私は貴方を許さない

白湯子

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第6章「不完全な羽化」

97話

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「―――こうして、少年のゴキブリのようなしぶとい生命力と、初代皇帝の名前を名乗れちゃう神経の図太さに惚れ込んだパパはユーリを邸に連れてきた、というわけさ。」


そこまで話し終えたところで、父はひとつ息をついた。

何も知らずに父の話を聞いていたら、義弟の悲惨な生い立ちに心を痛め涙を流していたかもしれない。

しかし、今の私は義弟がアルベルト様であることを知っている。
300年前に彼に散々痛めつけられた私から見れば、彼に起きた悲劇は彼自身が蒔いた種であり、身から出た錆だと思ってしまう。因果応報とはまさにこのこと。
罪業を重ねた男に、天罰が下ったのだ。
殿下のお言葉を借りるなら『ざまぁみろ。』である。

だがそう思う一方で、彼に同情する気持ちも少なからずある。矛盾した感情同士が胸の中で複雑に絡まり合い、胃のあたりに不快な痛みをもたらした。

その痛みに顔を顰めていると、ふと私の頭にひとつの仮説が浮かぶ。
彼が私を殺そうとする理由に、このことも含まれているのでは?
アルベルト様である義弟は、不幸なことに過酷な環境下に生まれ落ちた。そして、父に連れられてきた先には、300年前に殺したいほど憎んでいた私が、何不自由なく呑気に暮らしていたのだ。当時の彼からすれば、面白く思わなかっただろう。そこで再び、私に対して殺意が湧いたとしても、おかしくはない。

父の話から、義弟が最初からアルベルト様の記憶を持っていることは明らかだ。幼い子供が、公爵家の紋章など知っているはずがない。

…初めて会った時から、私に対する優しさは全て演技だったのか。


「…大丈夫かい?」


はっと顔を上げれば、父は心配そうに私を見つめていた。…あぁ、いけない。また深く考え込んでしまっていたようだ。


「すまない。あまり良い話じゃなかったよね。」


父の言葉に首を振る。


「私の方から聞きたいと言ったのよ。お父様が謝ることじゃないわ。」
「パパのこと、嫌いになったかい?」
「こんなことで嫌いになるわけないじゃない。寧ろ逆よ。話してくれてありがとう。…ユリウスのこと、知れてよかったわ。」
「…そっか。」


優しく微笑んだ父は私の頭を撫でる。その温かく大きな父の手の気持ち良さに、目を閉じた―――その時、
突如、病室の扉が開け放たれた。

その扉から現れた予想外の人物に、思わず息を呑む。
獅子のたてがみのような黄金の髪に、静かなサファイアの瞳。
その瞳に見つめられ、緊張に喉が干上がる。一瞬の沈黙。それを破ったのは父だ。


「…ノックもせずにレディの病室に入るなんて、いくらとはいえ如何なものかと。」


久しく聞いたことの無い父の冷ややかな声に、心臓が小さく跳ねた。
だが当の本人は、特に気にした様子もなく、悠然と笑っている。


「久々の再会だというのに、相変わらずそなたは儂に厳しいのう。もう少し、優しくは出来ないのかね?我が友よ。」


その脊髄を震わせるような洗練された深いバリトンの声には、生まれながらの品位を兼ね備えており、聞く者全てを従わせる力を持っていた。それもそのはず、この方は生まれながらにして人の上に立つ帝国一、尊き方。

その名は、レーベ=ブランシュネージュ=ノルデン。
ノルデン帝国の皇帝陛下、その人だ。

病室の外には陛下の護衛だろうか、2人の騎士が扉の両端に立っていた。その視線は、間違いなく私を捉えている。


「勝手に来ておいて何を言っているのですか。早くお帰りください。」
「せっかくエリザベータの見舞いに来たのだ。そう邪険に扱うな。」


くつくつと笑いながら部屋に入ってきた陛下に父は顔を顰めた。
予期せぬ訪問者に唖然としていた私は、はっと我に返り慌てて上体を起こす。陛下の御前で、呑気に寝ていられない。


「へ、陛下…!こんな格好で申し訳…ぐっ、」


背中に激痛が走る。前屈みにあり、痛みに悶えていると、傍らにいる父がそっと肩を抱いてくれた。


「急に起き上がったら駄目じゃないか。ほら、寝ていなさい。陛下のことは気にしなくていいから。」
「カールの言う通り、儂のことは気にしなくていいぞ。楽にしているがよい。」


陛下の穏やかな口調からは、気に触った様子は伺えない。


「…陛下のお心遣いに感謝します…。」


お言葉に甘えて、私は再び横になった。そんな私を見て安堵の表情を見せた父は、陛下に鋭い視線を投げかける。


「陛下、これ以上は娘の身体に障ります。今日はこれでお引き取り願いたい。」
「あぁ、わかっとるよ。用が済んだら、すぐに去るつもりだ。」


そう言ってベッドの傍まで来た陛下は、にっこりと私に微笑みかけた。


「久しいな、エリザベータよ。急に押しかけてすまない。身体は大丈夫か?」
「い、いえ…あの、ご多忙の中わざわざお見舞いにお越しいただいた上に、過分なお気遣いまで賜りまして、厚くお礼申し上げます。 」


皇帝陛下がわざわざお見舞いに来たという有り得ない状況に酷く困惑しながらも、何とか言葉を紡ぐ。


「ふははっ。その堅苦しさはレオノーラ譲りだな。」
「…母をご存知なのですか?」


レオノーラとは私の母だ。
母と陛下が知り合いだったなんて、聞いたことがない。


「あぁ、もちろん。儂はレオノーラを妹のように可愛がっていたからな。もちろん、レオノーラの娘であるそなたの事も可愛がっていたぞ。」


陛下の爆弾発言に目を見開いたまま固まる。
知り合いを飛び越えて、陛下が母を妹のように可愛がっていた…!?そして、私も可愛がってもらっていた…?
陛下は昔を懐かしむように言っているが、私にはそんな記憶が全くなかった。いくら幼かったとは言え、そんな記憶を失うなんて信じられない。だが、覚えていないことが事実。ただただ自分の記憶力に愕然するしかない。


「覚えていないか?まぁ、そなたが、まだ2つ3つの頃だったからのう。あの頃は良く皇宮に遊びに来ていてな、陛下陛下と呼びながら、儂の後をよちよちとくっついてきたものだ。―だがのぉ…カールに、あの話を持ちかけた途端、ぱったりと来なくなって――」
「陛下。」


父の鋭い声が陛下の言葉を遮る。決して大きな声ではない。だが、その咎めるような口調は陛下の言葉を遮るのに十分だった。

突然訪れた沈黙に、内心オロオロとしていると、陛下は愉快そうにくつくつと笑い出した。その表情は殿下と重なる。


「カール。その様子だとエリザベータに話してないな?」
「その話は既に白紙になっています。娘に話す必要はないでしょう。」
「まったく…。あのカールが、ここまで子煩悩になるとは思わなかったわい。ほら、エリザベータが困惑しているではないか。話してやれ。」
「…。」


苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む父に、陛下はやれやれとため息をついた。


「狭量な父親め。そなたにとっても、儂の息子とエリザベータが婚約することは悪い話じゃなかったというのに…。」
「…な、」


今、とんでもない単語が聞こえてきた気がする。
儂の息子。すなわち、テオドール殿下のこと。その殿下と私が婚約?…婚約!?

何も聞かされていない、どういう事だと父に非難めいた視線を投げつければ、父は気まずいそうに視線を逸らし、ごほんとひとつ咳払いをした。


「…その話は13年前に、きっちりと断ったはずです。そんな終わった話を蒸し返すために、わざわざこんな所まで足を運ばれたのですか?」
「ふははははっ。儂のは相変わらず辛烈じゃ。確か巷ではそういうのを『ツンデレ』と呼ぶのだろう?……はは、そう睨むな。わかった、わかった、話を本題に戻そう。」


陛下は再び私に向き直る。
口元に薄く笑みを浮かべる陛下の瞳は、笑ってなどいなかった。

病室の入口に佇む2人の騎士から発せられる緊張が、こちらまで伝わってきて心臓をざわつかせる。
そこで初めて気が付いた。彼らに課せられた使命は、陛下を御守りするだけでないことに。


「さて、可愛いエリザベータ。そなたが聖女殿を階段から突き落とそうとした話を、儂に詳しく聞かせておくれ。」


その瞬間、私は全身に冷水を浴びせられたかのように惕然とした。




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