東雲を抱く 第一部

新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章

〈四〉日陰の笑み

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 月霜宮での白柊の数少ないお気に入りの場所の一つに、書史寮しょしりょうがある。用事が無い限り滅多に自分から御所の外に出ない白柊だが、ここだけは暇を見つけては通っていた。
 それに付き合わねばならない三郎は、この時間が苦手だった。何故なら書史寮は書物の管理や発行など昊涯国における書物に関する仕事すべてを請け負うが、白柊の目当てはそういった部分ではなく、その蔵書にあるからだ。この国最大の蔵書量を誇る書史寮の書庫はまさに書物の海。所狭しと置かれた書物が前後左右から押し寄せるような感覚が、肉体派の三郎にとっては少々、いや、かなりきつい。しかも御所の外であるから無駄話もできず、ただじっと、主人の用事が終わるのを待つことしかできない。

「――こんなもんか」

 その一冊を手に取って、白柊が小さく呟いた。それは三郎にとっては待ちわびていた言葉、この辛い時間の終わりを意味している。
 しかし御所の外のため虚鏡らしく、その喜びは一切見せない。黙ったまま白柊の背丈に合わせて少し屈んで、腕の中の書物の山がまた一段高くなるのを見届けた。

「これを今日中に」

 白柊の言葉と同時に、三郎は抱えた書物を書史寮の者に渡した。いくら時嗣の御子とはいえ、好き勝手に書物を持ち去ることは許されない。閲覧できる物に制限はないが、どの書物がいつ、誰に貸し出されたのか管理するのも書史寮の仕事だからだ。これらの書物は記録が済み次第、行雲御所に届けられる。
 ほんのすぐのことなので少し待って三郎が持って行ってもいいのだが、彼女の本来の仕事は守護。それを白柊が荷物持ちのように扱うところを大勢に見られては、他の者に示しがつかない。
 だから彼が持ちきれない量の書物を借りた時は、こうして書史寮に届けてもらう必要がある。係の者も白柊が来るのはよくあることなので、特に詳細を聞かないまま「かしこまりました」と返事をした。

 それを聞いた白柊はいつものように相手に小さく頷いて、くるりと書物の海に背を向けて歩き出した。とはいえ書史寮はその蔵書量ゆえ、歩き出したらすぐに外というわけにはいかない。蔵書の保管された広い部屋がいくつもあり、その部屋ごとに管理する係の者がいる。白柊達がいたのは真ん中あたりの部屋なので、歩くうちに何度か同じような部屋の前を通らなければならない。
 紙と墨の匂いが漂う静かな廊下に、白柊の小さな足音が響く。蔵書管理のみを行うこの区画はほぼ無音で、三郎は白柊の音だけを感じられるこの空間が好きだった。元々足音は立てないが、普段よりも一層注意して自らの音を消しながら白柊の後に続く。

 書史寮に来る唯一の楽しみと言っていい時間を楽しみながら歩いていると、不意に不要な音が三郎の鼓膜を震わせた。「白柊様」、小さな声で主を呼べば、白柊は三郎の僅かな声色の違いで何かを察したらしい。嫌そうに眉を顰めたが、すぐにいつもどおりの顔に戻り前を見据える。
 そしてそのまま少し歩くと、出口へと向かう角から人影が現れた。

(うわ、やっぱり菖蒲様だ……)

 角から出てきた者の姿を認めるなり、三郎は面の下で顔を顰めた。
 そこにいたのは、珍しく自らの足で書史寮を訪れていた時嗣の正室・菖蒲。二人の侍女を引き連れての登場だ。相手に気付かれていなければこっそりと無視したいところだったが、ここは狭い廊下、気付かないはずがない。

「これはこれは菖蒲殿、珍しいところで会いましたな」

 先に話しかけたのは白柊だ。菖蒲は時嗣の妻だが、月霜宮における身分は時嗣の御子である白柊の方が上。つまり白柊が無視すれば話す必要もなかったのだが、それをすれば菖蒲の顔に泥を塗ることになる。だから白柊は気を遣って彼女に声をかけた――わけではない。
 プライドの高い菖蒲の性格を考えると、そういった気遣いで敢えて話しかけた方が気分が悪いはず――白柊がそう考えて話しかけたのだということは、三郎には考えなくても分かった。
 その証拠に話しかけられた菖蒲の眉間に一瞬皺が刻まれる。しかしそこは流石時嗣の妻といったところ、すぐに何でもないように表情を戻し、にっこりと美しく笑ってみせた。

「時嗣の御子は相変わらずのようで。陽の光がないとはいえ、その宵をいざなう夕日のような髪はどこでも目を引きますね」

 菖蒲が言うと同時に、三郎は狐面の下で顔を歪めた。今の彼女の発言は、白柊に対して喧嘩を売っているようなものだからだ。
 長年暁に在り続ける分家の出身である菖蒲は、最近まで宵だった行雲家の出である白柊が気に入らないのだ。彼女が勝手にそう思っているだけなら害はないのだが、露骨に態度に出すため、いつも近くでそれを見る三郎としては非常に気分が悪い。今の言葉にしても、白柊の父方――つまり行雲から継いだ深紅の髪とその家柄、両方を馬鹿にしたものだ。

(ほんっと、感じ悪い……!)

 三郎が静かに憤る一方で、言われた白柊本人は全く動じていない。それどころか珍しくにこりと年相応に笑って、「お褒めいただき光栄です」とわざとらしく返した。

「菖蒲殿も、このような場所で見ると美しさが際立つようです。陽の光はあらゆるものの美しさを引き立てますが、必要のないものまで照らしてしまいますから」
「ッ――!」

(あ、白様の方が失礼だった)

 白柊のこの言葉を言い換えるならば、『暗いところの方が老化が目立たないな』といったところだろうか。身分に拘わらず時嗣の妻達に対しては自ら丁寧な言葉を使う白柊だが、これならばいつもの偉そうな言い方の方がまだマシだろう、と三郎は明後日の方へと視線を向けた。

「では、急ぐので失礼します」

 愛想の良い笑顔を貼り付けて、白柊は菖蒲の返事も待たずに背を向けた。しかしすぐに思い出したように「ああ、そうだ」と振り返って、今度は意地の悪い笑顔を浮かべてみせる。

「お探しの書物ですが、右奥の上段にあると思いますよ」

 菖蒲は言われた意味が分からなかったのか、訝しげな顔をするだけだった。


 § § §


「――性格が悪すぎでしょう」

 白柊の借りた書物は、二人が御所に戻った後すぐに届いた。いつものようにその整理を手伝いながら、三郎は少し前の白柊の発言を思い出して小さく呟く。

「先に喧嘩を売ってきたのはあちらだろう? それに探しものの場所も教えてやったじゃないか」
「それが性格悪いって言ってるんです。『右奥の上段』だけじゃあ、どの部屋のどの棚を指すのか分かりませんよ」
「菖蒲殿はそこまで阿呆じゃないさ。書庫全体ではなく、彼女の探している書物の分類の一角だと分かるはずだ」
「……それ私を阿呆って言ってます?」
「ああ」
「んもう!」

 突然の悪口に憤りながらも、三郎は何故白柊は菖蒲の探しものが分かったのだろうかと首を傾げた。

「白様と菖蒲様って本の好み似てるんですか?」
「まさか。まあ、今興味ある分野は同じだろうな」
「へえ、なんですか?」
「阿呆の扱い方」
「ああああもう!」

 三郎はそんなはずはないと鼻息を荒くして先程借りた書物を見てみたが、それぞれの書名には『税目』や『検死』、『刑法』、更には『生物図録』など、統一性のない単語が並んでいた。白柊が一度に様々な種類の書物を借りるのはいつものことなので気にしていなかったが、こうして見ると年上の自分ですら理解が難しそうなものばかりで、意思とは関係なく眉間に力が入っていくのが分かる。
 この中に菖蒲の興味を引きそうなものなどないではないかと思いながら、三郎は白柊がまた適当なことを言ったんだろう、と口を尖らせた。

「――大体、菖蒲様の年齢を攻撃するのはどうかと思いますよ? 白様の母君と同い年なのでしょう?」

 三郎が以前聞いた話では、菖蒲と白柊の母・翡翠ひすいは幼馴染なのだそうだ。菖蒲は分家の中でも特に格式高い有馬ありま家の出で、自分に釣り合いの取れる家柄の人間は、前時嗣の娘である翡翠くらいしかいないと付き纏っていたらしい。それなのに翡翠が当時宵だった行雲家に嫁いだことで、裏切りだ何だと騒ぎ立てたそうだ。
 そしてそれはすぐに敵対心に変わり、翡翠の子である白柊が時和だと知れた際に限界を迎えた。時嗣の正室でありながら自身に時嗣の御子となりうる子がいなかったのも大きいだろう。
 菖蒲が白柊を心底嫌うのはこのことが影響していると三郎は思っている。しかも白柊の髪色は憎き行雲を思い出させるのだから、その気持ちを抑えられなくても無理はなかった。

「俺は別に母上をお若いと思っていないからな」
「白様って博識ですけど、女心はからっきしですよね」
「必要ないだろう。そんなもの知らずとも、既に妻となる者だって決まっているようなものだし」

 事実、白柊の妻には時嗣の長女・ともえの名が挙がっている。

「そう余裕ぶっこいて、急に巴様が翡翠様みたく他家に嫁ぐってなったらどうするんです? 白様売れ残りますよ」
「時和の血が欲しい奴らは山程いる。問題ないさ」
「くっ……!」

 白柊の言う通り、時和の血は時嗣の分家すべてが欲していると言ってもいい。何故なら宵は自らが暁の位に上がることができるし、暁はその位を継続させるために時和が必要だからだ。

「なんだったら虚鏡に入ってやろうか?」
「御三家同士で争わせる気ですか!?」

 御三家のどこかに時和の血が入れば、現在の均衡は崩れるだろう。御三家という時和とは別の特別な力を持つ者達が争いを始めれば、その被害は尋常ではないだろうことは明らか。最悪の場合、この昊涯国の存続を脅かしかねない。
 誰よりもそれを危惧している三郎は、その事情を知っているはずの白柊に向かって盛大に顔を歪めてみせた。

「冗談に決まってるだろう」
「笑えませんよう!」

 慌てふためく三郎を見ながら、白柊は少しだけ悲しそうに笑った。
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