東雲を抱く 第一部

新菜いに/丹㑚仁戻

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第四章

〈三〉蟻の心

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 月霜宮では月に一度、祭祀が行われる。年末年始の盛大なものは時嗣が祭司となるが、それ以外は時嗣の御子が執り行うのが通例だ。現在の月霜宮には時嗣の御子が二人いるため、この二人が月ごとに交代で祭司となる――はずなのだが、今代は一月ごとに二人の時嗣の御子が祭祀を執り行っている。
 つまり二人のうち一方は、毎月祭司とならなければならない。そしてその一方こそが白柊だ。何故ならこの祭祀には丸二日費やされ、取り仕切る者の仕事も膨大。白柊はそれでも問題なかったのだが、琴の方がそうはいかなかった。覚えなければならない手順や祝詞を未だ全て覚えきれず、一人で人々の前に立たせるには危うすぎる。
 白柊との立場が逆であれば、それでも許されただろう。しかし琴は次期時嗣として人々に期待されている。そのため彼女がミスを侵せば、白柊以上に時嗣の信用問題に関わってしまうのだ。

 この月は、琴と白柊が二人で祭司を務める回だった。滞りなく全てが終わった後、白柊は相変わらず危なっかしい琴のお守りからやっと解放されたと疲れを感じながら、祭祀の会場である天霄殿てんしょうでんを後にしようとしていた。

「――白柊様」

 三郎が静かに白柊に声をかける。ここは行雲御所の外、守護らしく普段の呼び方はしない。
 白柊がその声に顔を上げると、三郎は少し遠くの方を示した。

「昇陽殿か」

 視線の先にいたのは、昇陽とその守護だった。祭祀には時嗣の妻と子供達も参加することが義務付けられているため、別段不思議なことはない。それなのに三郎が白柊に声をかけたのは、彼が昇陽と接触したいと考えているかもしれないと思ったからだ。
 そして三郎のその考えは正しかった。白柊は疲れ切ってきってはいたが、この機を逃すと中々昇陽と二人で会うことはできない、と己を叱咤する。何故なら月霜宮での昇陽は常に日永か菖蒲の後ろにいて、一人になることが殆どないからだ。

「――昇陽殿」

 白柊は昇陽に近付き、偶然を装い声をかけた。後ろから声をかけられた昇陽はびくりと大袈裟なまでに肩を揺らし、「ゆ、行雲宮ゆくものみや……!?」と声を漏らした。
 この行雲宮というのは、時嗣の御子の呼び方の一つだ。白柊は元々行雲という姓だったが、時嗣の御子として月霜宮に入った時点で行雲宮となった。時嗣の御子の名を呼ぶならこれが正式なものであるため、白柊から距離の遠い者は彼を名では呼ばずに行雲宮と呼ぶのだ。

「何か御用でしょうか……?」

 怯えたように昇陽が尋ねるのは、相手が白柊だからかもしれない、と三郎は思った。恐らく菖蒲に白柊とは関わるなとでも言われているのだろう。次期時嗣である琴の機嫌は取るべきだが、白柊は位だけで時嗣となれる可能性は殆どなく、その上菖蒲にとっては大嫌いな行雲の子なのだ。それくらい言われていても不思議ではない。
 しかも昇陽は菖蒲や日永が白柊に絡むところを何度も見ている。白柊が彼らに良い印象を抱いていないと考えるのは当然で、もしかしたら自分にその怒りの矛先が向くのではないかと懸念しているのかもしれない。

 白柊もそういった昇陽の心情は理解しているだろう。しかし彼は全く気を遣う素振りも見せず、「ああ、少し話がしたくてな」と大人びた笑みを向けた。

「……話、ですか?」
「何、大したことじゃない。先日菖蒲殿に書史寮で会ったのだが、その際に間違ったことを言ってしまったと思い出したんだ」
「母に……?」
「ああ、言伝を頼まれてくれないだろうか?」

 菖蒲に、と言われてしまえば昇陽は断れないだろう。三郎は明らかに動揺している昇陽を見ながら、少し彼を哀れに思った。
 白柊と接触すること自体を禁じられているかもしれないのに、その白柊からの伝言を菖蒲に伝えなければならないのだ。かと言って伝えなければ、いつか菖蒲に不都合があるかもしれない。どうあがいても昇陽は菖蒲の機嫌を損ねる運命だ。

「……一体、何でしょうか?」

 覚悟が決まったのか、昇陽が恐る恐る尋ねる。それを見て白柊は、以前菖蒲に見せた愛想の良い笑顔を浮かべた。

「『やはり陽の光の下の方が物は美しく見えます。しかし少し足りないようなので、侍女達に白に近い、明るい色の着物を着せたらいかがでしょうか』――そう、伝えてくれないだろうか」

 白柊の言葉を聞いて、三郎は思わず面の下で顔を盛大に顰めた。要は陽の光を反射させてもっと明かりを強めろと言っているのだ。
 しかも明るい色の着物を着るのは菖蒲本人ではなく侍女を指定している。菖蒲の年齢を考えると確かに多少は色味を落とすべきだが、こうもあからさまに言うとは、と三郎は目眩がするようだった。今はまだ菖蒲に伝わっていないが、もしこれを本人を目の前にして言っていたらと思うとぞっとする。

 しかしそう感じる三郎の一方で、先日のやりとりを知らない昇陽は意味が分からないという表情をしていた。肝心の菖蒲という主語がないから当然の反応だが、言葉を発した白柊はとても楽しそうだ。こんなことを息子の口から伝えられれば、菖蒲の怒りは物凄いものになるだろう。
 これでは完全に昇陽に対する嫌がらせではないか――三郎はわざとらしく咳払いをした。この場で守護の勝手な発言は許されないが、これくらいなら大丈夫だろう。
 三郎の咳払いを聞いた白柊はほんの少し肩を竦めて、「まあ、言うか言わないかは貴殿にお任せする」と付け足した。

「伝えなくてよろしいので……?」

 しかし昇陽の立場からすれば、白柊の言葉は何か裏があるのではないかと思うだろう。わざわざ自分を呼び止めたのに、その理由であった菖蒲への言伝は伝えなくてもいいと言う。一体何が起こっているのかと言わんばかりの顔で、昇陽は白柊を窺い見た。

「うむ、これを言うと貴殿の立場が危うくなると気付いてな。何なら、先に日永殿に相談してみてもいいだろう。きっと彼も伝えるのを渋るだろうから」
「ご自分で母に言うというのは?」
「菖蒲殿が私に会うと思うか?」

 白柊が困ったように笑うと、昇陽は慌てて「失礼いたしました」と頭を下げた。恐らくこれまでの菖蒲の白柊に対する無礼を思い出したのだろう。
 自分の失言に気付いた昇陽は気まずそうにしながら、白柊の次の言葉を待っていた。本当は早くこの場から去りたいのだろうが、白柊に呼び止められた以上彼より先に動くわけにはいかない。つくづく可哀想な人だな、と三郎はこっそり息を吐いた。
 
「――時に、昇陽殿」
「はい」

 昇陽の気持ちに気付いているはずなのに、白柊はまだ彼を解放する気はないらしい。新たな話題を繰り出すべく、ゆっくりと口を開いた。

「日永殿とはうまくやっているか?」
「え……?」
「実は貴殿や雪丸殿が鹿狩りに出かけるのは見かけるのだが、二人で一緒に外に出てはいないだろう? もしや日永殿に気を遣っているのではないかと思ってな」

 それは先日聞いた、天真からの報告内容を確認するものだった。二人が一緒に鹿狩りに出かけるところを見かければ、日永は声をかけざるを得ない。それは日永も、そして昇陽や、もしかしたら雪丸でさえも望むものではないかもしれない――天真が帰った後、白柊がそうぼやくのを三郎は聞いていた。三人の関係性を考えれば有り得なくはないと三郎も思ったが、当事者達からの話を聞いていないため確信は持てていなかったのだ。
 そして問われた昇陽はといえば、顔を強張らせている。それは白柊の言葉が事実だと認めているようなものだったが、昇陽は慌てたように首を振った。

「そんな……考えすぎですよ。兄上――雪丸は私に教えやすいようにと、早く出て準備してくれているのです」
「指南してもらう身で、のんびり後から行くのか?」
「あっ……いや……」

(嘘が下手な人だなぁ……)

 言葉もそうだが、目がしきりに泳いでしまっている。きっと昇陽は嘘など吐けない人間なのだろうと考えながら三郎が白柊の様子を窺うと、彼もまた軽く苦笑を浮かべているのが分かった。

「冗談だ。雪丸殿もあの性格だから、彼に言われたなら従わないとむしろ気を遣わせてしまうのだろう?」

 白柊がそう助け舟を出せば、昇陽は小さく頷いた。
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