東雲を抱く 第一部

新菜いに

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第四章

〈一〉終わり告げる雪解け・壱

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「――いやァ、やっとここに来るのが楽になった」

 そう言って、天真は畳にどさりと腰を下ろした。

「酷いですよ、白様。なんで天真殿がここに来られるようにしちゃったんですか!」
「何かと不便だろう」
「それはそうですけれども!」

 三郎が憤るのは天真のいる場所のせいだった。そこはいつもの離れ――未だ守護の任に就いておらず、月霜宮に入ることすら難しい天真がいるはずのない場所なのだ。

「まァそう怒るなって。それにしても、まさか白柊様が手配してくださるとは思っていませんでしたよ、コレ」

 言いながら、天真は木でできた札を手の中で弄ぶ。それは月霜宮に頻繁に出入りする必要のある者に渡される通行証だった。
 これがあれば許可された場所なら事前申請なく訪れることができる。とはいえ天真の通行証で許可されているのは行雲御所だけで、さらに行雲御所に着いても主である白柊の許可を都度取らねば先へは進めない。

「お前とのやり取りのために、毎回守護が不在になるのは何かと面倒だからな」

 白柊はこれまで、天真とのやり取りは月霜宮の外で三郎を使って行っていた。御三家の持つ連絡経路を使っても良かったのだが、白柊が天真に命じているのは現時点では彼の個人的な調べ物だ。そんなもののために虚鏡や羽刄を私物のように動かしては、いくら白柊の立場があっても角が立つ。そのため白柊は三郎を使うしかなかったのだ。
 天真とのやり取りには三郎の移動も含め大抵そこまで時間はかからなかったが、不便は不便。聞けば天真のいる場所によっては三郎は変装しなければならない。しかも先日天真と会ってきた彼女は「もう今日の変装使えない! 面倒臭い!」と腹を立てていた。理由は天真が調子に乗るからだそうだが、そうならないよう変装の準備をするのもそれなりに手間らしい。
 そこで白柊は兵部を通じ、次期守護への引き継ぎという名目で通行証を用意したのだ。

「でもこの人がいると私がのんびりできません!」
「お前自分が仕事中だって忘れてないか?」
「白様ひどい! 私は仕事をのんびり気楽にしたいだけです!」
「すっげ、守護の発言とは思えねェな」

 白柊とのやりとりに笑う天真を、三郎がキッと睨みつける。一体誰のせいでこうなったのかとでも言いたげな表情で、白柊の影に隠れながら睨み続けた。

「別に常にいるわけじゃない、報告がある時だけだ」

 主人を盾にする守護に溜息を吐いて、白柊は呆れたようにそう付け加えた。しかし先に反応を示したのは三郎ではなく天真の方で、驚いたと言わんばかりに目を丸める。

「あ、そうなんですか? てっきり俺は自由に出入りが許されたのかと」
「そこまで信用されている自覚があるのか?」
「いいえ、ないっす」

 まったく動じない様子で天真が笑う。それを見ていた三郎は白柊の方へと身を乗り出すと、勢いよく喋りだした。

「じゃあ今日は通行証試しに来ただけですね? 報告もないんですね? ――さあ天真殿、帰ってください」
「おいおい、主人の客人を勝手に帰すなよ」
「……白様ぁ」
「今日は報告もあるはずだ、我慢しろ」
「うぅっ」

 涙目になりながら、三郎は気持ちを紛らわそうと懐から饅頭を取り出した。それを見た天真が「お、面外すの?」と問えば、三郎ははっとしたように饅頭をしまい直す。

「なんでしまうんだよ。食べりゃいいじゃん」
「天真殿の前で面を取りたくありません」
「いいだろ、もう見たんだから」
「……面を外したのか?」

 白柊がじっと三郎を睨む。

(なんで私ばっかり……!)

 確かに先日の変装では自主的に素顔を晒したが、その前に面を外したのは天真の悪巧みのせいだ。
 それなのに何故自分が白柊の怒りを買わねばならないのだろうか――三郎は納得がいかないと思いながら、ありったけの悪意を込めて「天真殿が無理矢理外させました」と諸悪の根源を睨みつけた。

「面には手を出すなと言ったはずだが?」
「いやァ、事故ですよ、事故」
「わざとでしょう!」
「そう怒りなさんなって。ほら、俺の団子やるから。これさっき買ったやつだから、多分その干乾びた饅頭より美味いぞ?」
「あっ……うぅ……」

 見るからに美味しそうな団子を目の前に出され、三郎の気持ちが揺らぐ。天真の言う通りその団子はまだ白く、ツヤがあった。匂いはといえば当然出来立ての仄かな米の香り。潤いのあるあんこがたっぷりとかけられ、今食べるのが一番美味いのは明らかだった。

「これからここに来る時は、毎回菓子買ってくるつもりだったんだがなァ。でも面をつけたままじゃ食えないか。折角三郎殿の分まで用意してきたけど、これはもう男二人分でいいってことだな」

 名まで知られたのか、と白柊が三郎を睨みつける。しかし三郎は団子に夢中なようで、「見られたならもう隠す必要はない……? 顔を出せばお菓子が食べられる……?」と小さく呟いていた。

「三郎殿が食うってんなら、次はアンタの好きなモンを買ってくるんだけどなァ」
「た、食べます!」

 そう言うなり面を取って、三郎は団子に齧りついた。

「あまり勝手に餌付けしてくれるなよ」
「そいつァ難しい相談っすね」

 睨む白柊に、笑う天真。天真が笑みを引っ込めたのは、三郎の手が自分の分の団子を捉えた時だった。


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