マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章

第66話 迎えに来てくれたら忘れてあげる

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 腕を拘束する何かの冷たさが、皮膚に突き刺さる。

『ほたるとそっちが持ってる武器一本、ちょっと交換してくんない?』

 この言葉のせいで身体が強張ってしまって。
 けれどそれはノエに対する不信じゃないとすぐに分かった。だって、すぐ後ろから感じるノエの気配に安心しているから。
 ノエに、また嫌なことをするかもしれないと言われていないから。

「正気か?」

 クラトスが訝しげにノエに尋ねる。
 まあ当然、そういう反応になるだろう。私だってノエが自分を裏切ろうとしているわけではないと信じているのに、状況が理解できないから何言ってんだこいつとは思っているし。
 確かに今回やることについて教えてもらえないこともあると事前に承諾していたけれど、それでもこの人大丈夫かなと全く不安に思っていないと言えば嘘になる。

「俺が正気じゃないことなんてあった?」

 しょっちゅう疑わしく思ってるよ、という言葉は飲み込んでおくことにした。ノエがどういう意図でクラトスにあんなことを言ったのか分からないのだ。私の態度一つでノエの思惑と変わってしまうだなんてことがあるかもしれない。
 幸い顔は勝手に強張っているので演技の必要はない。何故ならもし本当にクラトスに引き渡されてしまった場合のことを考えると、それだけで緊張するから。

「で、どうすんの? 交換してくれる?」

 ノエの顔は見えないけれど、いつもどおりのへらへらした顔なんだろうなということは声で分かる。あとは視界の端に見えるクラトスの嫌そうな表情でもそれはあっているのだろうと思えた。相手にこんな顔をされているのに態度を改めないって、ノエのメンタルは一体どうなっているんだろうな。
 クラトスは顔を顰めたまま、小さく「何が目的だ」とノエに問いかけた。

「ほたるを傍に置くリスクは承知してるんだろ? そういうことだよ」

 どういうことだよ、さっぱり分からないぞ。
 と、当人である私が思っているのにクラトスには伝わったらしい。クラトスは驚いたような顔をしてノエを見返していた。

「お前、まさか……」
「スヴァインにはほたるの目が必要だろ? んで俺には武器が必要。安心しろよ、巻き込まないように努力はするから」

 まだよく分からない。でもスヴァインに関係があるということだけはなんとか分かった。
 クラトスはといえばノエの言葉が想定どおりだったのか、納得したような表情をしている。しかしすぐに目を細めて、探るようにノエを睨みつけた。

「お前の目的は分かった。……だが、事が済んだらどうする?」

 ああ、これは気になるぞ。多分ノエがしようとしている何かが終わった後、私はどうなるかって話だもの。
 緊張感を漂わせているクラトスの言葉に、ノエはあっけらかんと「もう一回何かと交換して」と返した。人を物みたいに言わないで欲しい。

「応じるとでも?」

 クラトスが視線を強くする。

「応じさせられないとでも?」

 ノエがおかしそうに笑う。
 確かにノエは序列第一位、三位のクラトスではノエに逆らえない。ノエが言うにはクラトスは彼の本当の序列が違うと確信しているらしいし、そもそもクラトス本人だって、実はノエはスヴァインの子なのではという考えを持っていたのだ。まあスヴァインの子云々は間違っているのだけれど、自分より序列が上だということは疑っていないだろう。
 その証拠にクラトスは更に眉間の皺を深くして考えるような顔をしたかと思うと、少ししてから物凄く長い溜息を吐いた。

「いいように使ってくれるつもりらしいな」
「そんなことしないって。頼んでるんだよ」
「お前からの頼み事は成立しないと知っているだろう」
「成立してるよ。だってアンタは自主的にこの交換を承諾してくれるんだから」

 ノエが言うと、クラトスはまた大きな溜息を吐いて後ろを向いた。そこにいたのは彼の仲間達で、どうやら事情を説明しているらしい。見たことのある人もいるけれど、日本語を理解できる人はそう多くなかったようで、クラトスが説明し始めると驚いたような声がいくつも上がった。けれど段々とそれは収まっていき、元の落ち着きを取り戻す。
 クラトスは話が終わったのかこちらに向き直ると、自分が背負っていた槍を投げてノエの隣に突き刺した。

「お、クラトス様が貸してくれんの?」
「白々しい呼び方をするな。……私が持っているよりも、オッド様の敵討ちが叶いそうだ」
「えー、勝手にそういうの期待しないでくれない? 俺は別にそんなつもりないんだけど」
「無駄口を叩いている暇があったら、さっさと神納木ほたるをこちらに寄越せ」
「はいはい。急かすのはいいけど後で返し渋るなよ」

 クラトスに答えながらノエが私の背中を押す。その手は思っていたとおり、とても優しかった。

「大丈夫だよ、後で迎えに行くから」
「来なかったら髪の毛毟ってやる」
「ねぇ、それハマったの? そんな物騒な言葉忘れなさい」
「迎えに来てくれたら忘れてあげる」

 ゆっくりと歩を進めて、クラトスの元に辿り着く。けれどこの後はどうしたらいいか分からないので窺うようにクラトスへと視線を向ければ、「悪いがしばらくはノエの方を向いていてくれないか」と言われ首を傾げた。

「目の仕事が終わったら、ほたるの目は隠していいから」

 クラトスの投げた槍を拾いながらノエが言う。私はよく分かっていないけれど、クラトスが分かっていそうなのでまあいいだろう。「勿論そのつもりだ」だなんて言っているし。

「そう時間はかからないと思うけど、暇だし何かゲームでもする?」
「子供のおふざけに付き合うつもりはない」
「うわ、子供だって。既に付き合わされてるんだからいいじゃん」
「……何故お前が序列上位なんだ」

 背中からクラトスの疲れたような声が聞こえる。私は正直彼のことは好きではないけれど、なんだか今は同情してしまった。前まではノエがいくらふざけた態度を取っても、序列上自分の方が上だから納得できていた部分もあるんだろう。けれどそれがなくなってしまった今、ノエはただただ腹立たしい存在でしかないはずだ。

 だからノエとクラトスの会話も弾むわけもなく、沈黙が続いた。
 今は何のための時間なんだろう。クラトス達をここに連れてくるのはもう成功しているから、次はきっとスヴァインを誘き寄せたいはずだ。でもノエが何かをしている様子はなく、ただ静かにその場に立っているだけ。クラトスにそう時間はかからないと言っていたからきっと何かを待っているのだとは思うものの、一体何を待っているのかが分からない。
 そんな私の気持ちを察したのか、ノエは私を見て時折安心させるように笑いかけてくれた。ならまあ、気にしなくていいのかな。私に言えないこともあるのは分かっているから。ただノエが表情を変えるたびに後ろの人達が身構えるのは、やはり彼が何をしたいのか分からないから不安があるのだろう。

 そうやって、五分ほど経った頃。急に私の身体は動かなくなった。

 まずい――頭の中が一気に冷えていく。
 自分の身体が自分のものじゃないようなこの感覚。つい先日知ったばかりのそれに焦燥感が押し寄せた。ノエにどうにか伝えたいのに、表情すら自分の意思で変えられないから伝えられない。
 けれど勝手にノエの方を見た私の視界に映ったのは、満足そうに笑う彼の姿。そして――。

「『見つけた』」

 私の口から、私のものではない言葉が出た。
 けれどノエは驚くことなく、「早く来いよ」と笑みを深める。それはきっと、私には言っていない。

 じゃあ誰に――答えが浮かぶと同時に、黒い風が吹いた。その風はノエと私の間で不自然に留まり、勢いを弱めながら人影を作っていく。
 ほんの一瞬の出来事だった。風が完全に収まると現れたのは、見覚えのある後ろ姿。手には吸血鬼達の武器である三叉の槍が握られていて、それがノエの命を奪うためのものだと分かるのに。
 ノエもまた、その命を奪おうとしているのだと受け入れていたはずなのに。

 どういうわけか、目の前の背中に胸が締め付けられた。

「おとうさ――……ッ」

 思いがけず声が出て驚いたけれど、誰も私の声には注目していなかった。

 後ろから口々にその名を呼ぶのが聞こえる。それは驚きと怒りの混ざった声。クラトスが一言何かを言えば、すっと収まる。
 けれど私の前にいる二人は、そんな周りの反応など全く気にした様子がなかった。

「やっぱり来たな、スヴァイン」
「当然だ。お前の存在は腹立たしいからな」
「うっわ、完全に嫉妬じゃん。こじらせてる奴は嫌だな、本当」

 へらりと笑ったノエは、僅かに視線を鋭くした。

「折角だから場所変えない?」
「何故俺がお前の要望を聞く必要がある?」
「要望じゃなくて提案だよ。向こうにもっといい場所がある――アンタがラーシュとオッドを殺した場所だ」

 ノエの言葉に、私の背後から驚いたような声が上がった。多分彼らも気付いたのだ――ノエが、スヴァインを殺そうとしていると。

「そこを選ぶという意味が分かっているのか?」
「勿論。アンタからすれば俺も奴らと同じだろ? 今アイリスの傍にいるのは奴らでもアンタでもない、俺だよ」
「……まあいい。子供には寛容であるべきだ」
「そりゃどーも。んじゃ行こうか」

 ノエが槍を肩に乗せ、スヴァインに笑いかける。けれど思い出したように私の方を見ると、「そうだ、ほたる」と申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ほたるがスヴァインに聞きたいこと、俺が代わりに聞いておくから。自分でやらせてやれなくてごめんな」
「え……?」

 突然の言葉に、一瞬理解が遅れる。けれどそれが何を指すかはすぐに思い出せた。
 ノエが言っているのは、私が彼と一緒にノクステルナに戻ってきた理由だ。私はお母さんのことをスヴァインに聞くために、ノエと一緒にここに来たのだ。そしてノエもそのことは了承していたはず。

 それなのに、こんな直前で覆すなんて――ノエの意図を考えるより先に、言い知れない不安が胸の中に沸き起こる。
 それが一体何に対する不安かも分からないまま、黒い風とともに視界の中にいた二人の姿が消えた。残ったのは、巻き上げられた砂埃だけ。

「――……ノエ?」

 不安は、嫌な予感へと変わっていた。
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