美麗な御曹司刑事はかく語らない~怪異刑事 宮橋雅兎の事件簿~

百門一新

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終章(下)最終話

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 結局、帰宅する事なく迎えた翌日の朝。

「…………」
「…………」

 まだ自分の机もない真由は、椅子に腰かけた三鬼と目が合ったところで、唖然とした表情をされて、しばしじっと見つめ合っていた。

 先程まで、そこには勝手に先輩の椅子を使っていた藤堂がいた。目覚めに効く珈琲を買ってきます、と彼が席を立っていったのは、数分前の事である。そうしたら、三鬼が肩にジャケットを引っ掛けて出勤してきたのだ。

「……なんか、ひでぇ顔してんな」
「もともとブサイクで可愛くないし、気にしていません」

 泣き腫らした目に濡れたタオルは押し当てていたし、早朝に比べれば随分マシになって、むくれだって取れてはいた。さっき、もう一回顔だって洗ってきたのだ。もう何十人という同僚に見られてしまっていたので、真由は開き直って顰め面で構える。

 その時、戻ってきた藤堂が「先輩」と呼んだ。

「女の子に向かって『ひどい顔』という言い方は、よくないですよ」
「うるせーな、どうせ俺はモテない組だよ」

 三鬼は頬杖をついて、ブラックの缶珈琲を真由に手渡す藤堂を見やった。彼の泣き跡は、ほとんど落ち着いていて、泣いた事で返ってすっきりとしている。

「んじゃ、お前は指摘してやらなかったのか?」
「『ちょっとひどい顔してますし、一度洗ってきます?』と、タオルを渡しました」
「ざけんな、俺と同レベルじゃねぇか!」

 途端に三鬼が立ち上がり、胸倉を掴んで揺らした。藤堂が「ちょ、今開けたばっかりなのに、珈琲がこぼれちゃいますからッ」と言うそばで、真由は受け取った缶珈琲がホットである事に衝撃を受けて少しじっとしてしまっていた。

 夏の気候のせいで、明るくなった外はすっかり蒸し暑くなっているのに、ホットかぁ……。

 とはいえ、気遣いは有り難いので、しみじみと思いながらも缶珈琲を開けて口にした。出来ればキンキンに冷えた炭酸飲料が良かったな、と先程遠慮して本音を伝えなかったことを少し反省した。正直に言うと、甘くない珈琲は今でも苦手である。

「んで、なんでこんなとこに座ってんだ? お前の部屋はあっちだろ」

 椅子に座り直した三鬼が、こちらから見える『L事件特別捜査係』の表札がかかった扉の方に親指を向けた。まだ誰も座っていない向かいの席から、勝手に椅子を拝借した藤堂が「宮橋さんが、まだ出勤していないからですよ」と言う。

「鍵はかかっていないんですけど、勝手に入るのも悪いからって、こうやって待機しているわけです。昨日は結局、少し話しただけですぐに捜査に入ってしまって、机と椅子もまだないみたいなんですよ」
「別に、勝手に入ったって問題ねぇだろ。物に埋もれて見えにくいけど、二人掛けソファとテーブルだってあるぞ。そっちに配属されてんだから、堂々としてりゃいいんだよ」

 その時、真由はぽつりと口を開いた。小さな声が聞き取れなくて、顔を顰めた三鬼が手を添えて頭を傾ける。

「…………だって私、まだ正式な配属じゃないもん……」

 彼女は足の上に置いた缶珈琲を握り締めて、もう一度そう言った。
 勝手に入って当然のように居座っているとは何事だ、と指摘されて追い出されるのではないか、と嫌な方に想像が向いて勝手に落ち込んでしまう。

 実はその件に関して、同じように帰宅しなかった小楠が、先に確認してくれるとのことで、一緒にいた早朝時に宮橋に電話を掛けてくれたのだ。そうしたら、留守電は解除されていたものの、話しを切り出す前に「朝食中だ」と切られてしまった。
 それはタイミングが悪くて窘めるような声にも感じたし、不機嫌そうにも感じた。小楠は推測がつかない様子ながら、もしかしたら厳しいかもしれないなぁ……と悩ましげに口にしていたのだ。大抵の人は事件後に、相棒を外されているらしい。

 三鬼が、ふと、気付いた様子で藤堂に視線を戻した。

「お前、なんか知ってるって顔だな?」
「実はですね、相棒をクビにされるんじゃないかって、気にしているみたいなんです」
「クビって……初日から睨み合ってる感じはなかったし、一日、二日でそれはないんじゃね? つか、あいつは元から空気を読まねぇ奴だから、いきなりコンビ解消されても悩む必要もねぇだろ、内部評価にかかわるわけでもないし」
「外聞を気にしているんじゃなくて、彼女は宮橋さんのところで成長したいんだそうです」

 その藤堂の回答を聞いて、三鬼が顔を顰め、深刻そうな雰囲気でこう尋ね返した。

「あいつに、刑事として見習うべきところって、あるのか?」
「三鬼さん、疑いもない目で、ストレーにそんなこと言わないでくださいよ……」

 宮橋がそろそろ出勤するのではないかと考えたら、余計にそわそわしてしまって、真由は熱い珈琲を一気に喉に流し込んだ。こちらを見た三鬼が「なんだか男らしいな」と言って、藤堂が「突っ込むべきところ、そこなんですね」と困ったように呟いた。

 彼のところで頑張りたいのだ。どうしてか時間が経つごとに、その気持ちは強くなって、まるで初めての受験の結果を待つレベルで落ち着かない。

「お前らは、一体何をやっているんだ?」

 ふっと馴染んだ『小楠のおじさん』の声が聞こえて、真由は椅子を少し回しつつ振り返った。

「小楠警部、お疲れ様です。あれ? その大量のサンドイッチ、どうしたんです?」
「朝メシらしいものを、きちんと食べていなかっただろうと思ってな」

 ほれ、と小楠に手渡されて、真由は藤堂の机に空缶を置いて、それを両手で受け取った。いつも好んで食べている野菜たっぷりのものだと気付いて、つい「わぁ」と瞳を輝かせていた。

 反射的にガバリと立ち上がった三鬼と、遅れて立ち上がった藤堂が、小楠に挨拶をした。彼は「お前らも食うか?」と尋ねて、袋から好きに取らせた。

「小楠警部に朝からサンドイッチをもらえるとか、昨日の疲れが全部飛んだ……」
「先輩、顔を押さえてどうしたんです?」

 近くからその様子を見ていた田中達が、ちらっと苦笑を浮かべて「あの人、昔から尊敬しすぎだよなぁ」と言葉を交わす。藤堂は気付かず「疲れているのかな」と気を遣って、彼を椅子に座らせた。

「ところで、宮橋はまだか?」
「あいつの事だから、今日は何もないと踏んで『ゆとり出勤』でもして来るんじゃないすかね」

 片足を軽く組んだ三鬼が、サンドイッチの袋の開封に取りかかりながら言う。椅子に座った藤堂が、慣れたように袋を開けて、早速サンドイッチを口に放り込んだ。
 その回答で察した小楠が、「ふうむ」と悩ましげに眉を寄せて、こちらを見下ろしてきた。

 真由は小腹が空いていたけれど、すぐに食べられそうにもなくて、サンドイッチを足の上に置いて、気になった様子で目を合わせる。小楠の思案するような沈黙を見て取り、三鬼と藤堂もそちらにチラリと目を向けた。

「三鬼と藤堂とは、随分打ち解けているようだしなぁ。もしもの時は、しばらく慣れるまで三人コンビで面倒を見てもらって――」


「勝手な事をされたら困るな。彼女は僕の相棒だぞ、小楠警部」


 不意に、この場にはいなかったはずの声が聞こえて、小楠が言葉を切った。三鬼が「ごほっ」とサンドイッチに咽て、二個目に手を伸ばしていた藤堂が「またいつの間に!?」と驚いたように振り返る。

 真後ろからした美声を聞いて、真由もびっくりしてしまった。けれど、振り返ろうとした矢先、後ろから伸びてきた白い手に、何故かガシリと顎を掴まれていた。

 ぐいっと横を向かされ、思わず「ぐぇっ」と色気のない声がでた直後、眼前に美麗な男性の顔があって目を丸くした。そこにいたのは宮橋で、彼は初対面時と変わらない自信たっぷりの笑みを浮かべて、鼻先の距離からこちらを覗き込んでいる。

 触れられた手が熱くて、前触れもなく視界をいっぱいにした美しい顔は威力抜群で、乙女心とは程遠いと自負している真由でも、知らず体温が上がるのを感じた。

 彼は子供みたいに上機嫌そうな笑みを浮かべていて、明るい鳶色の瞳は、こちらを目に留めて改めて感じる物があったようにして、輝きを増したようにも見えた。

「橋端真由、君は僕の相棒だ」
「へ?」
「昨日はバタバタしていたからな、まずは机を探しに行こうか」
「え。ちょっと待って、机……?」

 腕を取られて立ち上がるそばで、小楠が「そもそも、またうちの備品を使わないつもりか」と頭の中で状況を整理しつつ、茫然とした調子で呟く。頼むから、勝手に買ってきて持ちこむなよ、という個人的な意見も口にしていた。

 しかし、宮橋は聞いていない様子で、ふと気付いたように顎に手をあて、

「ああ、そうか。忘れていたな――おはよう、真由君」

 当然のように陽気に挨拶をされて、真由は呆気に取られたまま「えぇと、宮橋さん、おはようございます?」と答えていた。

 すると、彼が「ははっ」と、また良く分からな上機嫌さで笑った。

「やっぱり君は、僕を真っ直ぐ見るんだな」
「はい……?」
「そのサンドイッチ、僕も半分もらっていいか」
「いや別に構わないですけど、さっき朝ごはんたべてきたんじゃ? ――って、ちょっと待って。なんで腕をぐいぐい引っ張るんですか。というか、この流れってもしや」
「僕の車で行った方が早いだろう」


 途端に真由が両足を踏ん張って、「んな荒い運転されたら、サンドイッチ食べられないですよッ」と騒ぎだした。女性とも思わない様子で、宮橋が持ち前の馬鹿力で彼女をずるずると引っ張っていき、その声が離れて行くのを、三鬼たちが口を開けたまま見送った。

 遅れて小楠が、ひとまずは問題解決らしいと察して、小さく息をついたのだった。
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