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1巻
1-2
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それなのに、アレクシス様がお義姉様と婚約するかもしれない……ずきりと痛む胸のうちを顔に出さないように食事を続ける。
「どちらが王太子になるのかはまだわからないのよね。妃次第じゃないかと言われているみたいだけど」
「じゃあ、私が選んだほうが王太子になるのね!」
「そうだと思うわ。ジュディットよりも優れた令嬢なんていないものね」
「どうしようかしら。迷ってしまうわ」
もうすでに王子二人に求婚されると確信しているお義姉様と、お義姉様こそ王太子妃にふさわしいと笑うお母様。確かに血筋と家柄で敵う令嬢はいないと思う。
お義姉様の母は亡くなった前公爵夫人、王妹だったシャルリーヌ様だ。陛下は大層可愛がっていたそうで、遺されたお義姉様のことも大事にしているらしい。
お義姉様は王妃様や王子たちとも仲がよくて、まるで王女のように可愛がられている。王妃様とお茶会をするからと、そこでお渡しするハンカチに刺繍を頼まれたこともある。公爵令嬢として社交をしなければいけないお義姉様は忙しい。だからこそ、私が支えなくてはいけないのはわかっている。
だけど、もしお義姉様が本当に王太子妃になるのだとしたら。勉強も刺繍も人任せで、大丈夫なのかと心配になる。私もそのうちどこかの家に嫁ぐ。その時、自分で何もできなかったらお義姉様は困ると思う。もう一度、きちんと話をしたほうがいいのかもしれない。
眠たい目をこすりながら、学園に向かう馬車に乗る。お義姉様と乗る馬車は別だから馬車に乗っている時は無理に笑わなくていい。
学園に着くと、知らない令嬢たちから冷たい目で見られる。……私が何かしたのだろうか。
「ほら、あの人だわ。ジュディット様の義理の妹って」
「素行が悪いって本当かしら?」
「本当なんじゃない? だって、基礎クラスだという話だし」
え? 私の素行が悪い? そんな噂が流れているとは知らず、話をしていた令嬢たちのほうを見てしまう。私に聞こえていたとわかったからか、令嬢たちは気まずそうな顔をして去っていった。
どういうことなんだろうと思いながらも、誰かに聞くこともできない。唇を噛みしめつつ、基礎クラスの教室へと向かった。
学園に入学して二週間。
お義姉様は楽しそうに通っている。一度特別クラスの学生たちがお茶をしているのを見かけたが、特別クラスの令嬢はお義姉様だけで、令息三人に囲まれて笑っていた。その一方で、基礎クラスに通う私は困り始めていた。
私はお義姉様が特別クラスで出された課題をするけれど、お義姉様は私に出された基礎クラスの課題をしてくれない。
魔石を交換して登録しているため、私自身が課題を解いて提出することはできない。だからお義姉様にお願いしているのに、お義姉様は面倒くさいから嫌だと一度も課題をしてくれない。
「課題をするのが嫌だから魔石を交換したのに、クラリスの課題をするわけないじゃない」
「でも! それじゃ困るの。私はずっと課題を提出できないことになってしまうわ」
「課題なんて提出しなくても退学にはならないわよ。公爵家なんだから、学園は文句を言えないもの」
「そういうことじゃなくて!」
いくら公爵家の養女であっても、課題を出さなくていいわけない。退学にはならなくても、教師から毎回注意をされるし、教室で注意されるたびに他の生徒から冷たい目で見られる。
「やっぱり今からでも魔石が違いましたって言えば」
「馬鹿なの? そんなこと言えるわけないでしょう?」
「でも」
「クラリスは私に基礎クラスに行けって言っているの? 王太子妃になる私に最低クラスに行けと?」
そうじゃないけど、これは間違った状態だ。こんなことをずっと続けていていいわけないのに。そう言いたかったけれど、お義姉様の機嫌を損ねたことに気づいて黙る。でも、遅かった。お義姉様は飲んでいたお茶を私の顔へとかける。熱くはなかったけれど、服までお茶で汚れてしまった。
「もし、このことがバレてみなさいよ。公爵家の信用はなくなって、私は王太子妃になれなくなるかもしれない。その時はクラリスには責任を取って家から出ていってもらうわ」
「そんな……」
「だって、そのくらいしか責任を取る方法はないでしょう? 役にも立たない居候なんて邪魔でしかないわ」
「でも……いつまでもこんな不正を続けるわけにも。私がいなくなった時にお義姉様が大変なことになるのに」
ずっとお義姉様に言われるまま動いてきた。それがお義姉様の評価を高めていることは知っている。いつか、私が代わりをできなくなった時、お義姉様はどうなってしまうのか心配だ。
「クラリスがいなくなる? どうして?」
「え? だって、私がどこかに嫁いでしまったら、お義姉様の手伝いはできなくなるでしょう?」
「ふふっ」
本当に心配でそう言ったのに、お義姉様は笑い出した。
「どうして笑うの?」
「クラリスはどこにも嫁がないわよ」
「え?」
「どこにも嫁がずに、ずっと私のために働くって決まっているの。クラリスも言ってたじゃない。いなくなったら私が困るのよ。だから、一生私のために生きてもらうわ。お義母様もそうするって言ってたわよ?」
「……うそ」
「嘘じゃないわ。公爵令嬢を名乗らせてあげているんだから、そのくらいの恩返しするのは当然でしょう?」
「そんな……」
お義姉様はそれ以上取り合ってくれなかった。本気で私をどこにも嫁がせずにお義姉様のために働けというの? あまりにもひどいと思ってお母様に訴えたけれど、答えはお義姉様と同じだった。
「あら。そんなの当たり前じゃない。まさか、どこかに逃げるつもりだったの?」
「逃げるって」
「あなたは公爵が拾ってくださらなかったら、その辺で平民として野垂れ死にしていたのよ? 一生かけてジュディットにお仕えするのは当然でしょう」
「……でも」
「口答えは許さないわよ! 今日は食事抜きで反省しなさい!」
「……はい」
お母様が再婚しなかったら死んでいた。それはそうだけど。
お母様はお義父様と再婚する前、モデュイ伯爵家に嫁いでいた。だが、私を産んで二週間で夫の伯爵令息は亡くなってしまったため、モデュイ伯爵は亡くなった長男に代わり、二男を後継ぎとした。
そして、二男にはもうすでに妻と息子がいた。亡くなった長男の妻と娘は不要になり、生家のマイエ伯爵家に戻そうとしたが、マイエ伯爵家はお母様の従兄弟が後継ぎとなっていて、生家にも戻れなかった。
途方に暮れていたお母様を救ったのが、元王女の妻を亡くし、まだ生後一か月だったお義姉様の新しい母親を探していたバルベナ公爵だ。公爵は再婚しても子どもは作らず、娘を母親として大事にすることを条件にしてお母様と再婚した。当時、お義姉様は生後二か月、私は生後一か月。それから家族として暮らしてきた、つもりだったのに。
あくまでも私は居候で、お義姉様の役に立つことでここに置いてもらっている。それを当然だと受け止められない私が悪いのだけど、どうしようなく落ち込んでしまう。
いつか、バルベナ公爵家から出る時には、人並みの幸せを手に入れられるかもしれないと思っていた。私を家族として愛してくれる人に出会えるかもしれないと。アレクシス様が迎えに行くと言ってくれた言葉を信じているわけではないけれど、あの時の約束があるから生きていられた。でも、もうそんな可能性は消えてしまった。
ここから逃げ出すことはできないんだと、部屋に戻ってただ泣き続けていた。
2
どこにも逃げられないと絶望しても、朝が来れば起きなくてはならない。つらい学園生活も気がつけば二か月が過ぎていた。いつものようにお義姉様の課題などをこなし、魔石に魔力をこめる。言われるままに働いていると夕食の時間になった。
夕食の時間はお母様がお義姉様に学園での出来事を質問して、お義姉様が楽しそうにそれに答える。ずっと二人が話しているのを聞きながら食事をするのにも慣れた。私が口を挟めば叱られるのはわかっているので黙っている。
「それでね、アレクシスとも仲良くしてあげようと思って、昼休みに学生会室へ行ったの!」
その名前を聞いて、ついお義姉様の顔を見てしまう。お義姉様はそんな私には気がつかずに、お母様へ視線を向けている。
「学生会室?」
「アレクシスは学生会長なのよ。ラファエルとはカフェテリアでお茶しているけど、アレクシスは来ないの。アレクシスともゆっくり話したいのに、学生会が忙しくて時間がないっていうから、じゃあ、私が学生会室に訪ねていってあげようって思ったの」
「ジュディットは優しいのね」
「でしょう? なのに、アレクシスったら、学生会室は関係者以外は入れないからって断ったのよ!せっかく行ってあげたのに、信じられないわ!」
今日は帰ってきた時から少し不機嫌だとは思っていたけど、アレクシス様に断られたせいだったんだ。学生会室に行く用事はないけれど、関係者以外立ち入り禁止なのは覚えておこう。
学生会長のアレクシス様にも私の悪評は届いているはず。これ以上何かして嫌われたくないもの……
「アレクシス様が学生会長ねぇ。やっぱり優秀なのはアレクシス様のほうなのね」
「成績はそうみたいね。きっと、真面目だから勉強ばかりしているんだわ。少しはラファエルみたいに社交的になればいいのに」
「そうね。国王になるには社交も必要だわ。仕事は臣下に任せればいいのだから」
「そうよ。仕事なんて誰でもできるんだもの」
それはどうなんだろう。仕事自体は臣下に任せてもいいだろうけど、最終的に判断するのは国王の仕事だ。少なくともお義姉様が言うように、誰にでもできるような仕事ではないと思う。
優秀で冷静な第一王子のアレクシス様。明るくて社交的な第二王子ラファエル様。この国は側妃の制度がないため、三人の王子は全員が王妃の息子。アレクシス様とラファエル様は双子のため、まだどちらが王太子になるのかわからない。おそらく学園を卒業する時に決まるだろうと言われている。
ラファエル様が社交的だからという理由だけで国王に向いているとは思えないけれど、学園での成績はどうなんだろう。学園の三年にいるのは知っているけれど、私には友人がいないから噂話も入ってこない。こうしてお義姉様の話を聞かなければ、アレクシス様が学生会長なのすら知らなかっただろう。
話す機会はないと思うけれど、アレクシス様が卒業するまでに学園ですれ違うことくらいできないだろうか。忘れないでと言ったのはアレクシス様だけど、たった数時間だけ一緒にいた私を覚えてくれているわけはない。あれから一度も会えていないのだから。でも、もしも覚えていてくれたなら……
そんなことをぼんやり考えていた私に、お義姉様は思い出したかのように言う。
「ああ、クラリス。明日から学園を休んでね」
「え?」
「ほら。来週から学期末試験があるでしょう? 休めば課題提出になるから、私も休むんだけど、その日だけ休んだら怪しまれるでしょう?」
「試験を休む? どうしてなの?」
「学園で試験を受けたら魔石を交換したことがバレちゃうでしょう?」
こんな簡単なこともわからないのとばかりの呆れた顔でお義姉様が言う。そうか。学園の教室で試験を受けてしまったら、魔石を交換していたことが知られてしまう。
だから試験中は休んで、後日課題を提出すればいいというのはわかるけど、それが上手くいくとは思えなかった。
「お義姉様、学期末試験って年に四度もあるのよ? 何度も休んでいたら疑われるんじゃないの?」
「公爵家を疑うようなこと、教師ができるわけないじゃない」
「……大丈夫なのかしら」
「大丈夫に決まっているわ。ああ、クラリスが風邪をひいてしまったから、看病してあげた優しい私にもうつった、ってことにするから。よけいなことは言わないでよね」
「…………わかったわ」
そんな不正はしたくないと言いたかったけれど、お義姉様の隣に座るお母様ににらまれて、受け入れるしかないとあきらめた。
次の日から、学期末試験が終わるまで休んで、ようやく学園に行けるようになった日。基礎クラスの学生だけじゃなく、他のクラスの学生の目も冷たかった。どうやら私が夜遊びしていて風邪をひき、お義姉様にうつしたと噂になっているようだ。広まってしまった悪評はどうしようもないけれど、それから令嬢たちにたびたび呼び出されることになった。
その日も令嬢たちに呼び出されていた。教室のすみで昼食をとっていたら、一人の令嬢についてくるように言われ、中庭まで連れていかれる。
そこにいた令嬢たちは四人。私を連れてきた令嬢と合わせて五人。同じクラスではないけれど、見たことはあるから同じ学年だと思う。
どこの貴族家なのかは知らないけど、同じ学年に公爵家の令嬢はいなかったはず。そうなると侯爵家以下の令嬢たちということになる。私のほうが身分は上なのに、令嬢たちがそれを気にしている様子はない。全員が私に腹を立てているようだ。にらみつけられ、周りを囲まれる。
「クラリス様、いい加減にしてください」
「もっと真面目になってください。公爵令嬢が最低の基礎クラスにいるだけでも恥ずかしいというのに、課題を一度も出していないそうじゃないですか!」
「しかも、夜遊びまでしてジュディット様を心配させて!」
「ジュディット様に看病までさせるなんて、ありえません! 王太子妃になる方なのですよ!?」
もう何度もこういう呼び出しをされているから慣れてはきたけれど、何も言い訳できないのはつらい。ついでにいえば、身分だけは公爵令嬢の私が、伯爵以下の令嬢たちに頭を下げるわけにはいかなかった。養女だとしても公爵家の名を傷つけることは許されない。そんなことをしてしまえば処罰を受けるのはこの令嬢たちのほうだ。お義姉様のために怒っているのだろうけど、少しは冷静になってくれないかな。
言いたいだけ言えばちょっとはすっきりするだろうか。終わるまで黙って聞くことにしたけれど、それが悪かったらしい。何も言わない私に令嬢の一人が腹を立て、ぐっと髪をつかんだ。
「痛いっ」
「ちゃんと聞いているんですか!」
「やめて! 手を離して!」
「これから真面目になると約束してくれなければ、この手は離しません! ジュディット様にもう迷惑をかけないでください」
そんな約束をできるわけがない。だって、夜遊びなんてしたこともないし、課題だって特別クラスのものを毎日している。していないのは、真面目じゃないのはお義姉様なのだから。
でも、それを言えるわけもない。すると、別の令嬢に突き飛ばされ、地面に倒れた私に令嬢たちが近づいてくる。
何をされるのかわからず、怖くて身を縮める。どうしよう。大きな声で助けを呼ぶべき? いや、そんなことをすれば大騒ぎになってしまう。
「お前たち、何をしている」
突然聞こえた低い男性の声に驚いて、令嬢たちが声のしたほうを向いた。
「え? 王子殿下!?」
「嘘でしょう!」
「公爵令嬢に何をしていると聞いた。答えろ!」
王子殿下……? 顔を上げたら、令嬢たちの後ろに男性が立っていた。長い銀髪の隙間から見える、咎めるような青い目。あの時とは身長も体格も違うけれど、綺麗だからこそ冷酷な印象を与える表情は変わっていない。
あぁ、アレクシス様だ。こんな恥ずかしいところを見られるなんて。すぐに立ち上がろうとしたけど、右足首に痛みが走る。
「……痛っ」
「怪我をしたのか! お前たち、どう責任を取るつもりだ!」
「いえ! 怪我をさせるつもりなんてなかったのです!」
「そうです! クラリス様に真面目になってほしいと訴えていただけで!」
「ええ、ジュディット様に迷惑をかけないでほしいとお願いしていて!」
自分たちは悪くない、ただ少しだけ熱意がありすぎただけだと令嬢たちが口々に訴える。
「これは王太子妃になるジュディット様のためで」
「この国の未来のために呼び出したのです! わかってもらえますよね!」
本気で自分たちは悪くないと思っているのか、令嬢たちは平気な顔で言い訳を続ける。アレクシス様はその言い訳を途中でやめさせると、冷たい表情のまま令嬢たちに告げた。
「言い訳はいらない。お前たちが暴力沙汰を起こしたことには変わらない」
「「「「「え?」」」」」
「この学園の学生は全員の顔と名前を覚えている。当然、お前たちがどこの貴族家なのかも知っている。処罰が決まったら当主へと連絡する。わかったら教室へ戻れ」
「そんな!」
「お考え直しください!」
「学生会長として、この件を見逃すことはできない。王家からも処罰されたくなければ、今すぐここから立ち去れ。これ以上反論する気なら、学園内だけの処罰では済まさないぞ」
今なら学生としてのもめ事で済ませると警告され、令嬢たちは肩を落として去っていった。五人のうち二人はまったく反省していないのか私をにらんでいたが、恨まれたところでどうすることもできない。もう私に関わらないでくれるようにと祈るだけだ。
令嬢たちが去ると、アレクシス様が私のほうへと近づいてくる。その顔はさっきまでの冷たい表情とは違って心配そうな色が浮かんでいた。
「クラリス、大丈夫か? どこを怪我したんだ?」
アレクシス様から名前を呼ばれ、私を覚えていてくれたことがうれしくて泣きそうになる。それをアレクシス様は痛みによるものだと思ったのか、痛ましそうな顔で私のそばに跪いた。
「あ、あの、足をひねってしまったみたいですが大丈夫です。助けてくださってありがとうございました」
「足か……」
アレクシス様は少し考えるようなそぶりをした後、座り込んだままの私を抱き上げた。
「ええ?」
「このままにしておくわけにもいかないし、事情を聞く必要がある。学生会室に連れていくから、おとなしくしていてくれ」
アレクシス様に抱き上げられ、混乱して頭の中がぐるぐると回り出す。もう近づくことはできないと思っていたのに、すぐそばにアレクシス様の顔が見える。抱き上げられた腕や寄りかかる身体から体温が伝わってきて、どうしたらいいのかわからず身を固くしていると、近くの建物の中へと入っていった。
今まで立ち入ったことがない棟の奥の部屋の前でアレクシス様は止まる。学生会室と書かれた大きな扉をアレクシス様が足でノックすると、中から一人の令息が出てきた。
「その令嬢はどうしたんですか!?」
「怪我人だ。事情を聞くために連れてきた」
学生会室の内装は教室とはかなり違っていて、まるで公爵家の客室のような豪華な造り。関係者以外立ち入り禁止だとお義姉様が言っていた。連れてこられたとはいえ、私が入っていいのだろうか。
アレクシス様が私をゆっくりとソファへ降ろしてくれる。すると、先ほどの令息が何かを手にして戻ってきた。
「アレクシス様、持ってきました」
「ああ」
令息が持ってきたものはなんだろう……小さな箱にひものようなものが何本もついている。おそらく魔術具だと思うけれど。
「すぐに治療する。痛むのはどっちの足だ?」
「あ、右足首です」
「……悪いが、ふれるぞ」
返事をする前に、アレクシス様の手が足首へとふれる。痛みもあって身体がびくりと動いてしまう。
「痛むか……少しだけ我慢してくれ」
「……はい」
少しずつ痛みが薄れていく。この魔術具は治療具だったんだ。今まで怪我をしたことがないわけじゃないし、公爵家にもあると思うけど、私に使われたことはないせいでわからなかった。私なんかに魔石を使うのがもったいないからだと思う。
痛みが引いていくと、アレクシス様にふれられているのがただただ恥ずかしい。アレクシス様もそれがわかっているのか、足を見ないようにしてくれている。
「もう、大丈夫か?」
「はい。痛みはなくなりました。こんな高価な魔術具を使わせてしまって申し訳ありません。助けていただいてありがとうございました」
治療が終わると、アレクシス様は向かい側のソファに座った。少し距離が離れてしまったことをさみしく感じてしまい、これ以上は望んではいけないと自分に言い聞かせた。
「クラリス、さっきの状況を最初から説明してくれるだろうか?」
「……はい」
どうして令嬢に囲まれていたのかを説明するには、私の悪評についても説明しなければならない。そういう人だと思われたくないけれど、説明しないわけにもいかない。
仕方なく教室から連れ出されたところから説明を始めたら、先ほどの令息が私の話を書き留め始めた。もしかして、これはどこかに報告されるんだろうか。
アレクシス様は私の話が終わるまで黙って聞いていたけど、なぜか隣国クルナディア王国の言葉で話し出した。
『今日の件は公爵家に報告したほうがいいか?』
「え?」
『言われたら困るのなら、あの令嬢たちは軽い処分にして、公爵家には言わないでおくこともできるが、どうする?』
どうしてクルナディア語なのかはわからない。ふと、後ろにいる令息が慌てているのが見えた。もしかして、令息はクルナディア語がわからないから、内緒で彼女たちの処罰を軽くしてくれるってこと? じゃあ、私もクルナディア語で話したほうがいいのかもしれない。
『できるのなら、そうしてください』
『あの令嬢たちに恨みはないのか?』
『困ってはいましたけど、恨むほどではないです。あの令嬢たちは、私に真面目になってほしかっただけだと思います』
『公爵令嬢にあんな真似をして許されるとでも?』
それは困る質問だ。確かに身分が上の令嬢にあんなことをして許されるわけがない。それを許したら、この国の身分制度が崩壊してしまう。だけど、私はそこまでする必要はないと思った。
『私は本当の公爵令嬢ではありません。母が再婚して養女にしていただいただけですから』
「そうか。マルス、これでわかっただろう?」
「……はい。そうですね。アレクシス様が正しいようです」
何を言っているんだろうと思っていると、令息が立ち上がって私へと頭を下げる。長い金髪を後ろに一つで結び、眼鏡の奥の目は緑色。よく見れば、お義姉様と同じ王家の色……
「ど、どうしたのですか?」
「今まで誤解していて申し訳ありません」
「え?」
「クラリス、こいつは副会長のマルス。オダン公爵家の三男だ」
「マルス・オダンです」
「あ、あの、クラリス・バルベナと申します」
突然挨拶をされて驚いたけれどオダン公爵家の人だったとは。先代のオダン公爵が王弟だったはず。
この国に公爵家は三つある。筆頭公爵家のバルベナ家。王妃の生家であるモーリア家。そして、騎士団長のオダン公爵家。
モーリア家とオダン家に令嬢はいないし、どちらの家も嫡男はすでに結婚している。そのため、お義姉様とお母様の会話にもほとんど出てこない。三男のマルス様が学園に在籍していたことも知らなかった。
「今日の件は内密に処罰しておくよ。次に同じことをしたらただでは済まさないけど」
「はい、ありがとうございます」
大騒ぎにならずに済んでホッとする。こんな話がお母様たちに知られたら、叱られるのは私のほうだと思う。もっと上手くあしらいなさいと言われるに違いない。
「ただ、クラリスにお願いがあるんだ」
「お願いですか?」
「ああ。実はもう少ししたらクルナディアから留学生が来るんだ。留学してくるのは第二王子だが、少し変わり者らしい。うちの国に来ても学ぶことなんてないと思うんだがな」
アレクシス様がそう言うのも当然だろう。隣国のクルナディアは高度な魔術を操る魔術師が多く、魔術具を作る職人も豊富にいる。
「どちらが王太子になるのかはまだわからないのよね。妃次第じゃないかと言われているみたいだけど」
「じゃあ、私が選んだほうが王太子になるのね!」
「そうだと思うわ。ジュディットよりも優れた令嬢なんていないものね」
「どうしようかしら。迷ってしまうわ」
もうすでに王子二人に求婚されると確信しているお義姉様と、お義姉様こそ王太子妃にふさわしいと笑うお母様。確かに血筋と家柄で敵う令嬢はいないと思う。
お義姉様の母は亡くなった前公爵夫人、王妹だったシャルリーヌ様だ。陛下は大層可愛がっていたそうで、遺されたお義姉様のことも大事にしているらしい。
お義姉様は王妃様や王子たちとも仲がよくて、まるで王女のように可愛がられている。王妃様とお茶会をするからと、そこでお渡しするハンカチに刺繍を頼まれたこともある。公爵令嬢として社交をしなければいけないお義姉様は忙しい。だからこそ、私が支えなくてはいけないのはわかっている。
だけど、もしお義姉様が本当に王太子妃になるのだとしたら。勉強も刺繍も人任せで、大丈夫なのかと心配になる。私もそのうちどこかの家に嫁ぐ。その時、自分で何もできなかったらお義姉様は困ると思う。もう一度、きちんと話をしたほうがいいのかもしれない。
眠たい目をこすりながら、学園に向かう馬車に乗る。お義姉様と乗る馬車は別だから馬車に乗っている時は無理に笑わなくていい。
学園に着くと、知らない令嬢たちから冷たい目で見られる。……私が何かしたのだろうか。
「ほら、あの人だわ。ジュディット様の義理の妹って」
「素行が悪いって本当かしら?」
「本当なんじゃない? だって、基礎クラスだという話だし」
え? 私の素行が悪い? そんな噂が流れているとは知らず、話をしていた令嬢たちのほうを見てしまう。私に聞こえていたとわかったからか、令嬢たちは気まずそうな顔をして去っていった。
どういうことなんだろうと思いながらも、誰かに聞くこともできない。唇を噛みしめつつ、基礎クラスの教室へと向かった。
学園に入学して二週間。
お義姉様は楽しそうに通っている。一度特別クラスの学生たちがお茶をしているのを見かけたが、特別クラスの令嬢はお義姉様だけで、令息三人に囲まれて笑っていた。その一方で、基礎クラスに通う私は困り始めていた。
私はお義姉様が特別クラスで出された課題をするけれど、お義姉様は私に出された基礎クラスの課題をしてくれない。
魔石を交換して登録しているため、私自身が課題を解いて提出することはできない。だからお義姉様にお願いしているのに、お義姉様は面倒くさいから嫌だと一度も課題をしてくれない。
「課題をするのが嫌だから魔石を交換したのに、クラリスの課題をするわけないじゃない」
「でも! それじゃ困るの。私はずっと課題を提出できないことになってしまうわ」
「課題なんて提出しなくても退学にはならないわよ。公爵家なんだから、学園は文句を言えないもの」
「そういうことじゃなくて!」
いくら公爵家の養女であっても、課題を出さなくていいわけない。退学にはならなくても、教師から毎回注意をされるし、教室で注意されるたびに他の生徒から冷たい目で見られる。
「やっぱり今からでも魔石が違いましたって言えば」
「馬鹿なの? そんなこと言えるわけないでしょう?」
「でも」
「クラリスは私に基礎クラスに行けって言っているの? 王太子妃になる私に最低クラスに行けと?」
そうじゃないけど、これは間違った状態だ。こんなことをずっと続けていていいわけないのに。そう言いたかったけれど、お義姉様の機嫌を損ねたことに気づいて黙る。でも、遅かった。お義姉様は飲んでいたお茶を私の顔へとかける。熱くはなかったけれど、服までお茶で汚れてしまった。
「もし、このことがバレてみなさいよ。公爵家の信用はなくなって、私は王太子妃になれなくなるかもしれない。その時はクラリスには責任を取って家から出ていってもらうわ」
「そんな……」
「だって、そのくらいしか責任を取る方法はないでしょう? 役にも立たない居候なんて邪魔でしかないわ」
「でも……いつまでもこんな不正を続けるわけにも。私がいなくなった時にお義姉様が大変なことになるのに」
ずっとお義姉様に言われるまま動いてきた。それがお義姉様の評価を高めていることは知っている。いつか、私が代わりをできなくなった時、お義姉様はどうなってしまうのか心配だ。
「クラリスがいなくなる? どうして?」
「え? だって、私がどこかに嫁いでしまったら、お義姉様の手伝いはできなくなるでしょう?」
「ふふっ」
本当に心配でそう言ったのに、お義姉様は笑い出した。
「どうして笑うの?」
「クラリスはどこにも嫁がないわよ」
「え?」
「どこにも嫁がずに、ずっと私のために働くって決まっているの。クラリスも言ってたじゃない。いなくなったら私が困るのよ。だから、一生私のために生きてもらうわ。お義母様もそうするって言ってたわよ?」
「……うそ」
「嘘じゃないわ。公爵令嬢を名乗らせてあげているんだから、そのくらいの恩返しするのは当然でしょう?」
「そんな……」
お義姉様はそれ以上取り合ってくれなかった。本気で私をどこにも嫁がせずにお義姉様のために働けというの? あまりにもひどいと思ってお母様に訴えたけれど、答えはお義姉様と同じだった。
「あら。そんなの当たり前じゃない。まさか、どこかに逃げるつもりだったの?」
「逃げるって」
「あなたは公爵が拾ってくださらなかったら、その辺で平民として野垂れ死にしていたのよ? 一生かけてジュディットにお仕えするのは当然でしょう」
「……でも」
「口答えは許さないわよ! 今日は食事抜きで反省しなさい!」
「……はい」
お母様が再婚しなかったら死んでいた。それはそうだけど。
お母様はお義父様と再婚する前、モデュイ伯爵家に嫁いでいた。だが、私を産んで二週間で夫の伯爵令息は亡くなってしまったため、モデュイ伯爵は亡くなった長男に代わり、二男を後継ぎとした。
そして、二男にはもうすでに妻と息子がいた。亡くなった長男の妻と娘は不要になり、生家のマイエ伯爵家に戻そうとしたが、マイエ伯爵家はお母様の従兄弟が後継ぎとなっていて、生家にも戻れなかった。
途方に暮れていたお母様を救ったのが、元王女の妻を亡くし、まだ生後一か月だったお義姉様の新しい母親を探していたバルベナ公爵だ。公爵は再婚しても子どもは作らず、娘を母親として大事にすることを条件にしてお母様と再婚した。当時、お義姉様は生後二か月、私は生後一か月。それから家族として暮らしてきた、つもりだったのに。
あくまでも私は居候で、お義姉様の役に立つことでここに置いてもらっている。それを当然だと受け止められない私が悪いのだけど、どうしようなく落ち込んでしまう。
いつか、バルベナ公爵家から出る時には、人並みの幸せを手に入れられるかもしれないと思っていた。私を家族として愛してくれる人に出会えるかもしれないと。アレクシス様が迎えに行くと言ってくれた言葉を信じているわけではないけれど、あの時の約束があるから生きていられた。でも、もうそんな可能性は消えてしまった。
ここから逃げ出すことはできないんだと、部屋に戻ってただ泣き続けていた。
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どこにも逃げられないと絶望しても、朝が来れば起きなくてはならない。つらい学園生活も気がつけば二か月が過ぎていた。いつものようにお義姉様の課題などをこなし、魔石に魔力をこめる。言われるままに働いていると夕食の時間になった。
夕食の時間はお母様がお義姉様に学園での出来事を質問して、お義姉様が楽しそうにそれに答える。ずっと二人が話しているのを聞きながら食事をするのにも慣れた。私が口を挟めば叱られるのはわかっているので黙っている。
「それでね、アレクシスとも仲良くしてあげようと思って、昼休みに学生会室へ行ったの!」
その名前を聞いて、ついお義姉様の顔を見てしまう。お義姉様はそんな私には気がつかずに、お母様へ視線を向けている。
「学生会室?」
「アレクシスは学生会長なのよ。ラファエルとはカフェテリアでお茶しているけど、アレクシスは来ないの。アレクシスともゆっくり話したいのに、学生会が忙しくて時間がないっていうから、じゃあ、私が学生会室に訪ねていってあげようって思ったの」
「ジュディットは優しいのね」
「でしょう? なのに、アレクシスったら、学生会室は関係者以外は入れないからって断ったのよ!せっかく行ってあげたのに、信じられないわ!」
今日は帰ってきた時から少し不機嫌だとは思っていたけど、アレクシス様に断られたせいだったんだ。学生会室に行く用事はないけれど、関係者以外立ち入り禁止なのは覚えておこう。
学生会長のアレクシス様にも私の悪評は届いているはず。これ以上何かして嫌われたくないもの……
「アレクシス様が学生会長ねぇ。やっぱり優秀なのはアレクシス様のほうなのね」
「成績はそうみたいね。きっと、真面目だから勉強ばかりしているんだわ。少しはラファエルみたいに社交的になればいいのに」
「そうね。国王になるには社交も必要だわ。仕事は臣下に任せればいいのだから」
「そうよ。仕事なんて誰でもできるんだもの」
それはどうなんだろう。仕事自体は臣下に任せてもいいだろうけど、最終的に判断するのは国王の仕事だ。少なくともお義姉様が言うように、誰にでもできるような仕事ではないと思う。
優秀で冷静な第一王子のアレクシス様。明るくて社交的な第二王子ラファエル様。この国は側妃の制度がないため、三人の王子は全員が王妃の息子。アレクシス様とラファエル様は双子のため、まだどちらが王太子になるのかわからない。おそらく学園を卒業する時に決まるだろうと言われている。
ラファエル様が社交的だからという理由だけで国王に向いているとは思えないけれど、学園での成績はどうなんだろう。学園の三年にいるのは知っているけれど、私には友人がいないから噂話も入ってこない。こうしてお義姉様の話を聞かなければ、アレクシス様が学生会長なのすら知らなかっただろう。
話す機会はないと思うけれど、アレクシス様が卒業するまでに学園ですれ違うことくらいできないだろうか。忘れないでと言ったのはアレクシス様だけど、たった数時間だけ一緒にいた私を覚えてくれているわけはない。あれから一度も会えていないのだから。でも、もしも覚えていてくれたなら……
そんなことをぼんやり考えていた私に、お義姉様は思い出したかのように言う。
「ああ、クラリス。明日から学園を休んでね」
「え?」
「ほら。来週から学期末試験があるでしょう? 休めば課題提出になるから、私も休むんだけど、その日だけ休んだら怪しまれるでしょう?」
「試験を休む? どうしてなの?」
「学園で試験を受けたら魔石を交換したことがバレちゃうでしょう?」
こんな簡単なこともわからないのとばかりの呆れた顔でお義姉様が言う。そうか。学園の教室で試験を受けてしまったら、魔石を交換していたことが知られてしまう。
だから試験中は休んで、後日課題を提出すればいいというのはわかるけど、それが上手くいくとは思えなかった。
「お義姉様、学期末試験って年に四度もあるのよ? 何度も休んでいたら疑われるんじゃないの?」
「公爵家を疑うようなこと、教師ができるわけないじゃない」
「……大丈夫なのかしら」
「大丈夫に決まっているわ。ああ、クラリスが風邪をひいてしまったから、看病してあげた優しい私にもうつった、ってことにするから。よけいなことは言わないでよね」
「…………わかったわ」
そんな不正はしたくないと言いたかったけれど、お義姉様の隣に座るお母様ににらまれて、受け入れるしかないとあきらめた。
次の日から、学期末試験が終わるまで休んで、ようやく学園に行けるようになった日。基礎クラスの学生だけじゃなく、他のクラスの学生の目も冷たかった。どうやら私が夜遊びしていて風邪をひき、お義姉様にうつしたと噂になっているようだ。広まってしまった悪評はどうしようもないけれど、それから令嬢たちにたびたび呼び出されることになった。
その日も令嬢たちに呼び出されていた。教室のすみで昼食をとっていたら、一人の令嬢についてくるように言われ、中庭まで連れていかれる。
そこにいた令嬢たちは四人。私を連れてきた令嬢と合わせて五人。同じクラスではないけれど、見たことはあるから同じ学年だと思う。
どこの貴族家なのかは知らないけど、同じ学年に公爵家の令嬢はいなかったはず。そうなると侯爵家以下の令嬢たちということになる。私のほうが身分は上なのに、令嬢たちがそれを気にしている様子はない。全員が私に腹を立てているようだ。にらみつけられ、周りを囲まれる。
「クラリス様、いい加減にしてください」
「もっと真面目になってください。公爵令嬢が最低の基礎クラスにいるだけでも恥ずかしいというのに、課題を一度も出していないそうじゃないですか!」
「しかも、夜遊びまでしてジュディット様を心配させて!」
「ジュディット様に看病までさせるなんて、ありえません! 王太子妃になる方なのですよ!?」
もう何度もこういう呼び出しをされているから慣れてはきたけれど、何も言い訳できないのはつらい。ついでにいえば、身分だけは公爵令嬢の私が、伯爵以下の令嬢たちに頭を下げるわけにはいかなかった。養女だとしても公爵家の名を傷つけることは許されない。そんなことをしてしまえば処罰を受けるのはこの令嬢たちのほうだ。お義姉様のために怒っているのだろうけど、少しは冷静になってくれないかな。
言いたいだけ言えばちょっとはすっきりするだろうか。終わるまで黙って聞くことにしたけれど、それが悪かったらしい。何も言わない私に令嬢の一人が腹を立て、ぐっと髪をつかんだ。
「痛いっ」
「ちゃんと聞いているんですか!」
「やめて! 手を離して!」
「これから真面目になると約束してくれなければ、この手は離しません! ジュディット様にもう迷惑をかけないでください」
そんな約束をできるわけがない。だって、夜遊びなんてしたこともないし、課題だって特別クラスのものを毎日している。していないのは、真面目じゃないのはお義姉様なのだから。
でも、それを言えるわけもない。すると、別の令嬢に突き飛ばされ、地面に倒れた私に令嬢たちが近づいてくる。
何をされるのかわからず、怖くて身を縮める。どうしよう。大きな声で助けを呼ぶべき? いや、そんなことをすれば大騒ぎになってしまう。
「お前たち、何をしている」
突然聞こえた低い男性の声に驚いて、令嬢たちが声のしたほうを向いた。
「え? 王子殿下!?」
「嘘でしょう!」
「公爵令嬢に何をしていると聞いた。答えろ!」
王子殿下……? 顔を上げたら、令嬢たちの後ろに男性が立っていた。長い銀髪の隙間から見える、咎めるような青い目。あの時とは身長も体格も違うけれど、綺麗だからこそ冷酷な印象を与える表情は変わっていない。
あぁ、アレクシス様だ。こんな恥ずかしいところを見られるなんて。すぐに立ち上がろうとしたけど、右足首に痛みが走る。
「……痛っ」
「怪我をしたのか! お前たち、どう責任を取るつもりだ!」
「いえ! 怪我をさせるつもりなんてなかったのです!」
「そうです! クラリス様に真面目になってほしいと訴えていただけで!」
「ええ、ジュディット様に迷惑をかけないでほしいとお願いしていて!」
自分たちは悪くない、ただ少しだけ熱意がありすぎただけだと令嬢たちが口々に訴える。
「これは王太子妃になるジュディット様のためで」
「この国の未来のために呼び出したのです! わかってもらえますよね!」
本気で自分たちは悪くないと思っているのか、令嬢たちは平気な顔で言い訳を続ける。アレクシス様はその言い訳を途中でやめさせると、冷たい表情のまま令嬢たちに告げた。
「言い訳はいらない。お前たちが暴力沙汰を起こしたことには変わらない」
「「「「「え?」」」」」
「この学園の学生は全員の顔と名前を覚えている。当然、お前たちがどこの貴族家なのかも知っている。処罰が決まったら当主へと連絡する。わかったら教室へ戻れ」
「そんな!」
「お考え直しください!」
「学生会長として、この件を見逃すことはできない。王家からも処罰されたくなければ、今すぐここから立ち去れ。これ以上反論する気なら、学園内だけの処罰では済まさないぞ」
今なら学生としてのもめ事で済ませると警告され、令嬢たちは肩を落として去っていった。五人のうち二人はまったく反省していないのか私をにらんでいたが、恨まれたところでどうすることもできない。もう私に関わらないでくれるようにと祈るだけだ。
令嬢たちが去ると、アレクシス様が私のほうへと近づいてくる。その顔はさっきまでの冷たい表情とは違って心配そうな色が浮かんでいた。
「クラリス、大丈夫か? どこを怪我したんだ?」
アレクシス様から名前を呼ばれ、私を覚えていてくれたことがうれしくて泣きそうになる。それをアレクシス様は痛みによるものだと思ったのか、痛ましそうな顔で私のそばに跪いた。
「あ、あの、足をひねってしまったみたいですが大丈夫です。助けてくださってありがとうございました」
「足か……」
アレクシス様は少し考えるようなそぶりをした後、座り込んだままの私を抱き上げた。
「ええ?」
「このままにしておくわけにもいかないし、事情を聞く必要がある。学生会室に連れていくから、おとなしくしていてくれ」
アレクシス様に抱き上げられ、混乱して頭の中がぐるぐると回り出す。もう近づくことはできないと思っていたのに、すぐそばにアレクシス様の顔が見える。抱き上げられた腕や寄りかかる身体から体温が伝わってきて、どうしたらいいのかわからず身を固くしていると、近くの建物の中へと入っていった。
今まで立ち入ったことがない棟の奥の部屋の前でアレクシス様は止まる。学生会室と書かれた大きな扉をアレクシス様が足でノックすると、中から一人の令息が出てきた。
「その令嬢はどうしたんですか!?」
「怪我人だ。事情を聞くために連れてきた」
学生会室の内装は教室とはかなり違っていて、まるで公爵家の客室のような豪華な造り。関係者以外立ち入り禁止だとお義姉様が言っていた。連れてこられたとはいえ、私が入っていいのだろうか。
アレクシス様が私をゆっくりとソファへ降ろしてくれる。すると、先ほどの令息が何かを手にして戻ってきた。
「アレクシス様、持ってきました」
「ああ」
令息が持ってきたものはなんだろう……小さな箱にひものようなものが何本もついている。おそらく魔術具だと思うけれど。
「すぐに治療する。痛むのはどっちの足だ?」
「あ、右足首です」
「……悪いが、ふれるぞ」
返事をする前に、アレクシス様の手が足首へとふれる。痛みもあって身体がびくりと動いてしまう。
「痛むか……少しだけ我慢してくれ」
「……はい」
少しずつ痛みが薄れていく。この魔術具は治療具だったんだ。今まで怪我をしたことがないわけじゃないし、公爵家にもあると思うけど、私に使われたことはないせいでわからなかった。私なんかに魔石を使うのがもったいないからだと思う。
痛みが引いていくと、アレクシス様にふれられているのがただただ恥ずかしい。アレクシス様もそれがわかっているのか、足を見ないようにしてくれている。
「もう、大丈夫か?」
「はい。痛みはなくなりました。こんな高価な魔術具を使わせてしまって申し訳ありません。助けていただいてありがとうございました」
治療が終わると、アレクシス様は向かい側のソファに座った。少し距離が離れてしまったことをさみしく感じてしまい、これ以上は望んではいけないと自分に言い聞かせた。
「クラリス、さっきの状況を最初から説明してくれるだろうか?」
「……はい」
どうして令嬢に囲まれていたのかを説明するには、私の悪評についても説明しなければならない。そういう人だと思われたくないけれど、説明しないわけにもいかない。
仕方なく教室から連れ出されたところから説明を始めたら、先ほどの令息が私の話を書き留め始めた。もしかして、これはどこかに報告されるんだろうか。
アレクシス様は私の話が終わるまで黙って聞いていたけど、なぜか隣国クルナディア王国の言葉で話し出した。
『今日の件は公爵家に報告したほうがいいか?』
「え?」
『言われたら困るのなら、あの令嬢たちは軽い処分にして、公爵家には言わないでおくこともできるが、どうする?』
どうしてクルナディア語なのかはわからない。ふと、後ろにいる令息が慌てているのが見えた。もしかして、令息はクルナディア語がわからないから、内緒で彼女たちの処罰を軽くしてくれるってこと? じゃあ、私もクルナディア語で話したほうがいいのかもしれない。
『できるのなら、そうしてください』
『あの令嬢たちに恨みはないのか?』
『困ってはいましたけど、恨むほどではないです。あの令嬢たちは、私に真面目になってほしかっただけだと思います』
『公爵令嬢にあんな真似をして許されるとでも?』
それは困る質問だ。確かに身分が上の令嬢にあんなことをして許されるわけがない。それを許したら、この国の身分制度が崩壊してしまう。だけど、私はそこまでする必要はないと思った。
『私は本当の公爵令嬢ではありません。母が再婚して養女にしていただいただけですから』
「そうか。マルス、これでわかっただろう?」
「……はい。そうですね。アレクシス様が正しいようです」
何を言っているんだろうと思っていると、令息が立ち上がって私へと頭を下げる。長い金髪を後ろに一つで結び、眼鏡の奥の目は緑色。よく見れば、お義姉様と同じ王家の色……
「ど、どうしたのですか?」
「今まで誤解していて申し訳ありません」
「え?」
「クラリス、こいつは副会長のマルス。オダン公爵家の三男だ」
「マルス・オダンです」
「あ、あの、クラリス・バルベナと申します」
突然挨拶をされて驚いたけれどオダン公爵家の人だったとは。先代のオダン公爵が王弟だったはず。
この国に公爵家は三つある。筆頭公爵家のバルベナ家。王妃の生家であるモーリア家。そして、騎士団長のオダン公爵家。
モーリア家とオダン家に令嬢はいないし、どちらの家も嫡男はすでに結婚している。そのため、お義姉様とお母様の会話にもほとんど出てこない。三男のマルス様が学園に在籍していたことも知らなかった。
「今日の件は内密に処罰しておくよ。次に同じことをしたらただでは済まさないけど」
「はい、ありがとうございます」
大騒ぎにならずに済んでホッとする。こんな話がお母様たちに知られたら、叱られるのは私のほうだと思う。もっと上手くあしらいなさいと言われるに違いない。
「ただ、クラリスにお願いがあるんだ」
「お願いですか?」
「ああ。実はもう少ししたらクルナディアから留学生が来るんだ。留学してくるのは第二王子だが、少し変わり者らしい。うちの国に来ても学ぶことなんてないと思うんだがな」
アレクシス様がそう言うのも当然だろう。隣国のクルナディアは高度な魔術を操る魔術師が多く、魔術具を作る職人も豊富にいる。
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