マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第七章

第45話 だって裸だよ!?

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 お風呂から上がり、ノエに渡された服に身を包んで私はソファに座っていた。用意してもらったのは長袖のシャツとスウェットパンツに似たようなもので、お風呂上がりにはちょうど良かったけれど、ノエの服だろうからサイズが大きすぎてそのままではまともに歩けない。仕方なく袖と裾を何度も折って長さを調整して、やっと手足の先が顔を出した。
 そんなどうでもいい作業にわざと無駄に時間をかけてみたところで、ただ折るだけだからすぐに終わってしまう。やることがなくなると頭を支配するのは暗い考えばかり。どうにか追い払おうとしてみても、頭から追い出したそばからまたすぐに浮かんでくる。
 そうやって思考に沈んでいたものだから、突然開いた扉に大袈裟なくらい肩が跳ねた。

「うわ、なんか悲しくなるくらいびっくりされた」
「……ごめん、誰かと思って」
「鍵開けて入ってきたんだから俺でしょ」
「聞こえてなかった……」

 私が言うと、ノエが呆れたように苦笑を零す。ノエは部屋を出る時に鍵を閉めていったから、彼の言う通り外から鍵を開けたなら部屋に入ってくるのはノエしかいないだろう。
 けれどすっかり考え事をしていた私にはそんな小さな音は聞こえていなくて、それを察したのであろうノエは「ちょっと不用心だな」と言いながら私の隣に腰掛けた。
 ああ、まただ――相変わらず少し空いた距離に胸がきゅっとなったけれど、文句を言う権利は私にはないので何か話したそうなノエの言葉を待った。

「ほたるの保護は続行します」
「え? でも……」
「普通に考えて、こんな状態でほたるを外にほっぽり出せないでしょ。大人の責任ってやつだよ」
「めい――」
「迷惑にはなってない。そんなに気になるならエルシーに直接聞きな。後でほたるにメシ持ってきてくれるって」

 私の話を遮るように言ったノエは少し困ったような顔をしていた。けれど思い出したように私の格好を見ると、「ほたるは風呂入ったんだよな?」と確認するように問いかけてくる。

「うん、いただきました」
「んじゃ俺入ってくるわ。今度は鍵の音聞いとけよ? エルシーならノックするはずだから、それ以外に無理矢理開けようとする奴が来たら風呂場まで逃げておいで」
「うん――いや、それは駄目でしょ」
「なんで?」

 思わず頷いてしまったけれど、少し考えたらそれはまずいということはすぐに分かった。それなのにノエは首を傾げていて問題に全く気付いていない。

「だってお風呂場ってことはノエ裸でしょ? そんなところ入れないよ」
「別に問題ないだろ」
「あるよ! だって裸だよ!?」
「……ほたる、俺の裸で興奮すんの?」
「しないよ!!」

 なんでノエがちょっと「ないわー」みたいな顔しているんだ。ないのは私だ。免疫のない私に男の人の素っ裸なんて見せないで欲しい。一応言っておくけれど興奮はしない。目のやり場に困るだけ。

「じゃあ何が問題なんだよ。別にいいだろ、裸くらい」
「なんっで分からないかなぁ!? 見えちゃまずいものがあるでしょ!? 言わせないでよ!」
「あー……そういうこと? 分かった分かった、ちゃんと隠すから」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ誰か来たらどうすんの。俺の近くにいないと守ってあげられないけど」
「……隠すもの常備してお風呂入ってください」
「仕方ないなー」

 なんだろう、ノエのこの勝ち誇った顔。腹立つ。もしかして見せたいのだろうか。ということは実はノエって露出癖あるの?
 最近彼のことを全然知らないなと思うことが多かったけれど、そんな一面は知りたくなかったかもしれない。かと言って聞くのも憚られるから、この嫌な想像の真偽を確認できないまま、なんとも言えない気持ちで浴室へと向かうノエを見送った。


 § § §


 ノストノクスの建物は結構防音が効いている。吸血鬼は人間よりずっと耳が良いらしいからそのためだろう。浴室やトイレのある洗面所の扉も一般的なものよりだいぶ分厚くて、きちんと閉まっていれば中の音は人間の私の耳では全くと言っていいほど聞こえない。
 それは部屋と廊下を区切る扉も同じみたいで、外の足音も聞こえないから誰かが近付いてきても分からない。

 だから急に響いたノックの音で、私がまた派手に肩を揺らしてしまったのは仕方がないだろう。今度はちゃんと聞いていたつもりだぞ。

「――――」

 扉の向こうから声が聞こえる。だけど何と言っているか私には分からない。言語が分からないのではなく、小さい上にくぐもっているから何語を喋っているかすら分からないのだ。
 ノックもあった、こうして話しかけてくれる――ということはエルシーさんだろうか。ノエは私の耳では判断できないということを失念していたようで、彼から事前に聞いていた内容だけではエルシーさんかどうか確信が持てない。
 恐る恐る扉に近付いて、耳を当てる。けれど何も聞こえない。こちらの返事を待っているのだろうか。
 聞いているよという意味を込めて私がノックを返せば、微かに「エルシーだ」と聞き取れて私は胸を撫で下ろした。

 カチャ、と音を立てて内側から鍵を開ける。間違っていたら怖いので、扉に身体をすべて隠してドアノブを引く。
 すると相手は私の意図を察してくれたのか、「入るぞ」と小さな声で一声かけてから部屋に足を踏み入れた。

「……久しぶりだな」

 扉から顔を覗かせて、エルシーさんが顔を綻ばせる。手に持っていたプレートには美味しそうなご飯が並んでいて、わざわざ持ってきてくれたのだと思うとありがたいと同時に少し申し訳なさもあった。私とノエがここにいると知られてはいけないから、彼女に余計な手間をかけさせてしまっているのだ。
 私がご飯に気を取られていると、「先に閉めさせてくれ」とやはり小声で言われたので扉から離れる。するとエルシーさんは素早く扉を閉めてふうと息を吐いた。

「ノエは……風呂か。全く、ほたるの耳じゃ外から名乗っても聞こえないって忘れてるんじゃないのか」

 仰るとおりです。っていうかここからノエがお風呂に入っているって分かるってことは、エルシーさんの耳には浴室の音が聞こえているのか。……ならもしかしてノエには今まで私のトイレの音も聞かれていたんじゃ――いや、忘れよう。考えちゃ駄目だ。ノエが部屋にいる時にトイレに行ったのはラミア様のお城だから、もしかしたらここよりも防音がしっかりしているかもしれないし。
 そうやって私があれこれ考えている間にエルシーさんはソファの前のローテーブルに持ってきた食事を並べてくれていたようで、最後の一皿をテーブルに置きながらゆっくりと顔を上げた。

「私がここに来た時に怖がらせてしまったならすまない。廊下じゃあ誰が聞いているかも分からないから、大声で話すのも、日本語も使うわけにはいかなくてな」
「いえ、いいんです。エルシーさんは悪くないっていうか、全面的にノエが悪いと思います」
「そうか。そう言ってくれると助かるよ。……少し痩せたな」

 エルシーさんは私を見ると少し苦しそうな顔をした。私はどう返事をしたらいいか分からなくて、曖昧な笑顔を返す。

「食事のことは心配するな。滞在中は私がここに持ってくるから」
「ありがとうございます。でもエルシーさんも忙しいですよね……?」
「何、いつかはこうなると分かっていた。少し変わってしまったが、結果としては元々の狙い通りだしな。むしろこちらがお前を巻き込んでしまったようなものだから気にしなくていい」

 私を気遣うような言葉に胸が苦しくなる。ノエもエルシーさんも決して私を責めない。私のせいで迷惑をかけているのに、彼らは私を心配するだけで嫌そうな顔ひとつしない。

「どうして、私に良くしてくれるんですか……?」

 だって元々の狙い通りと言っても状況が違う。本当は吸血鬼達に私が殺されるかもしれないと思わせることで、スヴァインをおびき出そうとしていたはず。でももう彼が来ることはないだろう。だとしたらこの騒ぎは全くの無駄だ。
 そう思っておずおずと見上げれば、エルシーさんはふっと頬を緩めた。

「何も知らない子どもを助けるのは当然だろう?」
「でも……見ず知らずの人間ですよ?」
「今はもう知っている」
「そうかもしれないですけど……! だけど、知っている程度の奴のために仲間を敵に回すんですか?」

 窓の外に視線をやりながら言うと、エルシーさんは困ったように眉根を寄せた。

「言っただろ? 法を司るものとして、同胞に法を犯させるわけにはいかない。それに彼らはノストノクスを敵と認識するかもしれないが、私は彼らを敵とは思わない」

 そう言うエルシーさんの目はまっすぐで、とてもではないけれど嘘を言っているようには見えなかった。でもそうすると、ノエのしたことと矛盾してしまう。

「……彼らのことは、傷付けないってことですか?」

 ノエはソロモン達を躊躇いなく殺してしまった。確かに彼らは執行官であるノエを殺そうとしたけれど、だからと言ってそれはノエが彼らを殺していい理由にはならないはずだ。
 もしかして勝手に執行官の部屋に入った時のように、そういう行為は認められているのだろうか。でもそうするとノエの行為は正当化できても、エルシーさんの言葉とは矛盾したままだ。

「極力傷つけるつもりはないさ。ただ、時に力が必要なことも事実。綺麗事だけではどうにもならない時もある」
「そういう、ものですか……」

 それはノエの行為を肯定するとも取れる言葉だったけれど。
 でも、なんだろう。やっぱりどこか違う気がする。だけどエルシーさんに何と聞けばいいのか分からない。
 ノエがソロモン達を殺してしまったことは、誰にも言ってはいけない。それは多分エルシーさんにも。そのことを言わずにどうすればこの疑問を解消できるのか考えていると、エルシーさんが「ほたる?」と首を傾げた。

「あ、すみません。ぼうっとしてて……」
「いや、いいさ。疲れているだろうしゆっくり休むといい。私ももう戻らないと怪しまれてしまうから」

 多分エルシーさんは自分がいると私が休まらないと思っているのだろう。気遣うような表情で「また来るよ」と言うと、そのまま部屋から出ていってしまった。
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