マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章

第67話 私に二人を追わせて

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 急に湧き上がったその嫌な予感は、全身を一気に蝕んでいった。

 ノエはなんで私にスヴァインと話す機会をくれなかったのだろう。なんでそれを直前まで教えてくれなかったのだろう。
 こんなのまるで、私が反論する隙すら与えないようにしているみたいじゃないか。

 私に反論されると困るの? そんなに聞き分けがないと思われているの?
 そこまで考えて、違和感に気付く。

 私が感じているこの嫌な不安は、に対するものじゃない。
 自分がスヴァインと話す機会を奪われたことを、不満に思うものじゃない。

 じゃあ、一体何に――答えを探すように、もう一度さっきの感覚を手繰り寄せる。
 ノエ達が消えた時に感じた、なんとも言えない不安。……いや、不安だけじゃない。

 これは恐怖だ。
 あの時と同じ――自分の家でお母さんの死を知った時と同じ、喪失への恐怖。それが胸の中いっぱいに膨らんで、行き場を失った恐怖が不安となって染み出している。
 そうと気付くと、恐怖は不安から焦燥感へと姿を変えた。

 まさか私はノエが失敗すると思ってるの……? ――失敗が意味するのは、彼の死。
 確かにそれは怖い。怖いけれど、
 思考を巡らせても漠然としたこの焦燥感の正体は全く掴めないのに、今すぐにでもノエ達を追いかけたいと思っていることだけは確かで。

「待って……待ってノエ……!」
「もう正気に戻っていたのか?」

 私の口から不安が零れ落ちると、後ろにいたクラトスが僅かに驚いたような声を上げる。それを聞いた私は咄嗟に振り返って、彼に詰め寄るようにその顔を見上げた。

「追わせて! ノエ達を追わせて!」
「急にどうしたんだ。それは奴の望みではないだろう」
「ノエの望み……?」

 一体何の話だろう。だってノエの望みなんてクラトスは知らないはずだ。前もって知らせる時間はなかったし、さっきここでした会話にもそんなものは含まれていなかった。

「ノエは私に君を預けた。ならば君に追ってきて欲しくないんだろう。そうでなければわざわざ枷までつけていかない」

 クラトスに言われて、初めてこの手枷の意味を考えた。てっきりクラトスを欺くためのものかと思っていたけれど、彼の言葉を聞く限りそうとは思えない。
 クラトスが自分の真意に気付くことを、ノエが想定していないとは思えない。

「これは……貴方達を安心させるためのものじゃないの……?」
「勿論、その意味もあるだろう。だがそもそも、奴にはそうまでして君を置いていく理由がない。君を私に預ける以外はな」
「でも……ノエは武器が欲しくて……」
「そんなもの奴には簡単に奪える。それをわざわざ交換条件などとしてきたのは、あの男なりの誠意だと私は受け取ったが」
「誠意……?」
「自分が戻るまで君の安全を確保しろ――奴が言いたかったのはそういうことだろう」

 じゃあなんで私がそれを知らないの?
 ノエが私に全部話せないのは知っている。それは私がいつスヴァインに乗っ取られるか分からないからで、私も納得していたこと。私の頭の中の情報がスヴァインに取られてしまったら困るから。
 だから、この先のことを知らないのは分かる。確実にスヴァインに勝つために何か仕掛けをしているのなら仕方のないことだ。
 でも、今は? なんで今こうしていることを私は知らされていなかったの?

 なんで私の腕には枷が付いているの?

「ッ……私、やっぱりノエのところに行く……!」

 私に枷をつけた理由が、クラトス達を安心させるため以外にもあるのなら。それはクラトスの言うとおり、私をここに留めておくためのものだ。

 でもそんなこと口で言えばいい。クラトス達と待っていろってちゃんと言ってくれれば、手枷なんてなくても私は待てたのに。

 それなのに言わなかったのは、スヴァインに知られないためじゃない。

「いきなりどうしたんだ」
「スヴァインは知ってた、私が動けないって……。それなのに何も気にせずに来た……それって、こうやってここにノエに呼ばれるのは、スヴァインにとって何の問題にもならないってことじゃないの……?」
「それはそうだろう。スヴァインにとって警戒に値するのはノエだけだ」

 ほら、やっぱり――頭に浮かんだ考えが正しいと分かったのに、安心するどころか不安が大きくなった。
 だってスヴァインに知られたところで何も変わらないと分かっていたのなら、前もってここで待てと私に言っても問題ないはずだ。それでも教えてくれなかった理由が、私には分からない。言ってくれればこんなに不安にはならなかったし、ノエだってきっとそれくらい分かっている。
 確かにノエは大事なことを言い忘れるけれど、私を安心させるための言葉を忘れるようなことは今までなかった。だからきっと、これは意図してやったこと。
 ねえ――。

 私をここに置いて、何をしようとしているの?

「待ちなさい!」

 駆け出そうとしたところを、クラトスに腕を捕まれ引き戻された。

「離して!」

 焦燥感が大きくなる。ノエはどうして何も言わずに私をここに置いていったの。どうして手枷をつけてまでクラトス達と待たせようとしているの。
 私がスヴァインと話したいって知っていたはずなのに、どうして……。

「ッ……!」

 分からないことが怖い。
 怖いから、確かめに行きたい――そんな心配することなんて何もないんだって。
 それをノエが望んでいないのだとしても、邪魔になるかもしれないと分かっていても、この恐怖を前にじっとしていることなんてできなかった。

 それなのにクラトスが私の腕を引く力が強すぎて抜け出せない。吸血鬼になっても男女の力の差は変わらないのだろうか、どれだけ力を込めても彼の腕から逃れられる気がしなかった。
 ならどうすればいい――考えたところで、ふと頭を過ぎる。

 そうだ、影になればいい。やり方は分からないけれど、影になっている間の感覚は分かる。どうにか身体をあの時の状態に持っていければ影になれて、クラトスの腕から抜け出せるかもしれない。

 思い出せ、思い出せ、あの感覚を――少し不快な、肉体が空気に溶けていく感覚を。

 少しずつ記憶が実感に変わっていく。身体の輪郭が、曖昧になる。

「やめなさい! 今影になっては――」
「ッあぁぁあああああ!!」

 クラトスの声が聞こえた瞬間、腕に感じたことのない痛みが走った。
 それは最初は手首だけだったはずなのに、腕を伝ってどんどん上へと上がっていく。
 痛い、熱い。こんなの知らない。
 状況が理解できなくて、痛みに引きずられるまま折角影に変わりかけていた身体が元に戻っていくのを感じた。

「言っただろう、我々を拘束する物には陽の光を吸わせた炎輝石が混ぜてある。この手枷も同じだ。……君が未熟で良かった。一瞬で身体を変えられるようになっていたら、全身に陽の光が紛れてしまっていたはずだ」

 後ろで拘束された腕がどんな状態かは分からなかったけれど、空気に触れるだけで突き刺すような痛みが肌を襲う。
 きっと酷いことになっているのだろう――痛みで強制的に冷静になったせいか、自分のことすら他人事のように感じた。

「可哀想に。これでは枷が当たるだけでも相当痛むだろう」

 そう言うと、クラトスは自分の服を引きちぎって私の腕に巻きつけていった。当たった場所が痛かったけれど、そのままよりかは幾分かマシな気がした。

「この怪我ばかりはすぐには治らない。陽の光に焼かれたのと同じだから、我々の再生能力の範疇外だ」
「……ノエは……なんでこんな物……」
「君は影になる方法を教えられていなかったんだろう? なら自力で影になることはないと思っていたのかもしれない。しかしこれは我々に危険な物だということくらいは、奴の口からもしっかりと教えておくべきだったのに」

 クラトスの声が怒っているのは、やはり私に死なれたら困るからだろうか。
 もしそうなら彼に私を預けたノエの判断は正解なんだと思う。死なれたら困るということは、私の安全を保証してくれるようなものだから。手枷をつけたのも影になるのを阻むというよりは、私が自力でここから逃げようとする邪魔をするためだったのだろう。
 でもやっぱり、なんでそんなことをするのかが分からない。私がスヴァインに操られたら邪魔になるから? それとも何か別の理由?
 理性ではノエの言うとおりにすべきだと分かっているのに、感情が追いつかない。

 ノエとスヴァインが消えた時に見せた、あの黒い風。吸血鬼達の最期と同じ、黒い煙のような身体の欠片。あれがなんだか、二人の死を連想させるようで。

「はは……って……」

 ごく自然と自分の頭の中に浮かんだ考えに、思わず乾いた笑いが零れた。
 スヴァインが死ぬのはしょうがないと思っていたじゃないか。私の本当の両親を殺したのだから、彼がノエの言う最小限の犠牲になっても仕方がないと思っていたじゃないか。

 ――なんて、上辺の想いだととうに知っていた。ずっと気付かないふりをしていただけ。考えないようにしていただけ。
 私がスヴァインと話したかったのは、お母さんを殺した理由を教えてもらうためでもあるけれど。何よりもう一度彼と、と話したかったからだ。
 だって私の記憶の中のお父さんはスヴァインで、そのスヴァインは私に優しくしてくれていた。お母さんに言われたからというだけかもしれない。だけど、そこに本当に何もなかったのか聞きたくて。

 あの人を、もう一度お父さんと呼びたくて。

 もしかしてノエは気付いていたのだろうか、私が本当はスヴァインの死を望んでいないって。だから私に見せないために、ここに置いていったのだろうか。

 ノエと二人で消えてしまったなら、次に会う時は絶対に一人は欠けているだろう。戻ってくるのがノエであってもスヴァインであっても、私にとっては大切な人を失うことになる。

 だからだ。私はノエを信じているのに、こんなにも焦っている理由。
 どちらにも死んで欲しくない。ノエの成功は信じられても、そこにスヴァインの死が含まれていると知っているから。

「クラトス――」

 ゆっくりと後ろを振り返る。クラトスが少し身構えたのが分かったけれど、いつもと変わらない私の目を見てその緊張が緩んだのを感じた。

「――お願いです。私に二人を追わせて」

 クラトスの瞳に映る私は、酷く情けない顔をしていた。
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