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第三章
第16話 え、何この生き物可愛いんですけど
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『神納木ほたるを囮に使う――それが、ノストノクスの方針です』
ノエははっきりとそう言い放った。
でも待って、私そんなの聞いてない。ノエとエルシーさんが厚意で逃してくれたと思っていたのに、そんなことを言われてしまったらどうしていいか分からない。
けれど混乱する私を一瞥して、ラミア様は笑った。
「まあ、それが最善だな」
ちょっと待ってよラミア様。なんで否定しないの? なんでやめろって言わないの?
「ノエ、どういうこと……?」
ノエに問いかける声が震える。だってこれが本当なら、ノエは私を騙していたんじゃないか。
じわりと視界が滲む。目が、鼻が、熱くなっていく。
「うわっ、泣くなよ」
私の顔を見たノエが慌てたように言う。ああ、いつものノエだ。でもそのいつものノエが私を騙していたならこれには何の意味もない。
そう思うのに、自分のシャツの袖で私の涙をごしごしと拭くノエの手を払えない。……もっと優しく拭いてくれてもいいと思うんだけど。
「ノエ、お前また何も説明してないんじゃないか?」
「え? ――ああ、そっか。そういうことか。そりゃ驚くよな、ほたる」
どういうことだろう。ノエ達の会話の意味がよく分からない。
「囮って言ってもあれよ、最初に話したことと変わらないから。ほたると一緒にスヴァインを探しに行くけど、向こうもほたるを探してくれるように仕向けるっていうか」
「……どういうこと?」
「筋書きができてんの。スヴァインの子って判明したほたるをノストノクスが匿うんだけど、大衆の声はきっとほたるの死を望む。だからノストスクスはそれに応えてほたるを処刑することにする――そうすれば、ほたるを殺されちゃ困ると思ったスヴァインが出てくるだろうって話。勿論ノストスクスがほたるを処刑するっていうのは嘘、だから今俺とここにいる」
ということは、ノエ達に騙されたわけじゃない……? 私が不安げに見上げれば、ノエは困ったように、けれど優しく微笑んだ。
「驚かせてごめんな。ちゃんと説明してる暇がなくて」
「馬車で話す時間があったろう」
「……そうっすねー」
顔を強張らせるノエを見て、ああこれは本当に忘れていたんだなと悟った。
ノエが大事なことを言い忘れるのは今に始まったことじゃないけどさ、流石にこれはどうかと思うよ。と思ってじっとりと睨みつけると、ノエはラミア様に言われたことも効いているのか凄く気まずそうにする。あれ? なんだか楽しいぞ?
「ただの説明不足じゃ済まないと思うがな?」
その声にラミア様の方を見れば、にやにやと楽しそうな顔をしている。なるほど、私の気持ちを察して援護射撃してくれたのか。となれば私がやることは一つ。
うぅっと悲しげな顔を作って、少し顔を伏せる。
「ノエがちゃんと説明してくれないから、私ノエ達に殺されちゃうんだと思った……」
まあ嘘ではないぞ。さっきまでは本当にそう思っていたし。
するとノエは明らかに慌てた様子で、私の肩をがっと掴んだ。
「ないない! それはない! そりゃスヴァインは捕まえたいけど、ほたるを簡単に死なせる気だったら最初から保護なんかしないって!」
「……ほんと?」
「ほんと! ああもう、悪かったって! だから泣くな! な?」
なんかノエが必死だ。おもしろい。
顔を伏せて落ち込んでいるふうを装っていたけれど、だめだ。肩がどうしても震えちゃう。
それを見たノエは私が泣いてるのだと思っているみたいだけど……うん、ごめん。もう限界だ。
「――ああもうだめ! ノエったらおかしい!」
私が笑い出すと、ラミア様も豪快に笑った。
「……は?」
取り残されたノエはなかなか事態が飲み込めなかったみたいだけど、だんだん状況が分かってきたのか、顔をうんと顰める。
「ほたる……! 泣き真似か!」
「ひっひひ……! だってノエってば凄く慌ててるから……!」
「あのなァ!」
「まあ、元はと言えばちゃんと説明しなかったノエが悪いんだ。ここはおとなしく受け入れろ――ふふっ」
「ラミア様まで!」
さっきまで慌てていたノエは、珍しく怒ったように声を荒げた。元々吊り目がちの目をもっと吊り上げて、眉間に深い皺を刻んでいる。けれど状況のせいかどこか情けない雰囲気も漂っていて、友達同士のじゃれ合いみたいな空気が凄く楽しかった。
§ § §
「あー……極楽ぅー……」
全身を温かいお湯に包まれて、本当にそんなこと言うのかと思っていた単語が零れ出た。
お風呂に入って極楽っていつの時代? って思っていたけれど、今だよ。令和だよ。ノストスクスにも浴槽はあったのだけどちょっと狭くて、こうやってゆっくり浸かる気にはなれなかった。
ノエをひとしきりからかった後、長旅で疲れているだろうからというラミア様のはからいで詳しい話はまた今度となった。
ノエに案内してもらった部屋はノストノクスで借りていたものより更に広く、設備が整っているというラミア様の言葉どおりお風呂場には猫脚のバスタブ。しかもガラス壁だけどトイレと区切られているから、気を付けなくても全体を濡らしてしまう心配がない。
ニックさんに預けた荷物も既に部屋に届けられていて、私は部屋に案内されてすぐにこうしてお風呂に入ることができていた。
「ニックさんにもお礼言わないとなー。いつ会えるかなー?」
吸血鬼の人たちがどんな生活を送っているかは未だによく分かっていないので、そのあたりはノエに聞かないといけないだろう。
っていうか、ノエの部屋どこだ? どうやってノエに声をかければいいのか――と思ったけれど、まあこれまで困る前にノエの方から声をかけてくれていたので、そのあたりは心配しなくていいだろう。なので私はゆっくり旅の疲れを癒やして、すぐに動けるようにしておけばいい。
何も考えずゆっくりしよう――そう思うものの、一人になればどうしてもあれこれ考えてしまうわけで。
「……囮、か」
ノエが言っていたことを思い出す。表向きは処刑される運命、実際はノエ達が守ってくれる……らしいけれど、結局囮であることには変わりない。ノエ達にはスヴァインを捕まえるという目的があるし、私にしたって一刻も早くスヴァインを見つけて種子を取り除いてもらわないと死んでしまうかもしれない。
まあ身体はいたって健康だし、そんなに危険を感じたこともないから(壱政さんの件は自覚がないので置いておく)、死と言われても中々実感が湧かないのだけど。
「っていうか、なんでノエ達は私を守ってくれるんだろう……?」
さっきのノエの慌てようを見る限り、彼は本気で私を守ろうとしてくれている。それが彼の仕事だし、人道的にもまあ自然な考えだろう。だけど私を守れば吸血鬼全体を敵に回してしまうというデメリットを考えると、なんだかそれでは理由が弱い気がした。
ノエもエルシーさんも、スヴァインを見つけるために私が必要。これは分かる。
でも死なせないようにするっていうのがいまいち分からない。勿論スヴァインを見つける前に死なれちゃ困るっていうのはあるんだけど、その後は?
ノエの『簡単に死なせる気はない』という発言は、その後のことも含んでいるように感じられた。でも正直スヴァインを捕まえた後なら私は用済みなはずだから、助ける義理はないはずだ。スヴァインに私の種子を取り除かせることなく、そのまま死ぬまで放置したって彼らの目的には何ら支障はない。となると、その後のことも含んでいると感じるのは私の自意識過剰なのかもしれない。
……そう考えると、なんだか嫌な気持ちになってくる。ノエが本当に私を死なせる気がないのだとしても、それを素直に受け取れない自分がなんか嫌だ。
なんでこんなふうに思うんだろう。なんで彼らの厚意をちゃんと受け取れないんだろう。彼らは人間の私にこんなに良くしてくれてるのに――ってそうか。やっと分かった。
私が人間だからだ。吸血鬼にとって、人間は餌。餌をそんなに大事に守ることなんてない――心のどこかでそう思っているから、私はノエ達のことを疑ってしまうんだ。
「でもだからって吸血鬼になりたくはないしなぁ……」
今のところ吸血鬼が心底嫌だと思ったことはない。だけど吸血鬼になりたいとは思わない。
「あぁあああああ……」
答えが分からない。
なんだか疲れてしまった私は、そのまま湯船にぶくぶくと沈んだ。
§ § §
お風呂から上がって少しすると、案の定部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。「ほたるー」とけだるげに私を呼ぶのはノエ。ノエがしゃきっとした言い方で私を呼んでくれたことあったかな? ちょっと考えたけれど、そもそもノエがしゃきっとしていること自体が稀だなと思ったので忘れることにする。
私が「どうぞー」と軽く返事をすると、それでもちゃんと聞こえたらしいノエが部屋に入ってきた。
「なあに?」
「腹減ったっしょ? メシ食い行こ」
「ご飯あるの!?」
「そりゃあるよ。じゃなきゃほたる餓死するじゃん」
ってことは、勿論私が食べられるものの用意があるということだ。私のためにわざわざ用意してくれたのだろうか。それともここの人たちは普段から人間の食べ物を食べるのかな?
ノエ曰く人間の食事は嗜好品らしいから、まあ後者だろう。そういうのが整っていたからここに私を匿うことになったのかもしれない。
「何があるの?」
部屋を出て廊下を歩きながら、これから出てくるであろう食事に思いを馳せる。
ノストノクスのご飯は美味しかった。多分栄養を取るためじゃなくて、楽しむためのものだから余計に味にはこだわっているのだろう。そう考えるとここのご飯も期待できる。だってお城だし。
ノエは私の問いにうーんと考える素振りを見せて、
「いっつも違うけど、今は多分南米系だと――」
「ノエ!」
ノエの言葉は可愛らしい声に遮られた。なんだなんだ、どこから聞こえてきた?
周りを見てみると何かが足元を駆け抜けていくのが見えた。え?
「おーう、リリ!」
屈んだノエはそう言いながら、何かを持ち上げる。背の高いノエの腕の中にすっぽりと収まるのは、くりんくりんの長い髪の毛と、同じくくりんくりんの大きな瞳を持った女の子。
「――――!」
女の子、凄く嬉しそうに何か喋ってる。ノエも当然のようにそれに答えているけれど、全く何を話しているか分からない。英語でもないし、吸血鬼の言葉でもない。
私がぽかんとしていると、ノエは思い出したようにこちらを向いて女の子に何か言った。あれ、今ほたるって聞こえた気がするぞ?
「ホタル!」
女の子が私を見ながらにぱっと笑う。え、何この生き物可愛いんですけど。
「ほたる、こいつはリリ。ほれ、挨拶してやって」
「えっと……リリちゃん?」
「リリ!」
待ってなんか怒られた。可愛いけれどこの語気は多分怒ってる。
「“ちゃん”付けするからだろ? 自分の名前間違われてると思ってんじゃねーの?」
「あ、そういうことか」
なるほど、“ちゃん”付けがお気に召さないと。確かにこれは日本の文化だ。この子がどこの国の子かは分からないけれど、自分の名前に謎の単語が付いていたらそりゃ嫌だろう。
私は気を取り直すようにこほんと咳払いをして、にぱっと笑顔を浮かべてリリと目を合わせた。
「リリ」
返ってきたのは、にまぁっとした満足げな笑顔。ちょっと待ってこの子、本当可愛いんだけど。
「――――!」
「え、と? ごめん、何言ってるか分からない……!」
助けを求めるように視線を送れば、ノエは何事かをリリに告げる。するとリリは不満そうな顔をして、ノエの身体をするすると下りていった。
「――ここにいたか」
「ニッキー!」
その声が聞こえた途端、リリの表情はまた笑顔に戻って声の主――ニックさんの方へと駆けていった。
「疲れてるのに悪いな」
「いやいーよ、リリ可愛いし。な、ほたる」
「う、うん!」
私がちょっとどもったのは、リリとニックさんの関係を考えていたからだ。まさかニックさんの子供だろうか? でも前にノエから吸血鬼には子供はできないって聞いていたし、リリはニッキーって呼んでいたし……ていうかニッキーって呼ばれるの嫌なんじゃなかったっけ?
「リリは先に風呂なんだ。また後でな」
「おーう」
あれぇ? やっぱり親子?
仲良く去っていくニックさんとリリを見送りながら、私は首を傾げた。
ノエははっきりとそう言い放った。
でも待って、私そんなの聞いてない。ノエとエルシーさんが厚意で逃してくれたと思っていたのに、そんなことを言われてしまったらどうしていいか分からない。
けれど混乱する私を一瞥して、ラミア様は笑った。
「まあ、それが最善だな」
ちょっと待ってよラミア様。なんで否定しないの? なんでやめろって言わないの?
「ノエ、どういうこと……?」
ノエに問いかける声が震える。だってこれが本当なら、ノエは私を騙していたんじゃないか。
じわりと視界が滲む。目が、鼻が、熱くなっていく。
「うわっ、泣くなよ」
私の顔を見たノエが慌てたように言う。ああ、いつものノエだ。でもそのいつものノエが私を騙していたならこれには何の意味もない。
そう思うのに、自分のシャツの袖で私の涙をごしごしと拭くノエの手を払えない。……もっと優しく拭いてくれてもいいと思うんだけど。
「ノエ、お前また何も説明してないんじゃないか?」
「え? ――ああ、そっか。そういうことか。そりゃ驚くよな、ほたる」
どういうことだろう。ノエ達の会話の意味がよく分からない。
「囮って言ってもあれよ、最初に話したことと変わらないから。ほたると一緒にスヴァインを探しに行くけど、向こうもほたるを探してくれるように仕向けるっていうか」
「……どういうこと?」
「筋書きができてんの。スヴァインの子って判明したほたるをノストノクスが匿うんだけど、大衆の声はきっとほたるの死を望む。だからノストスクスはそれに応えてほたるを処刑することにする――そうすれば、ほたるを殺されちゃ困ると思ったスヴァインが出てくるだろうって話。勿論ノストスクスがほたるを処刑するっていうのは嘘、だから今俺とここにいる」
ということは、ノエ達に騙されたわけじゃない……? 私が不安げに見上げれば、ノエは困ったように、けれど優しく微笑んだ。
「驚かせてごめんな。ちゃんと説明してる暇がなくて」
「馬車で話す時間があったろう」
「……そうっすねー」
顔を強張らせるノエを見て、ああこれは本当に忘れていたんだなと悟った。
ノエが大事なことを言い忘れるのは今に始まったことじゃないけどさ、流石にこれはどうかと思うよ。と思ってじっとりと睨みつけると、ノエはラミア様に言われたことも効いているのか凄く気まずそうにする。あれ? なんだか楽しいぞ?
「ただの説明不足じゃ済まないと思うがな?」
その声にラミア様の方を見れば、にやにやと楽しそうな顔をしている。なるほど、私の気持ちを察して援護射撃してくれたのか。となれば私がやることは一つ。
うぅっと悲しげな顔を作って、少し顔を伏せる。
「ノエがちゃんと説明してくれないから、私ノエ達に殺されちゃうんだと思った……」
まあ嘘ではないぞ。さっきまでは本当にそう思っていたし。
するとノエは明らかに慌てた様子で、私の肩をがっと掴んだ。
「ないない! それはない! そりゃスヴァインは捕まえたいけど、ほたるを簡単に死なせる気だったら最初から保護なんかしないって!」
「……ほんと?」
「ほんと! ああもう、悪かったって! だから泣くな! な?」
なんかノエが必死だ。おもしろい。
顔を伏せて落ち込んでいるふうを装っていたけれど、だめだ。肩がどうしても震えちゃう。
それを見たノエは私が泣いてるのだと思っているみたいだけど……うん、ごめん。もう限界だ。
「――ああもうだめ! ノエったらおかしい!」
私が笑い出すと、ラミア様も豪快に笑った。
「……は?」
取り残されたノエはなかなか事態が飲み込めなかったみたいだけど、だんだん状況が分かってきたのか、顔をうんと顰める。
「ほたる……! 泣き真似か!」
「ひっひひ……! だってノエってば凄く慌ててるから……!」
「あのなァ!」
「まあ、元はと言えばちゃんと説明しなかったノエが悪いんだ。ここはおとなしく受け入れろ――ふふっ」
「ラミア様まで!」
さっきまで慌てていたノエは、珍しく怒ったように声を荒げた。元々吊り目がちの目をもっと吊り上げて、眉間に深い皺を刻んでいる。けれど状況のせいかどこか情けない雰囲気も漂っていて、友達同士のじゃれ合いみたいな空気が凄く楽しかった。
§ § §
「あー……極楽ぅー……」
全身を温かいお湯に包まれて、本当にそんなこと言うのかと思っていた単語が零れ出た。
お風呂に入って極楽っていつの時代? って思っていたけれど、今だよ。令和だよ。ノストスクスにも浴槽はあったのだけどちょっと狭くて、こうやってゆっくり浸かる気にはなれなかった。
ノエをひとしきりからかった後、長旅で疲れているだろうからというラミア様のはからいで詳しい話はまた今度となった。
ノエに案内してもらった部屋はノストノクスで借りていたものより更に広く、設備が整っているというラミア様の言葉どおりお風呂場には猫脚のバスタブ。しかもガラス壁だけどトイレと区切られているから、気を付けなくても全体を濡らしてしまう心配がない。
ニックさんに預けた荷物も既に部屋に届けられていて、私は部屋に案内されてすぐにこうしてお風呂に入ることができていた。
「ニックさんにもお礼言わないとなー。いつ会えるかなー?」
吸血鬼の人たちがどんな生活を送っているかは未だによく分かっていないので、そのあたりはノエに聞かないといけないだろう。
っていうか、ノエの部屋どこだ? どうやってノエに声をかければいいのか――と思ったけれど、まあこれまで困る前にノエの方から声をかけてくれていたので、そのあたりは心配しなくていいだろう。なので私はゆっくり旅の疲れを癒やして、すぐに動けるようにしておけばいい。
何も考えずゆっくりしよう――そう思うものの、一人になればどうしてもあれこれ考えてしまうわけで。
「……囮、か」
ノエが言っていたことを思い出す。表向きは処刑される運命、実際はノエ達が守ってくれる……らしいけれど、結局囮であることには変わりない。ノエ達にはスヴァインを捕まえるという目的があるし、私にしたって一刻も早くスヴァインを見つけて種子を取り除いてもらわないと死んでしまうかもしれない。
まあ身体はいたって健康だし、そんなに危険を感じたこともないから(壱政さんの件は自覚がないので置いておく)、死と言われても中々実感が湧かないのだけど。
「っていうか、なんでノエ達は私を守ってくれるんだろう……?」
さっきのノエの慌てようを見る限り、彼は本気で私を守ろうとしてくれている。それが彼の仕事だし、人道的にもまあ自然な考えだろう。だけど私を守れば吸血鬼全体を敵に回してしまうというデメリットを考えると、なんだかそれでは理由が弱い気がした。
ノエもエルシーさんも、スヴァインを見つけるために私が必要。これは分かる。
でも死なせないようにするっていうのがいまいち分からない。勿論スヴァインを見つける前に死なれちゃ困るっていうのはあるんだけど、その後は?
ノエの『簡単に死なせる気はない』という発言は、その後のことも含んでいるように感じられた。でも正直スヴァインを捕まえた後なら私は用済みなはずだから、助ける義理はないはずだ。スヴァインに私の種子を取り除かせることなく、そのまま死ぬまで放置したって彼らの目的には何ら支障はない。となると、その後のことも含んでいると感じるのは私の自意識過剰なのかもしれない。
……そう考えると、なんだか嫌な気持ちになってくる。ノエが本当に私を死なせる気がないのだとしても、それを素直に受け取れない自分がなんか嫌だ。
なんでこんなふうに思うんだろう。なんで彼らの厚意をちゃんと受け取れないんだろう。彼らは人間の私にこんなに良くしてくれてるのに――ってそうか。やっと分かった。
私が人間だからだ。吸血鬼にとって、人間は餌。餌をそんなに大事に守ることなんてない――心のどこかでそう思っているから、私はノエ達のことを疑ってしまうんだ。
「でもだからって吸血鬼になりたくはないしなぁ……」
今のところ吸血鬼が心底嫌だと思ったことはない。だけど吸血鬼になりたいとは思わない。
「あぁあああああ……」
答えが分からない。
なんだか疲れてしまった私は、そのまま湯船にぶくぶくと沈んだ。
§ § §
お風呂から上がって少しすると、案の定部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。「ほたるー」とけだるげに私を呼ぶのはノエ。ノエがしゃきっとした言い方で私を呼んでくれたことあったかな? ちょっと考えたけれど、そもそもノエがしゃきっとしていること自体が稀だなと思ったので忘れることにする。
私が「どうぞー」と軽く返事をすると、それでもちゃんと聞こえたらしいノエが部屋に入ってきた。
「なあに?」
「腹減ったっしょ? メシ食い行こ」
「ご飯あるの!?」
「そりゃあるよ。じゃなきゃほたる餓死するじゃん」
ってことは、勿論私が食べられるものの用意があるということだ。私のためにわざわざ用意してくれたのだろうか。それともここの人たちは普段から人間の食べ物を食べるのかな?
ノエ曰く人間の食事は嗜好品らしいから、まあ後者だろう。そういうのが整っていたからここに私を匿うことになったのかもしれない。
「何があるの?」
部屋を出て廊下を歩きながら、これから出てくるであろう食事に思いを馳せる。
ノストノクスのご飯は美味しかった。多分栄養を取るためじゃなくて、楽しむためのものだから余計に味にはこだわっているのだろう。そう考えるとここのご飯も期待できる。だってお城だし。
ノエは私の問いにうーんと考える素振りを見せて、
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「ノエ!」
ノエの言葉は可愛らしい声に遮られた。なんだなんだ、どこから聞こえてきた?
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「おーう、リリ!」
屈んだノエはそう言いながら、何かを持ち上げる。背の高いノエの腕の中にすっぽりと収まるのは、くりんくりんの長い髪の毛と、同じくくりんくりんの大きな瞳を持った女の子。
「――――!」
女の子、凄く嬉しそうに何か喋ってる。ノエも当然のようにそれに答えているけれど、全く何を話しているか分からない。英語でもないし、吸血鬼の言葉でもない。
私がぽかんとしていると、ノエは思い出したようにこちらを向いて女の子に何か言った。あれ、今ほたるって聞こえた気がするぞ?
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「リリ」
返ってきたのは、にまぁっとした満足げな笑顔。ちょっと待ってこの子、本当可愛いんだけど。
「――――!」
「え、と? ごめん、何言ってるか分からない……!」
助けを求めるように視線を送れば、ノエは何事かをリリに告げる。するとリリは不満そうな顔をして、ノエの身体をするすると下りていった。
「――ここにいたか」
「ニッキー!」
その声が聞こえた途端、リリの表情はまた笑顔に戻って声の主――ニックさんの方へと駆けていった。
「疲れてるのに悪いな」
「いやいーよ、リリ可愛いし。な、ほたる」
「う、うん!」
私がちょっとどもったのは、リリとニックさんの関係を考えていたからだ。まさかニックさんの子供だろうか? でも前にノエから吸血鬼には子供はできないって聞いていたし、リリはニッキーって呼んでいたし……ていうかニッキーって呼ばれるの嫌なんじゃなかったっけ?
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