東雲を抱く 第一部

新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章

〈五〉真実を映す空

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 月霜宮――そこは昊涯国の主・時嗣を始めとした貴人達のいるところ。しかし実際に月霜宮に住まうのは、守護や侍従を除けば時嗣とその家族、そして時嗣の継承者たる時嗣の御子だけ。それ以外の貴族は時嗣の分家も含め、月霜宮の外に居を構える。彼らが月霜宮に赴くのは、そこで仕事をしているからだ。

 月霜宮に一番近い一帯は、宮城をぐるりと囲むようにして時嗣の分家の住まいとなっていた。東に暁、西に宵の分家が屋敷を置いている。時嗣と血縁関係のない貴族は更にその周りで、その中には御三家の屋敷もあった。
 月霜宮に出入りするための門は三つ。時嗣や時嗣の御子はどれでも使えるが、それ以外の者達には通れる門が制限されていた。暁の分家のみが使える東の門に、西の門は宵の分家専用。誰でも通れるのは南にある門のみ。その三つの中の、東の門のすぐ近くに天真は身を潜めていた。

「今日は出てこねェかなァ……」

 天真は白柊に、昇陽の観察を申し付けられていた。彼はまだ白柊の守護ではないが、信用を得られるならと引き受けたのだ。
 とは言え天真が追えるのは月霜宮の外のみ。白柊からは昇陽が公務で絶対に月霜宮の外には出ない日というのは聞いていたが、それ以外の予定はさっぱり分からない。だから天真は夕刻の、もう外には出ないだろうという時間まで、いつ出てくるかも分からない昇陽を待たねばならなかった。

 現在はまだ昼過ぎ、見切りをつけるには早い。手の中でくるくると弄ぶ煙管は、ここが茂みの中でなければ役に立ったかもしれない。しかし何もないはずの茂みから煙が出ていたら目立ってしまうため、この仕事中はもっぱら手遊びにしか使えなかった。
 せめて青葉生い茂る季節であれば木の上に隠れられたものの、今は冬。そんなところにいたらとにかく目立つ。かと言って他に隠れられるところも、長時間居座っても不自然でない場所も周囲にはない。ここは暁の土地、整備されているという以上に、住んでいる人々の目が厳しいのだ。

 いくら訓練を積んでいるとはいえ、こうも毎日毎日空しか見るものがないというのも流石に飽きてくる。どう暇を潰そうか悩んでいると、天真は突然背後に気配を感じた。
 近付いてきた相手は気配を隠そうとしているわけではないようだが、普通の人間では有り得ない距離でその存在を悟れるようになったことから、御三家の人間と思われる。ならば偶然通りかかったのではなく、自分に用があるのは明らかだ。
 
(暇つぶしにはちょうどいいか?)

 相手が何をしに来たのかは分からない。御三家同士もあからさまに敵対しているわけでもない。それでも場合によっては自分の暇つぶしに付き合ってもらおうかと思いながら、天真はほんの少しだけ潜み方を甘くして、相手の出方を待った。

「天真殿」

 聞き覚えのある声が控えめに響く。天真は周囲に人気ひとけがないことを確認すると、すぐに茂みの中から飛び出した。

「これはこれは! 三郎ど……の?」

 勢い良く飛び出した天真の目に映ったのは、予想通りの人物の予想外の姿。これは想定していなかった、と天真は呆気に取られてその場に立ち尽くした。

「なんですか、その反応」
「いやいやいや、いや?」
「『いや』だけじゃ分かりません」

 そう言って不機嫌そうにする三郎の顔は、確かに以前見たものと同じ。いつもの狐面をつけていないのも不思議だったが、それよりも顔から下がおかしい。彼女は虚鏡で性別を隠しているはずなのに、どういうわけか女物の着物に身を包んでいるのだ。

「一体どういう風の吹き回しで? あ、もしや俺に女として会いに来てくれたとか!?」
「そんなわけないじゃないですか。変装ですよ」
「……変装っていうのは、元の姿を隠すためにするものなんじゃ?」
「だからそうしてるでしょう。私の元の姿は貴方が見慣れている方です」

 きっぱりと言い切る三郎を、天真は少し残念に思う。こうして女の格好をしている状態こそ彼女の本来の姿のはずなのに、それは違うのだと言っている。主の元で顔も性別も面で隠す姿こそが本当の姿だと、そう言っているのだ。
 これだけの容姿を持ちながら、それはあくまで変装である――羽刄といえど決まった主を持ってこなかった天真にとって、三郎のその感覚は分からなかった。いや、これは虚鏡独特なのかもしれない。しかしどちらにせよ分からないのは事実だ。
 天真は誤魔化すように頭を掻いて、「それにしても、よく俺がここにいるって分かったな」と話を逸らした。

「潜んで門を見張れる場所は限られていますから。さすがに天真殿の気配は私には探れません」
「なんだ、当てずっぽうかよ」
「非常に腹立たしいですが、そういうことです」

 むっとしたように言う三郎を見て、天真は彼女が自分との力量差を気にしていることを知った。守らねばならない主人がいるのだから当然の感情なのだろう。天真にはまだ分かりそうにもないが、いずれ知るのかもしれないと思うと少し楽しみでもある。
 ただ、今はそれを素直に喜んでいる場合ではなかった。先程の三郎のやり方は、潜んでいたのが自分でなかったら危険なものなのだ。

「でもいきなり名前呼ぶとか不用心すぎんだろ。俺じゃなかったら襲われてたかもしれないぜ?」
「気配を探れなかったのは近付く前までですよ。天真殿、御三家の誰かが来たと分かったからわざと気配漏らしたでしょう」
「……そういやそうだった」

 囮に自分自身を使ってしまうのは天真の悪い癖だった。今は目立つことは避けるべきだというのについついやってしまったと思いながら、三郎に「白柊様には内緒にして」と目配せする。

「……今回だけですよ」
「よっしゃ、三郎殿ってばイイ女!」
「取り消しましょうか?」
「褒めただけじゃん!」

 天真が弁明するも、三郎は彼へと向ける視線の冷たさを変えなかった。なるほど、この少女はそこらの女を褒めるのと同じやり方は好まないらしい――虚鏡で育った弊害だろうかと考えながら、天真は気を取り直すように再び話題変更を試みる。

「ところで、俺に用事ってことでいいのか?」
「はい。白様から伝言が」
「昇陽様の用事のある日が変わったとか?」
「あ、そうです。よく分かりますね」
「それくらいしかないでしょ。あの方まだ俺に冷たいし」

 天真がそう言うと、三郎は「そうですね」と笑みを零した。それはまだ天真が見たことのない表情で、何故だか胸がざわりとさざなみを立てる。
 しかし三郎はそれに気付くことなく、変更となった昇陽の予定を淡々と伝えた。そして用が済んだとばかりに「それでは」と一言だけ言って、後ろを向いて歩き出そうとする。

「いやいやいや、それはないでしょ」
「え?」
「だってほら、折角可愛くしてるんだから!」
「……仕事中に変態発言はやめてください」
「だから褒めただけ!」
「ならこの手はなんですか」

 三郎にそう言われて初めて、天真は自分が彼女の腕を掴んでいることに気が付いた。これまで手袋に隠されていたその腕は、思っていたよりもずっと細い。

(あァ、確かにコレは首捩じ切れねェわ)

 いつかの会話を思い出しながら、天真は無意識のうちに三郎の腕を握る力を弱めていた。

「天真殿?」

 動かなくなった天真を不思議に思ったのだろう、三郎がその顔を覗き込む。身長差があると言っても、その距離はまるで気心知れた仲のよう。
 これまで三郎に嫌がられていた自覚のある天真は、急な近さにほんの少し動揺を覚えた。しかも初めてしっかりと見る三郎の目は空と同じ色をしていて、その中に映り込む自分はおかしな顔をしているのが見える。

「マジか……」
「なんですか?」
「いや、こっちの話」

 自分の間抜け面が示すところを理解して、これでは白柊をからかえないではないかと顔を顰める。仕方がないのでそれを誤魔化すように三郎の腕を引っ張れば、この少女はいとも簡単に自分の胸に激突した。

「ちょっと! 何するんですか!」
「いやアンタこそ、ちゃんと踏ん張れよ」
「こんな下駄でできるわけありません!」

 普段男の格好をしているからか、女物の少し底の厚い下駄はうまく履けないらしい。それがなんだかちぐはぐで面白く、天真の顔が緩んでいく。

「何笑ってるんですか!」
「ん、こりゃアンタのことを拐えってことかなと」
「仕事中ですよね!?」

 ぎゃあぎゃあと声を上げる三郎は、今日の格好のせいもあってか本当にただの町娘にしか見えない。ほんの少しだけ町娘よりも力が強いが、自分にとっては些細な問題だ、と天真は小さく笑みを浮かべた。

「なァ、本当にこのままどっか行く?」

 逃げようとする三郎の身体を抱き竦めて言えば、見上げてきた双眸はやけに真面目な顔の男を映した。

「何言って……――あ、門開きますよ!」
「今かよ!」

 開く門の先に目的の人物を見つけて、天真の胸には残念な気持ちが広がる。「じゃ、またな」と少し気落ちした声で言えば、「頑張ってください」と柔らかな笑みを返された。

(なんだかなァ……)

 本当にただの町娘のような三郎を見送りながら、天真は小さく苦笑いした。自分の知る虚鏡とは全く異なる彼女の様子に、調子が狂わされているのが分かる。虚鏡というのはその名が表すとおり、虚堂懸鏡きょどうけんきょうを信条としているのだ。全ての物事を私情を挟まず公平に見つめるため、彼らは己を滅するよう育てられる。
 天真が今までに出会った虚鏡は、誰も感情を表に出すようなことはしなかった。しかも身に付けている面にはどれも顔がなく、話していて気味の悪い思いをしたのを覚えている。それなのに三郎は笑顔の狐面を付けているし、からかえばとても大きな反応を返す。
 頭のどこかで虚鏡を相手にしていると意識しているからか、どうにも彼女と接していると混乱してしまうのだ。先程間抜けな顔をしてしまったのは、きっとそのせいだろうと天真は溜息を吐いた。

(……あ、ちゃんと顔見るの忘れた)

『なァ、本当にこのままどっか行く?』

 自分の中の混乱を紛らわそうと苦し紛れに発した言葉は、何故かとても真面目な響きになってしまった。流石に本気と取られてはいないだろうが、一瞬でもそう思ったのなら相当面白い反応が見られただろう。
 それを見損ねてしまったことを少し後悔しながら、天真は後を付けた昇陽が雪丸と合流するのを見届けた。
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