不思議な夜行列車~お見合い婚約した彼女と彼の場合~

百門一新

文字の大きさ
10 / 12

9

しおりを挟む
 香澄は、とりとめもなく浮かぶまま少年に話した。

 恋に落ちて南に向かった父と母のこと。親戚のいなかった香澄にとって、従兄弟のようにも思える藤野の会社の人たちのこと。聞き取りにくいほどの囁きは、しだいに車両に通るほど澄みきった声色に変わっていた。

 両親、会社、自分が好きだった街を香澄は話し続けた。

 話しながら、自分はなんていい人たちに恵まれたのだろうと実感し、時々涙腺が緩んだ。

 お見合いをして出会った晃光のことは話そうかどうか悩んだが、――相手は子供だ。ちらりと述べるだけにとどめた。

「大切な思い出に取ってあるの」

 そんな高価なものではない、仮の婚約指輪に触れて、香澄の話はようやく終わった。

 ずいぶん話しこんでしまったものだ。香澄は我に返って、ふと申し訳ない気持ちに襲われた。

 少年をちらりと見ると、切ないような眩しいような、神妙な表情でこちらを見ていた。まるで大人の眼差しのように一瞬見えてしまって、香澄は少し戸惑った。

「どうしたの?」
「お姉さんの傍にいる人は、きっと幸せだね」

 少年は澄んだ声で囁いた。

 香澄は「そうじゃないのよ」と首を横に振る。

「私の方が、幸福を分けてもらっていたから」

 彼はきょとんとして「そうかな」と小首を傾げた。ずいぶんとあどけない仕草は、香澄に対して打ち解けてきているようだった。初対面の時と比べ、その表情に刺はない。

 香澄は嬉しい気持ちになり、弟がいたらこんな具合だったのだろうか、と考えたりした。ぎこちないながらにせいいっぱい微笑んでみると、少年は何故だか泣きそうな顔をして唇の端を歪めた。

「お姉さんみたいな大人が、近くにいてくれたらよかったのに」
「私……?」
「みんな嫌な奴ばかりなんだ。塾もソロバンも、ピアノのレッスンも、華道や着付けの先生だって腹の中は真っ黒さ。こんなことを学んでいたって、『お前らみたいな大人にしかならないのなら嫌だ』って、俺たち兄弟はいつも思ってるんだよ」

 ずいぶんと無理を強いられているのだろう。

 そう、兄弟がいるのね、なんて香澄は質問することも躊躇われ、ただ静かに耳を傾けることしか出来なかった。

「あいつらは、俺たちのために教えているんじゃないんだ。みんな、父さんや母さんに褒められたいだけなんだ。まるで厳しいだけがいいみたいな教育をしてさ、父さんたちに『どうですか』って嬉しそうに報告するんだ。出来ない時はひどく罵るし、馬術の先生も茶道の先生も、ほんとクソくらえだ」

 少年は、右足を軽く蹴り上げた。

「習い事がとても多いのねえ」

 香澄がようやく吐息をもらすと、少年は場違いなことを聞かれたように眉根を寄せた。

「まあな。それぞれの家庭教師が、毎日入れ替わり立ち替わりで家にやってくるんだ。学校の教科は国立大学生がアルバイトでやっていて、いちいちこっちの顔色窺って来る感じが苛々する。子ども相手でも『さようでございますか』なんだぜ? 使い慣れてない癖に。しかも、しょっちゅう言葉を噛む」

 少年は大袈裟に「やれやれ」と肩をすくめてみせた。

 香澄は、その国立大学生のモノマネを始めた少年に思わず笑った。

「よく見ているのね」
「俺の観察力は、兄や弟の中でピカイチなんだぜ」

 彼はそう言って、不器用ながらに笑ってみせた。

 夜行列車は、暖かい地域を通り過ぎたのか、しばらくするとまた空気が冷たくなり始めた。

 車窓には闇が広がっているばかりだが、列車は鈍い轟音をたててしだいに速度を落としていった。

 すると、唐突に機関士の青年が現れ、「懐かしい通天閣よ!」と演説めいた出だしをして、二人の前にポーズを決めて立った。

「第三車両にお客様が乗客致しますので、少々お待ちを――あ、お嬢ちゃん、勘違いしないで欲しいんだけど、通天閣は俺の故郷じゃあないからね。甘酸っぱい思い出の一つなの。まさか殴り合いから恋に発展するなんて思いもしなかった、若かりし学生時代の思い出なのだよ」

 身ぶり手ぶり語る彼の勢いに押され、香澄は「はあ」と間の抜けた声を上げた。

 その向かいで、少年は猫が威嚇するような顔をして吠える。

「そんな話信じられるか」
「ほんとだって」

 青年は愉快そうに唇を引き上げ、指先で顎をさすった。思い出すように斜め上へと視線を滑らせて言葉を続ける。

「当時は貧しかったからねぃ。弁当一つでも子どもたちの争いは過熱したよ。まあ通天閣はそのずいぶん後の出来事なんだが、当時は一つの学校に何百人もの学生がいて、顔を知らないまま卒業することも珍しくなかったのさ。今と違ってイジメはなかったが、みんな正々堂々と戦うスタイルの喧嘩は大好きでねえ。女の子にあそこまでボコボコにされたのは、初めてだったよ」

 それがいい思い出だとは到底思えない内容だったのだが、香澄は「そうなんですか」と相槌を打った。

 悪戯っ子のようでいてどこか利発的な青年の瞳は、父が母との恋を語るときの表情を彷彿とさせ、どこか懐かしいような空気すら感じた。

 自分と同じぐらい若いはずなのに、澄んだ青年の横顔には、語りつくせない多くの出来事が詰まっているように香澄には感じた。

 気付いたら、彼にこう尋ねていた。

「その人を、愛していたんですね」

 青年は、きょとんとしたふうに香澄を見た。薄っすらと頬に残る傷痕を指でかき、それから「うん」と素直に感じで頷く。

「愛した女は、一にも二にも彼女だけさ。俺は、何度だって彼女に惚れちまうのよ」

 歯ぐきを見せてにっと笑う顔は無邪気で、香澄も自然と微笑みを返した。


 青年が機関室へと戻ってしばらくすると、一度列車は停車し、それからまた再び重々しく動き出した。

 物言いたげな少年の表情に気付き、香澄は向かい側に視線を戻して尋ねた。

「どうしたの」

 少年は言いづらそうに唇をすぼめ、上目遣いでぽつりぽつりと言葉を滑らせた。

「あいつが話してたとき、なんだか、すごく羨ましそうな顔してた」
「そうかしら」

 香澄は小首を傾げた。

 じっくりと考えてみると、なんだかそのような気もしてくる。

 車窓の外は、相変わらず真っ暗だった。指先がじょじょに冷えていくのがわかる。

「そうね。羨ましかったのかもしれない」

 香澄は、深い夜の色越しに映った窓ガラスの自分の顔を、ぼんやりと眺めてそう言った。

「よくわからないけれど、きっと私は、恋をしたかったのかも」
「お見合いした人と?」
「それはわからないわ。父や母のように愛し愛される恋とか、――変な話しだけど、お見合いした彼とは、出会わない運命だったような気がしてならないの。私は平凡に生きて、父と母を失ったあとには普通の事務職に就いて、それからゆっくり、誰か他の平凡な相手と出会うはずだった……そんな気がするのよ」

 少年は、香澄の小さな声に辛抱強く耳を傾けていた。

「最後まであまり多く名前も呼べなかったけど、不思議と、彼との思い出は暖かいの。私は恋を知らないけれど、もしかしたら、そうね、私は彼を好きになっていたのかもしれない。……自分の心なのに、よくわからないわ」

 香澄は少年に視線を戻して、迷いを誤魔化すように微笑む。

「ごめんなさいね。変な話をしたわ」

 こんなことを、幼い彼に聞かせるべきではない。

 少年は、じっと香澄を見つめていた。訝しむように目を細め、それから慎重に言葉を切り出す。

「お姉さんはさ、きっと、恋をしていたんだと思う」
「私が?」
「うん」

 少年は真面目な顔つきのまま頷いた。

「お見合いした人のことを話すとき、すごく寂しそうに見えたから」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます

久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」 大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。 彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。 しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。 失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。 彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。 「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。 蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。 地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。 そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。 これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。 数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。

処理中です...