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彼は事件に幕を降ろす(1)下
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ゴムとアスファルトを焼きながら、煙を吹いて勢い良く走り出した暴走車は、減速することなく、一直線に進みながら更に加速をつけた。宮橋とマサルが自分達の前にいるのだ、という事実を遅れて思い出し、真由は甲高い悲鳴を上げていた。
三鬼が「ちッ」と舌打ちして駆け出そうとした時、宮橋がこちらを見ないまま「止まれ馬鹿三鬼!」と制止の声を上げ、両足を踏みしめて、大きく息を吸いこんだ。
「輪廻と運命の字も持ち合わせないお前に、僕の命が取られることは許されない!」
唐突に、宮橋が暴走車に向かって毅然とした態度で、まるでどこかの『芝居台詞』でもなぞるかのように怒号した。
「かの魔術師の期限の八十七の余生を、異界の目で見届けよと『存在を継承』された僕は、この『物語』に終焉を望む。あちらとこちらを繋ぐ『理』よ、絶対のルールを守りたくば、今すぐその証拠を僕に見せつけるがいい!」
「おい宮橋ッ、馬鹿野郎! 今すぐ逃げ――」
三鬼が右足を踏み出した瞬間、真由は、後方からの異変を察知してギョッとし、引き留めるように彼の背中のシャツを両手で掴んでいた。
ほぼ同時に同じことに気付いた藤堂と共に、危険を回避すべく、反射的に全力で三鬼を後ろに引っ張る。唐突に二人掛かりで「伏せて!」「先輩危ない!」と力任せに引き寄せられ、彼が「うぉ!?」と短い悲鳴を上げて後ろに傾いた。
その倒れる直前の刹那、ひっくり返る真由たちの視界を、後方から大ジャンプして飛び込んできた黒い大きな影が、重量級の存在感を放って横切っていった。
それは、ほんの一瞬の出来事だったが、三人にはそれがスロー映像のように感じられた。真由は三鬼の背中を掴んでいて、完全に倒れこむ瞬間まで、大きな目を見開いてその光景に目を留めていた。
自分たちから一メートルも離れていない頭上を、色も分からない重々しい物体が、影を落として通り過ぎていく。見間違いでなければ、後方から突っ込んでくるのを見た際、それは自分たちがよく見慣れた――
「いたっ」
その一瞬後、真由はドサリと倒れ込んで、思考が途切れた。身体の半分に三鬼の背中が落ちてきて、その衝撃に「ぐはっ」とまたしても色気のない声を上げたが、不思議と倒れ込んだ時、後頭部を地面に打つ痛みは襲ってこなかった。
三鬼が倒れた衝撃に歯を食いしばり、しかし痩せ型の細身ながら、身体能力の高さを見せてすぐに上体を飛び起こした。
「チクショー一体なんだってんだ!」
そう怒鳴った彼の目が、宮橋の方へと戻されてすぐ、大きく見開かれる。
倒れ込んだまま、真由は顔だけを動かして宮橋を見やった。彼女を庇うように片腕を出して踏み潰されていた藤堂も、痛みに顔を顰めつつ、自身の認識と状況を確認するように、同じ方向へ素早く目を走らせていた。
まだ地面に着地していない、その重量級の物体は、立派な一台のパトカーだった。音もなく警告灯を回したまま、どうやってバウンドしたのか分からないくらいに、大きな弧を描く大ジャンプで宙を舞っている。
パトカーの運転席は、無人だった。
こちらの上を飛び越えた車体は、宮橋とマサルに迫りくる暴走車目掛けて、まるで時間のタイミングでも合わせていたかのように、真っ直ぐ突っ込んでいく。
「おいいいいいッ!? なんでパトカーが降ってくんだよ!」
「つか先輩、うちのパトカー無人車です!」
「ついでに言うと対向車も無人だよ!? どうなってんの!?」
真由は思わず叫んだが、宮橋が動くのを見て「え」と固まった。
まるで枕でも持つように、彼がマサルをむんず掴む。そして次の瞬間、有無も言わさずに、こちらに向かって思い切り放り投げてきた。
「うぎゃぁぁぁああああ!」
少年の全く色気のない悲鳴がこだました。真由と藤堂が「えぇぇぇぇ!」「扱いが雑すぎるでしょッ」とほぼ同時に叫ぶ中、三鬼が反射的に足を踏ん張って、マサルを受け止めるため両腕を開いて身構えた。
一人その場に残された宮橋が、素早く身を屈めた。その頭上を、無人のパトカーが飛び越えていったタイミングで、マサルの身体は三鬼の胸板に直撃していた。
三鬼は、まるで鉄の重りが飛んできたような衝撃を受けて、「ぐぉ!?」と呼気を吐き出した。真由は慌てて立ち上がり、後ろからその背中を支えた。藤堂もそれに続いたが、途中で意識を失った少年の体重がガクンとかかって、結局は三人揃って再び地面に逆戻りしていた。
「クソ痛ぇなッ、ガキの身体を軽々と放り飛ばすとか、滅茶苦茶だろ……!」
尻に痛みを覚えながら、三鬼が悪態をこぼした。
その一瞬後、暴走車のフロント部分に、無音で警告灯を回すパトカーが突っ込み、耳を切りさくような破壊音を上げていた。どちらもかなりの速度で衝突したため、続いて爆発を起こしながら、地面に部品を撒き散らしていく。
爆風に煽られ、反射的に顔を伏せる宮橋の姿に気付いて、頭を起こし上げた三鬼が「宮橋!」と鋭い声で叫んだ。しかし彼は、左腕で頭をかばうだけでこちらさえ振り返らず、後退する様子は見せなかった。
乗用車は、フロント部分から中央まで完全に潰れ、後輪を浮かせたパトカーが軋みを上げて更に折り重なると、続いて二回目の大きな爆発が起こした。発生した火の威力が増して一気に広がり、あっという間に二台の事故車を包みこむ。
広がるように燃えるはずの炎が、風もないのに高く伸びて火柱を作った。燃え続ける車から発生した黒い煙を巻きつけながら立ち昇ったそれは、生き物のように、建物の屋上近くまでうねり上がる。
真由は、その光景を正面にして立っている宮橋の背中を見た。色素の薄い彼の髪が、爆風で激しく揺れている。どうしてか、まだやることが残っていると言わんばかりの真っすぐ伸びた背に、危ないから下がってください、と声を掛けられなかった。
不意に宮橋が、取り出したシルバーの携帯電話を、火柱に向かって頭上高く放り投げた。小さな爆発によって車の破片が飛んでくるのも構わず、次の瞬間、彼は目にも止まらぬ速さでピストルを引き抜いて構えていた。
立て続けに、三発の銃声が鳴り響いた。見事に銃弾を命中させられた携帯電話が、まるで計算されていたかのように正確な銃撃によって、火柱へと弾かれて落下していく。
その携帯電話が炎に包まれて見えなくなった直後、車が完全に重なり合って、これまでにない大きな爆発が起こった。車の破片が四方に吹き飛び、大きな塊も勢いよく弾かれて、乾いた音を立ててアスファルトの上を転がる。
「くそッ、宮橋テメェも避難しろよな!」
危険を感じた三鬼が、そう吐き捨てて爆風から背を向け、守れと指示を受けていたマサルを庇い、ついでに後ろにいた二人の後輩刑事も引き寄せた。
ジャケットの肩部分を乱暴に掴まれた真由は、女の子にその掴み方はない、と思った直後、三鬼の肩越しに飛んでくる影に気づいた。藤堂と揃って「うげっ」と品もなく顔を引き攣らせる。
「三鬼さん頭下げてッ」
「三鬼先輩伏せてください!」
真由と藤堂は、ほぼ同時に三鬼の肩に手を置いて、一気に体重をかけて彼の頭の位置をぐっと下げていた。
両肩にかかった重さに耐えきれず、三鬼が「うおッ」と声を上げて腰を曲げた時、頭上すれすれを鉄の固まりが通過していった。サンサンビルの大通りへと投げ出されたそれを見て、彼は顔面を引き攣らせたが、文句も礼を言う余裕もなかった。
たった二台の車による衝突事故だというのに、立て続けに爆発は続いていた。三鬼は藤堂と共に頭を低くしながら、意識のないマサルを引きずって壁際に移動する。
爆発と爆風と飛翔物が飛び交う騒がしさで、真由は宮橋の姿を見失ってしまっていた。気になって少し移動の足が遅くなっていたら、壁際からこちらを振り返った三鬼の、怒鳴る声が聞こえて我に返った。
「橋端! もっと頭を下げろッ」
本気で怒鳴られた真由は、ビクリとして反射的に「すみませんでしたッ」と答えていた。慌てて視線を戻してみると、マサルを藤堂に押し付けた三鬼がすぐそこまで来ていて、またしてもジャケットを掴んで引っぱられてしまった。
「これで契約は完了した! もうお前のすべきことは何もない! 繋いだ形を喰らって帰るがいい!」
爆風から身を守っていると、破壊音に負けじと叫ぶ宮橋の声が聞こえた。真由を藤堂の方に押し付けた三鬼が「あいつは大丈夫なのかッ?」と叫んだ時、その背中にプラスチック製らしき部品が当たった。
真由は、顔を歪めた彼に気付いて声を掛けた。
「大丈夫ですかっ?」
「ぐぅ、問題ねぇよ……クソッ、まるで厄日だぜ」
三鬼は堪らず、目尻にひっそりと涙を滲ませた。マサルを両腕で抱えた藤堂が、「宮橋さん絡みだと、先輩いつもそうですよねぇ」と、ぽつりと口にした。
しばらくもしないうちに、二台の車は破壊の連鎖反応を終えた。ひどい熱風はまだあったが、三鬼がマサルを藤堂に任せたまま立ち上がる。真由は髪をぼさぼさにした状態で、視界の端に動く宮橋の姿を見付けて、目を向けていた。
こちらに向かってゆっくり歩いてくる彼は、先程の爆風で、すましたような髪型も崩れていた。白い頬に、薄らと赤い線が入っている。
手に持っていたピストルをしまう宮橋に、三鬼が駆け寄って「一体何がどうなってッ――」と叫びかけて、ふと口を噤んだ。
三鬼の横を静かに通り過ぎた宮橋は、普段よりもゆっくりと歩いて取り繕われているが、真由がいる位置から見ても、少し違和感を覚える歩き方だった。意識のないマサルを抱き上げて立ち上がった藤堂も、心配そうに見つめる。
「足をやられたのか……?」
三鬼が後を追いながら訊いたが、宮橋は視線を合わせなかった。正面を向いたまま、疲れたような顔で吐息交じりにこう言った。
「これから、与魄少年を迎えに行く」
茫然と佇む藤堂の前を通り過ぎようとしたところで、宮橋がふっと足を止めて、こちらを見下ろしてきた。じっと見つめられて、真由は途端に落ち着かなくなる。
「えっと、……宮橋さん、なんですか?」
「怪我はないみたいだな」
「あ、はい。三鬼さんと藤堂さんが、サポートしてくれました」
真由は答えながら、遅れて慌てて立ち上がった。
よくは分からないけれど、暴走した車もパトカーも無人で、大きな怪我人は発生していない。彼は与魄智久を迎えに行くという。ならば、今、自分が取る行動は一つだ。
しっかりついて行きますからね、と改めて見つめ返したら、どうしてか彼が少しだけ目を細めた。
「――君は、それでも僕を真っ直ぐ見るんだな」
「へ?」
それは一体、どういう意味……?
尋ねようとした真由は、続いて彼が藤堂へと目を向けてしまい、タイミングを逃してしまった。足を止めている彼に付き合うように、近くに立っている三鬼が、仏頂面をそらして頭をガリガリとかいている。
「藤堂、マサル少年を連れて行って保護させろ。ついでに、事故処理班をこっちに回してくれ。『無音空間』では、何もかも外界から遮断される。外に音は聞こえていないから、煙を見るまでは誰も気づかないぞ」
「えぇと、その、あの爆音で気付かないなんて、あるんですかね……?」
ああでも、何度かそういう事もあったような、なかったような……と藤堂が悩ましげに首を傾げる。それから彼は、重さなど感じていないように腕に抱えたマサルを見下ろして、「了解しました」と、ひとまずはそう答えた。
「でも、どうして無人の車が、突っ込んできたんでしょうか」
「事故の原因なんて、処理班に調べさせたらすぐに分かることだろ」
宮橋は、何も話したくないんだ、と言わんばかりにそっけなく答えて、再びこちらに目を留めてきた。
「すまないが、藤堂をサポートしてもらえるか? 両手が塞がっている状態では、携帯電話で前もって連絡も取れないだろうから、そっちを君が頼まれて欲しい」
「あ、はい。分かりました……」
その方が、現場もスムーズに回るだろう。事故と捜査が両方起こった場合の動きについては、そう推測出来たものの、なんだ、ついて行けないのか、と真由は小さく気持ちが沈むのを感じた。
ただ迎えに行くだけだから、人間の数は必要ではない。三鬼や藤堂だって、コンビを組んでいる中で、臨機応変に二手に別れて動くこともある。けれど、なんだか大事なところで距離を置かれるようで、今の彼と離れたくない気がしていた。
「頼んだぞ」
そう言い残した宮橋の横顔は、憔悴しているようだった。通り過ぎていく直前、その表情が切なそうに歪むのが見えて、もう真由は何も言えなくなってしまう。
信頼されて、だから頼まれてくれるかと、役目を与えられたのだろう。そう考えてみると相棒らしい仕事とも思えて、疲れている彼に代わって、体力が有り余っている自分が連絡係りをしよう、と決めた。
ゆっくりと歩き始めた宮橋の後ろに、三鬼が続いた。彼は「藤堂、橋端さん、あとは頼む」と、後輩組に短く言葉を告げ、唇を一文字に引き結ぶ。
「…………なんとも、悲しい事件だよ」
前を歩く宮橋が、ポツリと独り言をもらした。
すぐ後ろを歩きながらも、三鬼はポケットに手を突っ込んで聞こえない振りをした。
三鬼が「ちッ」と舌打ちして駆け出そうとした時、宮橋がこちらを見ないまま「止まれ馬鹿三鬼!」と制止の声を上げ、両足を踏みしめて、大きく息を吸いこんだ。
「輪廻と運命の字も持ち合わせないお前に、僕の命が取られることは許されない!」
唐突に、宮橋が暴走車に向かって毅然とした態度で、まるでどこかの『芝居台詞』でもなぞるかのように怒号した。
「かの魔術師の期限の八十七の余生を、異界の目で見届けよと『存在を継承』された僕は、この『物語』に終焉を望む。あちらとこちらを繋ぐ『理』よ、絶対のルールを守りたくば、今すぐその証拠を僕に見せつけるがいい!」
「おい宮橋ッ、馬鹿野郎! 今すぐ逃げ――」
三鬼が右足を踏み出した瞬間、真由は、後方からの異変を察知してギョッとし、引き留めるように彼の背中のシャツを両手で掴んでいた。
ほぼ同時に同じことに気付いた藤堂と共に、危険を回避すべく、反射的に全力で三鬼を後ろに引っ張る。唐突に二人掛かりで「伏せて!」「先輩危ない!」と力任せに引き寄せられ、彼が「うぉ!?」と短い悲鳴を上げて後ろに傾いた。
その倒れる直前の刹那、ひっくり返る真由たちの視界を、後方から大ジャンプして飛び込んできた黒い大きな影が、重量級の存在感を放って横切っていった。
それは、ほんの一瞬の出来事だったが、三人にはそれがスロー映像のように感じられた。真由は三鬼の背中を掴んでいて、完全に倒れこむ瞬間まで、大きな目を見開いてその光景に目を留めていた。
自分たちから一メートルも離れていない頭上を、色も分からない重々しい物体が、影を落として通り過ぎていく。見間違いでなければ、後方から突っ込んでくるのを見た際、それは自分たちがよく見慣れた――
「いたっ」
その一瞬後、真由はドサリと倒れ込んで、思考が途切れた。身体の半分に三鬼の背中が落ちてきて、その衝撃に「ぐはっ」とまたしても色気のない声を上げたが、不思議と倒れ込んだ時、後頭部を地面に打つ痛みは襲ってこなかった。
三鬼が倒れた衝撃に歯を食いしばり、しかし痩せ型の細身ながら、身体能力の高さを見せてすぐに上体を飛び起こした。
「チクショー一体なんだってんだ!」
そう怒鳴った彼の目が、宮橋の方へと戻されてすぐ、大きく見開かれる。
倒れ込んだまま、真由は顔だけを動かして宮橋を見やった。彼女を庇うように片腕を出して踏み潰されていた藤堂も、痛みに顔を顰めつつ、自身の認識と状況を確認するように、同じ方向へ素早く目を走らせていた。
まだ地面に着地していない、その重量級の物体は、立派な一台のパトカーだった。音もなく警告灯を回したまま、どうやってバウンドしたのか分からないくらいに、大きな弧を描く大ジャンプで宙を舞っている。
パトカーの運転席は、無人だった。
こちらの上を飛び越えた車体は、宮橋とマサルに迫りくる暴走車目掛けて、まるで時間のタイミングでも合わせていたかのように、真っ直ぐ突っ込んでいく。
「おいいいいいッ!? なんでパトカーが降ってくんだよ!」
「つか先輩、うちのパトカー無人車です!」
「ついでに言うと対向車も無人だよ!? どうなってんの!?」
真由は思わず叫んだが、宮橋が動くのを見て「え」と固まった。
まるで枕でも持つように、彼がマサルをむんず掴む。そして次の瞬間、有無も言わさずに、こちらに向かって思い切り放り投げてきた。
「うぎゃぁぁぁああああ!」
少年の全く色気のない悲鳴がこだました。真由と藤堂が「えぇぇぇぇ!」「扱いが雑すぎるでしょッ」とほぼ同時に叫ぶ中、三鬼が反射的に足を踏ん張って、マサルを受け止めるため両腕を開いて身構えた。
一人その場に残された宮橋が、素早く身を屈めた。その頭上を、無人のパトカーが飛び越えていったタイミングで、マサルの身体は三鬼の胸板に直撃していた。
三鬼は、まるで鉄の重りが飛んできたような衝撃を受けて、「ぐぉ!?」と呼気を吐き出した。真由は慌てて立ち上がり、後ろからその背中を支えた。藤堂もそれに続いたが、途中で意識を失った少年の体重がガクンとかかって、結局は三人揃って再び地面に逆戻りしていた。
「クソ痛ぇなッ、ガキの身体を軽々と放り飛ばすとか、滅茶苦茶だろ……!」
尻に痛みを覚えながら、三鬼が悪態をこぼした。
その一瞬後、暴走車のフロント部分に、無音で警告灯を回すパトカーが突っ込み、耳を切りさくような破壊音を上げていた。どちらもかなりの速度で衝突したため、続いて爆発を起こしながら、地面に部品を撒き散らしていく。
爆風に煽られ、反射的に顔を伏せる宮橋の姿に気付いて、頭を起こし上げた三鬼が「宮橋!」と鋭い声で叫んだ。しかし彼は、左腕で頭をかばうだけでこちらさえ振り返らず、後退する様子は見せなかった。
乗用車は、フロント部分から中央まで完全に潰れ、後輪を浮かせたパトカーが軋みを上げて更に折り重なると、続いて二回目の大きな爆発が起こした。発生した火の威力が増して一気に広がり、あっという間に二台の事故車を包みこむ。
広がるように燃えるはずの炎が、風もないのに高く伸びて火柱を作った。燃え続ける車から発生した黒い煙を巻きつけながら立ち昇ったそれは、生き物のように、建物の屋上近くまでうねり上がる。
真由は、その光景を正面にして立っている宮橋の背中を見た。色素の薄い彼の髪が、爆風で激しく揺れている。どうしてか、まだやることが残っていると言わんばかりの真っすぐ伸びた背に、危ないから下がってください、と声を掛けられなかった。
不意に宮橋が、取り出したシルバーの携帯電話を、火柱に向かって頭上高く放り投げた。小さな爆発によって車の破片が飛んでくるのも構わず、次の瞬間、彼は目にも止まらぬ速さでピストルを引き抜いて構えていた。
立て続けに、三発の銃声が鳴り響いた。見事に銃弾を命中させられた携帯電話が、まるで計算されていたかのように正確な銃撃によって、火柱へと弾かれて落下していく。
その携帯電話が炎に包まれて見えなくなった直後、車が完全に重なり合って、これまでにない大きな爆発が起こった。車の破片が四方に吹き飛び、大きな塊も勢いよく弾かれて、乾いた音を立ててアスファルトの上を転がる。
「くそッ、宮橋テメェも避難しろよな!」
危険を感じた三鬼が、そう吐き捨てて爆風から背を向け、守れと指示を受けていたマサルを庇い、ついでに後ろにいた二人の後輩刑事も引き寄せた。
ジャケットの肩部分を乱暴に掴まれた真由は、女の子にその掴み方はない、と思った直後、三鬼の肩越しに飛んでくる影に気づいた。藤堂と揃って「うげっ」と品もなく顔を引き攣らせる。
「三鬼さん頭下げてッ」
「三鬼先輩伏せてください!」
真由と藤堂は、ほぼ同時に三鬼の肩に手を置いて、一気に体重をかけて彼の頭の位置をぐっと下げていた。
両肩にかかった重さに耐えきれず、三鬼が「うおッ」と声を上げて腰を曲げた時、頭上すれすれを鉄の固まりが通過していった。サンサンビルの大通りへと投げ出されたそれを見て、彼は顔面を引き攣らせたが、文句も礼を言う余裕もなかった。
たった二台の車による衝突事故だというのに、立て続けに爆発は続いていた。三鬼は藤堂と共に頭を低くしながら、意識のないマサルを引きずって壁際に移動する。
爆発と爆風と飛翔物が飛び交う騒がしさで、真由は宮橋の姿を見失ってしまっていた。気になって少し移動の足が遅くなっていたら、壁際からこちらを振り返った三鬼の、怒鳴る声が聞こえて我に返った。
「橋端! もっと頭を下げろッ」
本気で怒鳴られた真由は、ビクリとして反射的に「すみませんでしたッ」と答えていた。慌てて視線を戻してみると、マサルを藤堂に押し付けた三鬼がすぐそこまで来ていて、またしてもジャケットを掴んで引っぱられてしまった。
「これで契約は完了した! もうお前のすべきことは何もない! 繋いだ形を喰らって帰るがいい!」
爆風から身を守っていると、破壊音に負けじと叫ぶ宮橋の声が聞こえた。真由を藤堂の方に押し付けた三鬼が「あいつは大丈夫なのかッ?」と叫んだ時、その背中にプラスチック製らしき部品が当たった。
真由は、顔を歪めた彼に気付いて声を掛けた。
「大丈夫ですかっ?」
「ぐぅ、問題ねぇよ……クソッ、まるで厄日だぜ」
三鬼は堪らず、目尻にひっそりと涙を滲ませた。マサルを両腕で抱えた藤堂が、「宮橋さん絡みだと、先輩いつもそうですよねぇ」と、ぽつりと口にした。
しばらくもしないうちに、二台の車は破壊の連鎖反応を終えた。ひどい熱風はまだあったが、三鬼がマサルを藤堂に任せたまま立ち上がる。真由は髪をぼさぼさにした状態で、視界の端に動く宮橋の姿を見付けて、目を向けていた。
こちらに向かってゆっくり歩いてくる彼は、先程の爆風で、すましたような髪型も崩れていた。白い頬に、薄らと赤い線が入っている。
手に持っていたピストルをしまう宮橋に、三鬼が駆け寄って「一体何がどうなってッ――」と叫びかけて、ふと口を噤んだ。
三鬼の横を静かに通り過ぎた宮橋は、普段よりもゆっくりと歩いて取り繕われているが、真由がいる位置から見ても、少し違和感を覚える歩き方だった。意識のないマサルを抱き上げて立ち上がった藤堂も、心配そうに見つめる。
「足をやられたのか……?」
三鬼が後を追いながら訊いたが、宮橋は視線を合わせなかった。正面を向いたまま、疲れたような顔で吐息交じりにこう言った。
「これから、与魄少年を迎えに行く」
茫然と佇む藤堂の前を通り過ぎようとしたところで、宮橋がふっと足を止めて、こちらを見下ろしてきた。じっと見つめられて、真由は途端に落ち着かなくなる。
「えっと、……宮橋さん、なんですか?」
「怪我はないみたいだな」
「あ、はい。三鬼さんと藤堂さんが、サポートしてくれました」
真由は答えながら、遅れて慌てて立ち上がった。
よくは分からないけれど、暴走した車もパトカーも無人で、大きな怪我人は発生していない。彼は与魄智久を迎えに行くという。ならば、今、自分が取る行動は一つだ。
しっかりついて行きますからね、と改めて見つめ返したら、どうしてか彼が少しだけ目を細めた。
「――君は、それでも僕を真っ直ぐ見るんだな」
「へ?」
それは一体、どういう意味……?
尋ねようとした真由は、続いて彼が藤堂へと目を向けてしまい、タイミングを逃してしまった。足を止めている彼に付き合うように、近くに立っている三鬼が、仏頂面をそらして頭をガリガリとかいている。
「藤堂、マサル少年を連れて行って保護させろ。ついでに、事故処理班をこっちに回してくれ。『無音空間』では、何もかも外界から遮断される。外に音は聞こえていないから、煙を見るまでは誰も気づかないぞ」
「えぇと、その、あの爆音で気付かないなんて、あるんですかね……?」
ああでも、何度かそういう事もあったような、なかったような……と藤堂が悩ましげに首を傾げる。それから彼は、重さなど感じていないように腕に抱えたマサルを見下ろして、「了解しました」と、ひとまずはそう答えた。
「でも、どうして無人の車が、突っ込んできたんでしょうか」
「事故の原因なんて、処理班に調べさせたらすぐに分かることだろ」
宮橋は、何も話したくないんだ、と言わんばかりにそっけなく答えて、再びこちらに目を留めてきた。
「すまないが、藤堂をサポートしてもらえるか? 両手が塞がっている状態では、携帯電話で前もって連絡も取れないだろうから、そっちを君が頼まれて欲しい」
「あ、はい。分かりました……」
その方が、現場もスムーズに回るだろう。事故と捜査が両方起こった場合の動きについては、そう推測出来たものの、なんだ、ついて行けないのか、と真由は小さく気持ちが沈むのを感じた。
ただ迎えに行くだけだから、人間の数は必要ではない。三鬼や藤堂だって、コンビを組んでいる中で、臨機応変に二手に別れて動くこともある。けれど、なんだか大事なところで距離を置かれるようで、今の彼と離れたくない気がしていた。
「頼んだぞ」
そう言い残した宮橋の横顔は、憔悴しているようだった。通り過ぎていく直前、その表情が切なそうに歪むのが見えて、もう真由は何も言えなくなってしまう。
信頼されて、だから頼まれてくれるかと、役目を与えられたのだろう。そう考えてみると相棒らしい仕事とも思えて、疲れている彼に代わって、体力が有り余っている自分が連絡係りをしよう、と決めた。
ゆっくりと歩き始めた宮橋の後ろに、三鬼が続いた。彼は「藤堂、橋端さん、あとは頼む」と、後輩組に短く言葉を告げ、唇を一文字に引き結ぶ。
「…………なんとも、悲しい事件だよ」
前を歩く宮橋が、ポツリと独り言をもらした。
すぐ後ろを歩きながらも、三鬼はポケットに手を突っ込んで聞こえない振りをした。
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「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
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・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
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