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その日のバルベナ公爵家の屋敷は朝から少し騒がしかった。いつもとは雰囲気が違うようだと感じていたけれど、それを私に教えてくれる人はいない。
昼過ぎになって、お義姉様付きの侍女が私の部屋に来た。何か用事があるのかと思えば手にはドレスを持っていて、急いで着替えるように言われる。
お義姉様のお下がりだとしても私のためにドレスを用意されるのは初めてで、うれしいと思ったけれど着方がわからない。それを見た侍女は面倒くさそうに着替えを手伝ってくれた。
時間がないと急かされるようにして玄関に向かうと、お母様とお義姉様はもうすでに綺麗なドレス姿で準備を終えていた。何も知らされないまま私も馬車に乗せられ、そこでようやく行き先を知る。
今日は王妃様のお茶会に招待されたので王宮へ行くのだという。しかも、お茶会はお義姉様と王子たちを会わせるためのものらしい。
王族や貴族だけが魔力を持つこの国の貴族令嬢は、七歳になるまで外出しない。まだ魔力が安定しないうちは屋敷の中で大事に育てられるからだ。
そのため、二か月前に七歳になったお義姉様は、従兄弟である王子に会うのは今日が初めてらしい。どうして私まで連れてこられたのかと思えば、養女である私とも会ってみたいと王妃様が言われたからだった。
初めての外出で王宮に連れてこられるとは思わなかったけれど、公爵家の屋敷よりも広くて綺麗な建物に目を奪われる。きょろきょろしているとお母様に叱られたが、同じようにはしゃいでいるお義姉様が叱られることはない。今日の用事はお義姉様のためのお茶会だから、おまけの私は邪魔しないようにと釘を刺される。
お茶会の場所に案内されると席が用意されていた。私も座って王妃様を待とうとしたら、お母様に声をかけられた。
「あなたは必要ないから、どこかに行っていなさい」
「で、でも」
「王妃様には帰る時に挨拶すればいいわ。今日はジュディットが王子たちに会う大事な日なの。あなたは関係ないのだから、邪魔しないようにここから離れていなさい。あとで誰かに探しに行かせるわ。わかったわね」
横にいたお義姉様からも冷たい言葉を投げられた。
「そうよ。クラリスがいても誰も喜ばないのだから、あっちに行ってなさいよ」
「はい……」
こんな広い王宮の庭で一人になるのは怖い。だけど、お母様とお義姉様に言われたら逆らえなかった。
お茶会の会場から離れようと歩いていたら、庭の奥に小屋があるのを見つけた。庭師が使う部屋なのかと思って窓から中を覗こうとしたら、後ろから誰かに声をかけられた。
「どうしてこんなところにいるんだ?」
「え?」
振り返ると、少し年上だと思われる令息がいた。肩まで伸ばした銀色の髪がさらさらして光っている。服装がドレスだったら令嬢に見えてもおかしくないくらい綺麗な顔。だけど、その表情は冷たく、きりっとした青い目はこちらをにらんでいるように見えた。
「ここは王妃の庭だぞ。普通の貴族は入れないはずだ」
「あ、王妃様に招待されたからです」
そうだった。ここは王妃の庭と呼ばれる、王宮でも限られた人しか入れない場所。こんなところにいたら怪しまれるのは当たり前だ。信用してもらおうと王妃様から招待されたことを説明したのに、なぜか令息は警戒を強めたようだ。
「母上が招待だと? 今日はバルベナ公爵家の夫人と令嬢が二人来ると言っていたな。お前はどっちだ?」
「……養女のほうです。クラリスと申します」
王妃様を母上というこの人は、三人いる王子の一人なのか。何か失礼なことをしてしまっていないかと不安になる。
「そうか。それで、クラリスはどうしてここに? 向こうでお茶会をしているはずだが」
「……私は顔合わせには関係ないと言われたので、邪魔にならないようにここで待っています」
「……それは、どういうことだ?」
聞かれたからには答えなくてはいけない。事情を説明すると、王子は面白くなさそうにふうんと言った。もしかして本当に公爵家の者なのかと疑われている? でも、どうやって本当だと信じてもらえるのかわからず不安に思っていたら、優しく頭を撫でられた。見上げた王子の顔にはふわりと微笑みが浮かんでいる。
「そんな顔しなくていい。怒っているわけじゃない。どうしてここにいるのか不思議だったからだ。誰かが探しに来るまではこの辺にいなきゃいけないのか?」
「はい」
「じゃあ、一緒に遊んで待つか」
「え?」
「嫌なのか?」
「いいえ、うれしいです」
一人でいるのは心細かったから、差し出された王子の手がうれしくて迷わず手を取る。王子は私の手を握ると、楽しそうに笑った。
「俺はアレクシスだ。行こうか、クラリス」
「はい!」
アレクシス様と手をつないだまま、一緒に庭の奥へと向かう。誰かに手をつないでもらうのは初めてで、右手が温かくてなんだか身体がぽかぽかする。
背が高いアレクシス様を見上げたら、目が合うたびに笑いかけてくれた。それがうれしくて私も笑ってしまう。こんなに笑っていられるのは生まれて初めてのことで、笑ったまま顔が固まってしまうんじゃないかと思うくらい。
アレクシス様と過ごす楽しい時間はあっという間で、気がつけば日が暮れかけていた。
「クラリス様、どこですか!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。知らない女性の声。だけど、呼ばれたからには返事をしなければいけないと思い、ここにいると返事をする。慌てて近づいてきた女性は女官のようだった。
「こちらにいましたか。王妃様がお呼びです」
その目は公爵家の屋敷にいる侍女の目と同じだった。口調は丁寧だけど、どうしてこんな子に仕えなくちゃいけないんだ、と見下しているような目だ。嫌だなと思ったけれど、わざわざ言うことはない。
「早くしてください。王妃様を待たせてしまいます」
「わかりました」
アレクシス様にお礼を言って女官についていこうとしたが、それを止めたのはアレクシス様だった。
「お前は母上付きの女官か?」
「え、ええ。そうです」
「貴族ではあるだろうが、公爵家の令嬢よりも身分が上なのか?」
「え? ……違います」
「では、なぜクラリスにそのような態度を取るのだ?」
「……申し訳ございません」
突然怒り出したアレクシス様にぽかんとしてしまう。さっきまであんなに優しかったのに、今は女官をにらみつけて叱っている。
「クラリスは俺が連れていく。お前は下がれ」
「っ! ですが!」
「……礼儀も知らない者を公爵令嬢に付けるわけにはいかない。女官長に申しておこう。教育が足らないのではないかと」
「それは! ……私はただ……」
「何度も言わせるな。クラリスは俺が連れていく。下がってよい」
「……わかりました」
先ほどの私を見下すような視線はなくなり、女官は目を伏せて去っていく。その姿が見えなくなってから、アレクシス様は私に頭を下げた。
「悪かったな」
「え!? アレクシス様が謝られることではありません」
「だが、あれは王宮の女官だ。責任は王族にある」
「……気にしないでください。私は公爵令嬢といっても名前だけです。養女なので、公爵令嬢として扱っていただく必要はありません」
「それは嘘だ。公爵家の養女になったのなら父上がそれを認めている。国王が認めたことに従わないのであれば、この国の身分制度は崩壊してしまうだろう。クラリスは自分を馬鹿にする者を許してはいけないんだ」
「……はい」
「ああ、悪い。クラリスのせいじゃないよな。責めているわけじゃない。ただ、クラリスは見下されるのを当たり前だと思わなくていい」
「……がんばります」
わかりましたとは言えなかった。どう考えても今の状況では無理だと思ったから。それでもアレクシス様の言葉がうれしくて、精一杯笑いかけた。
「それに、アレクと呼べと言ったのを忘れたのか?」
「ア、アレク様」
そう呼んでいいと言われていたけれど、本当に呼んでいいのかわからなくて困惑してしまう。その思いが伝わったのか、アレク様は私の両手をぎゅっと握った。
「俺をアレクと呼ばせるのはクラリスだけだ……今は助け出せないけれど、大人になったら……」
「アレク様?」
「本当は今すぐにでも公爵家から連れ出したい。だが、俺もまだ子どもだからその力がない。大人になったらクラリスを迎えに行く」
「……アレク様が迎えに来てくださるのですか?」
「ああ。それまで我慢して待っていてくれるか?」
「はいっ」
いつも公爵家の屋敷にいることに違和感があった。自分だけが異質な存在として扱われているような気がしていた。お母様にもお義姉様にも邪魔者扱いされて、使用人たちにも冷たくされて。どこか違う場所に行きたかったけれど、どこにも行く力がなかった。
初めて会ったアレク様が私のつらさに気がついて、助けようとしてくれているのがうれしくて、ぽろりと涙がこぼれた。
「泣くな。帰せなくなる」
「あ、ごめんなさい」
「謝らなくていい」
両手を握られたままだから、涙を拭けない。どうしようかと思っていたら、アレクシス様が唇で頬に流れた私の涙を拭った。
「え?」
「……手を離すのがいやで、つい。これじゃあ、拭えていないな」
そう言って、今度は優しくハンカチで拭ってくれる。アレク様の唇がふれたことに驚いて涙は止まっていた。
「ありがとうございます」
「約束は必ず守る。だから、俺のことを忘れないでくれ」
「はい……忘れません。絶対に」
もう一度目を合わせて微笑み合うと、お茶会の場所へと向かう。手をつないだまま歩いていく間、この時間がずっと続けばいいのにと願っていた。
だが、予想通りお茶会の場に戻った私を待っていたのは、お母様からの叱責だった。そして、アレクシス様と会ったのはそれが最後だった。
十六歳になって、私とお義姉様は学園に入学することになった。同じ屋敷から学園に通うというのに、お義姉様とは乗る馬車が違う。私は公爵家専用の馬車ではなく、一回り小さな公爵家の紋章が付いていない馬車で学園へと向かう。
ゆっくりと馬車が止まると、御者の手を借りて降りた。侍女も使用人も付いてこないため、一人で学園内を歩く。
貴族だけが通う学園だが、社交の経験がない私は知っている人がほとんどいない。周りを歩く学生たちに紛れて、校舎へと向かう。
「教室に入る前に掲示板で自分のクラスを確認するように!」
学園の事務員が生徒たちへ叫んでいる。見ると、人が群がっている場所があった。あそこが掲示板に違いない。
人混みの隙間から掲示板に貼られた紙を見て、ため息をつく。予想していなかったわけじゃないけれど、最低のクラスだとは……
この学園では、生徒は成績に応じて上から特別クラス、上級クラス、標準クラス、基礎クラスの四つに振り分けられる。学園に入る前に提出した課題の成績で決まるのだが、私の名前があったのは最低の基礎クラスだった。
いくらなんでもありえない。公爵家なのに最低のクラスだなんて恥でしかない。呆然としていると、後ろのほうから私の名前が聞こえた。
「見て、バルベナ公爵家のクラリス様、基礎クラスだって」
「うそ! そんなに頭悪いの? 信じられない。いくら養女とはいえ公爵令嬢なのに」
見知らぬ令嬢たちが私のことを噂している。言われても仕方ないと私も思う。公爵家なら養女でもきちんと教育しているはずなのに、と。
養女の私が最低クラスだということは、お義父様の恥でもある。正式に引き取ったのにお金をかけていない、虐待していると思われかねない。でも申し訳ないと思わないのは、私にはどうにもできないから。
それにしても、こんな場所で大っぴらに公爵令嬢の悪口を言うとは。どこの貴族家の令嬢なのかわからないが、聞かれたら処罰されかねない。私の顔を知らないから、ここにいることに気がついていないのだと思うけど。そう考えていると、違う令嬢たちの声が続く。
「ああ、でもジュディット様はさすがだわ。特別クラスよ」
「本当ね。さすが王女の娘は違うわよね。特別クラスって数名しかいないのでしょう?」
「ええ。授業を受けるかどうかも自由なんですって。特別クラスに選ばれるくらいなら授業なんて必要ないからって」
「すごいのねぇ。私も一度でいいから特別クラスになってみたい」
「あなたなんて無理よぉ」
「ひどい!」
今度はお義姉様への誉め言葉だった。私と、先妻の娘である姉のジュディットは一か月しか年が離れていないため、学園では同じ学年になる。お義姉様の名前が特別クラスにあることは気がついていなかった。そっか。最高のクラスだったんだ……
きゃあきゃあとふざけている令嬢の声が遠くなっていく。基礎クラスの教室へと一人で向かう中、誰かに愚痴りたい気持ちでいっぱいになる。
本当は、お義姉様の成績は私のものなのに。
課題を提出する時、魔力を登録した魔石を一緒に提出している。課題を魔力筆で書いているため自分で解いたという証明になるのだが、お義姉様は私の魔石と課題を奪って自分のものとして提出してしまった。
あの時は本当に驚いた。三年間も通うのに私の魔力で登録してしまうなんて。どうしてそんなことをするのかと聞いたけれど……
「だって、課題をするのが面倒くさいんだもの。いいじゃない」
課題を解くのが面倒くさい、それだけの理由で私の成績は奪われた。
学園に間違いだったと言おうと思ったけれど、いつの間にかお義姉様の魔石と課題が私のものとして提出されていた。
お母様に訴えても聞いてもらえず、どうしようもできずに入学の日を迎えたのだけど、こんな結果になるのなら嫌だって言ってみればよかった。
本当なら私が特別クラスでお義姉様が基礎クラスだった。でも、それを人に言うことはできない。
もし、お義父様に叱られたら、なんて言えばいいんだろう。正直に話したとしてもきっと信じてもらえない。だって、私はお義父様の本当の娘ではないもの。
基礎クラスの教室に入ると、座っている生徒は誰もいない。あちこちで数名ずつ集まって、おしゃべりをしてる。
基礎クラスに入るのは、下位貴族の嫡子以外が多い。勉強しても仕方ないと思っているのか、まともな教育を受けてこなかったかのどちらかだ。その中に高位貴族の私が入るとどうしても浮いてしまう。ちっとも社交をしてこなかったせいもあるけど、誰に話しかけていいかわからなくて席についた。
その日は学園についてや今後の説明だけで授業はなかった。他のクラスは授業をしているのに、基礎クラスの者たちは平気な顔で帰っていく。
このまま帰るのも嫌で図書室へと向かう。誰もいない図書室は静かで落ち着く。読みたかった本を見つけ、つい読みふけってしまう。ずいぶんと時間が過ぎていたことに気がついて、慌てて家に帰った時にはもう日が暮れかけていた。
玄関に入ると、お母様が私を待ち構えていた。あきらかに不機嫌そうな顔をしている。
「何をしていたの! 遅いわよ!」
「ごめんなさい」
「早く帰ってこいと言ったでしょう!」
「……はい」
帰るなり叱られてしまった。本当はもっと早く帰れたはずだから、私が悪いのだけれど。
それでも屋敷に帰ってくるとゆっくりしている時間がない。大好きな本を読みたくても、読んでいる暇がないくらい忙しい。だから久しぶりに本を読み始めたら、楽しくて止まらなかった。
お母様はまだ機嫌が悪そうだったけれど、私を待っていた理由を思い出したのか、それ以上叱ることはしなかった。
お母様が迎えに出てくる時は必ず、私にさせたい仕事がある時。黙ってついていくと、いつものようにお母様の私室の隣、作業部屋に入る。
やっぱりこれなのね。人払いがされていたから、この仕事を押し付けられるんだろうとは予想していたけど。
作業部屋の広い机の上に用意されていたのは大量の原石。大きな木箱に入ったものが二つも置かれていた。
「これが終わるまでは外に出ないように」
「……はい」
「何よ、その不満そうな顔は! これができないと私は公爵家を追い出されるかもしれないのよ! その時は養女で血のつながりがないあなたも一緒に追い出される。今さら平民になって生きられるとでも思っているの!?」
「思っていないわ……ごめんなさい」
「わかったならいいわ。しっかりやりなさい」
パタンとドアが閉められて、ため息をついた。これが終わるのはいつになるだろう。魔石作りは、貴族家の重要な仕事だ。それはわかっているけれど。
原石に魔力をこめて魔石とするのだが、普通はこんな量の原石に一人で魔力を込めることはできない。
魔力を使い切れば疲れて動けなくなる。私なら使い切ることはないけれど、それでも疲れることに違いはないのに。
この国で魔石が使われるようになったのは、それほど昔じゃない。つい十年ほど前からだ。隣国から魔術具が入ってきて、王都に結界が張られるようになったのもその頃から。魔獣は結界を通ることができず、王都の安全は守られている。
だが、結界を張り続けるには大量の魔石が必要で、伯爵家以上の貴族家は爵位ごとに決められた量の魔石を納める義務があった。当然、筆頭公爵家のバルベナ公爵家は一番多く納めなくてはいけない。
本当なら、公爵であるお義父様と公爵夫人のお母様がするべき仕事だけど、お父様は公爵領の経営と宰相としての仕事が忙しくて、ほとんど家に帰ってこない。公爵夫人といっても、元は伯爵夫人だったお母様は魔力が少なく、バルベナ公爵家が納めなくてはいけない量の魔石を作ることは不可能だった。
そこで養女だけど魔力が多い私の仕事となったのだが、表向きはお母様とお義姉様がやっていることになっている。
いくら理不尽だと考えていてもやらなければならないことには変わらない。あきらめて、ひんやりとした魔石を一つ手に取る。
「冷たい。どれくらい時間がかかるかなぁ……」
指先から魔力を流すと原石に吸い込まれていく。魔石が完成すると魔力の流れは止まった。
最初に魔石作りをさせられた時は五歳だったから、一つ作るのにも時間がかかった。それが慣れてくると一つを作る時間は短くなったけれど、どうしてなのか魔石の量が年々増やされている。
今では月に三度ほど、この仕事をさせられていた。最初の頃に比べたら魔石の量は数十倍にもなっている。
養女なのだから、後妻の連れ子なのだから、役に立たなければ追い出される。それはわかっているので、嫌だと言ったことはない。
それでも、食事もできずに作業部屋に閉じ込められると、どうして私だけこんなつらい思いをしなければいけないんだろうと悲しくなる。
結局、すべての魔石が完成したのは夕食がとっくに終わった時間だった。私の部屋に食事が届いてなかったので、厨房まで取りに行く。残っていたのはスープとパンだけだったけど、ないよりはましだ。
部屋まで自分で運んでいこうとしたら、厨房の者が小声で文句を言っているのが聞こえてしまった。
「ったく、食事はいらないって言ったり、いるって言ったり、クラリス様はわがままなんじゃないのか?」
「しっ。聞こえるよ!」
「聞こえたって咎められないだろう。奥様がクラリス様には厳しくしていいって言っているんだ」
それはそうだと思う。こんなことをお母様に言ったとしても咎められはしない。
食事をいらないと伝えたのは、私付きの侍女の誰かだ。私が仕事をしている時は自分の部屋にいることにされている。侍女たちは私が何をしているのかは知らされていないが、お母様がそうするように指示したのだろう。
お母様は私に身のほどを弁えさせるために、けっして優しくしない。公爵家の跡取りであるお義姉様のことは大事にして、私のことはどうでもいいという扱いをする。
それを見ている使用人たちも同じように、お義姉様は大事にして、私はぞんざいに扱う。それも身分の差を考えたら仕方ない話ではあるけど。
部屋に戻って、食事を終えるともう寝る時間だった。着替えて寝ようとした時、綺麗な金髪をくるりと巻いた夜着姿のお義姉様がノックもせずに部屋に入ってきた。侍女も付けずに一人で来たらしい。
「クラリス、起きてるわよね」
「お義姉様、どうしたの?」
こんな夜にどうしたのかと思ったら、手に何か持っている。
「これに刺繍しておいて。そうね、白い小花がいっぱいの柄がいいわ。とっても可愛らしくしてね」
「刺繍?」
渡されたのはハンカチだった。三枚もある。
「明日までによろしくね」
「明日なんて無理よ! 三枚もあるのよ」
「だって、明日渡したいんだもの。お友達になった記念に渡すの。時間がたってしまったら意味ないじゃない。そのくらいやってくれるわよね。居候なんだから。少しは私の役に立とうと思わないの?」
それは思ってる。思っているから、お義姉様のわがままを聞いてきた。
「……わかったわ」
「じゃあ、明日の朝に取りに来るわね」
お義姉様はにっこり笑って出ていった。これから三枚も……寝ずにやれば終わるかもしれないけれど、魔石作りを終えたばかりで全身くたくたに疲れている。
「……やらなかったら、機嫌が悪くなるのよね」
やりたくはない。でも、やらなかった時のことを考えてあきらめてハンカチを手にする。
お義姉様は言うことを聞いていれば機嫌がいい。機嫌が悪くなると暴れ出して手に負えなくなるから、できるかぎり願いを叶えなくてはいけない。
今日は眠る時間がなさそうだと覚悟を決めて、針に糸を通す。集中して針を刺している間に時間はどんどん過ぎていく。
三枚目のハンカチの糸を切った時には、もう明け方になっていた。でき上がったことにほっとしながら、ほとんど寝る時間がないことにがっかりする。それでもソファに座ったまま、目を閉じた。
ハンカチを取りに来たお義姉様はお礼も言わずに持っていった。それもいつものことだけど、寝不足の頭が少し痛む。時間になってしまったので朝食をとるために食堂へと向かう。
食事の席では、いつもお義姉様とお母様が話している。金髪のお義姉様と薄茶色の髪のお母様。髪色は違うのに、目の色は同じ緑色で顔立ちもなんとなく似ている。
私も目の色は緑色だけど髪は濃い茶色で、亡くなったお父様に似たのか、あまりお母様に似ていない。こうして仲良く話している二人を見ると、お母様と血がつながっているのはお義姉様のようだと思う。
お母様が再婚した時、お義姉様はまだ生後二か月だったから、お義姉様にとってもお母様が本当の母親みたいなものだった。実際、私には感じられない母親の愛があるように思うのは、優しくしてもらえない私の僻みなのかもしれない。
「お義母様、アレクシスとラファエルの婚約者候補選びが始まるって本当?」
「あら。王妃様からは何も聞いていないの? お二人とも十八歳になるから、そろそろ始まるはずよ」
「本当だったのね。昨日、お友達から聞かれて驚いたわ。どうしてお茶会の時に教えてくれなかったのかしら」
第一王子と第二王子の婚約者候補選びが始まる……お二人とも学園の三年だったはず。学園の卒業までに正式な婚約者を決めるのかもしれない。
「ふふ。きっと求婚されて驚くジュディットが見たいのね」
「そうかもしれないわ。ねぇ、どっちを選べばいいと思う?」
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「そうねぇ。仲がいいのはラファエルだけど、アレクシスも素敵なのよね。いつも照れてるのか、あまり話してくれないんだけど」
アレクシス様……あれからもう九年になる。成長したアレクシス様はどれほど素敵になっているだろうか。あの日のことを想うと胸が温かくなって、頬にふれたアレクシス様の唇を思い出しては恥ずかしくなる。迎えに来てくれる約束をアレクシス様は忘れてしまったかもしれないけれど、私は忘れていない。
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