどう切りとっても、愛する2人を邪魔する愚かな義理姉の姿にしかみえない。
それはこの場にいる誰よりも私が1番わかっている。わかっているのだ。
みっともなく声を荒らげてしまいそうになるのを、ぐっと飲み込む。
「いえ、私こそすみません。弟の言う通り慣れていなくて…。聖女様が私の為に考えてくださったサンドイッチ、食べても良いですか?」
笑顔を貼り付けそう言えば、聖女は暗い空気を吹き飛ばすような輝かしい笑顔をみせた。
「も、勿論です!どれがいいですか?確か白身魚がお好きでしたよね。この白身魚のフライサンドとかどうでしょう?」
「美味しそうですね、それを頂きます。」
「どうぞ!」
私は聖女がすすめた白身魚のフライサンドを口の中に入れ、咀嚼する。
「どう、ですか?」
飲み込んだのを確認してから、聖女は恐る恐る尋ねてきた。
笑顔を貼り付けたままの私は答える。
「とても美味しいです。」
味なんて、感じなかった。
※※※※※
聖女と義弟に甲斐甲斐しく世話をされながら、私はサンドイッチを食べる。味のないサンドイッチをひたすら胃に収めていくのは、苦行以外の何物でもない。だが、それでも私は食べなければならない。沢山の目が私の行動を監視しているからだ。彼らに背を向けている聖女と義弟はその視線に気付かない。
聖女と義弟に必要以上に甘やかされ、生徒たちの好奇の視線をひたすら浴びる。この異様な空間に、頭がおかしくなりそうだった。
耐えられなくなってきた手先が震え出す。
そして、掴んできたサンドイッチが手から落ちてしまった。
「…あ、」
生徒たちの視線に鋭さが増す。大勢の前で、粗相をしてしまった。帝国を代表する公爵家の娘である私が…。
本来なら、これぐらい大したことではない。だが、この異様な雰囲気に呑まれていた私は、冷静さが失われ始めていた。
今まで必死に築き上げてきた、理想のエリザベータ= アシェンブレーデル像がガラガラと崩れていく音がする。
「エリザベータ様?あぁ、顔色が…、大丈夫ですか?」
私の異変に気付いた聖女は心配そうに、覗き込んでくる。義弟も聖女と同様に私を心配そうに覗き込んできた。
私に向ける同じ瞳に、眩暈を覚えた。
「こんなにも震えて…今、温かいものを用意しますね。」
「エリザベータ様、私の膝掛け使って下さい。」
義弟がお茶の準備を始めている中、聖女は膝掛けを私の肩にそっと掛けてきた。
「ごめんなさい。貴女の体調を気にしていたはずなのに、いつの間にか疎かになっていました。」
「いえ、聖女様が謝ることでは…」
「私、昼食はいつもは食堂で食べているんです。」
「え?」
その文脈の無さに、間抜けな声が出た。
「私が聖女だからなんですかね?みんな一緒に食べてくれなくて…いつも1人で食べていました。」
「…。」
「久々に誰かと一緒に食事ができて、凄く楽しかったです。今度はちゃんとしますから、また一緒に食べてもいいですか?」
聖女は、縋るように私を見つめる。その煌めくピンクダイヤに魅入られた私は、呼吸の仕方を忘れた。
「お待たせしました。」
義弟の言葉に、ひゅっと空気が肺に入り込む。
こと、と私の前に置かれたのは液体の入ったティーカップだ。
「姉上の好きなカモミールティーですよ。カモミールには身体を温める効果もあるみたいです。飲んだら少し楽になるかもしれません。」
楽に…。飲めばこの震えも止まるだろうか。
私は微かに震える手でティーカップを持ち上げ、口元に運ぶ。鼻先に青リンゴのような優しい香りが漂ってきた。
カモミール。
白く、小さな、可憐な花。
だが、脳裏にチラついているのは、赤いカモミール。
何故、赤いの?赤いカモミールだなんて聞いたことも、見たことも無い。赤、赤、赤…
林檎…いや、その中に……鉄錆…鉄?
ふと、甘い香りの中に、微かに鉄の匂いが混ざっているのに気が付いた。
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