マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第八章

第56話 ……無理でしょ

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「ノエがアイリスの子って、どういうこと……?」

 ノエの言ったことがよく分からなくて、思わずそのまま聞き返す。
 だってノエの親はラミア様のはずだ。ラミア様じゃなくてスヴァインかもしれないとは思ったこともあったけれど、それはノエ自身が否定していた。
 それにそもそもアイリスという人はもうずっと誰も見ていなくて、今いる世代の人達――千年は生きているようなラミア様だって見たことがないと言われているって前にノエが教えてくれた。
 でも、ノエは四百年くらいしか生きていない。それだとアイリスが姿を消した後にノエが吸血鬼になったということになってしまって、辻褄が合わない。

「そのままの意味だよ。俺を吸血鬼にしたのはアイリスだ」
「でも……ラミア様が親だって……」
「それは表向き。俺とアイリス以外はこのことを知らない」

 ノエとアイリス以外は知らない――それが意味するのは、たった一つ。

「……皆を騙してるの?」

 エルシーさんのことも、クラトスのことも。そしてラミア様達のことも。
 私が問えば、ノエは静かに「そうだよ」と答えた。

「どうして……」

 声が震える。だってそれは、今までのノエの言葉にたくさんの嘘があったと示すものだから。

 けれど、どうしてだろうか――裏切られたと感じないのは。嘘を吐かれていたのに、騙していたと本人が言っているのに、驚きはしても悲しい気持ちはまだなくて。

「それがアイリスの望みだから。でもさっきのでスヴァインにはバレたと思う。あいつがほたるを操って俺に攻撃してきたのは、俺の本当の序列を知るためだったんだよ。まァ、ほたるの家で俺が動けた時点で怪しんでたんだろうな」

 ノエの言葉にあの夜の記憶が蘇る。
 そういえば、私の家からノクステルナに逃げる時にスヴァインが言っていた。

『……どうしてお前が動ける?』

 あそこにいたのは私以外にノエだけ。スヴァインはノエも動けないと言っていたのに、それなのにノエは私を助けてくれた。それができたのはノエにスヴァインの催眠に抵抗する力があったから――ノエとスヴァインが、同じ序列だったから。
 吸血鬼は上位の者の支配に抵抗することができない。でも同じ序列なら抵抗することができる。確実ではないけれど、絶対に抜けられないわけではない。
 それはノエの話が真実だと裏付けているようで。

「だから、ほたるの種子が目覚めたのは俺のせい。それに俺はあの日初めて会った時から、ほたるがスヴァインの子だって分かってた。じゃないと俺に抵抗できないから。だから俺はほたるをノクステルナに連れ帰った」

 ノエが私をスヴァインの子だと確信していたなら、彼の準備の良さにも説明がつく。
 調査結果が出る前からラミア様に私のことを匿う相談ができたのも、そこに大きな労力を割けたのも、それが低い可能性ではなく事実だと知っていたからだ。

「最初から分かってた。エルシーの手前ちゃんと手順踏んで調査はしたけど、そんなことしなくてもほたるがしばらく家に帰れなくなるって知ってたんだ」

 そこまで言うと、ノエは視線を落とした。
 それはいつか私が大怪我をした時のような雰囲気で。それだけでノエがこのことを気にしているのだと分かって、私は場違いにも安堵を覚えた。
 ああ、だからだ――ノエに裏切られたと感じなかったのは。彼は確かに自分の親が誰かというのはずっと偽ってきたけれど、私への態度に嘘はなかったんだ。他の人達には申し訳ないけれど、私にはそれだけで十分だと思えてしまって。

「じゃあ、ソロモン達を殺したことを誰にも言うなっていうのは……」
「アイリスの子であると怪しまれないため。記憶を書き換えれば済むけど、その前に誰かに話されたら一気に話が広まるかもしれないから」

 以前ははぐらかされた問いの答えが、今は簡単に返ってくる。前に聞いた時に答えなかったのはアイリスの子であることを隠すためだったのだと分かったけれど、どうして今になって言う気になってくれたのかが分からない。

「なんで話してくれるの? 今までアイリスの子だって隠してたんでしょ?」
「……あれだけいろんなことがあったんだ、もうほたるはいつ自分で気付いたっておかしくなかったし」
「それじゃ理由にならないよ。だってノエなら私の記憶を書き換えられるでしょ?」

 今までの私はスヴァインの種子に守られていたけれど、発芽して完全に吸血鬼となった今はそうではない。私の吸血鬼の序列としては全体で二位、アイリスの子であるノエに操れないはずがないんだ。

「……無理でしょ」

 ノエは小さく呟いて、片手で目元を覆い隠した。それは目を隠したいというよりも頭を抱えるという表現の方が近い姿で、ノエの指の間でくすんだ青い髪がくしゃりと静かな音を立てる。

「どうして無理なの……? 何か、違うの?」
「……違わないよ、確かにできる。でも……俺が無理」
「なんで……」
「それをしたら……本当にほたるを裏切ることになる」

 その声は、消え入りそうなくらい小さかった。

「でも……他の人には、やってたんでしょ?」
「最初からそういう相手だと思ってたからな。それにほたるは、俺と話すために人間辞めてくれたんだろ? そこまでしてくれた相手にまでできるほど、俺も図太くないのよ」

 ノエは顔から手を離してへらりと笑ったけれど、いつもよりもずっと力がない笑顔だった。
 普段はノエが笑うと安心するはずなのに、その顔を見ていると胸が締め付けられる感覚がする。だって、ノエがこんなふうに笑わなきゃいけない理由が分かるから。

「私が吸血鬼になったから、だからノエにそんな苦しい顔をさせてるの……?」

 私がノエと向き合うために吸血鬼になったと言ってしまったから、それがノエの枷になってしまっているんじゃないか。
 私が問うと、ノエは「ほたるが泣きそうな顔しない」と言ってまた苦笑いを零す。そのまま少しの間視線を落としたかと思うと、「ほたるはさ」とぽつりと口を開いた。

「前に俺がお願いしたこと覚えてる?」
「お願い?」
「『俺の傍から離れないで』ってやつ。まだ守れる?」

 なんで今その話をするんだろう――疑問に思ったけれど、それを聞くのは今じゃない気がした。

「……うん、守れるよ」
「俺がスヴァインを殺すって言っても?」
「ッ……それ、は……理由による、と思う」

 突然の条件に一瞬固まってしまったけれど、咄嗟に出たこの言葉に嘘はない。
 固まってしまったのは、やっぱりノエが誰かを手に掛けるというのが嫌だからだ。さっき『スヴァインを殺せていれば』と言っていた気もするけれど、あれは済んだことだとどこかで思っていて。いくらスヴァインに自分の両親を殺されてしまったと言っても、じゃあどうぞ彼を殺して下さいとは言えなかった。

 それにノエが手を汚すというのも嫌だけれど、スヴァインに死んで欲しくないと思ってしまう私もいるのも否定しきれなかった。思い出の中のあの人が、私の憎しみの邪魔をするから。

「なんでノエがスヴァインを殺すの……?」

 無意識のうちにそう問いかけたのは、どちらの理由からだろう。分からなかったけれど、知りたいのには変わりない。
 ノエは私が尋ねると、ゆっくりと私に目を合わせた。

「それが俺の仕事だから」
「仕事っていうのは……ノストノクスの仕事じゃないよね……?」
「そうだよ。だからほたるのことも、俺の傍から離れたら殺さなきゃいけないかもしれない」
「どうして……」
「仲間割れを引き起こす火種を殺せ――俺が吸血鬼になった時、アイリスに命じられた役割だから」

 そう言って一つ大きな呼吸をしたノエは、俯きがちだった姿勢を直した。ノエが身体ごとこちらに向けてきたから、私も思わず姿勢を正す。ギシ、というベッドの軋む音が、何故か苦しく聞こえた。

「ほたるのことは、俺の手伝いってことにすればアイリスも多分気にしないと思う」

 ノエが私の目を見ながら確認するように話し出す。

「でもクラトス達がほたるを利用しようとしていたように、別の奴らだってそうするかもしれない。何を企んでいるにしろ、ほたるに耳触りのいい言葉を並べて自分達のために利用しようとするかもしれない。それを受け入れたらほたるは火種になる――火種は、消さなきゃいけない」

 彼の青い瞳に映る私は、泣きそうな顔をしていた。

「今までは……? 今までだって、私のせいで騒ぎが起きたのに……」
「アイリスは人間に興味はないよ。あくまで同胞の行動を管理したいだけ――種子持ちのほたるが騒ぎの原因になっても、悪いのは騒ぐ奴らだって考えだから」
「今は……?」
「今はもう、ほたるも同胞だよ」

 ああ、やっぱりそうなんだ。私のせいでノエがこんな苦しい顔をしているんだ。
 今まで私は吸血鬼じゃなかった。種子持ちで、ノクステルナで騒ぎを起こしたけれど、でも結局は人間で。
 ノエが殺せと命じられている範囲には入ってなかったから、彼が私を殺す理由はなかった。それなのに吸血鬼になってしまったから、ノエは私のことをその行動によっては殺さなくてはいけなくなってしまったんだ。私のことを操るのですら嫌だと言ってくれるノエにとってきっとそれも嫌なことなんだということは、彼の表情を見る限り私の自意識過剰ではないのだろう。

「じゃあ、スヴァインを殺すのは……? あの人も火種なの……?」
「奴のことは百年前の件を起こした時点で、見つけ次第殺せって言われてるんだよ。向こうも俺を殺したいはずだし、まァ近いうちにそういうことになるのは避けられない」
「なんでスヴァインがノエを……?」

 ノエがスヴァインに何かしただろうか。あの日私の家で会ったのが初対面なら、スヴァインがノエを殺したいほど憎むような理由はない。
 確かにスヴァインが私を殺す邪魔をしたけれど、そんなことくらいでノエのことまで殺したくなるとは思えなかった。

「スヴァインはアイリスを愛しているから。ラーシュとオッドを殺したのも、自分だけがアイリスに愛されるためだよ。それなのに俺みたいなのがいるって知ったら殺そうとしてきて当然だろ?」
「そんな理由で……?」

 理解ができない。スヴァインが何故ラーシュとオッドを殺したのか考えたことはなかった。なかったけれど、まさかそんな理由だとは思わなかった。
 だけど、そうかもしれないとも思ってしまう。
 スヴァインはあんなに大事にしていたお母さんを殺してしまった。それをなんてことのないように語った口振りは、人の命を奪うことが彼にとって大した意味を持っていないと思わせるもので。
 私が理解できないでいるのが分かったのか、ノエは「理由はそんなに気にしなくていいよ」と話を続けた。

「今のところ奴の中での優先順位は俺を殺すことが一番だと思う。だけど次はほたるかもしれない。今まではほたるの母さんに似てたから生かしていたって言ってたけど、今のほたるは父親に似ていて嫌だとも言ってただろ? ああいう奴の思考回路は予想できないから、ほたるに何をするか分からない。少なくとも、死んでも構わないって思ってるってことは確かだしな」
「スヴァインにとって、お母さんって……」
「確証はないけど、奴がほたるの母さんにこだわったのは、多分雰囲気がアイリスに似ていたからだと思う。俺もこの間ほたるの件で会いに行った時驚いたよ、アイリスが化けてるんじゃないかって一瞬本気で思ったくらい。見た目は全然別人だけどさ、だからこそほたると母さんの外見が似ていることは歓迎できたんじゃないかな。いつかほたるも母さんみたいにアイリスと似るんじゃないかって」
「……だったらなんでお母さんを殺すの。年を取って欲しくないみたいなこと言ってたけど、どうしてそんなのが殺す理由になるの」

 その言葉はノエに向けて言ったものではなかった。ノエもそれが分かったみたいで、何も言えなくなっているのが雰囲気で伝わってくる。言葉を探すように視線を彷徨わせているけれど、いくら探しても見つからないのは明らかだった。

「ノエは、スヴァインに会いに行くんだよね……?」
「まさか一緒に着いてくる気?」
「……うん。じゃないと分からないから。あの時はいろんなことが一気に起こりすぎて何も聞けなかったけど、今だったら聞けると思う」
「殺されるかもしれないのに?」
「その前にノエがどうにかしてくれるんでしょ?」

 無理矢理笑顔を作って言えば、ノエは「……ずるいな」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「できる限りのことはするよ。ただ正直、さっきクラトス達を殺さずに来ちゃったから、先に俺がアイリスに殺される可能性もあるけど」
「……なんでそうなるの?」

 今まで話していたことをまるでなかったかのようにしてしまいそうなノエの発言に顔を顰める。
 ノエはアイリスのために動いているのに、なんでそのノエが他でもないアイリスに殺されなきゃいけないんだろう。
 私の問いに、ノエは困ったような笑みを浮かべた。

「役割を果たせない奴は、アイリスにとって価値がないんだよ」

 そう在りたいと、ノエが言っているように聞こえたのは私の気のせいだろうか。
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