私は貴方を許さない

白湯子

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第6章「不完全な羽化」

98話

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少し考えればわかることだ。

いくら旧友の娘だからといって皇族ではない民衆の中の1人である小娘の為に、帝国の父である陛下自ら、お見舞いに足を運ぶだなんて有り得ない。

陛下が直接動くということは、余程重要な…それこそ、帝国に関わることを意味している。つまり、陛下は帝国の宝である聖女の為に動いているのだ。

神に愛された乙女である聖女は、帝国に繁栄をもたらすと言い伝えられている。そのため、彼女の発言力は強大だ。彼女のたった一言で私の首が簡単に飛ぶことは、この身をもって知っている。

この場で弁解をしなければ命の保証はない。そう頭では分かっているのだが陛下から醸し出される高圧的な雰囲気に気圧された私は、緊張と恐怖で身が縮み、思うように言葉が出てこなかった。

獅子を前にした弱小動物の如く固まっていると、父が私と陛下の間に割って入った。


「陛下。娘は怪我をした上に体調も本調子ではありません。そういったお話は後日にして頂きたい。」
「そなたには聞いていない。儂はエリザベータに聞いているのだ。」


陛下の鋭い眼光が父の方へ向けられる。だが父はそれに臆する様子もなく、陛下を睨み返した。

緊張を孕んだ重い沈黙が私たちを包み込む。そのあまりの静けさに激しく脈打つ自分の心臓を音が、やけに響いて聞こえてきた。


―――ドサササッ


まさに一触即発の状態、遠くの方から屋根に積もった雪が地面に滑り落ちる音がした。
そのこもった自然の音に、張り詰めていた空気が若干緩んだ。
そして長い沈黙の末、痺れを切らした陛下は緩く息を吐いた。


「…エリザベータ。儂の気は、そう長くはない。このまま黙秘を続けるのであれば、そなただけでく、そなたの父も一緒に反逆罪として捕らえることも、やむを得ないぞ。」
「―っ、」


陛下の言葉に息を呑むのと同じく、入口で待機している騎士が、腰に刺さっている剣の鞘に手をかけた。彼らから伝わる緊張から、決して陛下が言っているのことが決して冗談ではないことがわかる。
だが、その緊張を嘲笑うかのように、場違いな父の笑い声が部屋に響き渡った。


「はははっ。確かにを退いている身ではございますが、そこに居る若造に捕えられるほど鈍ってはいませんよ。」


父の視線が入口に向けられると、2人の騎士はビクリと肩を震わせ、額に脂汗を滲ませた。その反応に違和感を覚える。陛下の側近である帝国騎士様が、何故父に怯えた様子を見せるのかと。私が違和感を感じている間にも父と陛下の会話は続いていく。


「そなたは相変わらず強気じゃのう。まぁ、そこがそなたの魅力ではあるがな。」
「気持ち悪いことを言わないで下さい。…いっその事、けしかけてみたら如何でしょうか?そうすれば正当防衛として手を出せる理由にはなりますし。まぁ、余生を牢獄で過ごす訳にはいかないので、捕まる前に私たちは何処かの国に逃亡させて頂きましょうかね。」


陛下の言うように、変わらず強気な態度を見せる父は挑戦的な笑みを浮かべた。そんな父に対し、陛下は呆れたかのように苦笑いを零した。


「カールが他の国に取られるのは、ちと痛いな。それをわかってて言っているだろ?」
「はて、なんのことやら。」
「はぁ…。昔は儂に絶対服従で可愛かったのに。いつから、そんなに反抗的になったんだか。」
「愛は人を変えるのですよ、陛下。」
「うるさいわい。」
「…エリィ。」


先程の殺伐した空気が少し緩み始めた頃、父が振り返り、優しい声で私を呼んだ。


「そういうことだから、陛下に従わなくていいんだよ。この帝国で暮らせられなくなったとしても、他の国でやっていくビジネスは幾らでもある。」
「そういうことって…」


どういうことなのだろう。
父の言葉を理解出来ず、顔を引き攣られた。そんな私にお構い無しに父は笑顔で話を進めていく。


「うん、寧ろそっちの方がいいかも知れないね。面倒臭い陛下が居る国なんかよりも、他の国の方が気が楽かもしれない。うんうん、思い付きで言ってみたけど、素晴らしい妙案だ。さて、何処に行こうか?やっぱり暖かいデューデン国とかがいいかな?いやぁ~、考えるだけでワクワク―――」
「おいおい、儂の前で堂々と逃亡計画を立てるでない。」


陛下の呆れた声に父は顔を顰めた。
…前々から感じていたのだが、父は陛下のことをあまり良く思っていないみたいだ。

また陛下に反抗的な態度を取ろうとする父を、私は腕の袖を掴み阻止する。そんな私を不思議そうに見下ろす父に私は小さく笑ってから、ゆっくりと上体を起こした。慌てた父が止めようとしてくるが、それを「大丈夫よ。」と言って片手で制する。
じくじくと痛いが、我慢できないほどではない。それに父のお陰で少し恐怖が和らいだ。これなら、きっと大丈夫。

ベッドから起き上がれば、再び陛下と視線が交わる。その鋭い眼光に気を抜けば、みっともない悲鳴を上げてしまいそうだ。
まるで今の私は、尋問席に座らせられた罪人のよう。陛下に「お前がやったのだろう。」と高圧的に言われてしまったら、やっていなくても頷いてしまいそうだ。

私は奥歯をグッと噛み締めベッドの上で姿勢を正し、陛下に向き直った。


「陛下の御前でありますが、このような格好でお話することをお許しください。」
「構わぬ。さぁ、教えておくれ。」


満足気に笑みを浮かべた陛下は、簡易的な椅子にどっかりと座り込む。父は陛下を警戒するように、ベッドの傍らに立ったままだった。

このまま黙っていても、何も解決しない。寧ろ、こちらの状況が悪化していくばかりだ。

父は無理に話さなくても大丈夫だと言ってくれているが、それに甘えるわけにはいかない。黙秘の罪は私だけでなく、父をも巻き込む。

息を深く吐き、全てを話した。

私は聖女に害を加えようとしていないこと、聖女が私を階段から突き落としたことを。
全てを話し終えるまで、陛下と父は静かに聞いてくれた。


「―――と、いうわけです。」


全てを話し終えた私は一息つくと、軽い目眩を覚えた。もしかしたら熱が上がってきているのかもしれない。だが、それを悟られる訳にはいかなかった。何故なら、この場面は自分の運命を決める分かれ道だとわかっていたからだ。失敗すれば、私は300年前と同じ道を辿る。それだけは、何としても避けたかった。私は、この世界で生きていきたいのだから。

重い沈黙。
瞼を閉じていた陛下は、何度かうんうんと頷いた後、ゆっくりと瞼を開けた。その瞳に先程の高圧的な色は見られない。


「…なるほどな。」


いい意味でも悪い意味でも捉えることの出来る、その一言に不安を煽られる。やはり信じてくれないのだろうか。
私は掛け布団を握る手に、ギュッと力を込めた。


「娘の言葉を疑っているのですか?」


私の心情を代弁してくれた父の声は硬い。その声に陛下は、ゆるりと笑う。


「誰もそんなことは言っていないだろう?とてもエリザベータが嘘を言っているようには見えない。その話し、儂は信じるぞ。テオ坊が言っていたことと合致するしな。」


一瞬〝テオ坊〟が誰かわからなかったが、直ぐにテオドール殿下のことを指していることがわかった。そして、はっと思い出す。あの時、私を助けてくれたのはテオドール殿下だったことを。


「試すような真似をして、すまなかった。テオ坊の発言だけでは、どうも信憑性が乏しくてな。いや、別に息子を信じていない訳では無いぞ。何に対しても関心が薄かった息子が、儂にエリザベータの無罪を必死に訴えてきたのだ。父としては信じたい。だが、立場上、そういう訳にはいかなくてな。息子の証言を裏付ける新たな証言が欲しかったのだよ。」


―殿下…。


じんわりと胸に温かいものが広がっていく。しかし、その温かさは次に発せられる陛下の言葉に一気に凍りついた。


「だが、それはあくまで儂個人の意見だ。」
「え」
「聖女殿を含めた全生徒は、それと真逆な証言をしている。エリザベータが聖女殿を殺そうとしたってな。」
「陛下…!」


陛下に噛み付きそうな勢いで声を荒らげる父に、妙に落ち着いた様子の陛下はまるで馬を相手にするかのように、どうどうと宥めた。


「落ち着け、カール。」
「ですが…っ、」
「ここで、儂が聖女殿と真逆な発言をすれば、帝国中の貴族たちの反感を買うことになる。それが、どういう事態を引き起こすのか、そなたにはわかるだろう?」
「…内戦、ですか。」


〝内戦〟

その父の口から苦しげに吐かれた非現実的な言葉に、頭の中が真っ白になった。


「ご名答。だが、あくまで可能性の話だ。最近、貴族達の様子から、そういった危うさを感じていたな…。今回ばかりは儂も慎重にならざるを得ないのだ。」
「…。」
「カール。儂は二度と戦争を起こしたくはない。…その身を持って戦争の悲しさを知ったそなたなら、分かってくれるだろう?」
「……えぇ。」


今でこそ平和なノルデン帝国であるが、過去には内戦状態が続いた時代もあった。その時代に、若かりし頃の父が騎士として参戦していたことは昔、お喋り好きの侍女から聞かされた話だ。


―内戦…。この国が…。


そこまで深刻な状況になっているだなんて…。内戦という言葉が私の心に重くのしかかる。くらくらと、視界が回った。


「そこで、儂からの提案だ。」


絶望的な暗闇の中に現れた一筋の光のような陛下の言葉に、私と父は思わず縋るように陛下を見た。


「エリザベータ。事態が落ち着くまで帝都から離れるがよい。」
「…て、帝都を、離れる…」


馬鹿みたいに陛下の言葉をオウム返しをする私に、陛下は深く頷いた。


「エリザベータを罰しろと怪しく騒いでいるのは帝都の貴族のみ。名目上、謹慎処分として郊外に居れば安全だろう。なぁに、ずっと郊外に居ろとは言っていない。帝都が落ち着くまで、だ。確か、南の国境付近に公爵領があっただろう。丁度、冬期休暇だ。旅行だと思って、ゆっくりと楽しんできたらいい。」
「…。」


きっと、陛下が私の元に来た本来の目的は、この提案も持ち掛けるためだろう。
自分が置かれている状況下では、陛下の提案をのむしかない。
そう、頭では分かっている。分かっているのに、私の口は動かない。

私は生まれてから今まで、帝都を離れたことがない。300年前も、最後まで帝都から出ることはなかった。だからだろうか。帝都から出ることに、激しい抵抗と言い知れぬ恐怖を感じる。

黙り込む私に、陛下は1つ溜息をついた。その溜息に、胸が嫌にざわつく。


「…エリザベータを不安がらせないように、黙っていたことが1つあるのだ。」
「…?」
「今、テオ坊は謹慎処分を受けている。」
「―っ!」


サッと顔を青くした私は、その心の混乱を隠すことができなかった。


「何故…っ、何故、そのようなことを…!」


身を乗り出すと、ぐらりと身体が傾いた。床に倒れる前に、父が私の身体を受け止める。父の手がとても冷たく感じた。


「エリィ、熱が…」
「私は大丈夫です…!陛下、何故殿下にそのような処分が課せられているのですか…!?」


彼は、あの異様な空間から私を助けてくれたのだ。そんな彼が処分を受けるなど、あってはならない。


「テオ坊は聖女殿の反感を買った。その罰だ。」
「そんな…っ」


悲鳴にも似た悲痛な声を上げる私に、陛下は優しく微笑んだ。


「安心しろ。牢屋に繋いで懲罰を与えるなどはしておらぬ。謹慎処分という名のもとで、テオ坊は自室で悠々自適に過ごしておる。」
「悠々、自適…」
「安心したか?」


ニヤリと笑う陛下の顔は、テオドール殿下とそっくりだった。その顔に一気に脱力した私は父の胸に倒れ込む。


「…陛下。私の娘をからかわないで頂きたい。」


父の地を這うような声に、陛下はイタズラを成功した子供のように笑った。


「いやぁ、すまぬすまぬ。バカ息子の為に必死になるエリザベータが思いのほか愛らしくてなぁ。昔のレオノーラを見ているようだったぞ。カール、やはり婚約の件を復活させるのは――」
「お断りします。」
「そう食い気味で断るな。……まぁ、今の状況では叶わぬ願いではあるが…。」
「…エリィ。」


父に名前を呼ばれたたので上を見上げる。そこには心配そうに私を見下ろす父が居た。


「陛下の提案に乗るのは癪だけど、今回だけは頷いてくれないかい?」
「お父様…」
「意見がコロコロ変わってすまない。このまま帝都に居るより、郊外で過ごした方が療養の為にも良いと思うんだ。」
「…。」


私を心配する父の気持ちは痛いほど伝わってくる。そして、私がここに居てはいけないことを痛いほど理解した。
…初めから私が選ぶ選択肢は1つしかない。
深く息を吸い込み、口を開いた。


「そのお話、お受けさせて頂きます。」


私の答えに、満足気に笑う陛下と安堵の息を吐く父。
なんの力を持たない私には、こうすることしか出来ない。…また、私は守られるのだ。誰かに頼らなければ生きていけない、まるで寄生虫のような私は。

くらり、くらり、と世界がまわる。
ぐにゃり、ぐにゃり、と世界が歪む。


「賢明な判断だ、エリザベータ。」
「はい。」
「…陛下。そろそろお引取り下さい。これ以上は娘の身体に障ります。」
「カールよ。そなたは何時から儂に冷たくなったのだ。昔はあんなにも儂に服従しておったのに。」
「言ったでしょう?愛は人を変える、と。」


父の言葉に、陛下が双眸を眇めた。その感情を全て削ぎ落とした表情に、室内の気温が一気に下がる。ひんやりとした空気に全身が粟立った。


「…あぁ、儂は憎い。儂からレオノーラを奪ったそなたが憎い。…だがなァ、それ以上に儂からそなたを奪ったレオノーラの方が憎いのだよ。」


そう言い残した陛下は、静かに病室を出ていった。

病室を後にする陛下の背中が、何処か寂しげに見えたのは、私の気の所為だったのだろうか。

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