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最終章
第71話 ここにいるだろう
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「ノエに……何をしたの……!?」
咄嗟に目元を覆う手を引き剥がしてスヴァインを睨みつける。そうして見えた元の色に戻った瞳が、もうノエに何かし終わった後なのだと嘲笑ってくる気がした。
私の身体を支えるノエには、まだ変化はない。けれどそれは何もされていない証拠にはならない。今までノエが言っていたことから考えると、きっと命令は事前に仕込めるから。本人が無自覚でも、ある時突然その命令が有効にされる場合もあるから。
沸々と腹の底から怒りが湧き上がる。彼を直接傷付けられた時よりもずっと大きな怒りが、身体を熱くする。
スヴァインが今ノエにしたのは、きっと彼の意思を無視するものだ。相手の望みと一致した命令だなんて言っても、それが本人の意思と同じだなんて確証はない。
第一もし本当にノエにとって良いものなのであれば、自分に何をしたのかと問いかける声に緊張が滲んでいるはずがないんだ。
もしかしたらノエまで私のように操られて、嫌なことをさせられるかもしれない――そう思うと、怒りを抑えられるはずもなかった。
「他人のことだろう。お前には関係ないはずだ」
「ある! アンタのやったことのせいでノエが嫌な想いをするなら、私はそんなの見ていたくない!」
「嫌なら目を逸らせばいい」
「馬鹿じゃないの!? 大事な人のことで見ないふりなんてできるわけないじゃん! そんなことができるなら、その人はアンタにとって大事じゃない! 大事だと思ってる自分が大事なだけだ!!」
肩で呼吸しながらスヴァインを睨みつける。大声を出したせいで頭がガンガンしたけれど、それすら気にならないくらいの激情が身体の中を駆け巡っていた。
ああもう、腹が立って仕方がない。いつかお母さんを悲しませるお父さんを殴りたいと思ったことがあったけれど、今はあの時よりもずっとずっと目の前にいるスヴァインを殴り飛ばしてやりたい。
それができないのは、太腿を貫く槍のせい。
三叉の槍が縦に貫いた傷は、今は直接触れている柄の部分以外ほとんど塞がっていた。以前ノエから聞いたように、影になればこの槍から逃れられるのかもしれない。でも今の私の両手首には炎輝石の混ざった手枷がついてるから、影になったらきっとクラトスの言うように死んでしまう。
だから方法は一つしかない。
ノエの腕から抜け出して、両手でしっかりと脚に刺さる槍の柄を握る。私が何をするのか気付いたノエが「やめろ!」と慌てたような声を上げたけれど、やめろと言われてやめるくらいなら、そもそもやろうとすら思わない。
息を大きく吸って、腕に力を込める。
「いッ……あぁぁあああああぁああああ!!」
深く地面に刺さっていた部分が抜けると、はずみで槍が裏腿から勢い良く皮膚を抉った。
ぶちぶちと肉の千切れる音がする。身体を伝って全身に響くその音と感覚に、思わず手を止めそうになる。
痛い、嫌だ。こんなことしたくない、もうやめたい。
――でも、ここでやめたら全部無駄になる。
力を振り絞って、槍を握った腕を思い切り上へと上げた。そうして顕になった槍のもう一つの先。血塗れのそれには、恐らく脚の中にあったであろうものが糸を引くようについていて。
怖い。
見たことのない光景に、自分の身体の一部と分かっていても恐怖で顔が引き攣る。胃の中の熱が、喉の奥まで込み上げる。
「もう動かすな!」
緊張を孕んだノエの声に思わず動きを止めれば、彼の右手が槍についたものを丁寧に取り払い始めた。槍を引き抜いた時よりも小さい痛みが断続的に私の声を押し留めて、なんでこんなことをするんだろうという疑問が口に出せない。
「少し押すよ」
「ッ――!?」
槍についていたものを押し込むように、ノエの手が私の脚を強く押す。再び襲った激痛に冷や汗がどっと溢れ出してきて、彼の手が離れた時には頭の中がクラクラしていた。
「なんでこんな馬鹿なこと……」
ノエの声を聞きながら、私は自分の感覚が元に戻っていくのを待った。揺れていた視界はすぐに平衡感覚を取り戻して、頭と脚からの鋭い痛みが私の背中を押す。
「ごめん」
ノエの顔を見ないように謝って、私はスヴァインへと視線を移した。
だってきっとノエは辛そうな顔をしているんだろう。そんなものを見てしまったら、この怒りは溶けて消えてしまう。
でもまだ、この気持ちは持っていたい。
ひりひりと痛む腕に力を込めて、引き抜いたばかりの槍を握り直す。未だ激痛の走る脚を引きずりながら、それでもスヴァインの元に駆け出した。
「ほたる!?」
ノエの驚いたような声が聞こえる。けれど視線はスヴァインから動かさない。
そのまま思い切り高く上げた槍を、怒りのままにスヴァインへと振り下ろした。
「――ッ……なんで……!?」
槍の切っ先が、スヴァインに届くことはなかった。
突然、身体が動かなくなったから。槍の先が彼に触れる直前で固まってしまうのだ。
何か壁があるとかそんな感覚ではなくて、私の身体が、それ以上進むなと私の意思を拒む。
「序列は覆せない」
一部始終を表情一つ変えずに見ていたスヴァインが私に告げる。
そうだ、序列……。怒りで忘れていたけれど、吸血鬼は序列に縛られている。ノエだって言っていたじゃないか。序列を逸脱する行為は本能が避けるって。
「でも……殺そうとしたわけじゃない……!」
「殺意はそんな単純なものじゃない。命あるものと認識している相手を傷付けたいという衝動は、殺意と大して変わらない。特に怒りで動いている時はな」
「そんなこと……!」
ない、と言い切れるだろうか。ふと考えて分からなくなった。
人間の法律でも、相手が死ぬかもしれないと思った上でやった行為は殺意があったと見做される時がある。私の今の行動は、殺意がなかったと否定できるだろうか。吸血鬼すら死に至らしめることができる道具を使って相手を傷つけようとした行為は、違うと言い切れるだろうか。
思考に沈めば、固まっていた身体が動くようになった。同時にカランと音を立てて手から槍が落ちる。
それが自分の行動に含まれていた気持ちを示すようで、全身をぞっと寒気が襲った。
「良かったな、序列に助けられて」
「え……?」
「序列を無視して上位の者を殺す方法はある。だが、親に対してはすべきじゃない」
そう言うと、スヴァインはノエに視線を移した。
「お前は知らないようだが、親殺しは禁忌――たとえ成し遂げても、その後すぐに親を殺した子も死に至る」
「は……?」
信じられないとでも言いたげな声に目を向ければ、ノエが顔を歪めているのが分かった。
「通常親子関係にあるものにしかそれは適用されないが、アイリスは例外。たとえ直接の子である俺やお前でなくとも、アイリスを殺せば誰であろうと命を落とす――お前は生き残れる気でいたみたいだが、あの人を殺して腕一本で済むわけがないだろう」
淡々と語るスヴァインの目が、剣呑な色を滲ませる。それはさっきノエがアイリスを殺そうとしていると気付いた時に見せた、暗く淀んだ感情。
「だが俺からアイリスを奪うのに、死んで終わりなんて許せるはずもない。奪おうと考えていたことにすら腸が煮えくり返る」
怒りを帯びたスヴァインの顔が、醜く歪んでいく。
「お前にアイリスは奪わせない。お前なんかが、あの人を終わらせていいはずがない。あの人が抱いた憂いや悲しみ全てを、ろくに事情も知らないお前があの人ごと消し去るなんて許せない。――もう誰にも、あの人は渡さない。あの人を終わらせていいのは、俺だけだ」
それは怒りと憎しみに満ちた声だった。聞いているだけで身体中に鳥肌が立つような、酷く暗い声。
そう感じるのはきっと、すぐ近くにいるせいだけじゃない。彼から発せられる黒い感情が、まるでその場の空気を飲み込んでしまうようで。
怖い、と思った。ここから逃げ出したくなるほどに。……だけど。
怖いはずなのに、それだけじゃない気がした。
彼の言葉にはどういうわけか、暗い感情以外にも含まれているように感じられてしまったから。
「スヴァイン……あなたもしかして……」
アイリスのために生きてるの?
浮かんだ言葉は口には出さなかったのに、スヴァインは黙れというように私を睨みつけた。ああ、この人は――。
スヴァインがアイリスを愛していることなんて知っていた。ノエからもそう聞いていたし、お母さんを代わりにするくらいなんだからそういうものなんだろうと思っていた。
その上で、自分にとって邪魔だったラーシュとオッドを殺してしまったのだと。そのせいで近くにいられなくなったから、お母さんをアイリスの代わりに見立て、今アイリスの近くにいるノエを殺そうとしているのだと。
そう、思っていたのに。
自分からアイリスを奪うな。お前なんかがアイリスを殺すな。
自分勝手としか思えなかったそれらの言葉が、全く違うように聞こえる。
『あの人が抱いた憂いや悲しみ全てを、ろくに事情も知らないお前があの人ごと消し去るなんて許せない』
もしかしてスヴァインは、アイリスの憂いを払いたかったんじゃないか。だから長年その原因となっていたラーシュとオッドを殺したんじゃないか――そんな考えが、頭に浮かぶ。
ねえ。アイリスのために、彼らを殺したの……?
自分じゃなくてアイリスのために、ノエのことも殺すの?
視線で訴えかければ、スヴァインの目が鋭くなる。
伝わっている確証なんてないのに、ああそうなんだと、胸にすとんと落ちてきて。
「――アイリス!!」
気付けば、声を張り上げてその名を呼んでいた。
「どうせ何処かで見てるんでしょ!? どうせ全部聞いてるんでしょ!? 隠れてないで出てきなよ! 何もせずに逃げ回ってないで、ちゃんと近くで全部受け止めてよ!!」
荒野に私の声が虚しく響く。スヴァインは不快そうに顔を顰め、ノエは呆気に取られたように目を丸めていた。
それくらい、自分が馬鹿なことをしているんだって考えなくても分かる。これだけ叫んだところでアイリスが本当に見ているかも分からないし、聞こえていたとしても向こうが出てきてくれるとは思えない。
第一、ここで本当にアイリスが来てしまったら困るのは私達だ。スヴァインは簡単に逃げられるだろうけれど、私とノエはそうはいかない。私は勿論、ノエだって大怪我をしているせいで影になれるか分からないから。
逃げられなければ、ノエはクラトス達を殺せと言われてしまう。もしかしたら私のことも――今の私の行動はノエがしようとしていたことを全て無駄にしてしまうと分かるのに。こんなことをしてはいけないと分かるのに。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
だってなんだか凄く悔しいから。ノエも私も必死で色々考えているのに、スヴァインでさえもアイリスのことを考えているのに、元凶となっているアイリス本人が何もしないなんて。ずっと、ただ見ているだけなんて。
風が虚しく私の髪を揺らす。私達を前後から挟むように立っている大きな二つの墓標が、滑稽だと私を見ている。
だんだんと弱まってきた脚の痛みは、それだけ時間が経っている証。気付けば頭痛も随分と軽くなっていた。なくなっていく痛みは、まるで最初から何事もなかったのだと言ってくるようで。
ああ、やっぱり意味なかったのかな。近くで見ているだなんて私の思い込みで、実際はここで起きていることを全く気にしてすらいないのかもしれない――そう諦めかけた時、強い風が頬を吹き付けた。
咄嗟に顔を上げたのは、それまでとは全く違う風だったから。黒い、風だったから。
「――……ラミア様?」
黒い風を辿れば、私達の横、少し離れたところにラミア様が立っていた。「小娘が何のようだ」、小さく呟いたのはスヴァイン。ノエは驚いたように表情を固めてラミア様を見ている。
一体何しに来たんだろう。もしかしたらノエが呼んでいた? それともどこかで様子を見ていて、私の声を聞いて来てくれた?
分からないけれど、もし私の言葉に反応してくれたのなら私の知りたいことを知っているかもしれない。知っているから、教えに来てくれたのかもしれない。
「ラミア様! ラミア様は……アイリスの居場所を知っていますか?」
私の問いに、ラミア様が「まあな」と笑みを浮かべる。それに思わず彼女の方へと駆け出そうとすれば、ノエが焦ったように「よせ、ほたる!」と声を上げた。
「ノエ?」
なんで止めるんだろう。不思議に思ってノエに視線を移せば、険しい顔でこちらを見ているのが目に入る。
「取って食いやしないさ」
ラミア様は私達を見ながらおかしそうに笑う。けれどノエの表情は、固いままで。
「アイリスに会いたいんだろう?」
「ッそうです! どこにいるか知ってるなら教えて下さい!」
私が言うと、ラミア様が笑みを深める。
「ここにいるだろう」
そう言って、彼女の瞳が紫色に染まった。
咄嗟に目元を覆う手を引き剥がしてスヴァインを睨みつける。そうして見えた元の色に戻った瞳が、もうノエに何かし終わった後なのだと嘲笑ってくる気がした。
私の身体を支えるノエには、まだ変化はない。けれどそれは何もされていない証拠にはならない。今までノエが言っていたことから考えると、きっと命令は事前に仕込めるから。本人が無自覚でも、ある時突然その命令が有効にされる場合もあるから。
沸々と腹の底から怒りが湧き上がる。彼を直接傷付けられた時よりもずっと大きな怒りが、身体を熱くする。
スヴァインが今ノエにしたのは、きっと彼の意思を無視するものだ。相手の望みと一致した命令だなんて言っても、それが本人の意思と同じだなんて確証はない。
第一もし本当にノエにとって良いものなのであれば、自分に何をしたのかと問いかける声に緊張が滲んでいるはずがないんだ。
もしかしたらノエまで私のように操られて、嫌なことをさせられるかもしれない――そう思うと、怒りを抑えられるはずもなかった。
「他人のことだろう。お前には関係ないはずだ」
「ある! アンタのやったことのせいでノエが嫌な想いをするなら、私はそんなの見ていたくない!」
「嫌なら目を逸らせばいい」
「馬鹿じゃないの!? 大事な人のことで見ないふりなんてできるわけないじゃん! そんなことができるなら、その人はアンタにとって大事じゃない! 大事だと思ってる自分が大事なだけだ!!」
肩で呼吸しながらスヴァインを睨みつける。大声を出したせいで頭がガンガンしたけれど、それすら気にならないくらいの激情が身体の中を駆け巡っていた。
ああもう、腹が立って仕方がない。いつかお母さんを悲しませるお父さんを殴りたいと思ったことがあったけれど、今はあの時よりもずっとずっと目の前にいるスヴァインを殴り飛ばしてやりたい。
それができないのは、太腿を貫く槍のせい。
三叉の槍が縦に貫いた傷は、今は直接触れている柄の部分以外ほとんど塞がっていた。以前ノエから聞いたように、影になればこの槍から逃れられるのかもしれない。でも今の私の両手首には炎輝石の混ざった手枷がついてるから、影になったらきっとクラトスの言うように死んでしまう。
だから方法は一つしかない。
ノエの腕から抜け出して、両手でしっかりと脚に刺さる槍の柄を握る。私が何をするのか気付いたノエが「やめろ!」と慌てたような声を上げたけれど、やめろと言われてやめるくらいなら、そもそもやろうとすら思わない。
息を大きく吸って、腕に力を込める。
「いッ……あぁぁあああああぁああああ!!」
深く地面に刺さっていた部分が抜けると、はずみで槍が裏腿から勢い良く皮膚を抉った。
ぶちぶちと肉の千切れる音がする。身体を伝って全身に響くその音と感覚に、思わず手を止めそうになる。
痛い、嫌だ。こんなことしたくない、もうやめたい。
――でも、ここでやめたら全部無駄になる。
力を振り絞って、槍を握った腕を思い切り上へと上げた。そうして顕になった槍のもう一つの先。血塗れのそれには、恐らく脚の中にあったであろうものが糸を引くようについていて。
怖い。
見たことのない光景に、自分の身体の一部と分かっていても恐怖で顔が引き攣る。胃の中の熱が、喉の奥まで込み上げる。
「もう動かすな!」
緊張を孕んだノエの声に思わず動きを止めれば、彼の右手が槍についたものを丁寧に取り払い始めた。槍を引き抜いた時よりも小さい痛みが断続的に私の声を押し留めて、なんでこんなことをするんだろうという疑問が口に出せない。
「少し押すよ」
「ッ――!?」
槍についていたものを押し込むように、ノエの手が私の脚を強く押す。再び襲った激痛に冷や汗がどっと溢れ出してきて、彼の手が離れた時には頭の中がクラクラしていた。
「なんでこんな馬鹿なこと……」
ノエの声を聞きながら、私は自分の感覚が元に戻っていくのを待った。揺れていた視界はすぐに平衡感覚を取り戻して、頭と脚からの鋭い痛みが私の背中を押す。
「ごめん」
ノエの顔を見ないように謝って、私はスヴァインへと視線を移した。
だってきっとノエは辛そうな顔をしているんだろう。そんなものを見てしまったら、この怒りは溶けて消えてしまう。
でもまだ、この気持ちは持っていたい。
ひりひりと痛む腕に力を込めて、引き抜いたばかりの槍を握り直す。未だ激痛の走る脚を引きずりながら、それでもスヴァインの元に駆け出した。
「ほたる!?」
ノエの驚いたような声が聞こえる。けれど視線はスヴァインから動かさない。
そのまま思い切り高く上げた槍を、怒りのままにスヴァインへと振り下ろした。
「――ッ……なんで……!?」
槍の切っ先が、スヴァインに届くことはなかった。
突然、身体が動かなくなったから。槍の先が彼に触れる直前で固まってしまうのだ。
何か壁があるとかそんな感覚ではなくて、私の身体が、それ以上進むなと私の意思を拒む。
「序列は覆せない」
一部始終を表情一つ変えずに見ていたスヴァインが私に告げる。
そうだ、序列……。怒りで忘れていたけれど、吸血鬼は序列に縛られている。ノエだって言っていたじゃないか。序列を逸脱する行為は本能が避けるって。
「でも……殺そうとしたわけじゃない……!」
「殺意はそんな単純なものじゃない。命あるものと認識している相手を傷付けたいという衝動は、殺意と大して変わらない。特に怒りで動いている時はな」
「そんなこと……!」
ない、と言い切れるだろうか。ふと考えて分からなくなった。
人間の法律でも、相手が死ぬかもしれないと思った上でやった行為は殺意があったと見做される時がある。私の今の行動は、殺意がなかったと否定できるだろうか。吸血鬼すら死に至らしめることができる道具を使って相手を傷つけようとした行為は、違うと言い切れるだろうか。
思考に沈めば、固まっていた身体が動くようになった。同時にカランと音を立てて手から槍が落ちる。
それが自分の行動に含まれていた気持ちを示すようで、全身をぞっと寒気が襲った。
「良かったな、序列に助けられて」
「え……?」
「序列を無視して上位の者を殺す方法はある。だが、親に対してはすべきじゃない」
そう言うと、スヴァインはノエに視線を移した。
「お前は知らないようだが、親殺しは禁忌――たとえ成し遂げても、その後すぐに親を殺した子も死に至る」
「は……?」
信じられないとでも言いたげな声に目を向ければ、ノエが顔を歪めているのが分かった。
「通常親子関係にあるものにしかそれは適用されないが、アイリスは例外。たとえ直接の子である俺やお前でなくとも、アイリスを殺せば誰であろうと命を落とす――お前は生き残れる気でいたみたいだが、あの人を殺して腕一本で済むわけがないだろう」
淡々と語るスヴァインの目が、剣呑な色を滲ませる。それはさっきノエがアイリスを殺そうとしていると気付いた時に見せた、暗く淀んだ感情。
「だが俺からアイリスを奪うのに、死んで終わりなんて許せるはずもない。奪おうと考えていたことにすら腸が煮えくり返る」
怒りを帯びたスヴァインの顔が、醜く歪んでいく。
「お前にアイリスは奪わせない。お前なんかが、あの人を終わらせていいはずがない。あの人が抱いた憂いや悲しみ全てを、ろくに事情も知らないお前があの人ごと消し去るなんて許せない。――もう誰にも、あの人は渡さない。あの人を終わらせていいのは、俺だけだ」
それは怒りと憎しみに満ちた声だった。聞いているだけで身体中に鳥肌が立つような、酷く暗い声。
そう感じるのはきっと、すぐ近くにいるせいだけじゃない。彼から発せられる黒い感情が、まるでその場の空気を飲み込んでしまうようで。
怖い、と思った。ここから逃げ出したくなるほどに。……だけど。
怖いはずなのに、それだけじゃない気がした。
彼の言葉にはどういうわけか、暗い感情以外にも含まれているように感じられてしまったから。
「スヴァイン……あなたもしかして……」
アイリスのために生きてるの?
浮かんだ言葉は口には出さなかったのに、スヴァインは黙れというように私を睨みつけた。ああ、この人は――。
スヴァインがアイリスを愛していることなんて知っていた。ノエからもそう聞いていたし、お母さんを代わりにするくらいなんだからそういうものなんだろうと思っていた。
その上で、自分にとって邪魔だったラーシュとオッドを殺してしまったのだと。そのせいで近くにいられなくなったから、お母さんをアイリスの代わりに見立て、今アイリスの近くにいるノエを殺そうとしているのだと。
そう、思っていたのに。
自分からアイリスを奪うな。お前なんかがアイリスを殺すな。
自分勝手としか思えなかったそれらの言葉が、全く違うように聞こえる。
『あの人が抱いた憂いや悲しみ全てを、ろくに事情も知らないお前があの人ごと消し去るなんて許せない』
もしかしてスヴァインは、アイリスの憂いを払いたかったんじゃないか。だから長年その原因となっていたラーシュとオッドを殺したんじゃないか――そんな考えが、頭に浮かぶ。
ねえ。アイリスのために、彼らを殺したの……?
自分じゃなくてアイリスのために、ノエのことも殺すの?
視線で訴えかければ、スヴァインの目が鋭くなる。
伝わっている確証なんてないのに、ああそうなんだと、胸にすとんと落ちてきて。
「――アイリス!!」
気付けば、声を張り上げてその名を呼んでいた。
「どうせ何処かで見てるんでしょ!? どうせ全部聞いてるんでしょ!? 隠れてないで出てきなよ! 何もせずに逃げ回ってないで、ちゃんと近くで全部受け止めてよ!!」
荒野に私の声が虚しく響く。スヴァインは不快そうに顔を顰め、ノエは呆気に取られたように目を丸めていた。
それくらい、自分が馬鹿なことをしているんだって考えなくても分かる。これだけ叫んだところでアイリスが本当に見ているかも分からないし、聞こえていたとしても向こうが出てきてくれるとは思えない。
第一、ここで本当にアイリスが来てしまったら困るのは私達だ。スヴァインは簡単に逃げられるだろうけれど、私とノエはそうはいかない。私は勿論、ノエだって大怪我をしているせいで影になれるか分からないから。
逃げられなければ、ノエはクラトス達を殺せと言われてしまう。もしかしたら私のことも――今の私の行動はノエがしようとしていたことを全て無駄にしてしまうと分かるのに。こんなことをしてはいけないと分かるのに。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
だってなんだか凄く悔しいから。ノエも私も必死で色々考えているのに、スヴァインでさえもアイリスのことを考えているのに、元凶となっているアイリス本人が何もしないなんて。ずっと、ただ見ているだけなんて。
風が虚しく私の髪を揺らす。私達を前後から挟むように立っている大きな二つの墓標が、滑稽だと私を見ている。
だんだんと弱まってきた脚の痛みは、それだけ時間が経っている証。気付けば頭痛も随分と軽くなっていた。なくなっていく痛みは、まるで最初から何事もなかったのだと言ってくるようで。
ああ、やっぱり意味なかったのかな。近くで見ているだなんて私の思い込みで、実際はここで起きていることを全く気にしてすらいないのかもしれない――そう諦めかけた時、強い風が頬を吹き付けた。
咄嗟に顔を上げたのは、それまでとは全く違う風だったから。黒い、風だったから。
「――……ラミア様?」
黒い風を辿れば、私達の横、少し離れたところにラミア様が立っていた。「小娘が何のようだ」、小さく呟いたのはスヴァイン。ノエは驚いたように表情を固めてラミア様を見ている。
一体何しに来たんだろう。もしかしたらノエが呼んでいた? それともどこかで様子を見ていて、私の声を聞いて来てくれた?
分からないけれど、もし私の言葉に反応してくれたのなら私の知りたいことを知っているかもしれない。知っているから、教えに来てくれたのかもしれない。
「ラミア様! ラミア様は……アイリスの居場所を知っていますか?」
私の問いに、ラミア様が「まあな」と笑みを浮かべる。それに思わず彼女の方へと駆け出そうとすれば、ノエが焦ったように「よせ、ほたる!」と声を上げた。
「ノエ?」
なんで止めるんだろう。不思議に思ってノエに視線を移せば、険しい顔でこちらを見ているのが目に入る。
「取って食いやしないさ」
ラミア様は私達を見ながらおかしそうに笑う。けれどノエの表情は、固いままで。
「アイリスに会いたいんだろう?」
「ッそうです! どこにいるか知ってるなら教えて下さい!」
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