「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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その青年、碧眼のエージェント(6)

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 中学二年生の夏にカツアゲを仕掛けてきた大男を、腕一本で持ち上げた時も「運動部で暴れていたせいだろう」と彼は疑問を覚えなかった。なぜか無性に腹が立った中学三年生の秋、試しにコンクリート塀に拳を突き出して砕き割った時に初めて、力を十分に制御するよう努めた。

 自分では鍛えているつもりはなかったが、高校生になって一カ月もしないうちに、指二本でコンクリートを粉々に出来るまでになっていた。

 通学中に曲がり角から突っ込んできたトラックを腕一本で止めた彼が、「急ぐと危ないよ」と呆れたように告げた運転手は、しばらく中道のまん中で停車したまま放心状態だった。それを向かい側から見ていた原付バイクの中年女性が、ようやく気付いたように「今男の子が車に轢かれそうになった!?」と叫んだ声は、朝の住宅街に響き渡った。

 高校生になった雪弥は、本格的に蒼緋蔵家からの資金援助を断つため、バイトを始めていた。奨学金が降りているとはいえ、一軒家で一人暮らしするためには到底足りなかった。

 年齢的にも高額時給の仕事は出来ず、とりあえず夏休みに出来る限りのバイトを入れる事にした。原付免許を取って週七日、五つのバイト先を見つけ小刻みの日程で動き回ったが、不思議と疲れを感じなかった。

 自宅に戻るのは風呂の時ばかりで、彼はほとんど外で仮眠と食事をすませていた。出前のバイトをしていたさい出会ったそば屋の老店主と仲良くなり、三つのバイトを切って早朝から深夜までそこで働きだしたのは、夏休みに入って一週間目のことだ。

 小さなそば屋は、たった一人の従業員を失って半年目だった。老店主を手伝いたいと思った雪弥は、「仮眠と食事をつけてくれるんなら、安い給料でも構わない」と提案したのである。九月からは学校が始まるので、その時までに昼間働いてくれる従業員を探す事も課題だった。

 十五もない客席を持ったかなり老朽化した小さな店だったが、決まった時間になると、それ以上の客が流れ込んだ。忙しくない時間帯は配達もある。職人技で次々に料理を仕上げる店主に、雪弥は一人とは思えないほど円滑に仕事を進めた。

 注文を取って料理を運び、レジを打って空いた席から皿を下げながら、テーブルを綺麗にすると同時に店主の仕事を素早くサポートした。客足が引くと、くたくたになった彼を尻目に、配達分のそばをバイクに乗せて「いってきまぁす」と陽気にバイクを走らせた。

 原付の免許のみしか持っていなかったが、このとき雪弥が乗っていたのは、十数年前からそば配達に使われているギアバイクだった。彼はコツを店主に教わっただけで、まるでこれまでずっとそうしていたかのような慣れた手つきでバイクを操った。警察に見つかったらどうしよう、といった不安はちっとも感じていなかった。

 何故なら雪弥は、片手で配達先の住所をチェックしながらでも、飛び出してきた車を避けられた。道路に車が渋滞していようがお構いなしに突き進み、老店主の美味しいそばを早く届けようという思いから近道を使った。


 オンボロバイクが住宅街の間に流れている川を飛んだ、――という困った悪戯電話に、交番の警察官が悩まされていたのもこの頃である。

 土日祝祭日以外、午後三時までに、そば屋の売上金を銀行に預ける仕事も雪弥が担っていた。夏休みも中盤を迎えた頃には、すっかりそば屋のバイトに慣れた。


 この日も、銀行の窓口時間がギリギリだった。いつものように反対側の道に出るため、民家の十センチ塀にバイクを乗り上げて走行し、いつもの道まで最短距離の近道で出たところで、予想外にもいつもの着地点の歩道に乗り上げて停まっている車があった。

 後部座席を黒いガラスに塗り替えられた高級車のフロント部分から、正装した運転手と目が合ったとき、雪弥の乗ったバイクは前輪が既に塀から飛び出していた。

 運転手の男が「そんな馬鹿な!」という表情で引き攣ったが、雪弥のほうは至って冷静だった。そのまま勢いをつけてアクセルを回すと、バイクごと跳躍するように身体を動かした。

 細いタイヤを一度バウンドさせた後輪が塀から離れ、車を飛び越えたところで前輪から着地すると、雪弥はブレーキを踏んで後ろタイヤを滑らせて、進行方向へとバイクの向きを変えたのである。

「上手いな」

 車内から低い声が聞こえたが、雪弥は興味がなかったので「どうも」と適当に答えて、そのままそこをあとにしようと――

 したところで、後ろから「ひったくりよ!」という声が聞こえた。バイクのミラーでちらりと確認するや否や右手を動かせていて、素早く伸びた雪弥の右手が、横を通過しようとしたバイクに乗っていた男の襟首を見事に捕えた。

 速度が出始めた原付バイクであったにも関わらず、男がまるで壁にでもひっかかったように、首元を固定したまま両足を振りこのように前方に大きく降って呻く。宙を浮いた男の足もとをバイクが離れ、歩道の上に乗り上げると同時に転倒して地面の上を滑った。

 十六歳の細い右腕一本に、成人男性が宙づりになっている状況であった。

 そのあと駆けつけた女性と、騒ぎに集まってきた大人たちに男を押しつけ、雪弥は「しまったッこんなことをしている場合じゃなかったんだった!」と慌てて銀行へと急いだ。

 残り五分というところで間に合ったのだが、何故か時間があるにも関わらず、目の前で銀行のシャッターが下り始めた。息をつく間もないままバイクを降りて走り、ぎりぎりで銀行に滑り込めて「セーフ」と思った矢先、「動くな!」という怒号とともに五人の覆面男たちに銃を突きつけられていた。

 今日に限って、本当に色々とついていないな、と思った。

 いつも通り老店主の元を出たはずなのに、雪弥は予想外ばかりに遭遇している現状に「なんだかなぁ」と呟いてしまった。

 飛び込んだ店内は、今まさに銀行強盗が行われるところであったのだ。男女構わず白い床にうつぶせになって両手を頭の後ろに組まされていたが、雪弥は恐怖よりも先に犯人の一人が発した言葉に苛立った。「金目の物を出せ」と脅されたからである。

「おじさんが頑張って稼いだお金を、なんで渡さなくちゃならないのさ」

 銀行の金庫ばかりではなく、客の財布からも現金を抜いていた犯人に苛立った雪弥は、近くにいた覆面男を一瞬にして叩きのめすと、素早く銃を構え直した四人の武器を素手で打ち払った。

 数発銃弾を発砲されたが、冷静に視界で銃弾を捕えていた雪弥は、それをすっと避け、一分もかからずに犯人たちを一網打尽にした。

 たまたまそこに居合わせていたのが、特殊機関ナンバー1の男だったのである。雪弥がバイクで飛び越えた車が、連続銀行強盗事件の助太刀に入ったエージェントトップクラス専用車だったのだ。

「そのシャツにそば屋山星と書いてあるが、ずいぶん鍛えられる仕事なのか?」
「うーん、まぁ結構人手不足で忙しいとは思いますけど……」
「ふうん。実は、そばが食べたいと思っていたところだ。そのそば屋は美味いか?」

 ダークスーツを着込んだ大男の唐突な問いかけに戸惑いながらも、雪弥はそば屋の場所を教えた。

 それが、雪弥と国家特殊機動部隊総本部トップの出会いだった。ナンバー1は客の振りをしてそば屋に入った後、十六歳だった雪弥に高時給のアルバイトを持ちかけたのだ。
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