アザー・ハーフ

新菜いに/丹㑚仁戻

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第二章 トカゲの尻尾

08. 手がかり

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 眠らない都市、東京。
 その中でも名前だけなら全国の若者が知っているであろう街――渋谷に、蒼と朔はやってきていた。平日ど真ん中の夜であるにも拘らず、若者だけでなく会社員と思しき人々もそこかしこに溢れている。

 ――何度来ても苦手だなぁ……。

 オフィス街とはまた違った、混沌とも言える人の流れに押し流されそうになりながら、蒼は隣を歩く朔とはぐれないように歩を進めていた。

「すっげぇ人だな」
「渋谷ですからね。島だとやっぱりこういう光景はないですか?」
「ないな」

 振礼島という離島で育ったならこの状況は居心地が悪いだろう。蒼は朔の表情を窺ったが、意外にも彼は気分の良さそうな表情を浮かべていた。
 それも少し機嫌が良いどころではない。まるで広大な大地広がる大自然で深呼吸をしたかのような、およそこの場では誰もしないような表情だ。
 今の状況と全く似つかわしくないその様子に、蒼は「もしかして朔さんって根っからのパリピだったりしますか?」と眉をひそめた。

「なんだよパリピって」
「パーリーピーポー。ウェイウェイ系な人たちですよ」
「意味分かんねぇ」

 そう顔をしかめた朔だったが、身に纏う雰囲気はやはりどこか機嫌が良さそうだ。

 ――無自覚パリピもいるのか。

 自分には理解できない生態に蒼は苦い表情を浮かべる。
 朔が大はしゃぎしながら笑顔で踊りまくるという光景は想像できなかったが、自分にまだ見せていないだけでそういう一面もあるのかもしれないと、得体の知れない同居人の性格を心配したのだ。
 何せ彼は積極的にクラブに行きたがっている。まだ猫をかぶっているだけで、そのうち家にパーティーミュージックが流れ出すのでは――自分とは全く合わない人種に聖域を侵されるかと思うと、蒼の背中にはゾッとしたものが走った。

「朔さんの遊びに付き合うのは今日だけですよ?」

 自分は決してパリピではないと念を押す意味も込めてそう告げる。朔は心外そうに片眉を上げると、「誰が遊んでんだよ」と意外な言葉を返した。

「ちゃんと調べてんじゃねぇか」
「どこがですか。生き残りの目撃情報は教会や犯罪現場ですよ? たしかにクラブも場所によっては犯罪行為が行われているかもしれませんが、普通目撃情報があった場所から探すでしょう」
「じゃあその犯罪現場とやらの目星はついてんのかよ? 一人で器用に腹に穴開けてただけのくせに。一応昨日自分でも見てきたけどよ、お前以外に最近誰か来た形跡なんてなかったぞ」
「うっ……」

 つまり自分は無駄に死にかけたということだ。蒼は朔の言葉からそれを察すると、苦々しい表情を浮かべた。
 そして同時に、昨日朔が蒼の流した血の後始末をしたのはだったのだと気が付いた。本命は恐らく廃工場内部の確認だ。

 ――聞いてくれればいいのに……。

 自分だって一通り見回ったのだ。聞かれれば朔と同じことを答えただろう。
 そう不満に感じたが、一人で大怪我を負った人間の言葉はあまり信憑性がないかもしれない、と眉間の皺を深くした。
 元から信頼関係があれば別だが、自分たちは未だ顔見知り程度。蒼が逆の立場だったとしても、再度確認するはずだ。

 そこまで考えると、蒼は少しでも仕事ができるところを見せようと背筋を正した。

「確かに犯罪現場の目星はついてませんが、教会なら都内に数は限られてます」
「教会はねぇよ。俺らはあそこには近付かない」

 即座に否定された自分の見せ場。蒼はむっとするのを我慢して、その真意を問いかけようと朔を見上げた。

「近付かないって、どういうことですか?」

 朔が何か言おうとした時、丁度目の前に目的地が見えた。蒼がそれを顔に出してしまったからか、朔は彼女の質問に答えることを止めて歩みを早めてしまった。

「ちょっと、まだ話の続きが……」
「また今度な」

 朔は蒼の言葉を遮ると、一人でさっさと建物の中に入っていってしまう。
 蒼は身分証のことを思い出し慌てて追いかけたが、追いついた時に目に入ったのは既に朔が受付の男性と話している姿だった。
 まずい――そう思って声をかけようとした蒼だったが、二人の男性は何やらにこやかに言葉を交わしたかと思うと、朔はすんなりと中に入っていった。

 ――何か渡してたのが見えた気がする……。

 今見たことは忘れよう、と内心ドキドキとしながら蒼は受付に身分証を提示した。次にエントランス料を払うと、受付が入り口の扉を開けたので案内されるまま中へと足を踏み入れる。

 入り口のドアを開けた瞬間から響き渡るクラブミュージック。音楽のジャンルとしては苦手なそれを煩わしく思いながらも、蒼の頭の中には先程の光景がチラついていた。

 ――あれは多分、諭吉だった……。

 男性と女性でエントランス料が異なるのはよくあることだが、朔が渡していた紙幣は自分とは異なるものだ。釣り銭を受け取る様子も見られなかったことから、蒼はやはりそういうことだろうかと頭を抱えた。

 しかし、いつまでも過ぎたことを気にしていても仕方がない。確かに自分は朔の付添いで来たが、本来の仕事は某芸能人のゴシップを収集することだ。
 蒼は自分を奮起させると、目的の人物を探して歩き始めた。


 § § §

 朔は無事クラブの中に入ると、思っていた以上の雰囲気に酔いしれていた。
 それは音楽や人々の様子ではなく、に対しての感想だ。ここにいる人間は皆それぞれに楽しんでいるが、邪念と欲望の渦巻くこの空間は、朔にとってとても居心地のいいものだった。

 朔は入り口を一瞥し、無事に蒼が入ってきたのを確認すると周りを見渡し始めた。勿論朔は蒼の仕事を手伝わないが、最初の二時間に限っては彼女もまた自分の本来の仕事だけをするということで事前に合意していたのだ。

 露出の多い洋服を着た女性に、彼女らに下心のある視線を送る男達。日本人だけでなく、外国人も結構来ているようだ。
 朔は暫く周りを観察すると、外国人男性にばかりいい顔をする女性に目をつけ、彼女の方へと向かっていった。


 § § §

 二時間後、蒼は見てはいけないものを見てしまったと自分の血の気が引くのを感じていた。

 バーカウンターのすぐ横で、見覚えのある長身の男が見知らぬ露出の多い女と抱き合っているのだ。

 海外ドラマのカップルよろしく、周りをはばからずに抱き合う彼らは完全に二人の世界に入っているのか、女はその細い腕を男の身体に巻き付け、男もまたそんな女の尻に手をやっている。

 ――うわ、キスした!

 目の前の光景に蒼は思わず顔を思い切りしかめた。
 これが知らない人間であれば、蒼もはしゃいでいるなくらいの感想しか持たなかっただろう。現に、彼女は今日何組か同じようなことをしているカップルを目撃していた。

 しかし、目の前にいるのは自分の同居人だ。それも遊ぶためではなく、調べ物のために来たと豪語していたはずの人間だ。
 初めこそ他人の濃厚なキスシーンに顔が引き攣るのを感じていた蒼だったが、次第にそれは怒りへと変わっていく。

 ――人を無理矢理こんなところに来させたくせに、自分だけ楽しむってどういうことだ。

 蒼は込み上げる怒りのままツカツカとバーカウンターの方へと歩み寄ると、女性の頭越しに目が合った男に、勢い良く親指を下に向ける仕草をした。

「――何怒ってんだよ」

 相手の女性をバーカウンターに残し、彼女に気付かれないよう蒼を隅に連れて行った男は、その場に落ち着くなりそう尋ねた。
 男の表情には後ろめたさは一切感じられず、蒼の中には益々何しに来たんだという怒りが膨れ上がる。

「朔さん、あなた調べ物しに来たんですよね?」
「してただろ」
「どこがですか? 私にはあなたがあちらの女性と楽しんでいるようにしか見えませんでしたが」
「そりゃあれだ、礼儀だろ」
「礼儀!?」

 ――何を言っているんだコイツは……。

 蒼は驚愕のあまり自分の眉間が今までにないくらい寄せられているのを感じながら、悪びれもしない朔の顔を睨んだ。

「あの女、二週間くらい前にロシア人を見たらしい」

 突然そう言い出した朔に、蒼は怪訝な表情を浮かべつつも無意識のうちに眉間の力を少し緩める。

「腕にトカゲのタトゥーが入ってたとさ。お前何か知ってる?」
「……ミハイルさんでしょうか」
「ミハイル?」
「ミハイル・セルゲーエフ。振礼島の生き残りの一人です」
「ミハイル……Михаилミハイル……Мишаミーシャか」
「ご存知なんですか?」
「トカゲのタトゥー入ったМишаミーシャだろ? 多分見たことある」

 朔の発言に、蒼は自分の怒りが完全に静まるのを感じた。まさか本当に情報を得ていたとは、と素直に朔に謝罪する。

「だから言っただろ、ちゃんと調べてるって」
「……私にはあなたが女性とイチャついてるようにしか見えなかったんです。ていうか礼儀だかなんだか知りませんが、普通あんなことします!?」
「するだろ」
「しませんよ! 偶然彼女が知っていただけで、本当は見た目が好みだったんじゃないんですか?」
「馬鹿言え。あんな母ちゃんみたいな格好した女なんか嫌だっつーの」

 ――どんな母ちゃんだよ……。

 蒼はそう思いながら先程の女性の姿を思い返した。タイトなチューブトップのミニ丈ワンピースに、高さ十二センチはあろうかというハイヒール。風呂上がりに身体にバスタオルを巻いただけの状態とそう変わらない彼女のどこが、彼に母親を連想させるのだろうか。

「で、お前の方は何か分かったのか?」
「……聞かないでください」

 蒼は苦々しい表情で朔から目を逸らした。人を怒鳴りつけていたが、自分の方は全く収穫がなかったのだ。
 蒼の様子から結果を察したのか、朔は呆れた表情で「人のこと言ってる場合かよ」と彼女を見下ろしている。蒼は気まずさを感じながら、「努力はしたんですけど……」と溜息を吐いた。

「お前、男引っ掛けられなさそうだもんな」
「引っ掛ける必要なんてないでしょう」
「その方が楽だろ。とりあえずもうちょっと乳出せよ」
「出しません!」

 力いっぱい怒鳴りつけながら、蒼はバーカウンターの様子を確認した。
 いつの間にか先程の女性はいなくなっていたようで、これなら安全とばかりに、蒼は酒を注文しに歩いていった。
 蒼にとって本日最初の酒だ。バーテンダーからカルーアミルクを受け取ったのを見て、朔は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんですか」
「ガキっぽいな」
「好きなんですよ、甘いから。お酒っぽくないじゃないですか」
「それがガキなんだよ」

 カルーアミルクをちびちびと飲む蒼を横目に朔はテキーラを注文し、出されたショットグラスを一気に煽る。ライムをしゃぶりながらバーテンダーに人差し指を立てもう一杯注文すると、そんな朔の様子を信じられないものを見るかのような目で見ていた蒼に向き直った。

「なんかこの辺に公園あるんだろ? ホームレスが集まるとこ」
「ありますけど、それが何か?」
「どうにもその辺りにいそうなんだよな。はっきりタトゥー見てたのはあの女しかいなかったんだけどよ、ロシア人引っ掛けたって奴らは外だとそこで見かけたような気がするってさ」
「……どうして今まで進展なかったんですか?」

 たった二時間でここまで情報を集めた朔に、蒼は納得がいかなかった。これだけ有能ならばとっくに見つけられているはずだ。

「最近までまともに動けなかったんだよ。俺も、多分奴らも」
「どういうことです?」
「ま、気にすんな」

 そう言って朔は新しいテキーラを一気に飲み干した。
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