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第9章「愚者の記憶」
153話
しおりを挟むアルベルトside
印象深い社交界デビューを果たしたエリザの噂は、ノルデン全土に瞬く間に知れ渡った。
あの日以来、彼女の元には夜会への招待状が後を絶たない。
今まで見向きもしていなかったくせに、道端の花が実は白薔薇であったことに気付いた途端に、手のひらを返した貴族達。その浅ましい姿は、見ていて酷く不愉快であった。
一方、一夜にして時の人となったエリザは、積極的に夜会に参加する姿勢をみせた。
古い一族であるコーエン家には、影響力のある由緒正しい家柄の貴族との太い繋がりが何本もある。その上、かつて社交界の頂点に君臨し《ノルデンの真珠》とまで呼ばれたエリザの母親、ペルラ=コーエンの力添えもあり、彼女は社交界での地位を確実に築き上げていた。
花びらが舞うように、夜会を渡り歩く可憐な少女。
いつしか彼女は、白金薔薇と呼ばれるようになっていた。
◈◈◈◈◈
季節は巡り、時は流れ。
エリザが社交界デビューを果たしてから、早くも1年が経とうとしていた。
あの日から彼女の噂を耳にしない日はない。
彼女を賞賛する声を聞く度に、僕の中には苛立ちが募る。噂の数だけ、僕の知らない彼女がいるからだ。
何色にも染まっていなかった彼女が、どんどん僕の知らない色に塗り潰されてゆく。
今のエリザを認められずにいた僕は、可能な限り彼女の存在を避けてきた。
だがそのせいで、事態が思わぬ方向に進んでいたことに、僕は気付くことが出来なかったのだ。
◈◈◈◈◈
「―――エリザベータをお前の婚約者として正式に決めたい。」
ある日の昼下がり。
謁見の間に呼び出された僕は、突然父から告げられた言葉に、まるで後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「…それは、何故ですか?」
戸惑いを押し殺し、平然を装いながら返答を求める。すると父の隣に座っていた母が、少女のような満面の笑みを浮かべた。
「貴方も分かっているとは思うけれど、エリザベータほど聡明で綺麗な子はそうそういないわ。」
母の言葉に、父が同調するように何度か頷く。それを見た僕は頭を抱えたくなった。
彼らは元々、婚約者候補として底辺を独走していたエリザのことなんて、全く眼中に置いていなかった。
ところが、彼女の華やかなデビュタント姿を見た途端、その態度は一変する。彼らは頻繁にエリザをそれぞれの茶会に招くようなったのだ。
両陛下が社交界デビューしたばかりの娘に対して、まるで旧知の仲のように親しげに接する姿は違和感を通り過ぎて、酷く異質であった。
「…ですが、彼女はまだ社交界に出たばかりの子供です。いささか決断が早すぎるのでは?」
突っ走る2人に少し落ち着いて欲しい思いで、僕は極めて冷静に意見を述べる。だが僕の心境を知るはずのない両親は、それを無邪気に否定してきた。
「全然早くないわよ。寧ろ遅すぎたぐらいだわ。」
「同意見だ。エリザベータには既にお前を支えていけるだけの力が十分に備わっている。何も問題はあるまいよ。」
馬鹿な事を言わないで欲しい。問題だらけじゃないか。魔力を持たない彼女が、一体どうやって僕を支えるというのだ。
「何を根拠に…」と呟く僕に、父は思い出したように話し始めた。
「…少し前にな、エリザベータにお前が出した政策について意見を聞いてみたんだよ。」
僕が出した政策とは、隣国デューデンに対する外交政策のことである。
デューデン国とは長らく貿易が続いているのだが、近年では危険思想を持つ新興宗教の布教や危険薬物の密輸入が問題となっていた。
このまま事態を放置すれば、いずれ皇政を脅かす反乱因子になりかねない。そう危惧した僕は火種を徹底に排除する為、デューデン国との貿易を一切禁止するといった案を父に提示したのだ。
それを年若い少女に意見を求めるなんて……呆れた僕は、溜息を飲み込み視線を伏せた。
「それで、彼女は何と答えましたか?」
夜な夜な遊び回っている少女の答えなど、たかが知れてる。どうせ「いい案ですね。」と言って、媚びへつらうことしか出来ないのだ。
だがしかし、
「失敗すると言っていたよ。」
一瞬、その言葉の意味を理解することが出来なかった。
ハッと顔を上げれば、珍しく笑みを浮かべている父と目が合う。その瞳には隠しきれない嘲笑の色が僅かに滲んでいた。
「貿易を一切禁止してしまえば、それこそ貿易を生業としている商人や農家、そしてデューデン国に友好的な南の民衆達が暴動を起こす可能性が非常に高い。」
「っ、ですが、今起こっている違法輸入が…」
「それに関しては、検問所の杜撰さを指摘されてしまったよ。体制を見直した上で、切り捨てるのではなく足りないものを補い合いながら、これから先もデューデンとは友好的な関係を続けていくべきだ、とな。」
僕は言葉を失った。
これが彼女の意見だというのか。
こんな、僕を馬鹿にしているような…
「―ッ!」
巫山戯るなと、僕は奥歯を噛み締める。
なぜ君は僕の理想から離れることばかりするのだ。
グッと拳を握り締めた僕は、父を睨み付けた。
「子供の話を鵜呑みにするつもりですか?」
「……。」
「彼女は何も分かっていません。検問所を徹底したとしても、卑しい魚共は隙間を見つけてまた入り込んできます。根本を絶たなければ、現状は何も変わりません。そもそも彼女の意見には無責任さが目立ちます。きっとそれは点数稼ぎの為に考えた―――」
「アルベルト。」
妙に落ち着いた声で僕の話を遮った父。
「何も分かっていないのはお前の方だろう?」
重く静かな父の声。
その声音に僅かな憐れみの色を見つけた瞬間、頭にカッと血が上った。
怒りと屈辱で視界が真っ赤に染まる。瞳からは沸騰した青い炎が零れ出し、そして―――
気付けば、僕は父の首を掴んでいた。
「アルベルト…!!」
母の声にハッと我に返った僕は、慌てて父の首から手を離した。
呆然とする僕の前で母が珍しく「兄様…!」と声を上げながら、激しく咳き込む父の身体を支える。
心臓がどくりどくりと嫌な音を立て、呼吸が乱れ、手先が震え始める。
何も出来ず、ただその場に立ち尽くす僕に、父と母がゆっくりと視線を向けてきた。
「……ぁ、」
まるで化け物でも見るかのような、怯えを含んだサファイアの瞳。
それは我が子を見る目ではなかった。
「…あぁ、そういうことだったんですね。」
僕は全てを理解した。
なぜ父が僕に対していつも突き放すように接していたのか、なぜ母が僕に対していつも縋るように接していたのか。そして、なぜ魔力を持たないエリザを婚約者に選んだのか。
彼らはずっと僕のことが…
ギリッと奥歯を噛み締めた僕は、両親に背を向け、出口にむかう。
背後から僕を呼び止める両親の声が聞こえたが、僕を追ってくることはなかった。
◈◈◈◈◈
謁見の間を出た僕は、落ち着かない気持ちで廊下を歩く。すると、視線の先に見覚えのある後ろ姿を見つけた。凛と背筋を伸ばして歩く、真珠色の髪を持った少女。それは、今1番会いたくなかったエリザの後ろ姿だった。最近の彼女は頻繁に皇宮を出入りしており、見かけることが多い。いつもなら避けるところなのだが、今日は違った。
「父に気に入られようとして、政治に口を出したらしいね。しかも、僕が考えた政策に。」
華奢な背中に声を掛ければ、エリザは弾かれたかのようにこちらを振り返った。
驚いたように見開いた瞳は、すぐさま暗く伏せられる。…気に食わない。そんなにも僕に声を掛けられるのが嫌なのか。
僕がグッと拳を握る中、エリザは軽くスカートを摘み上げ、深々と頭を下げてきた。
「わたくしの軽率な発言により、殿下のお気を悪くさせてしまったことを、深くお詫び申し上げます。」
「っ、」
その機械的な謝罪に、かっと身体が熱くなる。無感情な謝罪ほど失礼なものは無い。5歳も下の少女に、適当にあしらわれた事実に我慢が出来なかった僕は、彼女の頬に平手を放った。
廊下にバチンッ…!という音が響き、僕らの間に沈黙が流れる。そして、僕の中に「やってしまった」という後悔の念が込み上げてきた。
だが、叩かれたはずの少女の顔は涼しいまま。少し赤くなった頬を押さえ、僕を見上げてくる少女の瞳には、怒りも恐れも戸惑いも何も感じれなかった。
君にとって僕は、感情を晒す必要さえない、どうでもいい存在なのか?
先程まで込み上げていたはずの後悔の念は、そのまま何処かに流れ落ち、僕の中は再び怒りの感情が支配した。
「僕を馬鹿にするのもいい加減にしろ。人を見下すのは、そんなにも楽しいのかい?」
「……。」
問い掛けても彼女は何も答えない。ただ静かに黙って、時が過ぎるのを待っている。その姿が、ガラスケースの中で静かに横たわっている人形の彼女と重なった。
「叩かれても顔色ひとつ変えないだなんて、やはり貴女は人形のようだ。」
それだけを吐き捨てて、僕はその場を立ち去った。
ほんの少しだけ。
あの頃の彼女が僕に声を掛けてくれるかもしれない。そんな淡い期待を廊下に残しまま。
◈◈◈◈◈
「殿下。」
廊下を曲がると、叔父が現れた。
姿が見えなくとも、いつも叔父は僕の近くに控えている。きっと今まで出来事も把握済みなのだろう。
「……ラルフ。」
「はい。」
「この悪夢はいつ醒める?」
「醒めませんよ。ここは夢ではなく現実なのですから。」
眼鏡を押し上げ、無慈悲なことを言い放つ叔父。思わず僕は苦笑いをする。
「現実を受け入れて下さい。」
それはつまり、今のエリザを受け入れるということ。今の僕にとってこれ以上残酷なことはない。
「…ねぇ、ラルフ。」
「はい。」
「どうしてラルフは僕を育てようと思ったの?」
ずっと不思議だった。
みんな怖がっていた僕の育児に、皇位継承権第2位である叔父がどうして名乗りを上げたのか。
暫く沈黙をした後、叔父は口を開いた。
「…あの時の私にとって、貴方は守るべき存在だったからですよ。」
いつもと変わらない淡々とした口調。いつもなら物足りなさを感じるのだが、今日はそれが丁度良かった。
「…そう。」
目を伏せた僕は、痛みと熱を帯びた右手を密かに握り締めた。
それから暫くして、エリザベータとの婚約が正式に決まった。
僕が22歳、そして彼女が17歳の時であった。
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