「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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惨劇へと繋がる旧帆堀町会所(3)

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 里久が困ったように笑って「ごめん」と述べた。平均的ではあるが細身の体は、今日は珍しく黒いニットをつけているせいか、普段よりも小柄に見えた。

 そういえば、火曜日の夜にゲームセンターに向かう際に見掛けて以来だったから、二日ぶりだなと気付く。最近は使用量も増えているので、彼は薬で痩せたのだろうと常盤は思った。

「明日のことは大丈夫ですか?」
「メールをすぐに返信したあと、うっかり消しちゃったんだよね……」

 里久は薬をやる前から優秀な成績を持っていたが、どこか間が抜けたところがある人間だった。

 常盤は「やれやれ」と短い息をついただけで、嫌な感情は一つも覚えなかった。彼は里久に対しては明美同様、世話を焼いても不思議と苦にならなかったのである。

 付き合いが長いというわけでもなかったが、メールのやりとりをするようになってからは、時々遊びに行く仲にもなっていた。

「場所は前回と同じです。二十二時スタートですからね」
「うん、ありがとう。時間が曖昧だったから助かったよ」
「俺も明日の件で声は掛けてるんですけど、先輩からも他のメンバーに連絡回してもらっていいですか?」
「いいよ。必ず全員参加だよね?」

 愛想笑いを浮かべた里久が、はっきりと語尾を区切ってそう尋ねてきた。まるで確認するように「全員参加」を強調し、返事を待つように沈黙する。そこに普段あるような頼りない雰囲気は一切なく、一つの確信を持っているような自信を窺わせた。

 常盤は一瞬、なんだか雰囲気が違うな、という奇妙な違和感を覚えた。しかし、作り笑いが出来ない里久が、すぐぎこちない笑みへと表情を崩すのを見て、なぜかひどく安堵した。

「少しだけ、先にもらっていてもいいかな?」

 そう続けて問われて、やはり明日まではもちそうになかったのだろう、と思った。常盤は歯切れ悪く催促した里久に歩み寄り、彼がいつも財布を入れている後ろポケットに、明日分までの青い薬を押し込んだ。彼に関しては、料金はいつも後から受け取っている。

「残りは明日のパーティーで配りますから」
「うん、分かった。ありがとう」

 お互い声を潜めて会話し、常盤はそのまま里久と別れた。


 そういえば、今朝はメールの返事があったとはいえ、火曜日の夜からずっと連絡がなかったのだ。歩き出したところでそう思い出した常盤は、「分からないことがあったら、いつでもすぐメールして――」と言い掛けたところで顔を顰めた。


 振り返った先に、里久の姿はなかった。まるで忽然と消えてしまっていた。

 常盤は一人小首を傾げたが、ふと、明美に頼まれていたことが脳裏を横切った。彼女の希望通り、彼は暇潰しがてらに町を見て回ろうと考えていたのだ。尾崎には大学校舎へ行かず、藤村組事務所で明日の段取りを組むと連絡も入れてあった。

「そうだな、町の方をちょっとぷらぷらしてくるか」

 待ちに待ったはずの取引が明日に迫っていたが、常盤の表情は冴えない。彼は自分でもらしくないほどの大人しさを思いながら、ゆっくりとした歩調で足を進める。

             ※※※

 午後四時半を過ぎた頃。
 常盤は都心街ではなく、南方にある旧市街地にいた。

 明美の願いをかなえてやろうかと思っていたのに、大通りを見ないままぼんやりと歩き進んでいて、気付いたら藤村組事務所が建つさびれた土地まで来てしまっていたのだ。

 もし都合があえば夜にでも町を歩こうと考え直して、通い慣れた三階建ての事務所へと向かう事した。しかし、人の気配もない静まり返った路地をしばらく歩いた頃、藤村事務所まで百メートルの距離で、くぐもった鋭い発砲音に気付いた。

 日常ではまず聞こえるはずのないその音を、常盤は聞き逃さなかった。

 音沙汰もなかった心が久しぶりに高揚し騒ぎだすのを覚え、発砲音を探してすぐさま駆け出した。


 その発砲音は、すぐ近くの旧帆堀町会所方面から聞こえていた。
第29話 五章 旧帆堀町会所の惨劇 上


 常盤少年が、一発目の発砲音を聞く少し前の事。

 榎林は、旧帆堀町会所の開けた一階部分に設置したビデオカメラの横で、短い足を開くようにして立っていた。荒れ果てて古びた廃墟内は、窓ガラスも扉も外されて外の光が差している。

 廃墟の中央には直射日光が届かないため、薄暗さと黴(カビ)臭さが健在していた。足で簡単にこの葉やゴミが退かされただけの片隅には、電化製品の紙箱が投げ捨てられ、組み立て式の細い鉄筋台下の冷たさを帯びるコンクリートに、茉莉海市に来る途中購入した黒いスピーカーが置かれている。

「夜蜘羅さん、聞こえますか?」

 配線がセットされてすぐ、榎林はふてぶてしい面持ちを階段に向け、スピーカーへと耳を澄ませた。足元にスーツケースを置いた佐々木原は入口に立ち塞り、小さな赤い錠剤の入った小袋を大きな指先で触れている。

 室内には、他に六人の男たちがいた。殺風景としたその場で金や赤、黄色や紫といったシャツが目立つ。

 だらしなく着こなしたその男たちは、佐々木原の部下である。三十代後半のその面々は、彼が組頭となった頃からのメンバーであり、佐々木原にとって信頼のおける仲間だ。今回は秘密裏に動くこともあり、特に口が硬い人員を選んでいた。

『聞こえているよ。ああ、でもこちらの方で少し調整が必要みたいだ』

 スピーカーから野太い声が上がり、ぷつりと途切れた。

 上の階からようやく物音が聞こえてくると、そちらを見つめながら榎林が囁いた。

「佐々木原、明美の口止めは出来たんだろうな?」
「明日の取引まで、他言しないようにと伝えましたよ」

 社内の様子とは違い、答える佐々木原の顔には殺気を張りつかせた笑みが浮かんでいた。長い鼻筋の下で大きな唇が引き伸び、悪意に歪んだ目を隠すように、黒いサングラスがかけられている。

 榎林は夜蜘羅から、李にはすでにこの件を伝えてあると聞かされていた。取引に使う大学生を富川たちは把握していたので、後でこの件は自身の口から尾賀にも伝えておくと夜蜘羅は語った。

 富川たちは、ブロッドクロスで進む「強化兵」の計画を知らない。尾賀がそれらしい言い訳を伝えるだろう、と榎林は彼任せにする事に決めた。何せ闇取引こそが、尾賀の本来の領分だからである。


 尾賀はもともと、榎林がブロッドクロスに迎え入れられた際に紹介された人物だった。東京に根を降ろす大手闇グループの一つであり、その正体を巧妙に隠すほどの力を持っている。資金調達の目的もあってついでとばかりに闇金業者もやっていたが、会社経営に関しては弱い部分があった。

 そこで、経営に関してはずる賢く一流である榎林が、尾賀の表上の立場と資金繰りを引っ張る形で「丸咲金融第一支店」という名ばかりの子会社が誕生したのである。

 それはブロッドクロス側が推薦し組ませたものだったが、尾賀は闇活動を、表にもパイプを沢山持った榎林がそれを補いつつ経営をみるという、互いの利害が一致した結果でもあった。


『李が作り直した薬は、私たちが持っている物より質が良さそうだろう? レッドドリームによる『進化』にも耐えられるんじゃないかな、と思ってね』

 今回の急な『お願い』は、新しいタイプのブルードリームを摂取した人間にレッドドリームを試したことがないから見てみたい、というものだった。夜蜘羅が成果を見る前に、期待できるんじゃないかな、と褒めることも珍しい。

 しかし、榎林はその疑問を認識する前に、『そのまま実験の二段階目に突入出来そうだね』といった言葉を聞いて目が眩んだ。ここで成果を見せることが出来れば、ブロッドクロスで進む「強化兵」計画の第一人者の一人になれるのではないかと欲深く考えた。

 ブロッドクロスの特殊筋が欲しているのは、殺意を持った新しい駒である。彼らが抱える、人智を越えた能力と素質を持った人材は稀だ。人間を理想の殺人兵器に改造し、少しでも特殊筋が抱える人間と近い戦士を、意図的に量産出来るようになるのが「強化兵」の目指す理想の形だった。
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