東雲を抱く 第一部

新菜いに

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第四章

〈二〉終わり告げる雪解け・弐

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「――で、どうだ?」

 天真の持ってきた団子がなくなる頃、白柊が気を取り直したように天真に問いかけた。今日彼がここに来たのは団子を食べるためでも、通行証を試すためでもなく、白柊に命じられていた昇陽の調査結果を報告するためなのだ。

「実に平和ですよ。昇陽様は大きい獲物だと躊躇うのか、中々上達しませんがね。しかし雪丸様も別にそれを嫌そうにしているわけでもないし、本当にただの仲の良いご兄弟って感じです」

 そう言って天真は饅頭を頬張った。これは先程三郎が食べようとしていたもので、天真の分の団子も食べてしまったと気付いた彼女がお詫びにと差し出したのだ。例の如く数日物だが、天真も三郎と同様毒の効かない体質なので気にした様子はない。干乾びているせいで「口が乾くな」と零せば、三郎が気まずそうに茶を差し出した。

「日永殿は関わってこないのか?」
「全然。鴨と鹿では狩場が違うってのもあるでしょう」

 言いながら、天真は両手の人指し指でそれぞれ真逆の方角を指した。指している方向自体はでたらめだが、月霜宮から見るとそれくらい鴨と鹿では狩場が異なるという意味だ。白柊はあまり外に出ることはないが、月霜つきしも周辺の地理は頭に入っている。狩場の話と天真の指の動きで、白柊にも彼が何が言いたいのかは察することができた。
 それでも納得いかないような表情を浮かべているのは、日永が関わってこない理由が分からないからだ。

「雪丸殿と昇陽殿が二人で出かけるならば、流石に日永殿も声をかけるくらいはあってもいいと思うんだが」

 そう呟いて、白柊は小さく首を傾げた。普段の日永であれば、昇陽はともかく雪丸にまで用もないのに声をかけることはしないだろう。
 しかし昇陽に鹿狩りを教えてくれと言い出したのは、他でもない日永なのだ。二人が出かけるところを見れば、明らかに鹿狩りだと分かるはず。それならば日永の立場としては、軽く挨拶をするくらいはあってもいいはずだと白柊は考えていた。

「いや、それがお二方が一緒に月霜宮から出てきたことすらないんですよ。一、二週間に一遍は狩りに出てるんで、たまたまってことはないとは思うんですが……。基本バラバラに出て外で合流していますよ。帰りもおんなじ」

 「ま、中が実際どうなのかは分かりませんがね」、と天真が付け足したのは、自分が月霜宮に自由に出入りできないことを強調するためだ。先程の通行証を得たことで一応は可能となったが、現在話しているのはそれよりも前のこと。宮城に忍び込むのは不可能ではないが、白柊の信用を得るには禁止された行動は慎まなければならない――彼がそう認識していることも、今の発言は示していた。

 言外に含まれたその意味に、白柊は小さく頷く。たとえそれが事実であろうがなかろうが、天真が月霜宮への侵入を罪だと理解しているだけ十分なのだ。言っても分からない人間でなくてよかったと思ったが、同時にそれはこれ以上天真に日永のことを聞いても無駄だということを意味していた。
 ならばこの話は終わりだと言わんばかりに、白柊は「他に何か変わったことは?」と天真に報告の続きを促した。

「特にないっすねェ。強いて言うなら、雪丸様は前評判通り優秀な方ってことくらいですかね。山で気を付けるべきこととか、ちゃんと心得ているようです。勇猛な外見同様、しっかり山男って感じですわ」

 ふむ、と白柊が顎に手を当てる。

「雪丸殿はそういうことを誰に聞いたんだろうな。彼に寄ってくるのは権力目当ての愚鈍な貴族共くらいだ。そいつらの狩りの腕はともかく、周囲の警戒なんかは付き人に任せっきりだろう。そんな人間に教えられるとは思わないが」
「ああ、それは昇陽様も聞いてました。なんか守護に教えてもらったみたいですよ」

 天真が白柊の疑問に答えれば、白柊は少し首を捻る。そしてすぐに思い出したかのように口を開いた。

「雪丸殿の守護は羽刄か」
「ええ、うちのもんならそこら辺のお貴族様にゃ山の知識じゃ負けんでしょう。一応その守護に探りを入れてみましたが、狩りのコツなんかもちょこっと聞かれたことがあるみたいで」

 天真は何気なく言った言葉だったが、白柊は意外と言わんばかりの表情を浮かべた。

「自分から守護に尋ねたということか? それとも守護の方から?」

 その質問に天真は一瞬意味を測りかねたが、すぐにこれは珍しいことだと思い至った。目の前の主従を見ていると忘れてしまうが、本来守護は主を守ることだけが仕事。周囲に危険がない限り、主が話しかけなければ自分から言葉を発することはない。そして主となる者達は皆気位が高く、特に守護に教えを乞うなどということは通常有り得ないのだ。
 そのことに気付くと、やってしまった、と思いながら天真は気まずそうに眉根を寄せた。

「あー……すんません、そこは聞いてません。ただ羽刄の人間なら、主人が面白そうなら自分から教えるってこともあると思いますよ。虚鏡はないと思いますが」

 そう言って、天真は三郎に視線を合わせた。

「そうですね、有り得ないです」
「お前が言うと説得力がないな」
「うっ」

 白柊の指摘に三郎が顔を歪める。だが虚鏡どころか守護としても有り得ないくらい主と話している自覚のある三郎には何も言い返すことができなかった。

「――ま、雪丸様は言い方は悪いですが、変わり者って奴ですね。貴きお方にしちゃァ、守護にも平然と教えを乞う。勉強熱心って言ってもいいですけど、外で町人と変わらないやり方で飯食うのもお好きみたいで」
「変わらないっていうのは……敷物を敷かないとかです?」

 天真の言葉に質問を投げかけたのは三郎だ。月霜宮の貴人は外で食事をしないわけではないが、その際は敷物を敷いた上で座布団やら何やらが用意される。外で食べるとは言っても、もはやそこだけ室内のような状態になるのだ。天真がそれを知っているかは分からないため、どこまでの状態を指したのだろうと確認するために三郎は問いかけた。

「ああ、それどころか適当なところに適当に座って、守護が用意したんだろうが、下町で買ってきたような甘味とかしょっちゅう食ってらっしゃるよ。指まで舐るから服装が違えば完全に庶民って感じだな、ありゃ。こないだなんか落としたモンも拾って食って、昇陽様を驚かせてたし」
「それは確かに白様だったら有り得ないですね」

 神妙な様子で三郎が頷く。それを見た白柊は「……落ちた物は流石におかしいだろう」と言いながら、天真に向き直った。

「昇陽殿が驚いていたということは、一緒に外で食事を?」
「ええ。とはいえさっき言ったような食い方なんで、最初は昇陽様ドン引きでしたがね。でも最近は気楽そうですよ。やっぱ母君がおっかないんですかねェ」

 昇陽の母・菖蒲の性格は天真にも知られているらしい。プライドが高く教育熱心で、日永だけでなく昇陽もまた相当厳しく育てられたという噂は三郎も耳にしている。現に十九歳になる昇陽は菖蒲に全く頭が上がらず、それどころか大抵のことは彼女の指示のもとで行っているというのは月霜宮では有名な話だ。

 そこまで天真の報告を聞いていた白柊は、菖蒲のことを聞き返すことはしなかった。月霜宮の外しか見られない天真の報告なのだ、宮城の外に出ない彼女のことを聞いても意味がないことは明らか。それ以外も特に気になることはなかったのか、白柊は納得したように小さく頷いた。

「また何かあったら知らせてくれ。そうだな……昇陽殿が初めて鹿を仕留められたら、その時の様子を事細かに見ておいて欲しい」
「それはまたどうしてです?」

 問いかけたのは天真だが、三郎もそれは疑問に思った。これまでの経緯から昇陽を調査するのは納得できるが、鹿狩りの様子などそれほど重要には思えなかったからだ。
 しかし不思議そうな雰囲気を出す二人とは違い、白柊は「決まっているだろう」と、さも当然とばかりに笑ってみせた。

「祝の言葉を変えるんだ」
「はあ……」

(高貴な方ってよく分からないなぁ……)

 三郎から見て、白柊はあまり貴人らしくない。彼の立場は他国で言うと王族にあたるはずだが、自分のことは自分でやるし、こうして時嗣の分家どころか貴族でもない三郎や天真とも普通に話す。立ち居振る舞いなどには気品が滲み出ているが、そういった貴族以外の人間に対する態度や、何にでも興味を持つところは、三郎の中にある高貴な人物像というものからは少し外れているように思えるのだ。
 しかし、時々こうして身分が高い者らしいよく分からない気遣いをしてみせる。三郎としては祝の言葉など気持ちが伝われば何でもいいではないかと思ったが、貴族というのはこういった形を大切にするらしい。第一白柊には昇陽を祝う気持ちも本心では微塵も持ち合わせていないだろう――そう気付くと、形だけでもしっかりとやるというのは、それはそれで良いことなのかもしれないと納得した。

「――ちなみによう、白柊様」

 三郎が考え事をしていると、天真が控えめな調子で白柊に話しかけた。

「なんだ」
「これ何のために調べてんすかね? 三郎殿のやってたことと関係あるんだろうなァと思っちゃァいるんですが」

 その疑問を天真が持つのは当然だ。先日の茶会からの経緯を知っている三郎と違い、天真は何も聞かされていない。ある程度命じられた内容から想像することはできるだろうが、今の状態では昇陽の鹿狩り成長記録でしかないのだ。
 白柊にもその天真の考えが分かったが、いちいち説明する気はないとばかりに肩を竦めた。

「言っただろう、俺は己に寄る虫を払うと」
「昇陽様と雪丸様の関係が、貴方様の虫になりえますか?」

 天真が問いかければ、白柊は外へと視線を移した。

「虫――例えば蟻というのはどこにでもいる。外で餌に集っているなと見ていたら、次の日には部屋の中に現れることもある。いつ落としたのかも分からん菓子の欠片を狙ってな」
「あのお二方――いや、昇陽様が蟻だと?」

 天真が視線を鋭くする。余分なことは聞かず、必要なことのみを尋ねようとする彼の姿勢に白柊は満足そうに笑みを浮かべると、何でもないことのように口を開いた。

「かもしれない、だな。私の邪推であればいいが、そうでないならいずれ必ずこちらにも来るだろう」

 どうして、と天真は聞かなかった。気になったのは間違いないが、白柊がそれ以上聞くなと言っているように思えたからだ。

「――なるほど、意図は分かりました。ですがいつまで続けるんです? 誰かが行動を起こさない限り、そのいずれが来るのかどうかも分からない。そんな不確かなもののために神経削るんですか?」

 天真の問いに合わせて、三郎も白柊を見る。彼女も気になっていたのだ、一体これがいつまで続くのだろう、と。
 すると白柊は静かに笑って、二人にゆっくりと視線を合わせた。

「安心しろ、春までには分かるさ」
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