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第五章
第29話 おいしい、おいしい。ありがとう、おいしい
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「――ノエ、あれ!」
馬車に揺られること二時間程、遠くの方に街らしき影が見えてきた。
同じ頃から周りには大きな荷台の馬車がちらほらとし始め、見慣れない光景に私はそわそわとしてしまって落ち着かない。
ノエはそんな私を微笑ましそうに見ていたけれど、急に少し真剣な表情になって荷物から黒っぽい布を取り出した。
「もうここからはあまり目立たないようにな。これ被って、俺の傍から絶対離れないこと」
そう言ってノエが渡してきたのは頭からすっぽり被るタイプのマントだ。なんか映画で女の人がこういうの被ってるの見たことがあるぞ。
「まだ早くない?」
「早くない早くない。馬車で来てる連中は物を運んでる奴らか、従属種を連れている奴だから――勿論、マヤみたいには扱われてない」
その言葉に、私の背筋がひやりとした。
マヤさんとは違う扱いの従属種とは、今まで私を襲ってきたようなタイプの人たちのこと。物同然に扱われ、わざと食事を抜かれ、名前を呼んですらもらえないような――そんな人達が周りに何人もいるかもしれないと思うと、ノエに渡されたマントを慌てて被ってみても不安が拭えない。
「こっちにおいで」
ノエに言われるまま、向かい合っていた席から彼の隣に腰掛ける。するとノエは私の肩に手を回して、「このくらいくっついとけば、まあ変に声をかけられることもないでしょ」と言いながらにっと口角を上げた。
「なんで?」
「俺の匂いでも誤魔化せるし、俺の遊び相手って思われるし?」
遊び相手、ってつまりあれか。そういうことか。
急に密着してちょっとドキッとしたけれど、そういうことなら平常心を保たなければならない。
「……でもノエの相手が従属種って変に思う人はいないの?」
「俺の博愛主義は有名よ」
「ノエってやっぱり遊び人なんだ」
「何その目。言っとくけど浮気はしないからな。正式にお付き合いもしないけど」
「それを遊び人って言うんじゃないの?」
なんだろう、意外ではないけれどちょっとショック。このショックはあれだ、自分のお父さんが実はそういう人って知った時のあれ。うん、多分そう。
「吸血鬼じゃ普通だよ。結婚って概念もないから付き合うなんていう過程もいらないし。ペイズリーみたいに特定の相手を作る方が珍しいっていうか」
「……嘘教えてない?」
「本当だっつーの! 不老長寿な上に吸血鬼同士じゃ子供も作れない、その上序列と系譜もある。人間の結婚の目的が種の繁栄にしろ家の存続にしろ、どっちも意味ないから結婚なんてしたってしょうがないだろ?」
「それは古いよ、結婚は好きな人と一緒にいたいからするんだよ」
「そうなの? でもそれこそわざわざ結婚する意味なくない? 『一緒にいましょう、その間は浮気しちゃいけません』って約束でいいじゃん」
「ええ? でも……うーん?」
あれ、よく分からなくなってきたぞ。ノエの言う通りなら確かに結婚する意味もない気がするけれど、でもそれだったら何故みんな結婚するんだろう。今まで結婚のことなんてしっかり考えたことないから分からない。これで私がもう少し大人だったら分かったのかもしれないけれど。
「さて、そろそろ本当に大人しくしとこうか。話してるのが日本語ってだけで注意引くかもしれないからな。勿論どこで誰が聞いてるか分からないから、俺たちがここに来た目的を示唆するものは全部言うの禁止」
それって何も話せなくなるんじゃないかな。とは思うものの、ノエの言葉に身体がひんやりしたのは、彼の体温のせいだけではない気がした。
§ § §
吸血鬼の街は思っていたよりも活気があった。
人通りはそこまで多くはないけれど、別に寂しさは感じない。むしろ都会と違って人と人とがぶつかる心配がないから、このくらいでちょうど良い気がする。歩道と馬車の通る道が分かれていないせいか、道も広めで歩きやすい。地面は土のままだけれど、凸凹したところは全然ないのでちゃんと街という感じがする。
その大きな道に沿って、建物が綺麗に並んでいた。ヨーロッパの町並みのイメージに近いだろうか、建物は木かレンガのようなものでできているものばかりで、コンクリートは見当たらない。ガラスの窓はあるけれど、プラスチックの看板や派手な色の装飾はないから、落ち着いていてお洒落にすら見えた。
道行く人々は、ノエが言っていたとおり私達と雰囲気の近い格好をしている。時々スーツやパーカーの現代っぽい格好の人もいたけれど、ここではやけに目立って見えた。
と、周りばかり見ていると、ノエが私の肩を抱いたまま道の端に逸れて行く。向かった先からは美味しそうな匂いが漂っていて、私のお腹がぐうと主張した。
「――――」
ノエがおかしそうに笑いながら何かを言う。でもそれは日本語じゃないから聞き取ることができない。私は思わず聞き返そうとしたけれど、ノエが私に日本語を使わなかった理由に気が付いて口をきゅっと結んだ。
するとノエはまた笑って何かを言った。あ、今のは分かった。「ごめんごめん」って言っている。と思う。
本当は馬鹿にするなとか、何か言い返したいのに何も言えないのが悔しい。そういう言葉は習ってないもの。
いい匂いを漂わせていたのはお店だったようで、ノエはそこに着くとワッフルのような食べ物をたくさん買って私に差し出した。
「あり、ありと」
「『ありがとう』?」
そうそれ。うまく吸血鬼の言葉で「ありがとう」と言えなかった私の言葉を、ノエが訂正しつつ聞き返してくれる。
一応覚えたんだけど、いざ使ってみると口からうまく出ないのだから外国語(と言っていいのか?)って難しい。
私は改めてノエに「ありがとう」と言い直して、買ってもらったワッフルを思い切り頬張った。
「おしい!」
「『おいしい』」
くそう、微妙に間違う。
「おいしい、おいしい。ありがとう、おいしい」
ワッフルを食べながら、もう間違わないように何度も繰り返す。食べながらこんなことを言うと食いしん坊みたいだと思ったけれど、今の私はたくさん食べなきゃいけない子なので食いしん坊でいいだろう。
ノエはワッフルをいくつも買ってくれていて、それを全部食べろということだと解釈した私は歩きながらひたすら頬張る。全て同じ味だったら地獄だと思ったけれども、そこは流石変なところに気を遣える男、ノエ。全部中身が違うものを買ってくれていたらしい。クリームの入ったお菓子系から、サラダっぽいお惣菜系まで。包み紙の文字が読めないせいで中身が分からないから順番がめちゃくちゃだけど、どれも美味しいので楽しんで食べることができる。
そうやって食べることに夢中になって歩いていると、気付けばまた建物の中にいて、目の前にはカウンターがあった。その先にいた店員さんらしき人はノエと話していたけれど、私に気付くと数秒凝視。そしてうっと眉を顰めた。何故。
理由を知りたかったけれど、今の私に問いかける方法はない。それにノエが咳払いをしたから、店員さんはすぐに顔を引きつらせながら私から目を逸らした。
「――――」
店員さんが何か言いながら差し出した鍵を受け取ると、ノエは私の背を押して歩き出す。どうしたんだろうと思いながら押されるままに進んでいくと、洞窟っぽい雰囲気のある廊下に出た。
照明が少ないせいでちょっと暗くて怖いのだけれど、ノエは気にせずどんどん進む。よく見ればここは洞窟ではなくて、床も壁も天井も石でできた空間だということは分かった。でもだからといって何の場所なのかは分からない。
問いかけることもできないまま、迷路のように入り組んだ廊下をしばらく歩くと、分厚い木製の扉が姿を現した。ノエはその扉の鍵穴に店員さんから受け取った鍵を挿し、そのまま開けて私と二人、真っ暗な扉の先に入っていく。
バタン、と大きな音を響かせて閉まった扉。すると完全な暗闇に包まれてしまって、私はノエの服をぎゅっと掴んだ。
「怖くないよ」
今度は日本語でノエが言う。同時に明かりがついて、暗闇から解放された。
「もう普通に喋って大丈夫。ここはそういう宿だから」
「そういう宿?」
残りの明かりを付けていくノエに聞き返す。室内がどんどん明るくなっていくと、暗闇だった場所からソファやテーブルなどの家具が現れた。ノエの言う通りここは宿らしい。ベッドがないけれど、奥にも部屋がありそうだから多分そっちにあるんだろう。
「戦争の名残でね。こういう防音のしっかりした宿が結構あるんだよ。勿論吸血鬼の耳でも外から中の音はほとんど聞こえない」
「へえ……」
なるほど、そういう宿か。戦争の名残ということは密談用とか? なんか怖いな。
「だからもう俺にくっついてなくても平気よ? そのままがいいならそれでもいいけど」
「ッ離れます!」
私が慌てて離れると、ノエは「そんなに嫌か」とじとっとした目で私を睨む。別に嫌ってわけじゃないけれども、くっついてるとか言われたら恥ずかしいんだよ。遊び人のおじいちゃんには分からないだろうけどさ。
そんなことを考えていると、明かりを付け終わったノエはソファにどっと腰を下ろして大きな欠伸。
珍しいな。ノエはちゃらんぽらんではあるけれど、あまり眠そうにしているところは見たことがないのに。
「そんなに疲れたの?」
私もノエのすぐ隣に腰掛ける。ノエは「んー?」と言いながら私を見て、「ほたるは平気?」と聞いてきた。
「うん。見たことないものばっかだったから面白かったし、買ってもらったやつも美味しいし」
「そりゃよかった。嫌な感じとかはなかった?」
「ノエが分からない言葉で私をからかったことくらいかな」
「じゃあ平気か」
「こら」
ノエは満足そうにしているけれど、結局ノエが疲れたかどうかは聞けていない。それに――。
「そういえば、なんかさっき店員さんが私のこと見て嫌そうな顔してたけど」
「ああ、従属種だと思ってるからだよ」
「……そっか」
あの態度はそういう理由だったのか。なんか嫌だなと思ったものの、私を見て人間ではなく従属種だと思ったということは変装が成功している証拠だ。
「もしかしてノエが疲れてるのって、それが影響してる?」
私が問うと、ノエが驚いたように目を丸めた。なんでだ。
「よく分かるな。まァそれが直接影響してるっていうか、聞き耳立てながら道を選んだりなんだりしてちょっと疲れたっていうか」
「道を選んだ?」
「ほたるが見なくていいものもあるからな」
なんだろう、治安が悪いとかだろうか。
聞き返そうとしたけれど、先に口を開いたのはノエだった。
「この後だけど、ちょっと休んだら色々見て回ろうか」
「スヴァイン探しだよね? 気になってたんだけど、ノエってスヴァインの顔分かるの?」
「昔ちらっと肖像画なら見たことある。まあそれとは多少違ってるかもしれないけど、スヴァインの方がほたるを知ってるしどうにかなるだろ」
肖像画とか古風だな。まあスヴァインがいなくなった百年前っていったらカメラなんてあまり普及していなかっただろうし、昔は肖像画が主流だっただろうからそんなものなのかな。でも肖像画って結構美化されているって聞いたことがあるぞ。ノエが多少違ってるかもというのもそういうことだろう。
なんだか不安が残るものの、今更どうすることもできないので私はノエの記憶力を信じるしかなかった。
馬車に揺られること二時間程、遠くの方に街らしき影が見えてきた。
同じ頃から周りには大きな荷台の馬車がちらほらとし始め、見慣れない光景に私はそわそわとしてしまって落ち着かない。
ノエはそんな私を微笑ましそうに見ていたけれど、急に少し真剣な表情になって荷物から黒っぽい布を取り出した。
「もうここからはあまり目立たないようにな。これ被って、俺の傍から絶対離れないこと」
そう言ってノエが渡してきたのは頭からすっぽり被るタイプのマントだ。なんか映画で女の人がこういうの被ってるの見たことがあるぞ。
「まだ早くない?」
「早くない早くない。馬車で来てる連中は物を運んでる奴らか、従属種を連れている奴だから――勿論、マヤみたいには扱われてない」
その言葉に、私の背筋がひやりとした。
マヤさんとは違う扱いの従属種とは、今まで私を襲ってきたようなタイプの人たちのこと。物同然に扱われ、わざと食事を抜かれ、名前を呼んですらもらえないような――そんな人達が周りに何人もいるかもしれないと思うと、ノエに渡されたマントを慌てて被ってみても不安が拭えない。
「こっちにおいで」
ノエに言われるまま、向かい合っていた席から彼の隣に腰掛ける。するとノエは私の肩に手を回して、「このくらいくっついとけば、まあ変に声をかけられることもないでしょ」と言いながらにっと口角を上げた。
「なんで?」
「俺の匂いでも誤魔化せるし、俺の遊び相手って思われるし?」
遊び相手、ってつまりあれか。そういうことか。
急に密着してちょっとドキッとしたけれど、そういうことなら平常心を保たなければならない。
「……でもノエの相手が従属種って変に思う人はいないの?」
「俺の博愛主義は有名よ」
「ノエってやっぱり遊び人なんだ」
「何その目。言っとくけど浮気はしないからな。正式にお付き合いもしないけど」
「それを遊び人って言うんじゃないの?」
なんだろう、意外ではないけれどちょっとショック。このショックはあれだ、自分のお父さんが実はそういう人って知った時のあれ。うん、多分そう。
「吸血鬼じゃ普通だよ。結婚って概念もないから付き合うなんていう過程もいらないし。ペイズリーみたいに特定の相手を作る方が珍しいっていうか」
「……嘘教えてない?」
「本当だっつーの! 不老長寿な上に吸血鬼同士じゃ子供も作れない、その上序列と系譜もある。人間の結婚の目的が種の繁栄にしろ家の存続にしろ、どっちも意味ないから結婚なんてしたってしょうがないだろ?」
「それは古いよ、結婚は好きな人と一緒にいたいからするんだよ」
「そうなの? でもそれこそわざわざ結婚する意味なくない? 『一緒にいましょう、その間は浮気しちゃいけません』って約束でいいじゃん」
「ええ? でも……うーん?」
あれ、よく分からなくなってきたぞ。ノエの言う通りなら確かに結婚する意味もない気がするけれど、でもそれだったら何故みんな結婚するんだろう。今まで結婚のことなんてしっかり考えたことないから分からない。これで私がもう少し大人だったら分かったのかもしれないけれど。
「さて、そろそろ本当に大人しくしとこうか。話してるのが日本語ってだけで注意引くかもしれないからな。勿論どこで誰が聞いてるか分からないから、俺たちがここに来た目的を示唆するものは全部言うの禁止」
それって何も話せなくなるんじゃないかな。とは思うものの、ノエの言葉に身体がひんやりしたのは、彼の体温のせいだけではない気がした。
§ § §
吸血鬼の街は思っていたよりも活気があった。
人通りはそこまで多くはないけれど、別に寂しさは感じない。むしろ都会と違って人と人とがぶつかる心配がないから、このくらいでちょうど良い気がする。歩道と馬車の通る道が分かれていないせいか、道も広めで歩きやすい。地面は土のままだけれど、凸凹したところは全然ないのでちゃんと街という感じがする。
その大きな道に沿って、建物が綺麗に並んでいた。ヨーロッパの町並みのイメージに近いだろうか、建物は木かレンガのようなものでできているものばかりで、コンクリートは見当たらない。ガラスの窓はあるけれど、プラスチックの看板や派手な色の装飾はないから、落ち着いていてお洒落にすら見えた。
道行く人々は、ノエが言っていたとおり私達と雰囲気の近い格好をしている。時々スーツやパーカーの現代っぽい格好の人もいたけれど、ここではやけに目立って見えた。
と、周りばかり見ていると、ノエが私の肩を抱いたまま道の端に逸れて行く。向かった先からは美味しそうな匂いが漂っていて、私のお腹がぐうと主張した。
「――――」
ノエがおかしそうに笑いながら何かを言う。でもそれは日本語じゃないから聞き取ることができない。私は思わず聞き返そうとしたけれど、ノエが私に日本語を使わなかった理由に気が付いて口をきゅっと結んだ。
するとノエはまた笑って何かを言った。あ、今のは分かった。「ごめんごめん」って言っている。と思う。
本当は馬鹿にするなとか、何か言い返したいのに何も言えないのが悔しい。そういう言葉は習ってないもの。
いい匂いを漂わせていたのはお店だったようで、ノエはそこに着くとワッフルのような食べ物をたくさん買って私に差し出した。
「あり、ありと」
「『ありがとう』?」
そうそれ。うまく吸血鬼の言葉で「ありがとう」と言えなかった私の言葉を、ノエが訂正しつつ聞き返してくれる。
一応覚えたんだけど、いざ使ってみると口からうまく出ないのだから外国語(と言っていいのか?)って難しい。
私は改めてノエに「ありがとう」と言い直して、買ってもらったワッフルを思い切り頬張った。
「おしい!」
「『おいしい』」
くそう、微妙に間違う。
「おいしい、おいしい。ありがとう、おいしい」
ワッフルを食べながら、もう間違わないように何度も繰り返す。食べながらこんなことを言うと食いしん坊みたいだと思ったけれど、今の私はたくさん食べなきゃいけない子なので食いしん坊でいいだろう。
ノエはワッフルをいくつも買ってくれていて、それを全部食べろということだと解釈した私は歩きながらひたすら頬張る。全て同じ味だったら地獄だと思ったけれども、そこは流石変なところに気を遣える男、ノエ。全部中身が違うものを買ってくれていたらしい。クリームの入ったお菓子系から、サラダっぽいお惣菜系まで。包み紙の文字が読めないせいで中身が分からないから順番がめちゃくちゃだけど、どれも美味しいので楽しんで食べることができる。
そうやって食べることに夢中になって歩いていると、気付けばまた建物の中にいて、目の前にはカウンターがあった。その先にいた店員さんらしき人はノエと話していたけれど、私に気付くと数秒凝視。そしてうっと眉を顰めた。何故。
理由を知りたかったけれど、今の私に問いかける方法はない。それにノエが咳払いをしたから、店員さんはすぐに顔を引きつらせながら私から目を逸らした。
「――――」
店員さんが何か言いながら差し出した鍵を受け取ると、ノエは私の背を押して歩き出す。どうしたんだろうと思いながら押されるままに進んでいくと、洞窟っぽい雰囲気のある廊下に出た。
照明が少ないせいでちょっと暗くて怖いのだけれど、ノエは気にせずどんどん進む。よく見ればここは洞窟ではなくて、床も壁も天井も石でできた空間だということは分かった。でもだからといって何の場所なのかは分からない。
問いかけることもできないまま、迷路のように入り組んだ廊下をしばらく歩くと、分厚い木製の扉が姿を現した。ノエはその扉の鍵穴に店員さんから受け取った鍵を挿し、そのまま開けて私と二人、真っ暗な扉の先に入っていく。
バタン、と大きな音を響かせて閉まった扉。すると完全な暗闇に包まれてしまって、私はノエの服をぎゅっと掴んだ。
「怖くないよ」
今度は日本語でノエが言う。同時に明かりがついて、暗闇から解放された。
「もう普通に喋って大丈夫。ここはそういう宿だから」
「そういう宿?」
残りの明かりを付けていくノエに聞き返す。室内がどんどん明るくなっていくと、暗闇だった場所からソファやテーブルなどの家具が現れた。ノエの言う通りここは宿らしい。ベッドがないけれど、奥にも部屋がありそうだから多分そっちにあるんだろう。
「戦争の名残でね。こういう防音のしっかりした宿が結構あるんだよ。勿論吸血鬼の耳でも外から中の音はほとんど聞こえない」
「へえ……」
なるほど、そういう宿か。戦争の名残ということは密談用とか? なんか怖いな。
「だからもう俺にくっついてなくても平気よ? そのままがいいならそれでもいいけど」
「ッ離れます!」
私が慌てて離れると、ノエは「そんなに嫌か」とじとっとした目で私を睨む。別に嫌ってわけじゃないけれども、くっついてるとか言われたら恥ずかしいんだよ。遊び人のおじいちゃんには分からないだろうけどさ。
そんなことを考えていると、明かりを付け終わったノエはソファにどっと腰を下ろして大きな欠伸。
珍しいな。ノエはちゃらんぽらんではあるけれど、あまり眠そうにしているところは見たことがないのに。
「そんなに疲れたの?」
私もノエのすぐ隣に腰掛ける。ノエは「んー?」と言いながら私を見て、「ほたるは平気?」と聞いてきた。
「うん。見たことないものばっかだったから面白かったし、買ってもらったやつも美味しいし」
「そりゃよかった。嫌な感じとかはなかった?」
「ノエが分からない言葉で私をからかったことくらいかな」
「じゃあ平気か」
「こら」
ノエは満足そうにしているけれど、結局ノエが疲れたかどうかは聞けていない。それに――。
「そういえば、なんかさっき店員さんが私のこと見て嫌そうな顔してたけど」
「ああ、従属種だと思ってるからだよ」
「……そっか」
あの態度はそういう理由だったのか。なんか嫌だなと思ったものの、私を見て人間ではなく従属種だと思ったということは変装が成功している証拠だ。
「もしかしてノエが疲れてるのって、それが影響してる?」
私が問うと、ノエが驚いたように目を丸めた。なんでだ。
「よく分かるな。まァそれが直接影響してるっていうか、聞き耳立てながら道を選んだりなんだりしてちょっと疲れたっていうか」
「道を選んだ?」
「ほたるが見なくていいものもあるからな」
なんだろう、治安が悪いとかだろうか。
聞き返そうとしたけれど、先に口を開いたのはノエだった。
「この後だけど、ちょっと休んだら色々見て回ろうか」
「スヴァイン探しだよね? 気になってたんだけど、ノエってスヴァインの顔分かるの?」
「昔ちらっと肖像画なら見たことある。まあそれとは多少違ってるかもしれないけど、スヴァインの方がほたるを知ってるしどうにかなるだろ」
肖像画とか古風だな。まあスヴァインがいなくなった百年前っていったらカメラなんてあまり普及していなかっただろうし、昔は肖像画が主流だっただろうからそんなものなのかな。でも肖像画って結構美化されているって聞いたことがあるぞ。ノエが多少違ってるかもというのもそういうことだろう。
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