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新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章 転がり落ちていく先は

【第十四話 選択】14-3 ッ……そんなの嫌だ

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 真っ白な廊下をとことこ歩く。不慣れな匂い、働く人々。たまにはこんなのもいいなぁと思いながら何度か曲がって目的の場所まで迷わず来ると、私は目の前の引き戸をぐんと開いた。

「やあやあキョンキョン、お元気かい?」

 私がいつもの調子で声をかければ、そこにいたキョウは驚いたように目を丸めた。
 「アンタ……なんで……」、驚愕のまま彼の口から零れ落ちた疑問。私はそれに答えずにずいずいと室内を進んで近くにあった椅子を引っ掴む。そして窓を背にするようにキョウの隣に置いて、ふうとゆっくり腰掛けた。

「ここは病院だよ、キョン吉郎。そんな場所に健康優良児一葉ちゃんがやってくる理由なんてお見舞いしかないでしょ? あ、お花をどうぞ」
「あ、ああ、悪い……――ッそうじゃなくて! 真っ昼間だぞ!? なのに……」

 ちらりと窓の外を見たキョウは信じられないとでも言いたげな表情で私に食いかかった。でもそんなに大声出していいのかな。いくら個室って言ったって看護師さんに怒られちゃうと思うぞ。

「そりゃお見舞いだもん。病院の面会受付は日中だけでしょ?」
「だからそういう問題じゃなくて……カーテンだって閉めなくていいのか!?」
「やだキョンキョン、可愛い一葉ちゃんと密室でカーテン閉めて何がしたいの……?」
「ああもうクソ――ッってェ!!」
「暴れるからだよ、怪我人」

 勢い良く右手で顔を覆おうとしたキョウは、急に動かしたせいで襲ったらしい痛みに悶絶した。ギプスでがっつり固められているのによく動かすな。お馬鹿なのかな?

「……真面目に答えろよ、一葉。なんでアンタが真っ昼間の病院にいるんだ」
「あ、キョンってばやっぱりお馬鹿だ。別に昼間でも準備すれば出られるって知ってるでしょ? しかも今日はこれから雪らしいよ。絶好のお出かけ日よりってやつだね!」
「そりゃ知ってるけど、別に準備してるようには――」
「ええ!? 嘘でしょ、キョウってそんなに鈍感なの!? 見てよ私の格好、いつもと全然違うじゃん!!」

 今度は私が驚く番だった。勢い良く椅子から立ち上がって、ファッションショーと言わんばかりにキョウに自分の姿を見せびらかす。
 この日のためにわざわざ足りないものは用意してきたのだ。いつも出していた脚は厚手のレギンスでしっかりガードし、パーカーの大きめなフードだって被っている。首と顔の下の方はネックウォーマーで隠して、目元の保護のためフードの下にはキャップだって装着しているから微妙にラッパーっぽい。
 そんな私のファッションを少しの間まじまじと眺めたキョウは、「……あ」と小さく呟いた。

「そういうことだったのか……外が寒いのかと……」
「外が寒いからってラッパーになる? 窓を開け放てばキョウとラップバトルでも始まるの?」
「始まらないから開けようとするな。ついでにカーテンも閉めてくれ。いくら一葉が平気だって言っても見てる方は落ち着かないんだよ」

 窓を開けるふりをした私にキョウが言う。キョウのくせに私を顎で使うのかと思ったものの、まだ歩くのも辛いことは知っているので大人しくカーテンを閉めた。

 座り直しながらキョウを安心させるためにネックウォーマーを首まで下ろして、ラッパー感を演出しているキャップも外す。でもフードは被ったまま。ここのカーテンは遮光じゃないから、いくら背を向けているとはいえ完全に顔を出すのは私もちょっと不安なのだ。

「それで……急にどうしたんだ? っていうか生きてたのか……」
「何、私死んだと思われてたの?」
「最悪その可能性もあると思ってたんだよ。あんな怪我だったし、全然顔見せねェし……」
「あ、キョウってば私のこと恋しかったんだ?」

 元気な突っ込みを期待して茶化すように言ったのに、キョウは下を向いただけだった。「あー……くそ……」、大きな溜息と共に悪態を零す。ほんの少しだけ顔を上げてジト目でこちらを見てきたかと思えば、再び大きな溜息を吐いた。

「もういい。それで、本当に何の用だよ。しかも昼間に来るなんて……何かあったのか?」
「だからお見舞いだって言ったじゃん」
「信じられると思うか? 今まで音沙汰なかったくせに」
「あ、やっぱり恋しかった? っていうか拗ねてる?」
「拗ねてねェよ。そもそもこんな場所、アンタらは来ないと思ってたし……」

 そう言って語尾をすぼめたキョウはやっぱりちょっと拗ねていると思う。だけど仕方がないのかな。
 キョウがこの病院に運び込まれてから既に一週間以上。私が彼の前に姿を現すのは今日が初めてなのだから。


 § § §


『早く決めろ。手遅れになるぞ』

 瀕死のキョウを抱えた壱政様が私を急かす。このまま見殺しにするのか、それとも吸血鬼として長らえさせるのか――そんなことを、私に決められるはずがなかった。

『私は……キョウには死んで欲しくない。だけど勝手に吸血鬼にしちゃうなんてできない……』
『恨まれるのが怖いのか?』
『それもあります、けど……今ここで彼の意思を無視して吸血鬼にしちゃったら、キョウ自身のことを踏みにじっちゃうことになる気がする……』

 キョウが生きてくれるなら何だってしたいと思う。だけどそれで彼を貶めてしまったら何の意味もない。

『こいつが死んでも?』
『ッ……そんなの嫌だ……だけど!』
『なら病院に連れてくか』
『え……?』

 壱政様は当たり前のように言ったけれど、私の理解が追いつかない。今病院って言った? え、病院?

『人間相手なら普通はそうするだろ。死なせるか吸血鬼にするか――勝手にその二択に絞り込んだのはお前だ、一葉』
『いや……え? 病院だと助からないんじゃないですか……?』
『致命傷は負っていない。さっきまで動いてただろ』
『は……?』

 何それ聞いてない。確かに動いていたけれど、糸が切れたように気絶してしまったのも事実。しかも致命傷があるかどうかだなんて私は知らない。

『意外と人間は死なないぞ、一葉』

 人を馬鹿にしたような笑みなのに、それを見て心底安心してしまったのは誰にも言わないでおこうと思う。


 § § §


 あれは完全に遊ばれたよなぁ――あの夜のことを思い出して顔に変な力が入った。
 多分壱政様は最初からキョウが死なないと分かっていたのだろう。思えば屋敷に現れた時に彼をよく観察していた。つまりその時点で治療さえすればキョウは死なないと分かっていたから、私に意地悪するようにあんなことを聞いたのだ。『勝手に二択に絞り込んだ』って言っていたけど、そうなるように誘導してたもん、絶対。

 とはいえキョウがかなりの重症だったことは間違いない。病院に運び込まれた彼は三日間目を覚まさず、その後だって自力で歩けるようになるまで数日かかった。
 一方私はと言えば、あの後二日休んだらほぼ全快。でも治りきる前から痛いのを我慢して、こっそりと毎晩病院を覗きに来ていたのはここだけの話。
 とはいえそれもキョウが目を覚ますまでのことで、彼が目覚めたことへの安堵を噛み締める間もなく、私は事後処理のためノストノクスに連れ戻されていた。まあ本当はもっと早く戻らなきゃいけなかったんだけど、事情が事情だからと大目に見てもらっていた自覚はあったので私も大人しく従った。

 それでも忙しい合間を縫って二日に一回は様子を見に来ていたんだけどね。でも時間がないから、できるのは夜中に数分間顔を見るだけ。
 夜型だったキョウはすっかり規則正しい生活リズムになっていたから、私が来た時にはいつもぐっすり眠っていた。たった数分のために起こすのも忍びないから一度も声はかけていない。
 だから彼からすれば私がここに来るのは今日が初めてだし、私も今のところ本当のことを言うつもりもない。やっと見舞いに来たと思ってもらえるくらいの距離感が、今はちょうどいいから。

「一応教えといてあげると、この病院の人達を誤魔化しておいてくれたのは壱政様だよ」
「……それで交通事故ってことになってるのか」
「そういうことー。そして高額な医療費も壱政様のポケットマネーから出てます」
「は!?」
「あ、ハンターの仕事関連の怪我なら組織からお金が出ることは知ってるよ? でもまだレイフのことは大っぴらにしたくないの。こっちの都合でやってることだからキョウは気にしなくていいよ」

 私が付け足せばどうにかキョウは納得してくれたらしい。レイフのことは思うところもあるのか、神妙な顔で黙り込んでしまった。その顔格好良いなぁと思ったけれど、流石に今はごくりと飲み込む。これでも空気は読めるんだぞ。

「キョウはレイフのこと、ハンター達には言わずにいてくれたみたいだから助かってるよ」
「……アンタらに確認してからにするべきだと思っただけだ。こっちに常駐してる吸血鬼の起こした不祥事なら、協力関係もなかったことになるかもしれないしな」

 確かにそれもあるだろう。キョウは言わないけれど、下手にレイフのことを報告すれば両親の身に何が起こったのか分からなくなると思ったのかもしれない。
 というのは本人に言う気がないみたいだから、私も気付かなかったことにする。私は弱っている人には優しいんだ。

「ふふ、ありがと。まあキョウが喋っちゃっても相手の記憶いじるつもりだったんだけどね、こっちは」
「そんな気軽に言うなよ……」
「でもキョウが病院の人に怪しまれてないのはそのお陰だよ? 交通事故で大怪我したはずなのに警察も来ないんだから。しかも一番良い個室だしね!」

 私が両手を広げて言えば、キョウは少し驚いたような表情を浮かべた。これは気付いてなかったな? キョウってば個室に入院するのは初めてなのだろうか。普通はこんなにホテルみたいな内装なんてしていないぞ。

「だからこんな綺麗なのか……部屋は別にもっと下げてもらって構わないんだが」
「それは壱政様に言ってよ。あの人ボンボン育ちだからその辺の感覚が分からないんだよ、きっと」
「だからって……虫干し何回手伝えばいいんだよ、これ……」
「それ以外の雑用もするしかないねぇ……」

 キョウの顔色が少し悪くなった気がする。でも私のせいじゃない、壱政様のせいだ。だから私は知らないぞと目を逸らそうとした時、キョウが「そういえば」と口を開いた。

「あの後どうなったんだ? 言えないこともあるかもしれないけど……」
「あの後? んーと、とりあえずキョウが撃った人は無事だよ。まだ動けないけど順調に回復してるって。あの銃弾はモロイは即死させられても吸血鬼は無理だったみたいだねぇ。でも身体の内側から火傷みたいになってたから中身は非常に気になるんだけど」
「調べるか? 人間には害はないってことくらいしか聞かされてないんだ」
「そこまでしなくていいよ。ハンターを裏切ることになっちゃうしね」
「でも……ああいう武器だって裏切りでできたものなんだろ……」

 そう言ってキョウが辛そうな顔をしたのはレイフの話のせいだろう。自分達の活動が裏切りの上に成り立っていると言われ、少なくはない犠牲者すらも生んでいたと知ったのだから当然だ。

「それね、一応ちょっと調べたけど、大部分は真っ当な方法で稼いだお金みたいだよ。レイフが言っていたのは一部の悪い人達のことだったみたい。でもその人達が組織の上層部にいたからややこしいことになっちゃったんだけどね」
「そいつらが、俺の親を……?」
「そういうこと。レイフのお客さんは自分達の悪事を隠すためにそれに気付いた仲間を殺してた。キョウの両親は偶然当時このあたりの管轄だった執行官に出会えたらしくて、その人に助けられたんだって。でも当時はキョウの両親もその執行官もハンター同士の内輪揉めって認識だったから、そこのところが明るみに出なかったんだけど」

 今回そのあたりが分かったのは全くの偶然だった。レイフが知っていたから私も調べられただけで、そうじゃなかったら誰も知らないままだったかもしれない。たとえハンター達が仲間殺しをしていたところで吸血鬼私達には関係ないから、聞いたのが私や壱政様以外だったらずっと放置されていただろう。

「俺の親のことを一葉が知ってるってことは……会ったのか?」
「執行官の方にね。ご両親には……私が先に会ったら変かなって思って。まあ壱政様は会ってるけど。レイフの証言にない部分の確認もあるからさ」

 と言っても、実は壱政様が初めてキョウの両親に会ったのはこの数日の話じゃない。私達が彼らについて調べて欲しいと頼んだ時なのだそうだ。
 壱政様は以前キョウに移住の理由は知らないと答えていたけれど、実際のところは本人達に聞いて知っていたらしい。レイフの関与まではキョウの両親の記憶がいじられていたせいでその時は分からなかったみたいだけど。

 だから壱政様はキョウに『知りたいなら直接会って聞け』と言えたんだと理解できるものの、じゃあ最初から教えてくれよという不満があるのは否めない。でもそう文句を言ってみたら、『頼まれてたことは教えてやっただろ』と鼻で笑われて非常に悔しい想いをしたので、キョウにこのことを教えるのは彼が全快してからにしようと思う。

 と、私が思い出して気分を害していると、少し黙っていたキョウが「……あの男も生きてるのか?」と遠慮がちに聞いてきた。

「いくら弾で死ななくても、壱政さんに刺されてただろ?」
「あれねぇ、トドメ刺したんじゃなくて助けたみたい。本当に死なないかどうかは確証がなかったから、肉ごと抉って毒が全部出る前に弾を出したっぽいんだよね。私も後から知ったんだけど」

 しかもこれ、その場で壱政様に教えてもらったのではない。後から現場検証的なものに来た別の執行官に教えてもらったのだ。私当事者の一人だよね? おかしくない?

「ていうかさぁ! キョウってあの時気絶してなかったの? 全く動かないから死んじゃうのかもって思ったのに」

 不満繋がりで思い出したことを口にすれば、キョウはバツが悪そうに身じろぎした。あの時、というのは彼が外に放り出された時のことだ。壱政様に観察されていたキョウはぴくりとも動いていないように見えたのに。

「壱政さんに動くなって言われたんだよ、『お前にやらせてやる』って……無茶言うなって思ったけど、銃まで取り返してもらったらもうやるしかないだろ? まさか相手の腕ごととは思わなかったけど」
「ってことは、壱政様ってば本当に最初からそのつもりで押されてるふりしてたってこと……? えー……あの人のことだってめちゃくちゃ心配したのに……」

 雨音で聞こえなかったけれど、あの時二人の間にそんなやり取りがあっただなんて思いもしなかった。そりゃキョウがまだ死なないって分かるはずだ。
 だけどお陰で全てしっくりきてしまった。壱政様がキョウにレイフを撃たせるために自分を囮に使ったのだとしたら、彼が苦戦していた理由の説明がついてしまうからだ。

 正直な話、壱政はめちゃくちゃ強い。確かに序列の問題はあるけれど、それさえなかったら純粋な武力であの人を負かせる人なんて本当に限られる。
 だからいくらレイフが元執行官だからって、片足が悪いのに壱政様とまともにやり合えるはずがないのだ。それはレイフ本人も最初から認めていたことだから間違いない。
 それでも彼がその不自然さに気付かなかったのは、壱政様が毒を受けたから。ついでに壱政様本人も辛そうな素振りを見せたものだから、てっきりレイフは信じ込んでしまったのだろう。このまま行けば勝てるかもしれない――その油断が彼に隙を生んで、キョウに攻撃を許したのだ。

 だから状況から考えて、毒を受けたのもわざとなんだろうな。辛そうにしていたのは本気に見えたけれど、あの後普通に動いていたからそれも演技だったのかもしれない。壱政様が演技派だなんて私知らなかったよ。

「つーか、なんで壱政さんは俺にやらせてくれたんだ……?」
「さあ? 『その方がレイフには屈辱的』みたいなことは言ってたけど……案外キョウに気を遣ってくれてたりして!」
「……ないだろ。もしそうならだいぶ前から話聞いてたってことになるぞ?」
「あ、そうじゃん。そういえばなんであのタイミングで来れたのかも教えてもらってない!」
「そこは確認しとけよ。一歩間違えば死んでたんだから……」

 キョウは呆れたように言うけれど、その顔には安堵がありありと浮かんでいた。こんな話も今生きているからできることだ。まだまだ壱政様に隠されていたこともあるだろうけれど、その不満を吐き出すように私達はしばらくの間会話を楽しんだ。
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