氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第六章 娘の捜索

2 星の名前※(領主視点)

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2 星の名前 (領主視点)


「アリスさん……」

 僕の声は少し震えていた。

 少年の表情は変わらなかった。絵画のようだった。何も言わず、じっと僕を見下ろしている。

「降りてきてくださいませんか」

 少年は僕から目を離さないまま、そろそろと梯子を降りてきた。最後の数段になったところで、少年は本を取り落とした。

 拾おうとする手が重なる。はっと見上げた少年の瞳はあの時と同じ。僕を何者でもなくしてしまう子鹿の目。僕の腕は無意識に伸びて、彼を抱き寄せていた。

 スズランの香りのする金色の髪も、曖昧でしなやかな体の感触も、昨夜の記憶のままだった。

 何か言わないと。ここに来た訳を説明しなくては。そう思うのに、言葉がなにも出てこない。

「領主様……」

 困惑した声に、小生はようやく自分を取り戻した。

「ご、ごめん」

 突然不法侵入した上に抱きつくなんて、常軌を逸した行為だ。小生はあわてて身を引く。
 
 すると少年はうつ向いて、小さく首を振った。

「僕こそ……」

 正体を偽っていたことを、心苦しく思うらしかった。

「いや、全ては僕のためにしてくださったこと。分かっています」

 昨夜のジュンの困惑した様子も、結婚は不可能だという言葉も、今や全てに合点がいく。

 いたいけな少年だとも気付かずアリスさんにガチ恋している小生を見て、ジュンは慌てたことだろう。事実を告げるに忍びなかったに違いない。

 今だってショックはショックだ。正直盲点だった。想定外すぎる。アリスさんが男の子だったなんて……。

 だめだ。今は深く考えたらダメだ。夜ベッドに入って1人になったらこの衝撃を受け止めよう。泣くのもわめくのもそれからだ。

 ここで小生が落ち込んだりしてはアリスさん、もとい、この少年が気にするだろう。

 小生は失望を隠して、平静を装う。ショックを受けている場合ではない。とりあえず今は、目の前の少年のことだけを考えよう。

「どうか顔を上げてくだ……」

 少年は顔を上げた。

「うっ………」

 男の子だと分かって見ても、アリスさんは泣きたいくらいに可愛いし、美しいのだ。妖精だと言われた方がまだ納得できた。

「あ、あなたには、感謝しかありません」

 感謝。それは嘘ではない。いや、むしろ謝罪しなきゃいけない案件だ。

 考えてみれば気の毒すぎる。いい年した男のわがままに付き合わされた挙句、キスまでされたのだから。あれが、この子の初めてだったらどうしよう。

 キスの後、大広間を飛び出して行った後ろ姿をぼんやり思う。胸がズキと痛んだ。

 小生が彼にしてあげられることは、昨日の夜のことは忘れさせてあげること、自由にしてあげることだけだ。

「父が国を挙げて貴方を探しているのはご存知ですか」

 少年はこくりと頷く。

「不自由な思いをさせて申し訳なかった」
「平気だよ」

 少年は微笑んだ。その瞬間、小生の思考は停止する。笑顔、かわあ……。

「ジュンが心配して匿ってくれたんだ。でも、本当は隠れてなくたって平気なんだよ。だって僕は男だし、捜査の対象外だもの」
「な、なるほど……?」

 努めて冷静に、客観的に、改めて少年を観察する。

 ゆるく波打つ金色の髪は、今は短くあごの辺りで切り揃えられている。額にかかる前髪の下にはきりっとした眉。切れ長の目。華奢な身体に、ゆったりした白いシャツをまとっている。

「あ、これ僕の昔着てた服かな」
「えっ、そうなの?」

 ジュンが見つくろって着せてやったらしい。僕は彼の髪を撫でて微笑んだ。

「よく似合ってる」

 確かに、すらりとした立ち姿は少年そのものだ。彼が昨日の乙女だと気が付く人はそういないだろう。

 だがその美貌は人目を引かずにいない気がする。そう思ってしまうのは小生だけだろうか。

 彼を見たら、誰もが欲望をかきたてられてしまうのではないか。ついそんな心配をしてしまう。

 見れば見るほど、愛しさがつのる。それは単に、小生の恋心のなせる技にすぎないのだろうか。

「領主様は、どうしてここへ……ジュンに聞いてきたの?」

 少年の問いに、小生はここにやってきた顛末をかいつまんで話した。

「すごい。ジュンの考えそうなことなんて、領主様には全部お見通しなんだ」

 少年は笑った。笑い声もいちいち可愛いくて辛い。

「アリスが男だっていうことも、お見通しだった?」
「いや、それは夢にも思わなかった……」

 そっか、と少年は言った。沈黙が降りる。昨日のことを思い出したのだろう。目を、ぱっと逸らされてしまった。女装に、ダンスに、キス。知らなかったとはいえ、土下座してもし足りないくらいだ。

「僕がアリスだってどうして分かったの?」
「分かるさ」

 アリスという、この世で最も愛らしい生き物。見間違うはずはなかった。気配を感じただけで高鳴るこの胸の音は、無視しようがなかった。

「僕には君が、どんな姿をしていても見つけられるみたいだ」

 少年の薔薇色の頬がさらに赤みを帯びた。小生は、はっとして手を引いた。小生は無意識に彼の頬に触れていたのだ。不気味がられただろうか。

「君の、本当の名前は?」

 灰色がかった青い瞳を覗き込んで尋ねた。もうこれ以上、アリスという名前に縛られているわけにはいかない。

「アリオト」

 と、少年は答えた。
 
「アリオト……いい名前だね。星の名前だ」
「分かるの?」

 小生はアリオトの手を引いて、中央の円卓に置かれた天球儀の前にやってきた。くるくると回し、大熊座を指差す。

「これが君だろ」

 北斗七星の柄杓の根本、熊の長いしっぽの根本で光るのがアリオト。アリオトは切れ長の涼しい目を、今は大きく見開いて僕を見上げた。

「王家の紋章は北極星なんだけど……光が弱い星だから、まずアリオトを見つけないと辿り着けない」

 僕は大熊の背中の星をたどり、北極星を指差す。

「北極星は小熊座で、アリオトは大熊座」

 アリオトの顔に微笑みが浮かんだ。この星のもとに生まれたことを初めて嬉しく思った。彼の名前とささやかな縁があるというだけで。

「兄弟かな?」

 天球儀に描かれている絵をなぞって、アリオトは呟いた。北極星を肩に抱く小熊が、大熊を慕っている。

「いや……親子だよ」

 僕は本棚から古い画集を持ってきて、テーブルの上で広げた。全能の神ユピテルに愛された妖精カリストーが、女神の呪いで熊に変えられて森を彷徨う場面。

「カリストーとユピテルの間の子アルカスは、熊に変えられた母を、そうとは知らずに撃とうとした」
「気付かなかったの」
「うん。その瞬間、彼も熊に変えられた。大熊座と小熊座は、そのカリストーとアルカスの姿だよ」

 アリオトはおもむろに天球儀を回して何かを探しはじめた。

「何を探してるの」
「ケイトっていう名前の星は?」

 そんな質問は初めてされた。

「東の国の古い言葉で、彗星。天体図には出てないよ」
「そうなんだね。王子様はみんな星の名前なんだって父さんが言ってたけど」
「まあ、僕はもともとスペアだったから」
「スペア?」
「僕は市井で育てられたんだ。兄上がみまかって、初めて王宮に呼び戻された」

 小生は問われるままに、自分の生い立ちを語った。

「お兄さんに会いたかった?」

 そんな質問も、初めてされた。

「そうだね」

 答えた小生の手を、アリオトがそっと握ってくれた。その手を、僕は握り返した。至近距離で見つめ合う。時が止まったようだった。

「アリオト……」

 名前を呼ぶと、少年は目をうるませた。何も言わなくても、こちらの望みが分かるかのように、その身体を従順に僕の胸に預けてきた。まるで魔法のようだった。そっと抱きしめる。

 額を寄せ、見つめ合ったまま、少し堪えた。それでも彼が逃げないのをいいことに、くちびるを奪ってしまった。金色のまつ毛が蝶々のように、音もなくひらめいた。

 さらに深くキスした。アリオトは小さく息を漏らした。ごめん……ごめん……。こんなこと許されるはずがないのに。どうして逃げないの。

 居場所を突き止めてきて、男だと分かっててキスしてくる領主なんて、気味が悪いに違いなかった。

 それでも僕は彼を離したくなかった。どうしたらいいかわからないまま、言葉もなく、ただ抱きしめていた。

 柱時計が時を打った。もう帰らなくてはならない。

「……僕がここに来たことは、ジュンには言わないで」

 彼をさらいたい。連れ帰って、そばに置きたい。朝も夕も彼を眺めていたい。僕の生きる意味は、それだけでいいとすら思える。

 だけどそれは、彼を苦しめるだけ。僕が彼にしてあげられることは、ただ一つしかない。

「捜索はすぐに打ち切らせる。こんなところに隠れていなくていいように。だから、もう少し待っていて」

 君を忘れるように努力するから。

 僕はそれから振り向きもせずに夏の屋敷を後にした。





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