不思議な夜行列車~お見合い婚約した彼女と彼の場合~

百門一新

文字の大きさ
2 / 12

1

しおりを挟む
 高度成長期、藤野家は事業を成立させて成功した。

 暮らしに不自由のない収入があり、香澄の父は社長として、そして多くの時間を一人娘の父親として過ごした。

 彼は仕事よりも家庭を大事にする人だった。

 大きくなり過ぎない会社には、十一人の社員がおり、大きな売り上げは社員たちにも充分に分けられた。

 苦労がなかったと言えば嘘になる。
 香澄は仕事を探す父の、苦労する背中を何度も見た。

 疲れ切った顔に笑顔を刻み、「香澄」と自分を呼んだ父の声が、ふとしたときに脳裏に思い出された。

 経済は前触れもなく浮き沈みするものだから、父は社員と一緒になって厳しい状況を何度も乗りきっていった。

 桜宮という名前は、香澄も昔からよく知っていた。

 地元にあるビルやマンションを所有し、その中心街に、天にそびえる二本の高層ビルを構えた会社は有名だった。

 華族時代から続く富豪だとかなんとかで、そこに入社出来れば、将来は安泰だとさえ言われていた。桜宮家は男家系でもあり、玉の輿を夢見る少女も多くご縁を持ちたいと入社希望を出したりと人気があったが――そんな中、香澄は夢や理想もなく成長していった。

 地元は、十年もかからずに近代的な都会へと変貌を遂げた。

 藤野の会社がこじんまりと見えるほど、大きな建物が周囲に密集した。

 藤野家は信頼もあったので仕事に困らなかったが、古くからの取引き先の飲食店はどんどん閉店していった。ラーメン屋も饅頭屋も焼鳥屋も土地を買収され、見たこともないほど立派な大型ショッピングセンターの一部となった。

『お前に、苦労はさせられないよ』

 思い出される父は、いつでも悲しいほどに優しかった。

 藤野という姓を持ったまま実家を飛び出し、駆け落ちした母と貧しい生活を送りながら、ようやく一つの会社を立ち上げた彼は、仕事を理由に家族との時間を奪われることを一番恐れていた。

 温かみのある会社、というのが香澄の父の願いだった。

 若かった社員たちはそれぞれ家庭を持ち、両親が三十歳の頃にようやく香澄が生まれた。

 引っ込み思案の香澄は、母の後ろに隠れて、皆が談笑している様子を見ていることが好きだった。それだけで、自分も幸せな気持ちになれた。

 どうしてこんなに臆病な性格になってしまったのかは、香澄自身わからない。

 物欲のない幸せすぎる環境のせいなのか、香澄はそれが不意に壊れてしまうのではないか、という恐怖を持っていた。

 家や会社は暖かく、外はアスファルトの冷たさがまでもが身に染みる。路上で擦れ違う人間は誰もが無関心で、風は異国の匂いを孕ませている。そこから正体のわからぬ不安がどっと押し寄せてきて、都会の一角にある香澄の大事な場所を壊してしまうのではないかと日々怯えた。

 香澄は、両親と会社の社員たちが好きだった。何も失いたくはなかった。

 物事を敏感に察知して、必要以上に気を使ってしまう子どももいる。香澄はまさにそれで、楽しいけれど辛い仕事に励む両親を、決して引き止めはしなかった。

 香澄は幼い日、自分が出来ることを日々探した。模索しているうちに、自分にはほとんど何も出来ないのだと思い知った。

 男の子でも生まれれば、と両親がどこかで落胆しているような気がして怖かった。少しでも早く両親の助けになりたくて、ようやく見つけたのは勉強することだった。たくさんの数字を弾く母のように、いつかは経営に関わるような手伝いが出来ることを期待した。

 そうしているうちに、夢が出来た。

 幼い頃にはたくさんあった、こじんまりとした飲食店。

 自分もそういう店を持ってみたいと思った。二階建てで、両親と一緒にゆっくりと暮らす生活――。

 それは一つの希望になった。これまでは忙しくて出来なかった三人での旅行も、自分の頑張りしだいでは出来るのではないかと胸が高鳴った。

 香澄は父が本当は読書が好きなことを知っていたし、「いずれグルメツアーなんてしたいわね」と母がいっていたことも覚えていた。

 香澄は、臆病な自分を奮い立たせた。大人になる将来の自分のために、勉強することに努力を注ぎこんだ。電車で国立の高校まで通った。成績は常に上位だった。


 はじめて見合いの話しが舞い込んで来たのは、女子大へ入学してから間もない頃だった。

 見慣れた風景に溶け込んだ高層ビルの大手企業のマークが入った案内状のような手紙が、藤野の会社に届けられたのだ。

 なんで、どうして、と思ったのは香澄だけではなかった。

 桜宮家が次男である晃光の婚約相手を探していることは、当時話題になっていた。数年前からは、あてずっぽうにオーディションのような見合いを続けているらしい。

 その多くの中の一つとして白矢が立ったのだろう。

 しばらく社員達とみんなで考えてそう腑に落ち、香澄も「なんだ」と同じように緊張を緩めた。

「ったく、驚かせやがって。これ『見合い』の文字がなけりゃあ、どう見たってパーティーの招待状だあ」
「なんでも、令嬢にはみーんな出しているらしいじゃないか。とうとう困り果てて、うちに出すぐらいまでに範囲を広げたんじゃないのか?」
「それもそうだなあ」

 香澄の父は頭をかいた。母は神妙顔で頷き返す。

「いい噂は聞かないものね。見合いの席で、『お前と結婚するつもりはない』って一瞥して帰ったって話、聞いたことあるわ」

 見合いの招待状は、そのまま送り返すことになった。

 母は良家のお嬢さんだった日の嫌なことを思い出したようで、手紙を送り返すと、自宅と会社前で塩を払った。彼女の口癖は「普通に恋をして、そして一番愛する人と結婚をしなさい」であり、幼いころから香澄にはよく言って聞かせていた。

「でも、どうしてうちに来たのかしらねえ」

 打ち塩のあと、母はそう言って小首を傾げた。

 社員の一人が手を休めて尋ねる。

「オーナー、気になりますか?」
「そうねえ、だってウチ、ちょっと不景気に入ってきているし」
「そうっすねえ。確かに景気はよくないっすよねえ。まあうちは倅も結婚しちまって、俺も年だし。最後までゆっくり付き合いますよ」
「最近は、めっきり活動規模も小さいしなあ」

 社長である父はそう言ったあと「まあいっか」と言って、取引き先に出駆けた。

 書類の整頓を任せられるようになっていた香澄は、そのそばで作業を続けながら、私がここを守っていけたら、と切なくなった。

 すっかり歳を取った社員たちも、母も香澄も、古くなっていく藤野の会社がもう長くないことを悟っていた。

 会社の後見人もおらず、新しい人間に業務を引き継ぎしたところで近代社会で以前のようにやっていけるとは限らない。香澄の父が築いた人望があるからこそ、食うに困らない仕事が舞い込んでくるのだ。

「香澄ちゃん、俺たちは、この会社が大好きだよ」

 ――きっと、ずっとね。

 一番高齢の南原は、六十歳も目前となっていた。しわだらけの手で頭を撫でられたとき、香澄はそのまま泣いてしまいたくなった。


 年越しの大掃除は、毎年の如く従業員とその家族が駆けつけて、皆で丁寧に社内外をくまなく清掃した。

 通りかかる人に声をかけながら、古びた外壁もきれいに磨き上げる。地元には昔馴染みの親しい人たちも多く、気軽に声を掛けられると寒さも拭われるような暖かさに包まれ、皆汗だくになりながら「熱いねえ」なんて言い合った。


 桜宮の次男が、副社長に収まったという知らせは、年が明けた新聞で大きく載せられた。

「一気にいい女が集まるだろうな」

 新年会の集まりで南原さんは皮肉を叩き、母は眉根を寄せた。

「もういい加減に決まったんじゃないの」

 そう言った彼女の横顔に、不安がいくばくかは残っているのを感じのだろう。付き合いの長い四十三歳の社員が相槌を打った。

「オーナーは気にしすぎですよ。だって、香澄ちゃんは確かに可愛いけど、よりどりみどりの美女の中にいたら、ねえ……」
「御曹司だってんだから、政略結婚さ。香澄ちゃんは当てはまらないよ」
「誤送かもしんねえぜ?」
「うちの香澄のほうが一番可愛いんだぞ!」

 父はすっかり酔った口調でそう言った。場に「たしかにそだ!」とドッと笑いが起こった。

 香澄は、母譲りの整った小さな顔をしていた。けれど美人と評された母のように秀でて目を引くものはなく、今年で二十歳を迎えるにしては全体的に幼い。

『成長は人それぞれなのだから、焦らないでもいい』

 そう言ってくれた両親や社員たちの言葉には、救われていた。

(ここ以外の居場所なんて、私は要らないの)

 香澄はどうかこの一時が、少しでも長く続くように祈るばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます

久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」 大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。 彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。 しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。 失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。 彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。 「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。 蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。 地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。 そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。 これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。 数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。

処理中です...