【R18】ユートピア

名乃坂

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本編(後編)

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彼女を監禁してしまった。
彼女に拒絶されたショックから衝動的にやってしまったことだったけれど、後悔よりも喜びが勝った。
だって、これでもう、彼女と離れ離れになることはないのだから。



地下室には、彼女がいつでも好きな時に絵を描けるように画材を揃えている。
洗面台やお風呂やトイレ、冷蔵庫や電子レンジもある。
彼女のSNSを見て知った、彼女が好きな本やCDも用意した。

それなのに、彼女を監禁し始めてからこの1週間、彼女はずっと暗い顔をしている。
彼女が好きなものを集めたのに、毎日彼女が好きな食べ物を食べさせてあげているのに、どうして彼女は喜んでくれないんだろう?
どうして彼女は僕を好きになってくれないんだろう?

彼女は笑わなくなった。
以前はあんなに色鮮やかな世界を描いていたのに、キャンバス一面を真っ黒に塗りつぶすようになった。

こんなはずじゃなかった。
でも、今は辛くてもこれから結ばれるはず。
だって、彼女と僕は運命の相手だから。
彼女はあの男のことも愛せたんだから、僕のことも愛せるはずだ。
それに、彼女と僕は同じ世界を共有している。
だから、絶対に僕達は愛し合えるはずだ。


「うちに帰してください……」
「何を言ってるの?君の家はもうここなんだから、帰るも何もないでしょ?」

どれだけ愛しても、彼女は僕を拒絶する。
僕があげた愛を一切返してくれない。
それでも僕は待ってあげる。
1度無理やりキスしてしまったけれど、それ以降は彼女に無理矢理迫ってはいない。
僕は父とは違って、愛する人を尊重するんだ。
恋人らしいことは、ちゃんと結ばれてからすればいい。
彼女は僕を裏切ってあんな男と付き合ってたけど、僕は許してあげるんだ。
彼女は勘違いをしていただけだから。
世の中の愛し合っている夫婦も、大半が初めからお互いが運命の相手だと気付いていたわけではないだろう。
それと同じで、彼女も僕が運命の相手だと気付けなかった。
そして、歳や環境が近いあいつを運命の相手だと誤認した。そんなところだろう。

「愛してるよ」
「やだ……。ここから出してください……」
「君と僕は運命なんだから、僕と一緒にいたら、君も僕のことを好きになるよ。あんな男は君には似合わない。僕と幸せになろう」
「お願いします……。誰にも言いませんから……」

今の彼女には僕の言葉は届いていないようだ。
そんな彼女に構わず続ける。

「君ってさ、ずっと希死念慮を抱えて生きてきたんでしょ?早く死んで大好きな両親がいる天国に行きたいって、君のSNSに書いてあったね」
「………………」
「僕も同じだよ。まあ、僕のは希死念慮とは少し違うかもしれないけど……」
「………………」
「僕もずっと、こんな世界じゃなくて、生と死の狭間で見たあの美しい世界に戻りたいなって思ってた。今いる場所は、僕がいるべきところじゃないんだって」

彼女の瞳を見つめる。それでも彼女は虚な目をしたままだ。

「でも君と出会ってから、この世界もすごく素敵な物だと思えるようになったんだ。灰色だった世界が色付いたんだ」

彼女の手を握る。彼女は僕の手を握り返してはくれない。

「ユートピアは身近なところにあったんだね。君とこの世界で作る幸せな未来こそがユートピアなんだよ。僕が君を幸せにしてあげる」

それでも彼女は何も返してくれない。




それからまた数週間が経った。
最初は怯えていた彼女も少しは落ち着いたのか、僕に対して反抗する元気が出たらしい。

「西園寺さん……貴方は会社を背負ってますよね……?こんなことがバレたら、問題になるんじゃないんですか……?」
「まあ、バレたら問題になるだろうね」

僕が彼女の発言を認めると、彼女は僕に縋るように畳み掛けてくる。

「私、誰にも言いません……!だから帰してください……。どうせこのままだと、じきにバレます。私の友達と…………か……彼氏が……気付くはずです……」

彼氏か……。
そいつは元彼でしょ?今の彼氏は僕なんだから。

「そうかな?君の元彼は来ないと思うよ?」
「そんなわけ……」

否定しようとする彼女を制止する。

「君ってさ、人間関係リセット症候群ってやつだよね?」
「えっ……」
「僕さ、君がスマホを触っている時とかに、こっそり中身を覗いてたんだよね。だから、君のSNSのアカウントも全部知ってるんだ」

彼女は何を言いたいのか分からないとでも言いたげに、僕を見つめる。

「君は沢山のアカウントを持ってたけど、頻繁にアカウントを消してたよね?それと、LIMEのアカウントも僕と出会ってから2回くらい変えてるよね?ここに来てから君が寝ている間に、君のスマホの指紋認証を解除して、LIMEも見させてもらったけど、LIMEの新しいアカウントになる前からの知り合いはほとんどいなかったし、君って頻繁に人間関係をリセットしてたんでしょ?」

彼女は震えた声で「それが……何なんですか……?」と問う。

「君のSNSを触ってね、君が情緒不安定な時に書くような、ネガティブな言葉をいっぱいつぶやいてからアカウントを消したんだ。そしたら、LIMEに君の友人や元彼から連絡が来たからさ、全部既読スルーして、それでも連絡してくる人がいたら、『しばらくLIMEする元気がない』って返したら、みんなおとなしく引き下がってくれたよ。あの人達は、意外と君のことを理解してるんだね。君が情緒不安定で、周囲の人間から逃げる癖があるのをよく知っているみたいだ」
「そんな……」
「今まで君がやってきたことが完全に悪い方向に跳ね返ってきちゃったね。日頃の行いって大切なんだよ?」

そのまま彼女の頭を撫でる。
彼女は僕から目を逸らす。

「君って結構情緒不安定だもんね。君が匿名でやってたアカウント、見てたんだけどさ、暗い話が多かったね。でもそりゃそうだよね。だって君は家族がいないしね。そういう訳ありの家庭で育った人間って、何かしらの心理的な問題を抱えがちだよね」

そこまで話したところで、彼女への愛しさが込み上げてきて、思わず彼女を抱きしめる。
そう。彼女はずっと寂しかったんだ。

「今まで……寂しかったよね……分かるよ、その気持ち……。僕が君を幸せにしてあげる」

僕がそう言うと、彼女は突然僕の身体を跳ね除けようとする。

「貴方なんかに……私の何が分かるんですか……!?」

彼女は僕を睨みつける。

「どうせ何不自由なく暮らしてきたんですよね!?今まで欲しいものは何でも手に入れてきて……!だから……っ……お金で買えなかった私に対して腹いせでもしてるんですか!?」

彼女は泣きながら僕を責める。
そのどれもがナイフのように僕を傷付ける。

「どうして……そんな酷いことを言うの……?
君は……僕のこと……そんな風に思ってたの……?そんな偏見に満ちた眼差しで、僕のことを見てたの……?」

彼女はどうしてこんな酷いことを言うのか。
どうしてこんなにも僕のことを分かってくれていないのか。

「僕は……君と出会うまで全然幸せじゃなかった……。僕は両親に愛されてなんていなかった……。父さんは僕に対して無関心だったし、母さんは僕のことを嫌いだったよ……」

そうだ。家族関係が悪かったことを、今まで彼女に話したことはなかった。
僕は彼女のことを何でも知りたくて、彼女にいっぱい質問をしてきたけど、彼女は僕に関心を向けてくれたことなんてなかったから。



それから希望を失った彼女は、また以前のように、いや、以前よりも塞ぎ込むようになってしまった。
そんな彼女が心配で、僕は彼女が喜びそうなものをいっぱいプレゼントした。
それでも彼女は暗いままだった。


「元気がないね。ここ地下室だから日光が足りてないからかな。君をここに呼ぶまでにドライエリアでも作ろうかと思ったけど、外が見えてたら君と僕の2人だけの世界に邪魔が入るなって思ってやめちゃったんだよね。ごめんね。明日にでも人工光を用意するね」
「………………」
「そういえば最近、全然絵を描いていないよね」

部屋に置いたキャンバスはどれも真っ白だ。
少し前までは僕が仕事をしている間、彼女は絵を描いていた。いや、絵を描くというよりも、ただキャンバスを黒く塗りつぶしていただけだけど、それすらもしなくなった。

「今日はね、君に描いて欲しい絵があるんだ」
「………………」
「僕の絵を描いてもらえないかな?」

言った後に、自分でも恥ずかしくなった。
こんな恥ずかしいことを言ったら、彼女に引かれるかなって後悔も湧いた。
でも、彼女は意外にも閉ざしていた唇を開いてこう言った。

「分かりました……。描きます……」
「えっ?いいの?」
「はい……」
「ありがとう……!」

それから、彼女は僕をじっと見つめて、絵を描き始める。
彼女は虚な目をしてはいるけど、彼女がこんなにも僕のことをちゃんと見つめてくれたのは久しぶりだ。
画題になるのは、美術の時間にクラスメイトと向き合って絵を描かされた時以来で何だか少し恥ずかしい。
でも、彼女の瞳に自分が映っていることが何よりも嬉しい。



どれくらいの時間が経っただろうか。
彼女が筆を止めたところで、僕は彼女に近付く。

彼女には僕がどんな風に見えているのだろうか?
期待と少しの不安を抱えながら、彼女の絵を覗き込む。

「これは……何かな……?」

そこに描かれていたのは、真っ暗闇の中にいる、恐ろしい顔をした男だ。
その顔は、父に酷く似ている。

「これは貴方ですよ」
「えっと……そんなはずは……」
「私には貴方はこんな風に見えます……」
「何を言ってるの……?僕、こんな怖い顔してないよね……?僕は……こんな……あいつみたいな……」

目眩がする。
こんなのは僕じゃない。
僕はこんな悪魔みたいな顔はしていない。
僕が彼女に向ける眼差しは、愛に満ちた優しいものだ。
僕は父に似てなんかいない。

「ねえ……描き直してよ……」
「いやです……」
「こんなの人間の顔じゃないよ……。まるで悪魔みたいだよ……。久々に絵を描いたから調子が悪いのかな……?ねえ、そうだよね……?」

縋るように彼女を見つめても、彼女は冷たい目をしたままだ。

「そうですよ……。貴方は悪魔です……。私が思い通りにならないからって、私をここに閉じ込めて……。こんなの……人間がすることじゃない……!」

彼女の目はどこまでも冷たい。
僕への憎悪や恨みが詰まった目だ。

「描き直せって言ってるだろッ!」

僕は気付くと大声で彼女に怒鳴りつけていた。
彼女の身体がびくりと震える。

「ねえ、早く描き直してよ……!こんなのは僕じゃない……!君と僕の世界はこんな暗闇じゃない……!」
「いやです……!私間違ってないですもん……」
「何で分かってくれないの……?僕はこんなにも君を愛してるのに……」
「違う!貴方の気持ちは愛じゃない!ただのエゴです!迷惑です!」
「違うよ。本当に君が好きなんだ。だからこうするしか……」
「言い訳はやめてください!そんなんだから親御さんからも愛されなかったんですよ!この人でな」

彼女が言い終わる前に、僕は気付くと、彼女の手からキャンバスを奪って、彼女の利き手に向かって、思い切りキャンバスを振りかざしていた。

「やめっ……!利き手は……!」

彼女は咄嗟に利き手を庇おうとするけど、間に合わなかった。
僕が振りかざしたキャンバスは、彼女の利き手を強打する。
骨が折れる音と彼女の悲鳴が地下室に響く。

「なんでぇっ……」

彼女はボロボロと泣き崩れる。
そんな彼女に構わず、何度も彼女の利き手にキャンバスを振りかざす。

「ごべんなざい!わだぢがわるがっだでず!ゆるぢでぐだざい!」

彼女は泣きながら必死に利き手を庇おうするけど、それでも止められない。
自分の中の増幅した黒い感情が抑え切れない。

「どうぢで!?わだぢのえがずぎっでいっでだのに!」

彼女の言葉も届かない。
そのまま何度も彼女の利き手を目掛けて振り下ろす。
もう何度目か分からなくなったところで、彼女の骨を折るのをやめる。

「あーあ。利き手がぐちゃぐちゃになっちゃったね……。これもうちゃんとは治らないんじゃない?だってこれ、粉砕骨折でしょ?絶対きれいにくっつかないよね」
「やっ……」

そのまま彼女の服を脱がせると、彼女はほとんど力の入っていない身体で抵抗を試みてくる。

「抵抗しないで。これ以上指をぐちゃぐちゃにされたくなかったら、言うこと聞きなよ」
「やめて……」
「言うこと聞けって言ってるだろ!」
「ごべんなざいっ!」

彼女の指の近くを殴りつけると、彼女はぶるぶると震え出して、そのままおとなしくなる。
抵抗しなくなった彼女の服を脱がせる。

「たすけて……」
「手を……固定してください……」
「このままじゃ……私の手が……」
「お願いします……」

必死に懇願する彼女に構わずに、彼女の身体を愛撫すると、彼女の中は濡れ始める。

「嫌とか言ってるけど、こんな状況でもここはちゃんと僕を受け入れる準備をしてくれてるね」
「たしゅけ……」
「指がするする入っていくね。あいつと何回したら、こんなにゆるゆるになるの?」
「ごめん……なしゃい……」
「僕が君のために用意してあげた家で、こんなことばかりしてたんだね。僕は君の画家としての生活を支えるためにあの家をあげたのに。僕を騙すのはそんなに楽しかった?2人で僕のことを嘲笑ってたの?」
「うっ……ううっ……」
「あいつには中に出された?」
「…………」
「答えないと、君の手がどうなっても知らないよ?」

彼女のぐちゃぐちゃに折れた手をぎゅっと握ろうとすると、彼女はまた号泣し始める。

「じでまぜん!だがらゆるぢで!」

彼女のその返事を聞いて僕は安心する。
それなら僕も、あいつができなかったことを彼女にしてやれる。

「そうなんだ。まあ、たしかに、君とあいつの間に子供ができても、僕が居ないと2人の年収じゃ子供育てられないもんね。あいつ貧乏だしね?甲斐性なしのしょーもない男だもんね?そういうことなんでしょ?」
「はい……。そうです……」
「ふっ……ふふっ……。そこは否定してあげなよ。一応……?恋人だったんでしょ?」

彼女の入り口に性器を擦り付ける。

「僕はそんな甲斐性なしとは全然違うから、安心して子供を作ろうね」
「ひっ……!」

彼女は僕がゴムをしていないことに気付いたみたいで、顔を真っ青にする。
それでも、僕は彼女の中に生で挿入する。

「入った。やっぱりちょっとゆるいね。だって僕のがすんなり入るし。ほら、ちゃんと謝って。『慧がいたのに、甲斐性なしの芸術家もどきとゆるゆるになるまで浮気セックスしてごめんなさい』って」
「ぁぅ……。けいがいひゃにょに、かいしょーなしの……げーじゅちゅかもどきとゆるゆるににゃるまでうわきしぇっくしゅして……ごめんにゃ……んにぃぃぃ!」

彼女の弱いところを見つけた。
彼女は泣いたままだけど、たしかに快楽を感じている顔をしている。

「君はここが好きなんだね」

彼女が大きな嬌声を上げたところを何度も何度も擦ると、彼女は泣きながらも甘い声を上げて、押し寄せてくる快楽に耐えようと、折れてない方の手で僕の背中に爪を立てる。
その動きは、彼女が僕との行為にたしかに快楽を感じている証拠で、僕は心の底から嬉しくなる。

「今までこういうことしてあげてなくてごめんね?僕、君を汚したくなかったからさ。だから、あんな奴と付き合っちゃったんだよね?」
「ぁ……ぅ……」
「ここを擦ってくれるなら、誰のでも良かったの?本能で生きてるタイプなの?」
「ちがっ……。いやにゃの……」
「いや?今いやって言った?」
「ぁっ……。いやじゃないれしゅ……!」

彼女の利き手に手をやると、彼女は必死に否定する。

「じゃあ嬉しいんだよね?」
「はいっ……。うれひいれしゅ……」
「ねえ、『慧の赤ちゃん産みたい。慧の熱いの私の中にいっぱい注いで』ってお願いしてよ。そしたら1回で済ませてあげる」

そう言うと、彼女は目をぎゅっと瞑って、諦めたような弱々しい声で言う。

「けーのあかひゃんうみひゃい……。けーのあちゅいの……わたひのにゃかにいっぱいしょしょいれ……」
「うん。いいよ……。一緒に幸せな家庭を作ろうね……」

幸せだ。
彼女の言葉は本心じゃない。
こんなものは作り物の幸せだ。
それでも良いんだ。
だって、これから本物にすれば良いんだから。


それから約束は反故にして、何度も彼女の中に出して、彼女が気を失ったところで行為をやめた。
彼女は最後の方は、「おとうさん……おかあさん……」とか「たすけて……。むかえにきて……」と言いながら泣いていた。

まだ得体の知れない家族とやらに縋るのか。
彼女がそんな態度なら、こちらにも考えがある。


「君は捨て子なんだよ」
「何……言ってるんですか……?」

目を覚ました彼女に、僕は残酷な真実を突きつけてやる。

彼女は両親を慕っているけど、彼女から具体的な話を聞いたことはない。
彼女自身も両親について具体的な話は、施設の人からも聞いていないらしい。
僕はそれを妙に感じて、探偵を雇って彼女の素性を調べた。
すると、彼女の母親はまだ存命しているらしいということが分かった。
彼女の母親は未成年の頃に家出をして、生きていくために複数の男性と援助交際をしていたらしい。
そんな中で産まれたのが彼女で、父親が分からないし、子供を育てる余裕のなかった母親は、彼女を匿名で専用の窓口に預けたらしい。

僕はその事実を知った時、彼女が不憫で仕方なかった。
彼女が夢見ていた世界は、存在しないのだと。
彼女が愛するような両親はいない。
彼女の両親は、彼女を温かく迎えるはずなんてない。
彼女は両親に生を望まれず、必要とされていなかったのだから。

出来ることなら、彼女にこんな事実を突きつけたくなかった。
でも、彼女の夢見る世界の存在を否定してあげないと、僕と幸せになるという選択肢は彼女には見えないらしい。
彼女が悪いんだ。僕の気持ちを分かってくれない彼女が。
だから、この事実を彼女に突きつけてやる。

「君の父親は不明。君の母親は君を匿名でいらない子供を預けられる病院の窓口に預けた。君は捨てられたんだ。両親に愛されてなんかいない」

彼女は「そんなわけない……」と否定する。
けれど、彼女も心が揺さぶられているのか、すでに少し過呼吸気味になっている。

「信じられない?証拠ならあるけど、見せた方がいいかな?」

彼女はほとんど僕の言葉は耳に入っていないようだ。
そんな彼女を僕は抱きしめる。

「君は孤独なんだ。両親に必要とされなかったんだよ。僕と同じだね」

そう、彼女は僕と同じなんだ。家族に恵まれてこなかった。
だから、2人で新たに幸せな温かい家庭を築こうね。

「君の両親が君を優しく迎えてくれる世界なんてない。そんなものはただの幻想だ。もう君は大人なんだから、僕と一緒に現実に向き合おうよ。僕は君を愛している。君が両親から与えられなかった愛を、僕はいくらでも君に捧げるよ……」

彼女の口に唇を重ねて塞ぐ。
彼女が過呼吸で苦しくならないように。

「僕と愛し合って、一緒にユートピアを作ろう?僕もね、こんな世界が嫌だった。ずっと抜け出したかった。でも、君がいてくれるなら、ここがどんなに醜い世界でも、僕にとってはユートピアだ」
「やっ……」
「ねえ、僕を受け入れて……。僕を拒絶しないで……。お願いだから……」

彼女は僕の腕から逃れようとする。
彼女の目は酷く怯えている。

そんな目で僕を見ないで。
そんな……父に怯えてる時の母みたいな目はやめて……。
僕は……そんなつもりじゃ……。

「同じ世界を夢見てたんだから、僕達は運命なんだよ。何で運命に逆らうの?そんなの間違ってる」

彼女は僕を拒絶している。
どう見ても、正常な恋人関係からは程遠い。
だから僕は、運命という言葉に縋るしかなかった。



それから彼女は何も言葉を発さなくなった。
最後に発した言葉は、「手……もうダメだ……」という、酷く悲しげな言葉だった。
僕もそこで我に返った。
僕は彼女の絵も、絵を描くのが大好きな彼女のことも愛していたのに、彼女から絵を奪ってしまったのだ。

「ごめんね……。本当にごめん……」

彼女の利き手を撫でる。

「君がまた絵が描けるように支えるから……。利き手じゃなくても、君の絵の魅力は失われないよ」
「……………………」
「僕、しばらく副社長に任せて休暇をもらったんだ。そばにいるから……」

今の彼女は目を離すと消えてなくなってしまいそうだ。
だから僕は、ずっと彼女のそばに居て、リハビリを手伝っている。
取り返しのつかないことをしてしまったけれど、また彼女に絵を描いて笑って欲しいんだ。



そんな生活が1週間ほど続いたところで、彼女は久しぶりに口を開いた。

「西園寺さん……」

西園寺さんか。
そういえば、彼女を監禁してからずっと名前を呼んでもらえていなかった。
彼女がやっと、僕の名前を呼んでくれた。

「私……彫刻を……やってみたいです……」

彼女がまた元気を取り戻してくれた。
彼女の目は今も虚ろだけど、その声はたしかに力強かった。

「もちろん良いよ!あっ、でも、利き手じゃないと危なくない?」
「大丈夫ですよ。西園寺さんがこっちの手も使えるようにって一緒に練習してくれたじゃないですか」

彼女に彫刻刀を渡すのは少し不安だった。
彼女が自分のことを傷つけてしまうんじゃないかって。
でも、また元気になってくれた彼女の創作意欲を止めたくはなかった。
だから僕は、彫刻に必要な道具を一式揃えた。
彼女が気に入ってくれるように、複数のメーカーのものを。

僕が並べた道具を見て、彼女は言う。

「私はこれを使います。良かったら……西園寺さんも一緒にやりませんか……?」
「えっ?僕も?」
「はい。西園寺さん、お坊ちゃんですし、芸術も一通りやってきてますよね?」
「そうだね……。でも彫刻はやったことないよ。それに、芸術は好きだけど……才能は全く無いんだ」

幼い頃、絵を描くのが好きだった。
両親が構ってくれないのが寂しくて、理想の家族の絵も描いたっけかな。

「不恰好でも良いんですよ。私だって彫刻はほとんどやったことないですし、利き手じゃないので、確実にガタガタになります。とにかく、一緒に神様を彫りましょう」
「神様……?」
「はい。信仰は人の心を救いますし、踏み出す勇気を与えてくれますから」

信仰……?救い……?踏み出す勇気……?
何となく、嫌な予感がした。
それでも少し彼女が笑ったように見えたのが嬉しくて、彼女に勧められるまま僕も神様を彫った。



完成した僕の神様を見た彼女は、気まずそうな顔をする。

「たしかに……お世辞にも才能があるとは言えない感じですね……」

彼女の言う通り、僕が作った神様はあまりにも不恰好だった。
利き手じゃない方の手で作った彼女の神様の方がはるかに上手だ。

「君のと神様のデザインがそっくりだね」

彼女の神様と僕の神様は、精巧さの差はあれど、デザインは似ている。
「お揃いだね」と言うと、彼女は冗談ぽく笑う。

「もしかして私が作ってるのを見てパクりましたか?」
「えっ!?疑うの!?」
「あはは。冗談です」

彼女とこんなに他愛もない会話をしたのはいつ以来だろうか。

「僕はね、君をモデルに神様を作ったよ」
「そう……なんですね……」
「えぇ……ちょっと引かないでよ……」

彼女の顔はあからさまに引きつっている。
そこまで引かれると、流石に少し切ない。

「君はどんなイメージでこの神様を作ったの?」
「お母さんです」
「なるほど。だから君をイメージして作った僕のと似てるんだね」
「そうかもしれませんね」

——君の母親は、君を救ってくれるような人じゃない。だって君を捨てたんだから。

そんな言葉は胸に仕舞い込んだ。
彼女がまた、絶望に飲み込まれてしまいそうだったから。

それから僕達はお互いの神様についての話で盛り上がった。
芸術のことになると、彼女の意見は手厳しかったけど、彼女のアドバイスはすごくタメになるものばかりだった。

「すごく楽しかった。こうやって作品を作ったのはいつ以来だっけな」
「そうでしょう。そうでしょう。作品作りは楽しいものなんですよ」

僕はそんな彼女から大好きな絵を奪った。
後悔と罪悪感が押し寄せるけれど、僕は彼女との楽しい時間を終わらせたくなくて、笑顔を作って誤魔化す。

「昔は僕も芸術家になりたかったんだ。と言っても、まだ小学校低学年くらいの時だけどね」
「何でやめたんですか?」
「会社を継ぐことが決まってたからね……。それに、1回だけ校内コンクールに選ばれたことがあるんだけどね、親が学校に多額の献金をしてたからだって知っちゃってから、なんか虚しくなっちゃって……」

——もし僕が芸術家になっていて、君と違う形で出会っていたら、君は僕のことを好きになってくれた?
ふと浮かんだその言葉は、口には出さなかった。
口に出したら、彼女と今世で結ばれることがないのだと認めていることになってしまうから。



それから彼女と作品作りをしながら、何日も過ごした。
本当に幸せだった。
彼女にあんな酷いことをした僕が、こんなに幸せになってもいいのかと悩んでしまうくらいに。



ある日、すっかり笑顔を取り戻した彼女が僕に言った。

「西園寺さん、そろそろ仕事した方がいいんじゃないですか?」

彼女の口振りは、まるで僕に彫刻についてアドバイスをする時のようだ。

「僕はもうちょっと君と一緒にいたいなー。資産なら有り余ってるし、このまま隠居してもいいなって」
「会社のみんなも心配してるんじゃないですか?隠居するにしてもせめてちゃんと引き継ぎとかをした方が」
「うっ……。君って……案外、リアリストだよね……」

彼女は「意外でしたか?」と笑う。

「私は作品を作ってますんで。作品を作ってれば時間なんてあっという間ですよ。だから、気にせずに出社してください」
「分かったよ……。じゃあ、気が乗らないけど、帰りにケーキ買って来るから一緒に食べようね……」

僕は渋々出かける準備をする。
地下室のドアを開ける前に、彼女に声をかけられる。

「西園寺さん」
「どうしたの?」
「西園寺さんが帰って来るまでに、1作仕上げますので、楽しみにしててください!」

彼女はすごく晴れやかな顔をしている。
僕は「それはすごく楽しみだ。じゃあ、行ってくるね」と言って、扉を閉めた。


久々に出社したからか、社員のみんなには質問攻めにあった。
僕はそれらの質問に適当な言い訳をして、仕事をした。
仕事中も彼女のことばかりが頭に浮かんできてしまった。
つくづく自分は社長なんて大層な地位にいるべき人間じゃなかったと思う。
親の七光りなだけで、僕なんかよりももっと向いている社員がいたのに、申し訳ないなと罪悪感を覚えた。


仕事を終えて、彼女が大好きなケーキを買って帰る。
そして、帰宅して地下室のドアを開ける。

「ただいまー。久しぶりに君と離れてたからすごく寂しかったよ」

彼女からの返事はない。

「ケーキ買ってきたから食べようね」

地下室は無音だ。電気も消えている。

「もしかして……寝てる……?」

盛り上がっている彼女の布団を剥がす。

そこには…………血塗れになった彼女が横たわっている。

「えっ……?」

彼女は何も言わない。
彼女の身体は冷たい。
死はどこまでも静寂だ。

「何で…………?」

ふと、ベッドサイドにキャンバスが置いてあることに気付く。
そこには、利き手で描いていた頃と比べてはるかに拙い彼女のユートピアが描かれている。

「だから……君の親は生きてるんだよ……。そんな世界はないんだよ……」

最後は結局そこにしか縋れなかったんだね……。
君は、真実は見なかったことにして、存在しない世界に救いを求めたんだね……。

思えば最初からおかしかった。
彼女の大切なものを奪った僕が、以前よりも彼女に心を開いてもらえるはずなんてなかった。
彼女は自らの命を断つために、僕の監視の目から逃れられるように僕を安心させるために、笑顔を取り繕っていたのだ。

僕への最後の抵抗のつもりだったのかな?
いや、それとも、単にもう耐えきれなかったのかな……?

彼女の手首には大量のためらい傷がある。
手首を切って死ぬのは難しい。
だから、死ねるまで何度も何度も刺し直したんだ。僕が買ってきた彫刻刀で。

彼女が彫刻刀を欲しいと言った時、少し不安があった。
でも、彼女が笑ってくれたのが嬉しくて、その不安を押し込めてしまったんだ。

「痛かったよね……。苦しかったよね……。ごめんね……」

あまりの現実感のなさに、そんな単純な言葉しか浮かんでこない。

「僕は結局……大好きな君を壊した……。大嫌いな父さんと同じだ……。母さんが僕と父さんを重ねたのは……正解だったんだね……」

吐き気がする。息が苦しい。

「あはは……。あはは……」

それなのに、何故か笑いが込み上げてくる。
現実を受け止めきれない。
気でも狂わないと、この状況を直視できない。

プツンと何かが切れる音がした。
それは生き物としての防衛本能が働いたからなのだろう。

「ただいま。ケーキ買ってきたから一緒に食べようね」

気付くと僕は、彼女に語りかけていた。

「絵の具で汚れたままベッド入ったでしょ。ちゃんと洗い流そうね」

そのまま彼女の身体についた絵の具をお風呂で洗い流す。
彼女は無反応だ。
寂しいけど、僕が久しぶりに会社に行ったせいで拗ねているのかもしれない。

彼女のお湯に濡れた身体を拭いて、ソファに座らせる。

「はい。君が大好きなケーキだよ」

彼女の口元にケーキ運ぶ。
彼女の半開きの口にケーキを押し込んでも、彼女は食べてくれない。
大好きなケーキなのに、何でだろう?

「久しぶりに会社に行ったらさぁ」

彼女は何も答えてくれない。
まだ拗ねてるのかな?

「僕が居なくて寂しかった?ごめんね。やっぱり、僕は社長の座を降りて君と隠居するよ。その方が会社のためだと思うし……」

彼女は何も答えてくれない。

「…………何やってるんだろう…………」

正気に返ってしまった。
僕は目の前に立ちはだかる現実を前に、完全に狂うことはできなかった。

「身体硬くなってるよ?もしかして緊張してる?」

それでも現実を見なかったことにした。
僕も、結局は存在しないものに縋ることしかできない。

「初めて出会った時のこと、覚えてる?君が緊張してたから、僕がお札を燃やして笑わせたやつ」

もちろん、彼女からの返答はない。
それでも、このごっこ遊びだけが僕にとって救いだった。

「あれ、君が笑ってくれて本当に良かったよ。でももっとかっこいい出会い方がしたかったなぁ」

僕は地下室から出て、金庫から沢山の札束を取り出す。

「またお札を燃やしたら笑ってくれる?」

僕は目の前の大量のお札に火をつける。
結局、こんなに大量のお金があったって、欲しいものは手に入らなかった。

「笑ってよ……」
「笑ってよ……」

笑わない后を笑わせるために、何度も烽火を上げた王の話を、国語で習ったな。
あの話の結末は悲しいものだった……。

「やっと笑ってくれた…………」

ぼやけた視界には、笑っている彼女が映っているような気がした。
これが幻覚でも良い。本物の幸せが手に入らないなら、偽物でも良いんだ。

「僕ね、もし君と絵を通じて出会ってなかったとしても……君のこと……好きになったよ……」
「君が運命の相手じゃなくても良かったんだ。運命じゃなくても、君のことが大好き」
「好きだったから、運命だって信じたかった」
「本当は、君が運命の相手じゃなくて、僕のことを好きになってくれなくても、君が近くに居てくれればそれだけで良かった……」
「いや、君が幸せでいてくれるだけで良かったんだ……。君が笑顔で、幸せに生きててくれれば、それで良かったのにね……」

意識がぼんやりとしてくる。
意識を失う前に彼女を抱きしめなきゃ。
彼女は今、すっかり冷えきってしまっているから。

「ねえ、このまま君とくっついたまま死んだら、また来世で会えるかな?」

でも君はもう、僕と一緒になるのは嫌か……。

「この前はね、もう現世では幸せになれないことを認めちゃうみたいで言えなかったんだけどね、もし僕がまともな人間に育って、僕達が違う出会い方をしていたら、僕は君と幸せになれたのかな?」

彼女の返事がなくても答えは分かっている。
そんな世界は存在しないのだろう。
だって、そこは”ユートピア”だから。



炎は音を立てて燃え広がる。
僕は彼女を抱きしめたまま、意識を失った。
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