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第三章
〈一〉真冬の山の忍び事
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どういうことだ、と三郎は眉根を寄せた。
真冬の山の中。先日降り積もった雪は未だ残り、ところどころ氷のように固くなっている。氷のせいもあってか、空気は刺すように冷たい。肌は殆ど隠しているものの、露出した耳が気温の低さを如実に三郎の脳へと伝える。
用事を済ませて早く帰りたい――それなのに、気が散るせいで作業が捗らない。三郎はその原因となっている隣の人物を見咎めて、嫌そうに溜息を吐いた。
「何故貴方がここにいるのです、天真殿」
昨日面会した白柊の次の守護は、どういうわけか三郎に纏わりついていた。月霜宮内であればそれはおかしいと声を大にして言うことができたが、ここは宮城の外にある山。天真が何をしていようと個人の自由、三郎に口を出す権利はない。
とはいえ、邪魔なものは邪魔なのだ。そんな想いを込めて三郎が問いかけたにも拘わらず、天真はそれを物ともせずにへらっと笑った。
「名を教えてもらいたくて」
「は?」
「やはり名を教えてもらうにはそれなりに親しくなる必要があるかと。一郎殿か、二郎殿か。明月介殿と呼んだらやはり距離があるのでしょう?」
あまりにもどうでもいい理由に三郎は呆気に取られた。確かに虚鏡において明月介という呼び方は、どちらかというと立場を表すものに近く、兄弟や友人など親しい間柄では使わない。昨日の面会の際に天真の前で白柊が三郎を明月介と呼んだのは、本来であればそれが適切な呼び方だからだ。あの場に限らず、人の目があるところでは白柊は決して三郎という名は呼ばない。
「……妥当な距離かと思いますが」
自分と天真は個人的な友人でもなければ、今後一緒に仕事をするわけでもない。そう思って、三郎は遠回しに明月介で止めておいてくれと言ったつもりだった。
それなのに天真は三郎の言葉に少し固まっただけで、すぐに不思議そうに首を傾げた。
「腰を抱いたのに?」
「触っただけでしょう! ……あ」
しまった、と三郎が思ったのは、天真に彼が月霜御所で会った虚鏡と自分が同一人物であると思われたくなかったからだ。
だが天真はそんな三郎の反応ににやりと笑って、「今更」と肩を竦める。
「アンタも昨日の白柊様との会話聞いてたら、バレてるのは分かってただろ?」
「急に馴れ馴れしいですね」
「出会った頃に戻してみた」
どこか芝居がかったような口調で天真が微笑みかける。しかし三郎は、この笑い方は知っているぞ、と狐面の下で嫌そうに目を細めた。
これは天真に限らず、身内の男達が女性を口説く時に見たことがある。と言っても勿論本気ではない。ただ自分に好意を抱かせ、事を優位に運ぼうとする時の顔――いわば仕事用だ。
そんなもの自分には通用しないと分かっているだろうに――癖なのかわざとなのか、同じ御三家相手に無駄なことをしてくる天真に、三郎は小さく溜息を吐いた。
「格好つけても無駄ですよ。昨日の会話を聞いていたので、貴方が腰好きの変態だということはバレています」
「失礼な、好きなのは腰だけじゃない。――胸もサラシ巻いてる?」
「じろじろ見ないでください!」
三郎は思わず自らの両肩を抱き締め、天真の視線から逃げるように身体を反らせた。
「なんだよ、減るもんじゃあるまいし。勝手に面を取らないだけマシだろ? 全く、あの御子様は目敏いったらねェや」
「……白様が『仮面に手を出すな』と言っていなかったら、私の面を取っていたと?」
「そりゃそうだろ、顔見てみたいし」
「見たところで貴方の好みには合わないかもしれませんよ」
三郎に言われて、天真はふむ、と考えるような仕草で黙り込む。しかしすぐに思いついたように顔を上げ、真剣な眼差しを三郎に向けた。
「俺としては、白柊様はかなりお綺麗な顔立ちをしてらっしゃると思ってる」
「……そういう趣味が?」
「すっげ、顔一切見えないのに物凄く嫌そうな顔してんの分かるわ」
当然だ、と三郎は面の下から天真を睨みつけた。突然白柊の顔立ちを彼と同性の、それも倍近く年上であろう人間が褒めたら疑いたくもなる。天真も三郎の考えていることが分かったのか、「違うからな?」と念押しするような視線を向けた。
「アンタもそう思うなら、俺とアンタの美醜感覚は似たようなもんだろって言いたかったんだよ」
「ああ、そういう……。でもそれとこれと何の関係が?」」
「アンタが自分の顔をどう評価してるかによって俺のやる気が変わるだろ」
「……やる気というのは」
「そのご機嫌そうな狐面を剥ぎ取るためのやる気」
「なんて迷惑な……大体、私が正直に答えるとは限らないじゃないですか」
「そこはほら、勘で見抜く感じで」
そう言うと、天真はにっこりと笑みを浮かべた。
「んで、どうよ? あのお顔」
「そりゃあ母君に似てお美しいと思ってますよ」
「白柊様の母君ってーと、時嗣の妹でありながら宵の分家に嫁いだっていう物好きの」
「そういう言い方はお控えください」
時嗣の分家には、暁と宵という分け方がある。それぞれ上級と下級を示しており、現時嗣の妹である白柊の母は、その立場上暁の分家に嫁ぐのが当然とされていた。それなのに宵の分家に入ったということで、当時は根も葉もない噂がいくつも広まったのだ。特に彼女を手に入れるために白柊の生家――行雲家が裏で何かしたのではないかという噂は、現在でもこれが真実だと信じている人がいるくらいだった。
何故なら当時宵だった行雲家は、時和を産む可能性のある白柊の母が家に入ったことで暁となった。更に白柊という時和を出したため、行雲家は今後二代は暁であることが保証されているようなもの。
分家は自らの家が暁か宵かというのを非常に気にする。だから本来暁に嫁ぐはずだった白柊の母を突然横から掻っ攫い、宵から暁に位の上がった行雲家を面白く思わない者は多いのだ。
「まァ周りはあれこれ言ってるけど、俺としてはあの方が行雲家の血を引いていてよかったと思うね」
「何故です?」
「だって行雲といやァ、切れ者揃いだろ? 宵となって長かったが、その手腕で重要な官職に就いて活躍してきたっていうじゃないか。白柊様のあの聡明さも行雲の血だろう」
「……貴方は白様をどう思っているんです? てっきり信用していないのかと思っていたのですが」
昨日の会話を聞く限り、彼は白柊を傀儡にしようとすらしていたはずだ。そう思っての三郎の問いだったが、天真はううんと唸り、しかし次の瞬間にはあっけらかんとした調子で口を開いた。
「昨日まではな。時嗣の御子っつーのはどれもあの馬鹿姫みたいな奴かと思ってたし」
「馬鹿姫って……誰かに聞かれたら打首も有りえますよ?」
琴を指して言う悪口に、三郎が苦言を呈する。確かにここは宮城の外で、辺りには自分たち以外誰もいない。とはいえこのような物言いが癖になってしまっては、今後誰かがいるところでうっかり言ってしまうこともあるだろう。
「そう、そういうところも。あの姫宮は物事を正しく見ようとしない、ただ全部自分の思い通りにしたいだけ。羽刄じゃあ、あの御方が時嗣となってこの国を動かし始めたらとんでもないことになるってずっと言われてたんだよ」
「だから、時嗣の御子を傀儡にしようと?」
「そういうこと。いくら頭がおめでたい方でも、周りがちゃんとしてりゃどうにかなるだろ? ま、それをしくじってえらい嫌われたみたいだけどな、今の姫宮の守護」
傀儡云々はこの男の独断ではなかったのか、と三郎は顔を顰めた。守護役は自らの主に服従するが、御三家自体は時嗣を主とする。ここでいう時嗣とは、現時嗣のようにその座に就く者のことではない。時嗣という立場――それが、御三家の主だ。
そういう意味では、羽刄の考えは実に御三家らしいと言える。たった一人の無能な時嗣のために、時嗣という存在そのものを貶めさせるわけにはいかない。それを防ぐためならば時嗣の座に就いているだけの人間を、ただの道具として見ることも厭わないということだろう。
三郎も御三家であることに変わりはないので納得しかけたが、天真の言葉を文字通り受け取ると聞き流せないものもあった。
「ですがそれは、羽刄が実権を握ることになるのでは?」
「その辺はそれほど心配いらねェよ。うちの連中は一番にはなりたいが、政治だなんて面倒臭いことは御免なの。お山の大将の座は譲らないけど、それ以外は向いてる奴がやってくれってな」
「それで周りを牽制するために、貴方のような手練が白柊様の元に来たと」
守護の任に就く条件の一つに、主となる者と年齢的に近いことがある。正式なものではないため明確な年齢制限は定められていないが、大体が五歳差未満、最大でも十歳差を超えることはない。それは守護が原則一人の主に一生仕えるからであり、そのためどうしても就任当初は若く未熟な者が多くなってしまう。
とはいっても、守護は主を守るのが仕事。未熟ではあっても他の同年代の者達より秀でている者が選ばれており、決して弱いわけではない。むしろ一人で主人を守ることになるためそれなりの実力を持っているし、将来も期待されている。
だがやはりそういった事情があるせいで、守護役就任時点で天真のような力を持つ者は滅多にいない。というより、そもそも彼のような人間は本来守護役に選ばれることすらないのだ。
御三家は何も守護役を出すことだけが仕事ではない。特に実力がある者であれば、他国へ間者として送り込まれたり、御三家の首領の密命を請け負ったりすることもある。
三郎は天真もそういった人間だろうと思っていた。それは彼の実力もあるし、この態度にもある。守護を始め月霜宮に関わりのある仕事をする立場なら、もう少し丁寧な言葉遣いというものが身に付いているはずだ。それがないということは、彼がそういったものとは無縁の役目を担ってきたことを意味している可能性が高い。
そして羽刄がそのような者を送り込んできたということは、暗に『どんな形であれ、この主に不都合なことはするな』と言っているようなものだった。明確に言葉にせずとも守護に就く者達であれば、彼が守護となるべく育てられた人間ではないとすぐに分かるだろう。
「分かってんじゃん。ま、あの御子様ならその必要もなかったみたいだけどな。あの御方は未来が見れないからって時嗣にはなれないらしいが、俺は過去読みで良かったと思うね。白柊様なら未来なんぞ自分で推測できるし、多分思い通りに動かすだろう? その点、過去はどうしようもない。真実を知る人間がいなくなってしまえば、もう正しいことは誰にも伝わらない――あの方を除いてな」
「随分評価されてるんですね」
「そりゃそうさ。アンタが気付いてたか分からんが、昨日のアレなんて殆ど誘導尋問よ? こっちが誤魔化そうが脅かそうが、あの方は関係ないとばかりに自分の思い通りの方向に持って行きなさる。しかも結構本気で威圧したのに、余裕で躱されたしな。あの方が時嗣になられるってんなら大歓迎だよ、何せ白柊様の近くにいるだけで俺はボス猿になれるようなもんだ」
そう言って、天真は得意げに笑った。三郎は未だ天真のことは好きになれないが、彼ほどの力を持つ者に主を褒められたのだから悪い気はしない。白柊にしても、天真の腕は使えると判断するだろう。
ただ、問題があるとすればこの飄々とした性格だ。
「虫と判断されないようにお気を付けくださいね」
「げ、怖いこと言うなよ……」
思い切り顔を顰める天真は、本気で懸念しているようだ。だがすぐに気を取り直すように三郎に向き直ると、「ところで――」と問いかけた。
「――お前さんは、どうしてこんな山ン中にいるわけ?」
「今更ですか。っていうか知ってて付いて来たんじゃないんですか?」
「知らん知らん。言っただろ、アンタと親しくなりに来たって」
「それが目的だとは初耳です。私はてっきり、白様の信用を得ようとしているのかと」
「あ、じゃァそれで。そっちの方がいいな」
「もう遅いですよ」
三郎が狐面の下からじとっとした目で見ると、天真は肩を竦める。しかし質問を取り下げる気はないようで、その目はずっと三郎を捉えていた。
(気まずい……)
これは答えるまで目を逸らしてはくれないな、と内心で溜息を吐く。とはいえ三郎としても別に隠す必要はなかったので、答えて気まずさから解放されるなら、と口を開いた。
「山狩りですよ」
「は?」
「だから、山狩りに来たんです」
§ § §
『お前に頼みたいことだが――』
三郎が四郎の外面の良さについて力説していると、白柊が徐に口を開いた。次に聞こえてくるのは主人の命令だ、三郎はすっと黙りその内容を聞き逃さまいと背筋を伸ばす。
「山狩りをして欲しい」
「……は?」
思わずそう零れたのは仕方がない、と三郎は思った。それまで貴人の調査の話をしていたはずなのに、それに続く命令が山狩りとはどういうことだろう。山に逃げた人間を追うことも山狩りと表現されることがあるが、そんな人物は思い当たらない。ならば文字通り山狩りをしろということで、しかしそう考えると尚更わけが解らなくなる。
三郎がそんな疑問を顕にした表情で「山狩りですか?」と聞き返すも、主から返ってきたのは首肯だけだった。
§ § §
「――いやいやいや、何のために?」
それが白柊の命だとはっきり言い切った三郎に、天真が困ったように尋ねる。しかしそう聞かれても困るのは三郎の方で、「知りませんよ」と返した声は少しぶっきらぼうになった。
「とりあえず草木も動物も、目についたものは一種類ずつ少量でいいからなんでも採ってこいと」
「……山の自然調査?」
「……だから知りませんって」
改めて聞かれると何故か居心地が悪い――そう気が付いて、三郎は明後日の方向を向いた。
真冬の山の中。先日降り積もった雪は未だ残り、ところどころ氷のように固くなっている。氷のせいもあってか、空気は刺すように冷たい。肌は殆ど隠しているものの、露出した耳が気温の低さを如実に三郎の脳へと伝える。
用事を済ませて早く帰りたい――それなのに、気が散るせいで作業が捗らない。三郎はその原因となっている隣の人物を見咎めて、嫌そうに溜息を吐いた。
「何故貴方がここにいるのです、天真殿」
昨日面会した白柊の次の守護は、どういうわけか三郎に纏わりついていた。月霜宮内であればそれはおかしいと声を大にして言うことができたが、ここは宮城の外にある山。天真が何をしていようと個人の自由、三郎に口を出す権利はない。
とはいえ、邪魔なものは邪魔なのだ。そんな想いを込めて三郎が問いかけたにも拘わらず、天真はそれを物ともせずにへらっと笑った。
「名を教えてもらいたくて」
「は?」
「やはり名を教えてもらうにはそれなりに親しくなる必要があるかと。一郎殿か、二郎殿か。明月介殿と呼んだらやはり距離があるのでしょう?」
あまりにもどうでもいい理由に三郎は呆気に取られた。確かに虚鏡において明月介という呼び方は、どちらかというと立場を表すものに近く、兄弟や友人など親しい間柄では使わない。昨日の面会の際に天真の前で白柊が三郎を明月介と呼んだのは、本来であればそれが適切な呼び方だからだ。あの場に限らず、人の目があるところでは白柊は決して三郎という名は呼ばない。
「……妥当な距離かと思いますが」
自分と天真は個人的な友人でもなければ、今後一緒に仕事をするわけでもない。そう思って、三郎は遠回しに明月介で止めておいてくれと言ったつもりだった。
それなのに天真は三郎の言葉に少し固まっただけで、すぐに不思議そうに首を傾げた。
「腰を抱いたのに?」
「触っただけでしょう! ……あ」
しまった、と三郎が思ったのは、天真に彼が月霜御所で会った虚鏡と自分が同一人物であると思われたくなかったからだ。
だが天真はそんな三郎の反応ににやりと笑って、「今更」と肩を竦める。
「アンタも昨日の白柊様との会話聞いてたら、バレてるのは分かってただろ?」
「急に馴れ馴れしいですね」
「出会った頃に戻してみた」
どこか芝居がかったような口調で天真が微笑みかける。しかし三郎は、この笑い方は知っているぞ、と狐面の下で嫌そうに目を細めた。
これは天真に限らず、身内の男達が女性を口説く時に見たことがある。と言っても勿論本気ではない。ただ自分に好意を抱かせ、事を優位に運ぼうとする時の顔――いわば仕事用だ。
そんなもの自分には通用しないと分かっているだろうに――癖なのかわざとなのか、同じ御三家相手に無駄なことをしてくる天真に、三郎は小さく溜息を吐いた。
「格好つけても無駄ですよ。昨日の会話を聞いていたので、貴方が腰好きの変態だということはバレています」
「失礼な、好きなのは腰だけじゃない。――胸もサラシ巻いてる?」
「じろじろ見ないでください!」
三郎は思わず自らの両肩を抱き締め、天真の視線から逃げるように身体を反らせた。
「なんだよ、減るもんじゃあるまいし。勝手に面を取らないだけマシだろ? 全く、あの御子様は目敏いったらねェや」
「……白様が『仮面に手を出すな』と言っていなかったら、私の面を取っていたと?」
「そりゃそうだろ、顔見てみたいし」
「見たところで貴方の好みには合わないかもしれませんよ」
三郎に言われて、天真はふむ、と考えるような仕草で黙り込む。しかしすぐに思いついたように顔を上げ、真剣な眼差しを三郎に向けた。
「俺としては、白柊様はかなりお綺麗な顔立ちをしてらっしゃると思ってる」
「……そういう趣味が?」
「すっげ、顔一切見えないのに物凄く嫌そうな顔してんの分かるわ」
当然だ、と三郎は面の下から天真を睨みつけた。突然白柊の顔立ちを彼と同性の、それも倍近く年上であろう人間が褒めたら疑いたくもなる。天真も三郎の考えていることが分かったのか、「違うからな?」と念押しするような視線を向けた。
「アンタもそう思うなら、俺とアンタの美醜感覚は似たようなもんだろって言いたかったんだよ」
「ああ、そういう……。でもそれとこれと何の関係が?」」
「アンタが自分の顔をどう評価してるかによって俺のやる気が変わるだろ」
「……やる気というのは」
「そのご機嫌そうな狐面を剥ぎ取るためのやる気」
「なんて迷惑な……大体、私が正直に答えるとは限らないじゃないですか」
「そこはほら、勘で見抜く感じで」
そう言うと、天真はにっこりと笑みを浮かべた。
「んで、どうよ? あのお顔」
「そりゃあ母君に似てお美しいと思ってますよ」
「白柊様の母君ってーと、時嗣の妹でありながら宵の分家に嫁いだっていう物好きの」
「そういう言い方はお控えください」
時嗣の分家には、暁と宵という分け方がある。それぞれ上級と下級を示しており、現時嗣の妹である白柊の母は、その立場上暁の分家に嫁ぐのが当然とされていた。それなのに宵の分家に入ったということで、当時は根も葉もない噂がいくつも広まったのだ。特に彼女を手に入れるために白柊の生家――行雲家が裏で何かしたのではないかという噂は、現在でもこれが真実だと信じている人がいるくらいだった。
何故なら当時宵だった行雲家は、時和を産む可能性のある白柊の母が家に入ったことで暁となった。更に白柊という時和を出したため、行雲家は今後二代は暁であることが保証されているようなもの。
分家は自らの家が暁か宵かというのを非常に気にする。だから本来暁に嫁ぐはずだった白柊の母を突然横から掻っ攫い、宵から暁に位の上がった行雲家を面白く思わない者は多いのだ。
「まァ周りはあれこれ言ってるけど、俺としてはあの方が行雲家の血を引いていてよかったと思うね」
「何故です?」
「だって行雲といやァ、切れ者揃いだろ? 宵となって長かったが、その手腕で重要な官職に就いて活躍してきたっていうじゃないか。白柊様のあの聡明さも行雲の血だろう」
「……貴方は白様をどう思っているんです? てっきり信用していないのかと思っていたのですが」
昨日の会話を聞く限り、彼は白柊を傀儡にしようとすらしていたはずだ。そう思っての三郎の問いだったが、天真はううんと唸り、しかし次の瞬間にはあっけらかんとした調子で口を開いた。
「昨日まではな。時嗣の御子っつーのはどれもあの馬鹿姫みたいな奴かと思ってたし」
「馬鹿姫って……誰かに聞かれたら打首も有りえますよ?」
琴を指して言う悪口に、三郎が苦言を呈する。確かにここは宮城の外で、辺りには自分たち以外誰もいない。とはいえこのような物言いが癖になってしまっては、今後誰かがいるところでうっかり言ってしまうこともあるだろう。
「そう、そういうところも。あの姫宮は物事を正しく見ようとしない、ただ全部自分の思い通りにしたいだけ。羽刄じゃあ、あの御方が時嗣となってこの国を動かし始めたらとんでもないことになるってずっと言われてたんだよ」
「だから、時嗣の御子を傀儡にしようと?」
「そういうこと。いくら頭がおめでたい方でも、周りがちゃんとしてりゃどうにかなるだろ? ま、それをしくじってえらい嫌われたみたいだけどな、今の姫宮の守護」
傀儡云々はこの男の独断ではなかったのか、と三郎は顔を顰めた。守護役は自らの主に服従するが、御三家自体は時嗣を主とする。ここでいう時嗣とは、現時嗣のようにその座に就く者のことではない。時嗣という立場――それが、御三家の主だ。
そういう意味では、羽刄の考えは実に御三家らしいと言える。たった一人の無能な時嗣のために、時嗣という存在そのものを貶めさせるわけにはいかない。それを防ぐためならば時嗣の座に就いているだけの人間を、ただの道具として見ることも厭わないということだろう。
三郎も御三家であることに変わりはないので納得しかけたが、天真の言葉を文字通り受け取ると聞き流せないものもあった。
「ですがそれは、羽刄が実権を握ることになるのでは?」
「その辺はそれほど心配いらねェよ。うちの連中は一番にはなりたいが、政治だなんて面倒臭いことは御免なの。お山の大将の座は譲らないけど、それ以外は向いてる奴がやってくれってな」
「それで周りを牽制するために、貴方のような手練が白柊様の元に来たと」
守護の任に就く条件の一つに、主となる者と年齢的に近いことがある。正式なものではないため明確な年齢制限は定められていないが、大体が五歳差未満、最大でも十歳差を超えることはない。それは守護が原則一人の主に一生仕えるからであり、そのためどうしても就任当初は若く未熟な者が多くなってしまう。
とはいっても、守護は主を守るのが仕事。未熟ではあっても他の同年代の者達より秀でている者が選ばれており、決して弱いわけではない。むしろ一人で主人を守ることになるためそれなりの実力を持っているし、将来も期待されている。
だがやはりそういった事情があるせいで、守護役就任時点で天真のような力を持つ者は滅多にいない。というより、そもそも彼のような人間は本来守護役に選ばれることすらないのだ。
御三家は何も守護役を出すことだけが仕事ではない。特に実力がある者であれば、他国へ間者として送り込まれたり、御三家の首領の密命を請け負ったりすることもある。
三郎は天真もそういった人間だろうと思っていた。それは彼の実力もあるし、この態度にもある。守護を始め月霜宮に関わりのある仕事をする立場なら、もう少し丁寧な言葉遣いというものが身に付いているはずだ。それがないということは、彼がそういったものとは無縁の役目を担ってきたことを意味している可能性が高い。
そして羽刄がそのような者を送り込んできたということは、暗に『どんな形であれ、この主に不都合なことはするな』と言っているようなものだった。明確に言葉にせずとも守護に就く者達であれば、彼が守護となるべく育てられた人間ではないとすぐに分かるだろう。
「分かってんじゃん。ま、あの御子様ならその必要もなかったみたいだけどな。あの御方は未来が見れないからって時嗣にはなれないらしいが、俺は過去読みで良かったと思うね。白柊様なら未来なんぞ自分で推測できるし、多分思い通りに動かすだろう? その点、過去はどうしようもない。真実を知る人間がいなくなってしまえば、もう正しいことは誰にも伝わらない――あの方を除いてな」
「随分評価されてるんですね」
「そりゃそうさ。アンタが気付いてたか分からんが、昨日のアレなんて殆ど誘導尋問よ? こっちが誤魔化そうが脅かそうが、あの方は関係ないとばかりに自分の思い通りの方向に持って行きなさる。しかも結構本気で威圧したのに、余裕で躱されたしな。あの方が時嗣になられるってんなら大歓迎だよ、何せ白柊様の近くにいるだけで俺はボス猿になれるようなもんだ」
そう言って、天真は得意げに笑った。三郎は未だ天真のことは好きになれないが、彼ほどの力を持つ者に主を褒められたのだから悪い気はしない。白柊にしても、天真の腕は使えると判断するだろう。
ただ、問題があるとすればこの飄々とした性格だ。
「虫と判断されないようにお気を付けくださいね」
「げ、怖いこと言うなよ……」
思い切り顔を顰める天真は、本気で懸念しているようだ。だがすぐに気を取り直すように三郎に向き直ると、「ところで――」と問いかけた。
「――お前さんは、どうしてこんな山ン中にいるわけ?」
「今更ですか。っていうか知ってて付いて来たんじゃないんですか?」
「知らん知らん。言っただろ、アンタと親しくなりに来たって」
「それが目的だとは初耳です。私はてっきり、白様の信用を得ようとしているのかと」
「あ、じゃァそれで。そっちの方がいいな」
「もう遅いですよ」
三郎が狐面の下からじとっとした目で見ると、天真は肩を竦める。しかし質問を取り下げる気はないようで、その目はずっと三郎を捉えていた。
(気まずい……)
これは答えるまで目を逸らしてはくれないな、と内心で溜息を吐く。とはいえ三郎としても別に隠す必要はなかったので、答えて気まずさから解放されるなら、と口を開いた。
「山狩りですよ」
「は?」
「だから、山狩りに来たんです」
§ § §
『お前に頼みたいことだが――』
三郎が四郎の外面の良さについて力説していると、白柊が徐に口を開いた。次に聞こえてくるのは主人の命令だ、三郎はすっと黙りその内容を聞き逃さまいと背筋を伸ばす。
「山狩りをして欲しい」
「……は?」
思わずそう零れたのは仕方がない、と三郎は思った。それまで貴人の調査の話をしていたはずなのに、それに続く命令が山狩りとはどういうことだろう。山に逃げた人間を追うことも山狩りと表現されることがあるが、そんな人物は思い当たらない。ならば文字通り山狩りをしろということで、しかしそう考えると尚更わけが解らなくなる。
三郎がそんな疑問を顕にした表情で「山狩りですか?」と聞き返すも、主から返ってきたのは首肯だけだった。
§ § §
「――いやいやいや、何のために?」
それが白柊の命だとはっきり言い切った三郎に、天真が困ったように尋ねる。しかしそう聞かれても困るのは三郎の方で、「知りませんよ」と返した声は少しぶっきらぼうになった。
「とりあえず草木も動物も、目についたものは一種類ずつ少量でいいからなんでも採ってこいと」
「……山の自然調査?」
「……だから知りませんって」
改めて聞かれると何故か居心地が悪い――そう気が付いて、三郎は明後日の方向を向いた。
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拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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