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第1話
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雲一つない青空が、私を嘲笑っていた。
狭い首都高を抜けて、東名高速に入る。一気に広がる道幅、上がる制限速度。嫌味なほどに広い車間距離が、今日が平日だと私に思い知らせる。
いくら車を走らせてもその光景は変わらない。ペーパードライバーにとっては嬉しいけれど、素直に喜べる状況でもない。期待していた大和トンネルでさえするりと抜けて、道路情報板の海老名SAの欄には珍しく緑の文字で〝空〟と表示されている。
周りの車はトラックばかり。たまに見かける普通車の中には、一体どういう人が乗っているのだろう。仕事か、平日の休暇を楽しむ人々か。私のように喪服にスニーカーだなんて出で立ちの人間はきっといない。
慣れない運転で疲れてきて、どこかのPAで休もうかと考える。でも一度止まってしまえばきっともう駄目だから、私は休みなく運転を続けた。
富士山に見守られながら左ルートで御殿場に入れば、フロントガラスいっぱいに開けた景色が広がった。高い建物なんて全く見当たらない、田舎らしい景色だ。下道へと出ればそれは一層顕著で、やたらと広い敷地を持った飲食店が立ち並ぶ。以前はよく見ていたそれらに既視感はあっても、郷愁は抱かない。ただただ相変わらずだなという感想が私の中に横たわる。
そのまましばらくのろのろと車を走らせて、とある斎場の駐車場に入った。駐車には自信がないけれど、周囲にあまり車がなくて胸を撫で下ろす。何度もハンドルを切って、やっとのことで白線の内側、真ん中あたりに車が収まった時にはもう疲れ切っていた。
「……面倒臭い」
もうすぐ別れを告げる一人の空間。車を降りてスニーカーを黒のパンプスに履き替えれば、ただの人だった私は故人の娘へと変わる。本当は持ってきたくなかった着替えも、娘だからと自分に言い聞かせてレンタカーに詰め込んだ。
カーナビに表示されている時間は指定されたものより三十分以上も早い。結局取りやめた休憩分の時間を、見知らぬ匂いの漂う空間でひたすら潰す。なんとなしに見たスマートフォンには、一時間ほど前に『着いたら連絡して』という兄からのメッセージが届いていた。見なかったふりをして、電源ボタンを押して画面を消す。そのままの流れで運転席の背もたれをガクッと倒し、喪服が皺になるのも気にせず簡易ベッドに身体を預けた。
今日の通夜に来るのは一体どんな人達なのだろう。親族以外だと近場に住む友人や知人だろうか。一般的には通夜の方が親しい人間が来ると聞いたこともあるような気がするけれど、通夜に参列するのは今日が初めての私には実感がない。と言っても、親族や知人を亡くすのは初めてではない。二十八歳という年齢を考えれば妥当な人数と、これまで永遠の別れを迎えてきた。
祖父母、曽祖父、おじやその配偶者……それから、中学校の部活の先輩。私が葬儀に参列したのはこの中で祖父母と曽祖父だけ。私がそうしようとしたわけじゃない。故人が――母が、私にそうさせたのだ。
彼女はいつもいつも『誰々が亡くなった。あなたはこの日に来るように』と連絡してきた。私も母とは極力会いたくなかったからそれで構わなかった。構わなかったが、その連絡内容に彼女の気持ちが透けて見える気がして気持ち悪かった。
祖父母や曽祖父は、私との関係上葬儀への参加が必須なのだろう。でもそれ以外は違う。母の兄弟が亡くなった場合は参加を求められる。でも父の兄弟の場合はそうじゃない。『この日に葬儀をやるけど、無理しなくていい』、そんなメールが通夜の終わった後、式の前夜に届くのだ。
無理をしなければならない状況にしておいて、無理しなくていいだなんて笑わせる。自分が夫やその親族を嫌っているから、娘である私にもそれを求めているのだ。そこにあるのは母の価値観だけ。私の気持ちはいつだって置いてきぼり。
ムカムカと苛立ちがこみ上げる。なんで本当に送りたい人の葬儀は出られなくて、心底どうでもいいと思っている人の葬儀には通夜も合わせて出なければならないのか。
怒りにハンドルを殴りそうになったところで、スマートフォンの着信音が私を止めた。表示された名前を確認して目を逸らす。
数秒後、着信音が止まった。代わりに届いたメッセージには、「まだ?」と一言。兄だ。端的なそれは私が移動中だと思っているのかもしれない。
改めて時間を見れば、もう呼ばれた時間まで十分を切っていることが分かった。時間を守る性格の人間が多い一族だ、流石に理由なく遅刻をすると余計に面倒なことになる。
「あーもう、本当だるいな……!」
一人の世界で最後にそう毒づいて、私は靴を履き替えた。
狭い首都高を抜けて、東名高速に入る。一気に広がる道幅、上がる制限速度。嫌味なほどに広い車間距離が、今日が平日だと私に思い知らせる。
いくら車を走らせてもその光景は変わらない。ペーパードライバーにとっては嬉しいけれど、素直に喜べる状況でもない。期待していた大和トンネルでさえするりと抜けて、道路情報板の海老名SAの欄には珍しく緑の文字で〝空〟と表示されている。
周りの車はトラックばかり。たまに見かける普通車の中には、一体どういう人が乗っているのだろう。仕事か、平日の休暇を楽しむ人々か。私のように喪服にスニーカーだなんて出で立ちの人間はきっといない。
慣れない運転で疲れてきて、どこかのPAで休もうかと考える。でも一度止まってしまえばきっともう駄目だから、私は休みなく運転を続けた。
富士山に見守られながら左ルートで御殿場に入れば、フロントガラスいっぱいに開けた景色が広がった。高い建物なんて全く見当たらない、田舎らしい景色だ。下道へと出ればそれは一層顕著で、やたらと広い敷地を持った飲食店が立ち並ぶ。以前はよく見ていたそれらに既視感はあっても、郷愁は抱かない。ただただ相変わらずだなという感想が私の中に横たわる。
そのまましばらくのろのろと車を走らせて、とある斎場の駐車場に入った。駐車には自信がないけれど、周囲にあまり車がなくて胸を撫で下ろす。何度もハンドルを切って、やっとのことで白線の内側、真ん中あたりに車が収まった時にはもう疲れ切っていた。
「……面倒臭い」
もうすぐ別れを告げる一人の空間。車を降りてスニーカーを黒のパンプスに履き替えれば、ただの人だった私は故人の娘へと変わる。本当は持ってきたくなかった着替えも、娘だからと自分に言い聞かせてレンタカーに詰め込んだ。
カーナビに表示されている時間は指定されたものより三十分以上も早い。結局取りやめた休憩分の時間を、見知らぬ匂いの漂う空間でひたすら潰す。なんとなしに見たスマートフォンには、一時間ほど前に『着いたら連絡して』という兄からのメッセージが届いていた。見なかったふりをして、電源ボタンを押して画面を消す。そのままの流れで運転席の背もたれをガクッと倒し、喪服が皺になるのも気にせず簡易ベッドに身体を預けた。
今日の通夜に来るのは一体どんな人達なのだろう。親族以外だと近場に住む友人や知人だろうか。一般的には通夜の方が親しい人間が来ると聞いたこともあるような気がするけれど、通夜に参列するのは今日が初めての私には実感がない。と言っても、親族や知人を亡くすのは初めてではない。二十八歳という年齢を考えれば妥当な人数と、これまで永遠の別れを迎えてきた。
祖父母、曽祖父、おじやその配偶者……それから、中学校の部活の先輩。私が葬儀に参列したのはこの中で祖父母と曽祖父だけ。私がそうしようとしたわけじゃない。故人が――母が、私にそうさせたのだ。
彼女はいつもいつも『誰々が亡くなった。あなたはこの日に来るように』と連絡してきた。私も母とは極力会いたくなかったからそれで構わなかった。構わなかったが、その連絡内容に彼女の気持ちが透けて見える気がして気持ち悪かった。
祖父母や曽祖父は、私との関係上葬儀への参加が必須なのだろう。でもそれ以外は違う。母の兄弟が亡くなった場合は参加を求められる。でも父の兄弟の場合はそうじゃない。『この日に葬儀をやるけど、無理しなくていい』、そんなメールが通夜の終わった後、式の前夜に届くのだ。
無理をしなければならない状況にしておいて、無理しなくていいだなんて笑わせる。自分が夫やその親族を嫌っているから、娘である私にもそれを求めているのだ。そこにあるのは母の価値観だけ。私の気持ちはいつだって置いてきぼり。
ムカムカと苛立ちがこみ上げる。なんで本当に送りたい人の葬儀は出られなくて、心底どうでもいいと思っている人の葬儀には通夜も合わせて出なければならないのか。
怒りにハンドルを殴りそうになったところで、スマートフォンの着信音が私を止めた。表示された名前を確認して目を逸らす。
数秒後、着信音が止まった。代わりに届いたメッセージには、「まだ?」と一言。兄だ。端的なそれは私が移動中だと思っているのかもしれない。
改めて時間を見れば、もう呼ばれた時間まで十分を切っていることが分かった。時間を守る性格の人間が多い一族だ、流石に理由なく遅刻をすると余計に面倒なことになる。
「あーもう、本当だるいな……!」
一人の世界で最後にそう毒づいて、私は靴を履き替えた。
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