美麗な御曹司刑事はかく語らない~怪異刑事 宮橋雅兎の事件簿~

百門一新

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彼は事件に幕を降ろす(2)

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 薄暗くなった通りに停まったいくつものパトカーが、頭に乗せた赤い警告光を回し続けている。

 制服を着た警察官が慌ただしく走っていくのを、通行人たちが不思議そうに見やった。シャッターの降りた宝石店の辺りが騒がしくなったのを聞いたが、三鬼はちらりと視線を送っただけで、すぐに前方へと注意を戻した。

 目の前には、少し乱れた茶色い髪を揺らしながら歩く、宮橋の背中があった。歩幅はいつもの半分、速度はいつもの倍以上の遅さだ。スーツのズボンにぶつけたような痕が残されていて、恐らくそれが原因だろう。

 宮橋は、後ろに続くこちらに、普段の文句の一つも言ってこないままだった。三鬼も、口を閉じたまま無言で歩き続けた。

 どのくらい経っただろうか。

 ふと、ポケットに入れていた携帯電話に着信が入り、三鬼は宮橋の細い背中を見つめたまま、重い腕を持ち上げて電話に出た。

『こちら藤堂です。マサル君を、近くのパトカーに乗せました』
「おう、お疲れさん」

 三鬼は、抑揚なく述べた。電話の向こうからは、藤堂の乾いた笑いが聞こえてくる。

『『お疲れさん』は、まだ早いですよ。すぐに事故処理班は回しましたが、僕も橋端さんも、なんとも説明出来なくて、先輩がいつもやっているみたいに『あとで宮橋さんに訊いてください』って言っちゃいました』
「それでいい。何か言われたら、あとで宮橋が報告すると伝えておけ」

 ポケットに片手を突っ込んだまま、肉のついてない背を丸めた三鬼は、宮橋が横断歩道を渡るのを見て、距離感を保ったまま自分もそちらへ足を運ぶ。

『そちらは大丈夫ですか? 橋端さんも、すごく心配していますよ。トラックの事故現場に駆け付けた小楠警部と、合流したところです』
「そうか。小楠警部には、俺が宮橋についていると伝えておいてくれ」

 後輩からの質問が続く前に、三鬼は電話を切った。胸ポケットに入れてある煙草に意識が行きそうになるのを堪え、乱暴に両手をズボンのポケットに押し込む。

 ゆっくりと歩き続ける宮橋は、人を避ける素振りも見せず、進み続けていた。三鬼は時々、対向から擦れ違う通行人を避けて、自分から意識的に衝突を回避する。

「おい。どこに向かっている?」

 三鬼は、二人の散策が始まってから、ここにきて初めて口を開いた。

 返事を待ちながら、宮橋のすらりと伸びた背中を眺める。同じ年だとは思えないような若いその後ろ姿は、まだ自分たちが新人だった頃を思い起こさせた。L事件特別捜査係を立ち上げることになった『神隠し事件』の時も、こうして歩いたのだ。

「与魄少年のいる場所さ」

 しばらくして、宮橋が力なくそう答える声が聞こえた。

 ふと、そこにあの日の光景が重なった。全身を雨に濡らしながら、右腕を包帯で巻いた記憶の中の彼が『彼のいる場所さ』と呟いていた光景が、瞼の裏に蘇る。

 三鬼は遅れて「そうか」と、形ばかりの相槌を打って空を見上げた。薄く伸びた雲に重なった茜色が、そこには静かに広がっていた。どこかへ帰っていくのか、影しか確認できない鳥の群れが、上空を横断しているのが見えた。

 少しの間、そうして歩いていた三鬼は、宮橋の声が聞こえたような気がして視線を戻した。
 宮橋が少し進んだ先で立ち止まり、二階建ての書店のガラス窓を眺めている。美麗な横顔から覗くその形のいい唇が、僅かに動くのが見えた。

「なんか言ったか?」

 尋ねると、彼がこちらを静かに振り返った。僅かに首を振って否定を示し、進行方向へと向き直りながら、独り言のように「探しているんだ」と呟かれた。

 三鬼は、それが記憶の中のある映像と重なり、思わず眉根を寄せていた。反射的に宮橋の肩を掴み、引き留める。

「また、妙なことを考えてるんじゃねぇだろうな?」
「唐突になんだ、意味が分からないぞ」

 宮橋は強い一瞥をくれたが、その手を払いのける仕草は慎重だった。三鬼の捲くられた白いシャツに、こびりついた血を見て怪我を考慮したためだ。

 それでも、どちらも普段通り、引かずという状態で睨み合っていた。数十秒も待たずに、宮橋は苛立ちを増したように秀麗な眉を顰め、三鬼も女性にモテない強い仏頂面を浮かべた。

「僕の邪魔をするようなら、ついてくるな、馬鹿三鬼」
「ふんっ、俺はどこまでもついていくさ。誰かさんに言わせると、『しつこくて執念深い、体力だけが取り柄の馬鹿な男』らしいからな」

 略して馬鹿三鬼だ、と、昔に言われた。

 途端に宮橋が「勝手にしろ」と、踵を返して再び歩き出した。三鬼もまた、同じように一定の距離を開けたまま、彼の後ろをついて歩いた。


 サンサンビルの反対に位置する、大通りに抜けた。事故規制の範囲外のため車も人の数も多く、帝天ホテルが、まだ明るい夕暮れを全身の鏡面ガラスに反射させていた。
 続いて進んだのは、建物同士の間にある細い路地だった。車の通行が禁止されており、幅は軽自動車一台分ほどしかない。飲食店のフタ付きゴミ箱が四つ並び、従業員の自転車とバイクが数台停まっているばかりだった。


 数台のバイクを越えた宮橋が、右手にある建物の裏口の前で立ち止まった。ゆっくりとしゃがみこんだ彼の上から、そこを覗きこんだ三鬼はハッとした。

 質素な鉄扉の前にある、コンクリートで作られた正方形の小さな土台の上に、一人の少年が丸くなって横たわっていた。

 きちんと着込んだN高校の制服と、癖のない黒髪に丸い眼鏡。少し幼さが残るふっくらとした白い顔は、写真で確認した与魄智久である。

 少年は、規則正しく肺を膨らませていた。三鬼は、耳をそばだてて彼の呼吸音を自分の耳でハッキリと聞き届けたところで、胸を撫で下ろした。続けて残酷な死体を見すぎていたので、反射的に嫌な予感を覚えてしまったせいだった。

「驚ろかすなよな」

 思わず愚痴っていると、宮橋も続いて膝を折ってきた。慎重に手を伸ばして、幼さの残る与魄智久の頬にかかった長い前髪を、そっとかき上げた。

「与魄智久、目を覚ませ。『僕』が迎えに来たぞ」

 そう呼びかける宮橋の声色は、普段の彼からは想像もつかないほど穏やかで弱々しかった。三鬼は眉根を寄せたものの、少年へと視線を戻して反応を窺う。

 少年――智久の瞼が、宮橋の言葉に反応するようにピクリと震えた。宮橋は壊れやすい物に触れるように、指先を慎重に動かせて、もう一度彼の前髪をかき上げ、それから生きているのを確かめるみたいに柔らかな白い頬に触れた。

「ほら、起きたまえ。すべて終わったんだ」
「本当ですか……? 上手く、いった……?」

 目覚めたばかりの掠れ声で言い、智久がゆっくりと目を開いた。寝ぼけ眼で、自身を覗きこんでいる宮橋の顔を目に留めて、ふと「ああ、あなたは、こんな顔をしていたんですね」と呟いた。それに、三鬼は小さな疑問を覚えた。

 宮橋の表情に陰りが過ぎった。まるで心の調子でも整えるかのような間を置いて、うっすらと笑みを浮かべる。

「少々荒かったが、上手くいって良かったよ」

 そう言いながら宮橋が手伝い、智久がゆっくりと身を起こした。

「君、どこか痛いところは?」
「いいえ。ちょっと『中身』に衝撃があったくらいで――」

 そう柔らかく答えた智久が、ふと、こちらに気付いて視線を上げてきた。

 三鬼は、目が合った瞬間、背筋が冷たくなるような違和感に顔を強張らせていた。幼さが残る彼は、まるでひどく歳を取った教師か、随分長い年月を修行した僧侶のように穏やかで、落ちつき過ぎている気がしたからだ。

 丸い瞳でしばらく見つめていた智久が、ふっと微笑んで「こんばんは」と挨拶してきた。三鬼は、挨拶に応えるようにぎこちなく頭を動かした。

 智久は眼鏡を両手でかけ直した後、再び宮橋と視線を合わせた。見つめ合う二人の顔は、ひどく穏やかでどこか悲しげだ。言葉を交わさなくとも通じ合っているような雰囲気に、三鬼は正体の分からない不安を覚える。

「…………本当に、お前が犯人なのか?」

 場の空気に呑まれそうになって、三鬼は気付くと、そんな言葉を出していた。すると、智久が迷いなく穏やかに「はい」と答えてきた。

「きちんとした場で、ちゃんとお話します」

 非常に落ち着いた言葉が返ってきてすぐ、三鬼は額を押さえると「そうか」と、一旦そこで話を終わらせるように吐息混じりに言った。事情聴取は、自分か小楠が担当することになる。「後でちゃんと話は聞かせてもらう」とだけは伝えた。

「それじゃあ、行こうか」

 三鬼は、疲れを滲ませた声でそう告げ、踵を返した。

 ゆっくりと歩き出したその後ろ姿を見つめていた智久が、少し申し訳なさそうに微笑む。宮橋は、彼の頭にそっと手を置いて「行こうか」と小さく促した。智久を見下ろす宮橋の整った綺麗な顔には、ひどく残念そうな表情が浮かんでいた。

「僕は大丈夫ですよ、宮橋さん」

 言われた宮橋は、歩き出しながら三鬼の背中へ視線を移し、どこか遠い記憶を探すような表情で「そうか」と呟いた。智久が「はい」と答えて、ひどく幸せそうに微笑んで小さな手を胸に当てた。

「僕は、一人じゃないから」

 もう、あとは帰るだけですから――そう続けた智久の手を、宮橋は前を見据えたまま握りしめた。


――君の心は、もう『こちら側』の世にはないんだな。そうしてまた、僕だけが置いて行かれるんだ…………


 何か小さな呟きが聞こえたような気がして、三鬼は肩越しに二人を振り返った。

「なんだ、手を繋いでんのかよ。……お前は馬鹿力持ちだし、手錠は要らねぇな」
「任意で連行されている学生相手に、それは酷だろう。君は鬼畜か」

 宮橋が片眉をつり上げた。三鬼は怪訝面で鼻を鳴らし、「容疑者の前で無駄口叩くなよな」と返しながら、窮屈なネクタイを指で少し緩めた。この後にも、やるべき仕事が多々残っているのだ。考えるだけでもげんなりしてしまう。

 大通りに出た三鬼は、人の多い流れの中を、不貞腐れた顔でポケットに手を突っ込んで歩いた。その後ろを、智久と手を繋いた状態で宮橋が続く。

「おい、三鬼」
「なんだよ、宮橋」

 声を掛けられて、三鬼は肩越しにさりげなく目を向ける。

「小楠警部が今、彼らと別の車で近くを走っているはずだ。用意させている車より、そっちの方が早く『僕らの近くを走る』から、向こうに与魄少年を乗せよう」

 宮橋が、唐突にそう提案してきた。

 怪訝そうな顔を向けたが、三鬼は文句を言わず携帯電話を取り出した。上司の小楠とは、すぐに連絡が繋がった。

『ちょうど連絡を取ろうとしていたところだ。こっちから向かった方が、早いと思ってな――とはいえ、タイミングがいいな。また宮橋が言ったのか?』
「いつも通りっすよ。まるで見えているみてぇに、指摘してきやがりました」

 そんな事あるはずがない。直感が、やけにいい男だとは思う。

 三鬼は少し小楠と話し、宮橋が口にしていた『彼ら』というのが、一緒に車に乗っている真由と藤堂であると気付いた。どうやら、他のベテラン組の捜査員が忙しくしていたため、運転手は藤堂が務めているらしい。

 それを理解した途端、つい一瞬ほど状況を忘れた。
 尊敬している上司の話を聞きながら、思う。

「…………小楠警部と同じ車に乗ってるとか、羨まし過ぎるだろ」

 そっと電話口を離した三鬼は、小さく震えながら片手で顔を押さえて、そんな個人的な思いを呟いてしまっていた。

             ※※※

 数分も経たないうちに、一台の普通乗用車が路肩へと滑りこんできた。

 助手席側の窓ガラスが開き、そこから小楠、運転席から藤堂、後部座席から真由が顔を覗かせる。本人を目にした途端、それぞれの表情を浮かべたその三人に、智久は控えめに微笑んで「こんばんは」と、またしても丁寧に挨拶した。

 宮橋が、助手席から顔を出す小楠に歩み寄った。手短に智久を紹介し、続ける。

「安全運転で、署まで連れて行ってあげてくれ。ああ、事情聴取は明日にしたほうがいいだろうな。その方が明瞭な説明が出来る――と、本人もそう言っている」

 まるで前もって用意していた台詞でも読み上げるかのように、彼が普段の陽気さもなく告げると、小楠が鋭い眼差しで見つめたまま、けれど「承知した」と重々しく答えた。

 真由と藤堂は視線を交わしたが、戸惑いつつも視線を戻していた。改めて容疑者として対面させられたところで、その推理に間違いはないのかという当初の疑問を遅れて思い出したかのように、強行的な取り調べなど行えない様子で少年を見つめる。

「事情聴取は明日、朝一番に行う」
「ありがとう、小楠警部」

 言われた小楠が、一瞬、言葉を切った。

「――どうして礼を言うんだ、宮橋」
「――そうだったな、どうして礼なんか言ったんだろう」

 答えた宮橋は、ぎこちない不敵な笑みを浮かべて「『僕は質問には答えない』、このまま彼を乗せて行ってくれ」と、お決まりの台詞のように前置きして、それから智久を手で示してこう続けた。

「ただ、署に向かう前に、暖かい食事をあげて欲しい。本人は逃げるつもりはない」

 そこで彼に目を向けられて、真由と藤堂が揃ってビクリとした。

「いいかい、君たち。彼の事情聴取は、明日きちんとするんだ。食事をしたら、署まで安全に送り届けるんだぞ」
「分かってますよ。でも、あの、宮橋さんは……?」
「僕は、近くに自分の車を停めてある」

 すかさず美麗な顔に顰め面を作られて、真由が遅れて思い出したように「あ、そうか」と口に手をあてた。

「そもそも、こんな遅い車に乗っていられるか」
「それが本音ですか。普段から、どんだけ荒い運転してんですか」
「僕ほど安全運転な男はいないぞ。それから、僕は署には戻らないから、あとは小楠警部に従え」

 見下ろされて堂々と言われた真由は、呆気に取られた表情を浮かべた。「あれは安全運転じゃないし、というか机業務を全丸投げって……」と呟くそばで、藤堂が「相変わらず自由すぎる人だなぁ」と相槌を打った。

 その時、それまで黙って様子を見つめていた三鬼が、小さく舌打ちした。現場のおおまかな収拾は小楠がやってくれているだろうが、やらなければならない事は多々ある。こういう状況の時に毎回思うのは、どうして俺はこの仕事を選んじまったんだ、ということだ。

「どうせ、俺が残って後始末もするんですよね」
「……よろしく頼んだぞ」

 小楠が、仕方がないが頼まれてくれ、という表情で目頭を押さえて言った。

 車内から真由が後部座席の扉を開ける中、智久が宮橋に手を差し伸ばした。どこか申し訳なさそうな顔で、十六歳の少年らしい少し泣きそうな笑顔を浮かべる。

「あなたに会えて、嬉しかったです。それから、ごめんなさい」
「僕も、君に会えて良かった。――本当は、もっと違う形で会いたかったよ」

 その手を握り返した宮橋が、ぎこちなく口角を引き上げる。「さよなら」と智久が言い、彼が諦めたようにふっと表情から力を抜いて「さようなら」と口許に静かな笑みを浮かべ――二人は同時に手を離した。

 智久が会釈してから車に乗り込み、後部座席の扉がパタリとしまってすぐ、小楠が窓を閉めながら「藤堂」と呼んで指示を送った。車は滑るように発進すると、事故が起こった現場とは反対方面へと向かっていった。

 車が見えなくなったところで、三鬼は怪訝な顔で宮橋を振り返った。すかさず不機嫌さを醸し出し、ビシリと指を突き付ける。

「おい、宮橋。車の件よりも、まずお前は病院に行って、その足を診てもらえ」
「大袈裟だな、少し打っただけさ。そもそも僕がいなかったら、現場は大忙しで大変じゃないか」
「てめぇに顎でこき使われるよりましだよ! くそ忙しいのに紅茶だの茶菓子だの、背中がかゆいだの言われたあの忌まわしい日を、俺は忘れちゃいねぇぞ!」
「はははっ、そんなこともあったな」

 宮橋が力のない、調子外れの乾いた笑い声を上げた。三鬼は舌打ちすると、そのまま踵を返して不格好に歩き出しながら、背中の向こうの彼にこう続けた。

「救急車を呼ぶから、そこで待ってろ。勝手に動くなよ」



 続けてブツブツと愚痴る三鬼の背中を見つめていた宮橋の顔から、作っていた笑顔がふっと消える。

「…………あの子が、明日の朝を迎えることはない」

 多分、たくさん泣くんだろうなぁ、と、宮橋は組まされたばかりの相棒である真由を思い返し、すっかり暗くなった空を見上げた。

「僕らしくないな。断れるタイミングは、何度もあったのに」

 明るくも見える切れ長の瞳に、空を映し出しながら「うーん」と頭をかき、それから――数秒もしないうちに歩き出していた。

 すっかり直前に言われていたことを忘れていた宮橋は、このあとに三鬼が走ってきて「てんめぇええええええ! 動くなっつっただろうがッ!」と、飛び蹴りをかまされるまで、救急車の件を思い出せなかった。
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