3 / 29
第一章
〈二〉蠱毒の宴・壱
しおりを挟む
「かったるいですねぇ」
手の中で狐面を弄びながら、面倒臭そうに三郎が呟く。鼻の先一点で指の腹に乗せられ、くるくると回されている狐はまるで駒のようだった。
それを見た白柊は器用だなと思ったが、そのまま口にすると三郎が調子に乗るので静かに飲み込む。代わりに口にしたのは普段よりもいくらか覇気のない小言だった。
「口を慎め」
「はあい」
主の苦言に対する気の抜けた返事。いつもの白柊であればもう少し注意するところだが、今回ばかりは自分も同じ気持ちだったのでそれ以上は何も言わなかった。
数刻前に行雲御所へとやってきた客は、時嗣の長男・日永の使者だった。正室の子でありながらも時和の力を持って生まれることができず、しかしやたらとプライドだけは高い、白柊にとっては面倒なだけの男――それが日永だ。
白柊は時和ではあるが、その生家は行雲家という時嗣の分家。それを現時嗣の直系である日永は良しとせず、顔を合わせるたびに白柊に絡んでくる。相手が時嗣の御子なので派手なことはしてこないが、白柊にとっては払っても払っても寄ってくる虫のような、害があるわけではないがただただ鬱陶しい存在だった。
特に白柊にとって憂鬱なのは、日永主催で頻繁に開催される茶会だ。兄弟の親睦という名目で開かれるそれは、名目通りであれば日永の兄弟姉妹――時嗣の五人の子供達だけが出席すればいいはずなのだが、その五人の中には琴がいる。時嗣の御子である琴を呼ぶのだから、同じ立場の白柊も呼ぶべきという貴人特有の気遣いのせいで、白柊は毎回この面倒な催し物に参加しなければならないのだ。
更に白柊の気持ちを暗くさせるのは、この茶会の誘いがいつも急だということ。といっても二、三日前に連絡してくるのが普通なのだが、今回はなんと当日。断ろうにも日永は参加者全員の予定を把握した上で日時を決めているので、都合が悪いという断り文句は使えない。特に今回は、断ろうにも断れない事情もあった。
「それにしても、夜にやるなんて珍しいですね」
「時嗣もいらっしゃるらしいからな」
これが今回、白柊がどうしても参加を断れない理由だ。この昊涯国において白柊以上の身分を持つ唯一の存在、時嗣が参加するのだ。恐らく当日の開催連絡になったのも、この時嗣の都合が関係しているのだろう。
白柊から時嗣の参加を聞いた三郎は「げ」と顔を歪め、「じゃあ私のご飯はおあずけ……? お菓子食べなきゃ……」と懐から饅頭を取り出した。それを大きな口で頬張ろうとしたところで主人の視線に気付いたのか、さっと饅頭を後ろに隠す。
「あげませんよ?」
「いらんわ。第一お前、後で毒味するだろう」
「あんなちょびっとじゃ逆にお腹空くんですー」
そう言って、三郎は隠していた饅頭に齧りついた。
気楽なものだと白柊は溜息を吐きながら、この後の自分の食事に思いを馳せる。時嗣の子供達だけならば略式の茶会で終わるが、時嗣が来るということは豪華な茶事になるだろう。
食事自体は勿論美味いのだが、その場の空気が最悪だった。時嗣が来て、その子供達が全員参加する。ということは時嗣の正室と二人の側室も同席するはずで、この三人の妻達の仲が非常に悪い。それなのにこの茶会は長時間に及ぶため、食事を楽しむ気持ちには一切なれないのだ。
「三郎、もう一個持ってないのか?」
「ほらやっぱり欲しいんじゃないですかぁ! ありますけど……買ったの三日前ですよ?」
「何日も食い物を懐に入れるなと言っているだろう。腐ってないか、それ」
「少し傷んでますね。でもおいしいです」
「……よかったな」
どんなに豪華な食事でも、楽しめなければ苦痛なだけ。だったら今のうちに安い菓子であっても楽しんで食べておこうとした白柊の目論見は、三郎の〝三日前〟の饅頭のせいで失敗に終わった。
三郎のように守護の任に就く者は、訓練により多少の毒は殆ど効かない。しかも数日間食糧調達ができないことを前提とした訓練も行われており、三郎が懐に食べ物を仕込んでいたのもその習慣によるものだ。その上毒が効かないから、たとえ腐っていようが平気で食べる。主人の毒味役も兼ねているので食べるべきでない物の味は分かるのだが、自分の食事であれば全く気にならないらしい。
そもそも虚鏡を含む守護御三家の子として生まれた時点で、身体の作りが普通の人間とは違うのだ。三郎も体格こそ女性そのものだが、その身体能力は約一四〇センチメートルの背丈を持つ白柊を片手に抱えたまま平気で走り回ることができるほど。普段はそういったところを全く感じさせないが、白柊は彼女が時々男の自分――とはいえまだ子供だが――でも持ち上げられない物を軽々持つところを見ると、どうしようもないとは分かっていても悔しさを感じずにはいられなかった。
(だからと言って、傷んだ物は口にしたくないが……)
守護が傍にいる限り、害のある物を食べることなど有り得ない。それは彼らが危険を承知で毒味をしてくれているからだ。そう思うと三郎のこの習慣をきつく叱ることもできず、白柊は今日の自分の食事に毒が入っていないことを祈ることしかできなかった。
§ § §
手の中で狐面を弄びながら、面倒臭そうに三郎が呟く。鼻の先一点で指の腹に乗せられ、くるくると回されている狐はまるで駒のようだった。
それを見た白柊は器用だなと思ったが、そのまま口にすると三郎が調子に乗るので静かに飲み込む。代わりに口にしたのは普段よりもいくらか覇気のない小言だった。
「口を慎め」
「はあい」
主の苦言に対する気の抜けた返事。いつもの白柊であればもう少し注意するところだが、今回ばかりは自分も同じ気持ちだったのでそれ以上は何も言わなかった。
数刻前に行雲御所へとやってきた客は、時嗣の長男・日永の使者だった。正室の子でありながらも時和の力を持って生まれることができず、しかしやたらとプライドだけは高い、白柊にとっては面倒なだけの男――それが日永だ。
白柊は時和ではあるが、その生家は行雲家という時嗣の分家。それを現時嗣の直系である日永は良しとせず、顔を合わせるたびに白柊に絡んでくる。相手が時嗣の御子なので派手なことはしてこないが、白柊にとっては払っても払っても寄ってくる虫のような、害があるわけではないがただただ鬱陶しい存在だった。
特に白柊にとって憂鬱なのは、日永主催で頻繁に開催される茶会だ。兄弟の親睦という名目で開かれるそれは、名目通りであれば日永の兄弟姉妹――時嗣の五人の子供達だけが出席すればいいはずなのだが、その五人の中には琴がいる。時嗣の御子である琴を呼ぶのだから、同じ立場の白柊も呼ぶべきという貴人特有の気遣いのせいで、白柊は毎回この面倒な催し物に参加しなければならないのだ。
更に白柊の気持ちを暗くさせるのは、この茶会の誘いがいつも急だということ。といっても二、三日前に連絡してくるのが普通なのだが、今回はなんと当日。断ろうにも日永は参加者全員の予定を把握した上で日時を決めているので、都合が悪いという断り文句は使えない。特に今回は、断ろうにも断れない事情もあった。
「それにしても、夜にやるなんて珍しいですね」
「時嗣もいらっしゃるらしいからな」
これが今回、白柊がどうしても参加を断れない理由だ。この昊涯国において白柊以上の身分を持つ唯一の存在、時嗣が参加するのだ。恐らく当日の開催連絡になったのも、この時嗣の都合が関係しているのだろう。
白柊から時嗣の参加を聞いた三郎は「げ」と顔を歪め、「じゃあ私のご飯はおあずけ……? お菓子食べなきゃ……」と懐から饅頭を取り出した。それを大きな口で頬張ろうとしたところで主人の視線に気付いたのか、さっと饅頭を後ろに隠す。
「あげませんよ?」
「いらんわ。第一お前、後で毒味するだろう」
「あんなちょびっとじゃ逆にお腹空くんですー」
そう言って、三郎は隠していた饅頭に齧りついた。
気楽なものだと白柊は溜息を吐きながら、この後の自分の食事に思いを馳せる。時嗣の子供達だけならば略式の茶会で終わるが、時嗣が来るということは豪華な茶事になるだろう。
食事自体は勿論美味いのだが、その場の空気が最悪だった。時嗣が来て、その子供達が全員参加する。ということは時嗣の正室と二人の側室も同席するはずで、この三人の妻達の仲が非常に悪い。それなのにこの茶会は長時間に及ぶため、食事を楽しむ気持ちには一切なれないのだ。
「三郎、もう一個持ってないのか?」
「ほらやっぱり欲しいんじゃないですかぁ! ありますけど……買ったの三日前ですよ?」
「何日も食い物を懐に入れるなと言っているだろう。腐ってないか、それ」
「少し傷んでますね。でもおいしいです」
「……よかったな」
どんなに豪華な食事でも、楽しめなければ苦痛なだけ。だったら今のうちに安い菓子であっても楽しんで食べておこうとした白柊の目論見は、三郎の〝三日前〟の饅頭のせいで失敗に終わった。
三郎のように守護の任に就く者は、訓練により多少の毒は殆ど効かない。しかも数日間食糧調達ができないことを前提とした訓練も行われており、三郎が懐に食べ物を仕込んでいたのもその習慣によるものだ。その上毒が効かないから、たとえ腐っていようが平気で食べる。主人の毒味役も兼ねているので食べるべきでない物の味は分かるのだが、自分の食事であれば全く気にならないらしい。
そもそも虚鏡を含む守護御三家の子として生まれた時点で、身体の作りが普通の人間とは違うのだ。三郎も体格こそ女性そのものだが、その身体能力は約一四〇センチメートルの背丈を持つ白柊を片手に抱えたまま平気で走り回ることができるほど。普段はそういったところを全く感じさせないが、白柊は彼女が時々男の自分――とはいえまだ子供だが――でも持ち上げられない物を軽々持つところを見ると、どうしようもないとは分かっていても悔しさを感じずにはいられなかった。
(だからと言って、傷んだ物は口にしたくないが……)
守護が傍にいる限り、害のある物を食べることなど有り得ない。それは彼らが危険を承知で毒味をしてくれているからだ。そう思うと三郎のこの習慣をきつく叱ることもできず、白柊は今日の自分の食事に毒が入っていないことを祈ることしかできなかった。
§ § §
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
雪嶺後宮と、狼王の花嫁
由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。
巫女として献上された少女セツナは、
封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。
人と妖、政と信仰の狭間で、
彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。
雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜
鳴猫ツミキ
キャラ文芸
【完結】【第一章までで一区切り】時は大正。天羽家に生まれた桜子は、特異な体質から、家族に虐げられた生活を送っていた。すると女学院から帰ったある日、見合いをするよう命じられる。相手は冷酷だと評判の帝国陸軍あやかし対策部隊の四峰礼人だった。※和風シンデレラ風のお話です。恋愛要素が多いですが、あやかし要素が主体です。第9回キャラ文芸大賞に応募しているので、応援して頂けましたら嬉しいです。【第一章で一区切りで単体で読めますので、そこまででもご覧頂けると嬉しいです】。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる