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第五章

第30話 少し急ぐよ

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 それから二日ほど街で探してみたけれど、スヴァインの情報は得られなかった。
 まあ当然といえば当然だろう。吸血鬼達が百年探して見つからない相手がこんなにすぐ見つかるはずがないし、ノエだってこちらから見つけることはあまり期待していないと言っていたし。
 だからそこまでショックではなかった。けれども、ずっとこの調子だったらどうしようとも考えてしまう。

 ノエの言っていたとおり、数日前にノストノクスが「スヴァインの子が現れた」と公表していたらしい。
 この街にもその情報は届いていて、時間が経つごとに街はざわついていった。ノエによれば道行く人達の話題はそれで持ちきりらしく、ノストノクスの企みどおり「スヴァインの子なら始末するべきでは」と言い出す人も結構いるとのこと。うん、言葉が分からなくてよかった。
 つまりまあ、計画どおり進んでいるのだ。あとはこの噂がスヴァインの耳に届いて、向こうから私を見つけてくれるのを待つだけ。

 だけど少し不安になってしまうのは、スヴァインが本当に私を探してくれるかも分からない上に彼の動きなんて知りようもないから、全くの進展なしという事実が目の前にどんと置かれているような気がするせいだ。
 いかんせん私には時間がない。たくさん食べているのもあってか痩せるのは止まっている気がするけれど、自分の身体だから気付きにくいだけかもしれない。

「見てやろうか?」
「嫌だ」

 一日一回、朝の体型チェックタイム。それを終えて寝室から出てきた私にソファでくつろぐノエがにやにやしながら言う。
 このにやにやはからかう時の顔だ。ということは私が断るところまで見越して見てあげようと提案してきたのか。嫌な奴だ。

「腰のコルセットいつもきっちり締めてるだろ?」
「そりゃもちろん」
「そのベルトの穴変わってないなら平気だろ」
「……確かに」

 ペイズリーさんが見繕ってくれた私の服は、腰に革製のコルセットを付ける。そしてこのコルセットは紐で結ぶのではなく、三個のベルトで締めて止めるタイプ。しかもデザインのためなのか穴同士の間隔は狭め。ノエの言う通り最初に着た時からベルトの穴の位置は変わっていないから、急に痩せてしまったということはないだろう。
 そういえばブーツにも同じようにベルトが付いている。ファスナーで一発で止められないからちょっと面倒だなと思っていたけれど、こちらもベルトの穴に変化はない。もしかしてペイズリーさん、そこまで考えてくれていた? 細かいデザインまで合わせるなんてオシャレさんなのかなと思っていたけれど、これは実用性重視だったのか。

「そもそも一気に痩せたのは大怪我したからだと思うんだよ。回復のために種子が相当頑張ったんじゃないかと」
「じゃあそんなに食べなくてもいい?」
「太ってもないんだろ? なら今の食事でとんとんってとこだろうな」
「……そっか」

 たくさん食べるの結構しんどいんだけどな。胃袋の許容量なんて急には変わらないから、空腹を感じないように常に口に物を入れていなければならない。お陰でこの街の食べ物屋さんのメニュー、一通り食べ尽くした感まである。最初は見知らぬ食べ物を楽しめて嬉しかったけれど、消化能力には変化がないから実はずっと胃もたれ気味だ。つらい。

「あんま長居してもしょうがないし、今日見たらもう次に行こうか」
「はーい」

 出発が近いということで荷物を少し片付けて、私達はまた街に繰り出した。


 § § §


 外に出て大通りに着くと、なんだか昨日までと様子が違っている気がした。
 なんというか、ちょっと不安になる感じ。確かにスヴァインの噂で街の落ち着きはなくなってきていたけれど、それとは少し違う。人通りはいつもより多いのに、どこか殺伐としているような。

「ノエ?」

 ノエを見上げれば少し険しい表情。やめてよもう、ノエがそんな顔するって嫌な予感しかしない。
 ノエは静かに溜息を吐いたかと思うと、私のマントを引っ張って顔を隠した。それから自分の青い頭も、今まで首に巻いていた布で覆う。なるほど、これはそういうためのものだったのか。
 さらに肩を掴む手には少し力が入っていて、やっぱり良くないことがあるのだと実感せざるを得ない。

「少し急ぐよ」

 吸血鬼の言葉。それでも分かるのは、この二日間ノエにいつもよりもたくさん教えてもらったからだ。と言っても街中で使いそうなものを中心にだけれど、こんなにすぐ役に立つとは。
 人の多い大通りを避けるためには脇の小道に入ればいいのだろうけれど、ノエは危ないからと言ってそこには入りたがらない。だから私達はこの大通りを突っ切るしかなくて、足早に歩くノエに合わせて私も小走りで進んでいった。けれど。

「ノエ」

 男の人の声が、どこかからノエの名を呼んだ。
 その瞬間、ノエは人混みに紛れて私を自分の後ろに隠す。この街に来てから初めての行動に、私の背には嫌な予感で冷や汗が流れた。

「――――」

 ノエが声のした方に話しかける。相手がどんな人かはノエの背中で見えないけれど、気持ちの悪い臭いが鼻をつく。恐る恐るノエの影から様子を伺えば、わずかに見えたのは汚れた服。

「――――」
「――――」

 ノエと相手の男の人が話す。けれど男の人の声は汚れた服とは少し違う場所から聞こえてくる。これはきっと。

 従属種がいる。
 本物の。私を襲ってきた人達と同じような扱いの。

 この不快な臭いは血生臭さだ。ノエがちらっと教えてくれたのは、食事を抜かれるような従属種はその食事も血液だけしか与えられないことが多いということ。それも質の悪いものばかりを。

『なんでそんなことするの?』
『従属種も血は生きるために必須、逆に人間の食事はいらない。食事を抜くのは最低限生かしておけばいいっていうのと、その方がいざという時使えるから』
『いざという時……?』
『火事場の馬鹿力ってやつだよ。それは催眠でも確実に出せるとは限らないし、そんなことせずに必死で頑張ってくれるなら楽だろ?』
『なんでそんなこと……』

 宿で時間があった時にノエとした会話の記憶が鮮明に蘇る。一般的には従属種イコールこのイメージがあるから、自分はそういうことをしない人でも従属種を見ると嫌な顔をするそうだ。
 でも、なんでだろう。なんで元は同じ人間だったのに、こんなことができるんだろう。

『人間ってね、人間同士でもそういうことができる生き物なんだよ。吸血鬼になってもそれは変わらないし、明らかに自分と違えばもっとやりやすくなるんだと思う』

 そう言って私の頭を撫でたノエは眉根を寄せながら笑っていて。なんとなく、ノエは人間だった頃にそういう人に会ったことがあるのかなと思って胸が締め付けられるような感覚がした。

 ――ノエが今話している人は、そういうことをする人。それなのになんでノエは無視しなかったのかな。
 考えてみたけれど、分かるはずもない。ただ序列というものがあるしノエは執行官でもあるから、立場上どうしても無視できないということもあるのかもしれない。

 居心地の悪さに無意識のうちに一歩後ずさると、身体に何かがぶつかった。

「……ッ!?」

 悲鳴を上げないようにしながら、転ばないように踏ん張る。けれどまた何かにぶつかって転びそうになった。

 それもなんとか耐えて周りを見ると、人混みに巻き込まれてしまったんだと分かった。もうぶつからないようにしながらノエの近くに戻ろうとしても、顔を隠しながらだから前がよく見えなくてなかなか戻ることができない。それどころかどんどん離されてしまって、これ以上離れたらまずいと思った私はどうにか近く脇道に避難した。

「ノエ……どこ……?」

 いつもは目立つ青い頭が隠されているから、どこにいるのか分からない。
 でもここで待っていればノエの方から見つけてくれるはず。私はそれまで他の誰かに見つからないようにしておけばいい。

 けれど。

 大通りが怖い。ちらほらと見える汚い服装の人は従属種かもしれない。
 見つからないように、気付かれないように。そう思えば思うほど、私の足は大通りからじりじりと遠のく。

 これ以上離れたら駄目なのに。いくら怖くても、ここで待たなきゃ駄目なのに。

 そう分かっていたのに、偶然ぎょろりとした目と視線が合って。
 気付いた時には大通りを背にして走り出していた。
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