Gate of World―開拓地物語―

三浦常春

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5章 忘れられた国

57話 バイバイ

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 前言通り、家は変わりなかった。ボロ屋。風は吹き込み、隣人が灯すランプの光すら部屋に届く。

 半ば無理矢理に連行された実家だが、一つ足を踏み入れると、安心感に包まれる。しかし同時に、どこかもの悲しくも思う。

 積もる話はあった。

 家族と会えずに、弱肉強食の世界を漂い歩いた一年間。外で見てきた全てが、家族にとっては新鮮そのものであろう。しかしサミュエルは、どの土産話を口にする気にはなれなかった。

 記憶を蘇らせるたび、相棒が頭の中を駆け巡るのだ。

 盛り上がらない会話に、両親も何か察したらしい。もしかしたら、サミュエルの隣にあの少年――共に旅立った少年がいない時点で、理解していたのかもしれない。腫れ物に触るように、彼等の話題は逸れていく。

 朝を迎える頃には、サミュエルはすっかり疲れきっていた。

 幼年期から変わらない、母手製のぬいぐるみに囲まれた寝台は、成長したサミュエルには少し狭い。村のワラ敷きベッドよりは柔らかかったが、寝返りを打つたびに軋まれては、おちおち寝ていられない。

 そんなこんなで、サミュエルは寝不足のまま朝を迎えたのである。

 起きて一番に思うのは、友人のことであった。

 今日、彼の埋葬が行われる。棺に入れられ、土に埋まり、その上に墓標が立つ。死人、過去の人になる。生者であるサミュエルとは、一線を画す。その宣言が、今日下される。

「今朝、だっけ」

 村長は言っていた。早朝、イアンの埋葬を行うのだと。場所は墓地。国の南部に位置する家から、五百メートル程東へ向かった位置にある。朝の散歩にはもってこいだろう。

 手の届く位置に立て掛けていた剣を腰帯に差し、小さな道具袋を括《くく》る。

 両親の寝床から音は聞こえない。昨晩は、東の空が白ばむ程まで話し込んでいたのだ。今頃はぐっすりと、二人揃って夢の世界でイチャついている筈だ。

 重い腰を持ち上げて、サミュエルはそうっと家を出ようとした。

「もう行くの?」

 声が聞こえる。母の声。仕切りの奥から、音も立てずに近付く彼女は、サミュエルの手の届く位置に止まると、ひどく切なそうに目を細めた。

「本当に、子供って成長が速いわね。私達を置いて、すぐに巣立ってしまう……」

「そうしないと、安心できないでしょ」

「でも、複雑なのよ。親心って」

 母の奥へ視線を遣ると、父の姿が見える。顔を隠すその背は、微かに震えていた。

 かつて憧れた大きな背中。それもすっかり見栄えのしないものになってしまった。母の伸長も、もう幾年か経れば超してしまうだろう。知らぬ間に、自分はこんなにも成長していたのか。こんなにも彼等は弱々しかったのか。

 胸が締め付けられる。居た堪れなくなって、サミュエルは背を向けた。

「あなたの家はここなんだから。……戻って来なさい、いつか必ず」

 いってらっしゃい。投げ掛けられる声は、ひどくうるんでいた。


   ■    ■


 墓地には既に人が集まっていた。

 戦没者の埋葬とその準備は、夜通し行われていたのだろう。棺を運ぶどの人も、隈と疲労を浮かべていた。その中には、村長の姿もある。痩せっぽちの身体を懸命に動かして、目まぐるしく働いている。

 監督だけが、彼の仕事ではない。労働にも、彼は進んで従事する。これにはマルケン巡査部長、一一七番植民地両人下に属する人々も怪訝そうだ。

「ちょっと、何やってるの」

「あ、サミュエル君。おはようございます」

 村長は汚れた顔を歪め、気の抜けた笑みを作る。ろくに休んでいないのだろう。少しだけ血色が悪い。

「どうせ寝てないんでしょ。少しは休めば」

「お気遣い、ありがとうございます。でも、どうしても寝られなくて……」

 無理もない。昨晩は遅くまで一一七番植民地のナビ子と言い争い、人混みに揉まれ、亡骸を見た。常人ならば、ぐっすりと眠れるような状況ではない。

 鈍感な村長ならば、と微かな希望はあったが、それは儚くも崩れ去る。

「途中で倒れないでよ。ナビ子に怒られるの、僕なんだから」

「あはは、大丈夫ですよ。一徹や二徹くらい慣れてます」

「どうなの、それ」

 懐疑を示すが、村長の言葉は嘘には聞こえなかった。かつてどのような環境に身を置いていたのか、心配でならない。

「……イアンは?」

「いますよ。あそこ」

 村長が示すのは、木の根元である。

 墓地の片隅で、青々と葉を茂らせる大樹。よく見ると、そこにある棺桶は友人のもののみで、他は墓地の入口付近に集められている。

 それに何かよからぬ意図を想起してしまって、サミュエルは思わず眉を顰めた。

「御両親の近くに埋めてあげようって話になってまして、あそこに置いてあるんです」

 サミュエルの気配を察してか、村長が僅かな笑みと共に語る。

「イアン君だけ墓標が木製なので、後で石に作り替えてあげないとですね」

 雨と陽に打たれる墓標は、月日を経るにつれ腐敗していく。木製であれば、その進行は遥かに早い。

 この墓地には、いずれ再び訪れることになるだろう。しかしサミュエルがそれに同行するか――それは怪しいところである。

 墓参りの習慣はない。土葬すら、サミュエルにとっては無縁だ。

 殺してきた全ての人は、殺したきり放置してきた。仲間ですら自然に委ねる。それが略奪者。きちんとした埋葬を受けられるのは、上層階級か身寄りがいる者のみである。

 死後忘れ去られることはない、形として地上に残り続ける。そういう意味では、イアンは勝ち組なのかもしれない。

「さあ、始めましょうか。――クローイさん!」

 そう呼び掛けると、作業台にかじり付いていたクローイが顔を上げる。

 彼女の手元には板やかんな、足元には箱状の物体がある。その周りでは、同じような作業をしている人が確認できる。一一七番植民地の『木工師』であろう。また、石の板にノミを打ち付ける人物もいた。

 棺桶や墓標を作っているようだ。完成した箱には順次亡骸が収められ、それに取り付いては遺族と思わしき人物が泣き崩れる。

 あれが、本来あるべき姿なのだろう。手に付いた木屑を払い、クローイがゆっくりと、様子を窺うように近付いて来る。

「おはよう、サミュエル君。よく眠れた?」

「ああ……まあ」

 頷くと、クローイの表情はパッと明るくなる。少なくとも、一晩でこけたように見えるクローイよりは休むことが出来ただろう。

 改めて、サミュエルは墓地を見遣る。

 木の根元、少年の母が眠るすぐ横には穴が開いている。ちょうど人一人が収まる大きさだ。

 ここに、イアンの棺を納めるのだろう。思わず眉間に力が入った。

「お別れ、しますか?」

 サミュエルは迷った。

 あの顔をもう一度見る。それがどうしても憚られた。だが少年に会えるのはこれが最後である。土の中に埋めてしまえば、もう二度と顔を見ることはない。

「…………」

 意を決して頷くと、村長は目を細める。棺に手を掛けたクローイが、そうっと蓋を押した。棺桶の蓋がずれ、髪が――見覚えのある髪色が覗く。

「……眠ってるみたい」

 その顔は穏やかだった。苦悶と侮蔑に満ちた、悪魔のごとき顔ではない。眠っている、そう錯覚する程に柔らかい。

 ただ一つ、首だけは元通りにならなかったようだ。血や肉はすっかり元のように収まっているものの、白い皮膚には縫い目が確認できる。

 それに安堵する自分がいた。サミュエルの罪は消えていない。依然として、あの少年との繋がりは保たれている。そのように思えてしまった。

「後悔しないことを願うよ。まだ生きていたかったって」

 ただそれに尽きる。いや、一層のこと後悔してもらった方がよいかもしれない。それはつまり、イアンの予測を裏切ったと同義なのだから。

 彼が生きたかったと地団太を踏む程の村を、今後は育てていきたい。それが出来れば、どれだけよいことか。

「バイバイ、大好きなイアン」

 おやすみなさい。
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