東雲を抱く 第一部

新菜いに

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第二章

〈五〉佳宵の獣・弐

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『紫明宮をどう見ます?』

 その言葉に不信感を顕にしたのは白柊だ。紫明宮、つまり琴についてこのような形で言及することは、この月霜宮で歓迎されるはずもない。それどころか次期時嗣に対し不敬であるとして、厳罰に処されたとしてもおかしくないのだ。

「どういう意味だ?」
「いえね、私個人としてはあの御方は時嗣の器ではないんじゃないかと」

(うわ、言い切った……)

 三郎は目を見開いたまま天真の真意に考えを巡らせた。何せこんなこと、他の者の耳に入ればただでは済まない。ここが行雲御所というのもあるだろうが、それにしても白柊がこの男を罰しないとは言い切れないはずだ。

「次期主である私を担ぎに来たのか?」
「『いいえ』と言いたいところですが、敢えて『そうです』と答えましょう。ただ、貴方様が担がれてくださるかという問題はありますが」
「質の悪い御輿には乗りたくないな」
「それは保証いたしますよ。が、私の御輿は乗る方を選びましてね」

(とんでもなく無礼なことを言っている……)

 三郎は内心ひやひやとしながら二人の会話を聞いていた。白柊は確かに大人びているが、こうもあからさまに自分を値踏みするような発言をされれば不快に思わずにはいられないだろう。三郎は未だ彼が本気で怒ったところを見たことはないが、それが今日になるかもしれないと思うと不安で仕方がなかった。

「というと、お前の用意した着物を大人しく着る奴しか乗れないのか?」
「できればそうですね。しかし、そうでなくともいい」

 時嗣の御子を傀儡にしたいとも取れる発言に、白柊の眉がぴくりと動く。

「悪いが私はどんな御輿にも興味はない。ただ己に寄る虫を払うだけだ」
「……では、その虫払いのお手伝いをさせていただいても?」

 天真が探るように白柊を見つめる。しかし当の白柊は、「ふんっ」と鼻で笑ってみせた。

「その前にお前が虫でないことを証明してみせろ」
「それはできるなら是非とも。どうすれば認めていただけますかね?」
「そうだな、お前が先程言っていた虚鏡とはどこで会ったんだ? 逃げられたということは、向こうは知られてはまずいことをしていたと思うのだが」

 遠回しに『お前も知られては都合の悪いことをしていたのではないか』と言い含めて、白柊が意地悪く笑う。
 三郎にもそれは分かったが、何も蒸し返さなくても、と居心地が悪くなった。しかし考えてみれば、今回天真を呼びつけたのは昨夜のことを探るためだ。まさか本人が来るとは思っていなかったが、彼が何のために月霜御所にいたのか知るにはこれほど良い機会はない。

「中々答えづらい質問ですね……」
「ここで言えんということは、時嗣に仇なすことか? それは自らが虫だと言っているようなものでは?」
「いやァ……」

 白柊の追求に、天真が困ったような表情を見せる。それも当然だ、ここで白柊の言葉を認めてしまえば謀反の疑いをかけられかねない。だが否定するためには、白柊を納得させるだけの理由を言わなければならないのだ。
 そしてそれは適当な嘘では見破られてしまうということは、既に天真も感じているところだろう。三郎はほんの少しだけ天真に同情したが、意外にも彼はすぐに口を開いた。

「実は白柊様の守護に内定してからというもの、どのような危険があるか、情報を集めるためこの月霜宮を見て回っているのです」
「私のためだと言えば許されると思っているのか?」
「いえいえ、そんなつもりはありません。もうしてしまったことはどうしようもないですが、貴方様がおっしゃるのであれば今後は控えます。――それでですね、昨日の虚鏡もそんな私と同じように忍んでいたわけです。彼女と出会ったのは東風御殿でした」

(正直に答えてる……)

 それが三郎には意外だった。天真の立場であれば、今ここに彼の言う虚鏡はいないのだから正直に言う必要はない。東風御殿とはいえ、それがあるのは月霜御所――時嗣の住まいに侵入したと知られれば、どうなるのか分からないのだ。白柊相手に嘘を吐くのを避けただけかもしれないが、虚偽を述べずとも場所を濁すことくらいはできたはずだ。
 そう思ったのは白柊も同じだったのだろう。先程までよりもほんの少しだけ態度を和らげて、「お前は、その虚鏡の目的を何と見る?」と質問を重ねていた。

「最初は紫明宮の次の守護が私と同じようなことをしているのかと思ったんですが、そうではなさそうで。状況から見れば、昇陽様を観察しているようでした。その理由までは私には分かりません」
「何故その場で捕まえなかった? 兵部に突き出すのはお前も都合が悪いだろうが、相手の目的を探るためには捕えるべきだろう」
「敵意が感じられませんでした。それに……」
「『それに』、なんだ?」

 これまで飄々とした態度を取っていた天真が、急に言いづらそうに白柊から顔を背けた。

「恥ずかしながら……その、好みの腰をしておりまして」
「……は?」

 白柊の間抜けな声を久々に聞いた、と感心する余裕は三郎にはなかった。天真の言葉は明らかに自分の腰を指したものであり、触られた身としては「はい、そうですか」と受け入れられるものではない。
 あれは性別を確かめるための行動だったのだと自分を納得させていた三郎だが、その胸に昨夜感じた怒りが再び蘇る。それをどうにか堪らえようとしている彼女の一方で、天真の口は止まらなかった。

「虚鏡といえば性別年齢不詳、顔すらも外部の人間には決して見せない。しかし、もしそれが虚鏡がとんでもない美貌を持つからだとすれば! 隠さなければならないほどの美貌、それは男としては是非一度拝んでみたいと思いませんか!?」
「はあ……」

 白柊は若干気圧されながら、急に熱く語り出した天真に顔を引き攣らせた。

「しかもあの腰、触れたのは一瞬だけでしたが女子であることは確実。更に言えば私の好みのど真ん中で……。これでもし顔までも好みだとしたらそれはもはや天啓! 長く閉ざされてきた羽刄・虚鏡両家の婚姻への道への足がかりとなるやもしれません!」
「……虫だな」
「なんと! 白柊様にはこの浪漫が分かりませぬか!?」

 今にも食いかからんばかりの天真の剣幕に、白柊は「いや、こちらの話だ」と言葉を濁した。

「しかし、自分の好みだからという理由で賊を見逃すのか?」

 咳払いして、気を取り直すように白柊が問いかける。すると天真はそれまでの勢いをすっと静め、真顔で白柊を見返した。

「それは私がまだ誰の守護でもないからです。守るべき主がいれば、我が親とて殺めてみせましょう」

 天真が声を発すると同時に、室内の空気がぴんと張り詰めた。

(……本気だ)

 一瞬にして重苦しくなった空気に、三郎にはそれを疑う余地はなった。ふざけた変態だと思い始めていたが、その居住まいに昨夜の緊張感を思い出す。
 するとまた不安に飲まれそうになった。この男は本気になればどこまでもやる。そしてそれを実現するだけの力を持っている。

 そう思うと、白柊を心配せずにはいられない。自分ですらここまで緊張しているのだ。その視線をまともに受けている白柊には、さらに重い威圧感が加わっていることだろう。自分の主が強かなのは知っているが、こんな相手とまともに対峙するにはまだ幼すぎるのではないか――そんな三郎の懸念は、しかし杞憂に終わった。

「ということは、今はまだ私すら殺めるかもしれないな」

 白柊は愉快そうに口端を上げ、笑うような声で言い放った。それが虚勢でないことは三郎には明らかで、小さな身体のどこにそんな余裕があるのかと呆気に取られた。

ちが……あ、そうとも取れますね。おかしいな、いい感じに決まったと思ったんですが」

 天真も驚いたのだろう。目の前の小さな子供が自分の威圧に耐え、更には中々鋭い冗談を返してきたのだ。気まずそうに苦笑を浮かべ、白柊を窺い見る。

「まあ、いいさ。自分は決して私を裏切らないとうそぶかれても信じようがないしな」
「となると、守護になった後も信じていただきようがありませんね」
「ああ、私は誰も信じない。お前が虫だとしても、他の虫を払うのに利用するだけだ」

 白柊がにやりと笑えば、天真もまた同じように笑った。そこに先程まではなかった好意のようなものが感じられて、三郎はどうにか穏便に済みそうだと胸を撫で下ろす。

「意地悪な方ですね。これじゃァ昨夜の虚鏡の詳細を吐かされただけだ」

 困ったように天真が言うのを聞きながら、三郎は確かに、と内心で相槌を打った。自分が慌てている間に、この小さい主人は当初の目的を果たしてしまっている。しかも探りを入れるだなんて控えめなものではない。
 だがそれは相手も同じだと三郎が気付いたのは、天真の言葉が続いたからだ。

「貴方様の手の者には危害を加えない、ということは信じていただけそうですか?」

 それは、自分が出会った虚鏡は白柊の関係者だと考えている――そう断言していた。しかも一瞬三郎の方に視線をやったことから、彼女がそうなのだと気付いている可能性もある。
 三郎はどうして天真にそれが分かったのか理解できなかったが、話しかけられた白柊の方は全く驚く気配はない。さも当然と言わんばかりに天真を見やっていることから、彼が昨日の虚鏡と三郎を結びつけることは想定内だったのだろう。

 だが突然、思い出したかのように不機嫌な雰囲気を滲ませたかと思うと、白柊はじろりと天真を睨みつけた。そして――

「手を出さないものの中に、仮面も付け加えておけ」

 それまでよりもほんの少し低い声で、白柊がそう付け加えた。
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