「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

文字の大きさ
6 / 110

その青年、碧眼のエージェント(5)

しおりを挟む
 ナンバー4と呼ばれる青年の名は、蒼緋蔵雪弥といった。今年で二十四になるとは思えないほど童顔な青年である。とても温厚でおっとりとしており、エージェントの中では珍しくのんびり屋だった。

 国家特殊機動部隊には、暗殺部隊を除いて本当の名と家族がある。彼らは同僚にも本名は明かしておらず、与えられたナンバーの他、仲間内では自分でつけたニックネームを使用しているが、その中で唯一とくにこだわる事もなく「雪弥です」と名乗る異例のエージェントは彼一人だった。


 ナンバー三十番から上の者は、数字の高さによって権力のある職と肩書きを持っているが、異例のエージェント雪弥は、とことん権力に興味を示さなかった。

 外で彼を見かけた際、「普通のサラリーマンをしています」と語っているところを目撃した仲間たちが震え上がった、という話は、ここでは有名である。

 
 異例なエージェント、雪弥は少し特殊な生い立ちをしていた。蒼緋蔵家といえば本家、分家ともに大手の企業会社を持ち、弁護士、裁判官、医者、国会議員などを多く排出する一族で、広大な土地を持った国内有数の大富豪である。しかし、彼は蒼緋蔵現当主の正妻の子ではなく愛人の子だった。

 奇妙なのは、そんな雪弥と蒼緋蔵家の関係である。蒼緋蔵現当主の正妻である亜希子は、夫の愛人である紗奈(さな)恵(え)をあっさりと受け入れたのだ。

 紗奈恵は仲は良くても、蒼緋蔵家の豪邸に住まう事はしなかった。出身県の隣にある、埼玉県の安アパートに住んでいた。不憫に思った当主と亜希子の提案は以前からあったが、四年経ってようやく紗奈恵が妥協し、雪弥たちは東京に建てられた一軒家に住む事になった。

 住宅街にある、小さな庭ばかりがついた二階建てのこじんまりとした家だった。紗奈恵はそこで、普通の子供として雪弥を育てた。

 雪弥が歩き回れるようになった頃から、蒼緋蔵家と紗奈恵の交流は、より一層深くなった。彼女は雪弥が四歳になると、遠出も大丈夫だと判断して彼を連れて蒼緋蔵邸に行くようになった。

 亜希子には雪弥より四つ年上の息子と、三つ年下の娘がいたが、当初雪弥は紗奈恵のそばから離れず、遠目で彼らを見ているだけだった。

 幼いながらに蒼緋蔵家関係者からよそよそしい雰囲気を肌で感じて、愛人の子である意味を理解していたのである。そんな雪弥を見て、亜希子の子供たちも、はじめは遠慮して遠目から見ているといった様子だった。

 一緒に過ごす中で、三人の関係はしだいに変わり始めた。

 雪弥は「兄」と「妹」が紗奈恵と接するのを見て、彼らが自分の母を「もう一人の母親」として想ってくれている事に気付いた。家族なんだ、という実感が込み上げたときには彼らが特別な存在になっていて、それから亜希子の息子は「兄さん」、娘の方は「可愛い妹」になった。


 雪弥が兄弟たちと話せるようになってしばらく経った頃。双方とも子育てが忙しくなり、当主の仕事が増えていたとき紗奈恵が病に倒れた。診察の結果は、悪性の癌だった。当主と亜希子は、蒼緋蔵家の主治医がいる設備が整った病院を紹介したが、紗奈恵はそれを断って地元の病院に入院した。


 当時小学生だった雪弥は、既に中学生までの勉強を終わらせていたほど賢かったから、医者から話を聞いて母が長くない事を悟った。「母が望むことを」と心に決めて、紗奈恵が抗癌治療を希望しなかった時もそれを受け入れた。

 懇願し「長く生きていて」するよりも、最後まで自分らしく生きたいといった紗奈恵に「じゃあ僕の出来る事をせいいっぱいする」と子供らしかぬ考えを持っていた。

 紗奈恵は数カ月に一度だけ、家に帰れるばかりで、それ以外はずっと病室での入院を強いられた。それでも、雪弥は常に母の傍に寄り添い続けた。早朝一番に顔を出し、学校が終わるとすぐに病院へと向かった。

 面会時間が終わるまで紗奈恵と過ごす日課は、中学生になっても変わらなかった。たった一人残された家での家事疲れもあったが、彼は一度だって弱音を吐かずにそれを続けた。当主が週に二回、仕事の時間を削って会いに来たときの紗奈恵の嬉しそうな顔を見るだけで、雪弥は満足だった。

 紗奈恵の医療代は、決して少ない金額ではなかった。中学一年生の春、病室に訪れてきた蒼緋蔵家の見知らぬ人間たちが、突然一方的に話を切り出した。雪弥は大富豪の家と、愛人となった自分たちの立場の難しさを実感した。

 多くの分家や親族繋がりが存在し、当主に可愛がられている愛人とその子供として自分達は確かに嫌われているのだ、という事を知った。それだけではなく、この先もしかしたら、父や亜希子や兄妹たちに迷惑を掛けてしまう恐れがある事にも、雪弥は気付かされた。

「最低限の生活費や治療費は入れてやる。しかし、これ以上当主と私たちに関わらないで頂こう」

 前触れもなく訪れた男たちに対する嫌悪感よりも、家族に迷惑をかけたくないという想いから、蒼緋蔵家と縁を切る事を決意した。雪弥は母に代わって、二度と蒼緋蔵家の敷地内に足を踏み入れない事、彼らと今後一切関わらない事を男たちに告げた。

 決意しながらも、「これで良かったのよね」と言いながら紗奈恵は泣いた。父は苦渋したが、二人の覚悟を最後は受け入れて「けれど、どうか名字だけは残させて欲しい」としてその手続きを行い、形式上縁を切ったと公言しながらも病院に見舞いに来続けた。

 雪弥は自分の母に対する彼の想いの深さを感じながらも、父がしだいにやつれている事に気付いた。完全に蒼緋蔵家を断ちきるためにも、頑張って早く就職しようと決心した。


 そんな焦燥を引き連れたまま、季節は急くように流れて行き、雪弥が中学二年生になった春、母である紗奈恵が三十三歳の若さで亡くなった。

 紗奈恵の葬式は、十四歳の誕生日もまだ迎えていない雪弥の希望により、自宅でひっそりと行われた。蒼緋蔵家の人間は来ないようにと釘を刺した家は、数少ない紗奈恵の知人が時折来るばかりだった。


 一日泣いただけで、雪弥は恐ろしい精神力で立ち直った。その頃から、紗奈恵と一緒にいた時は感じた事がなかった、これまでにない苛立ちに似た感情を覚え始めた。

 それを紛らわすため、彼は学校の運動部に時々顔を出しては暴れた。今まで以上に勉学に励み、貪るように知識を詰め込んだ。睡眠もほとんど取らずに行動し続けるその姿は、まるで獣のようだった。

 雪弥は高校入試で全科目満点の数字を叩きだし、奨学金をもらって都内で有名な高校へと進学した。以前のような落ち着きは戻っていたが、どこか荒々しい一面が浮かぶようになっていた。

 ぶつかりそうになった学生を反射的に叩き伏せてしまったり、外で素行の悪い他校生にからまれた少年少女を見かけた時は、構わず声を掛けて、一人で十数人の不良を再起不能にする事も多くなった。

 多くの者たちは、雪弥に足か腕一つで地面に叩きつけられる。不良の間では「かなりの強者だ」とひそかに恐れられたが、彼自身は、ほんの少し力を入れて払っただけにすぎなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

陰キャ幼馴染に振られた負けヒロインは俺がいる限り絶対に勝つ!

みずがめ
恋愛
★講談社ラノベ文庫新人賞佳作を受賞しました!  杉藤千夏はツンデレ少女である。  そんな彼女は誤解から好意を抱いていた幼馴染に軽蔑されてしまう。その場面を偶然目撃した佐野将隆は絶好のチャンスだと立ち上がった。  千夏に好意を寄せていた将隆だったが、彼女には生まれた頃から幼馴染の男子がいた。半ば諦めていたのに突然転がり込んできた好機。それを逃すことなく、将隆は千夏の弱った心に容赦なくつけ込んでいくのであった。  徐々に解されていく千夏の心。いつしか彼女は将隆なしではいられなくなっていく…。口うるさいツンデレ女子が優しい美少女幼馴染だと気づいても、今さらもう遅い! ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙絵イラストはおしつじさん、ロゴはあっきコタロウさんに作っていただきました。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について

のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。 だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。 「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」 ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。 だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。 その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!? 仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、 「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」 「中の人、彼氏か?」 視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!? しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して―― 同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!? 「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」 代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!

処理中です...