「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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作戦決行の朝、家庭事情で迷惑を被る(1)

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 六月二十四日金曜日、茉莉海市は雲一つない朝焼けを迎えた。昨日に旧帆堀町会所で騒ぎがあったことなど知りもしないかのように、空気は涼しく感じるほど澄みわたり、風は遠慮がちにカーテンに触れるばかりだ。

 住民が思わず笑みを見せるそんな心地よい早朝、弱々しい覚醒に頭を枕へと押し付けた雪弥は、いつものように手探りで引き寄せた自分の携帯電話を見て、ハッと目を見開いた。

 やってきた後悔と苦悩に睡魔も吹き飛び、「う」と言葉を詰まらせる。

 雪弥は昨日、日が暮れる前に帰宅したことを思い出して「あの時は調子が悪かったんだ……」と思わず、らしくない震える声でそう呟いた。

 昨日夕刻、旧帆堀町会所で暗殺部隊の人間が処理へと駆けつけて、雪弥はナンバー4として現場指揮に当たった。新しく出来あがった死体を部下に処理させている間、ナンバー1から藤村事務所の場所や行動計画について確認を受け、彼からも折り返し連絡を入れて金島に待機場所を指示した。その後、用意された新しい制服に着替えて、彼はその場を離れたのである。

 気分が霞んだようにおぼろげ、帰宅してもどこか遠い世界にいるような心地だった。疲れていたのだと雪弥は思った。そうでなければ、あんな恐ろしい判断を早急に下さなかっただろう。


 後悔するのは遅い。

 あのとき、帰宅早々かかってきた兄からの着信を見て、雪弥は一瞬の迷いも持たずに切ったのである。


 ひどく気だるかったのを覚えている。そのままベッドに倒れ込んだ昨夜を思い出し、雪弥はそろりと上体を起こした。

 恐る恐る自分の携帯電話を確認してみると、その着信履歴には兄「蒼慶」の名が分刻みで並び、七回目でぷっつり途切れていた。兄の報復に似た次の行動を思い、雪弥は恐ろしさに手にした携帯電話を震わせた。

 きっと、八つ当たりついでに「副当主」の件を連絡するつもりだったのだろう。

 途端に気が重くなり、雪弥の口から重々しい息がもれた。任務についてから五日、家のことに一切手を触れていない状況に「まずいなぁ」と頭を抱える。早朝一番、兄の着信履歴で始まるというのも不吉である。

 蒼緋蔵家に関わるとろくな事がない。

 早く家の問題を片づけなければ、揉め事に巻き込まれる確率は高まる。

 雪弥は「ぐぅ」と目頭を押さえ、苦悩の表情を浮かべた。昨日事件に関わりがあると思われる人間に、『蒼緋蔵家の雪弥』と声を掛けられたことを、今になってようやく思い出せたのだ。

「勘弁してくれよ……」

 今の雪弥は、想定外の事件へと発展した今任務のことで頭がいっぱいだった。「詰め込めるスペースはあるが疲れるから面倒」を全面に押し出す彼は、嫌な出だしから始まった朝に不安を抱いてベッドから降りる。

 窓を開けると清々しい空と空気が広がっていたが、胸にしこりが残るような鬱々とした気分が拭えない。

 白鴎学園周辺に潜伏した暗殺部隊は、雪弥の指示通り身を潜めていた。昨日こちらに到着した金島一行は、筋書き通り藤村組を「覚せい剤取締法、麻薬および向精神取締法」で逮捕する準備にかかっていた。


 昨日、二番目の被害者となった鴨津原健について、研究班はこう回答していた。


『調べてみたところ、彼はレッドドリームを摂取していませんでした。仕組みは不明ですが、ブルードリームのみで急激な変化が起こって細胞が自滅しちゃってます。他に例もないので断言は出来ませんが、恐らくそちらで出回っているブルードリームの特性の一つなのではないかと』

 研究班の男はそう続け、一般人への二次被害と国を脅かす危険性も示唆した。

『以前の里久という被害者同様、筋肉、骨格レベルでの変化も確認されました。外見の変化に向かう前に、細胞が自滅したという感じになりますね……つまり、へたすると一つの薬だけで「第二の里久」「第三の里久」が出来上がる可能性も、ゼロではなくなるわけです』

 引き続き研究班の方で調査は進められるが、その結果を踏まえて、ナンバー1は『一掃』との判断を下していた。

 雪弥は風呂をすませ、今日で最後となる高校生セットに身を包んだ。今夜の計画については心配していないが、普段自分が使っている携帯電話をしまい、変装道具の一つである代用の薄い携帯電話を手にとったとろで、そこにも暗雲を覚えて動きを止めた。

 そういえば先日の授業中に、兄から着信があったのをすっかり忘れていた。

 遅れてその事実を思い出し、もしやと思って「不在着信」のページを開いてみると、「蒼慶」の電話番号がズラリと並んでいた。雪弥は、またしても眩暈を覚えた。

 なんだか、嫌なことが起こりそうな……

 まるで、占いで「今日の運勢は凶ですよ」と告げられたような気分だった。

 蒼緋蔵の名が災厄を呼ぶなんて大げさな、と雪弥は気を取り直して外へと出た。玄関に鍵を掛けると、晴々とした空気を肺いっぱいに取り込もうと背伸びをしたところで、不意に、殺気混じりの気配に髪先がチリリと痛むような感覚があった。

 何者かに場所を探られている嫌な気配を覚え、雪弥は辺りをうかがいながら、エレベーターへ乗り込んだ。そのまま郵便受けがある広い一階フロアへと降り、建物の正面入り口からマンションを出る。


 歩き出してすぐ、静まり返った道路の向こうから、一台の高級車が走行して来るのが見えた。それは車体の長い黒ベンツで、窓ガラスも黒く覆われて分厚い装甲に改良されており、タイヤも防弾タイプで幅が太かった。


 嫌な予感を覚えて足を止めていると、滑るような走行を続けていたベンツが、マンション正面で速度を落とした。佇む雪弥のそばで停車したかと思うと、左後部座席の窓がわずかに開いた。

「やあ、はじめまして。蒼緋蔵家の雪弥君」

 昨日、スピーカー越しに聞こえた声が聞こえた。

 雪弥は、露骨にげんなりとした表情を作った。夜蜘羅と呼ばれていた男は、姿を窓ガラスの黒いフィルターに隠しながら「実物で見ると本当に若いな」といって、少し驚かされたとばかりにこう言葉を続けた。

「そもそも君、まだ子供じゃないか」
「……はぁ、見ての通り高校生ですよ」
「その割には、昨日はひどく手慣れた様子だったけれどねぇ」

 まぁ映像の画質も良くはなかったし、いいか、と夜蜘羅は興味もなく話を区切った。雪弥は「昨日の連中と関わりがある人ですか」と警戒して睨みつける。

 すると、車内で夜蜘羅が肩をすくめるような気配を上げた。

「まさか、濡れ衣だよ。私はもう少しで犯罪に巻き込まれるところだったんだ」

 上辺だけの言葉だったが、雪弥はへたにこちらの情報を与えたくなくて、それについては追及しない事にした。深く突っ込んで尋ねれば、怪しまれるのは目に見えている。

 折角うまく騙されてくれているようなので、高校生という設定でいこうと決めて、ひとまず怪訝そうに顔を持ち上げて「で、なんか用ですか」と尋ねてみた。すると、夜蜘羅が「少し話しがしたくてね」と言う。

 雪弥は、彼が蒼緋蔵の名を口にしていたことを思って、「こっちだって濡れ衣ですよ」と先手を打つべく投げやりに言葉を吐き出した。

「僕の父親は、確かに蒼緋蔵家の者ですけど、愛人の子なんで縁がないんです。あなたが言っていた副当主とかなんとかの件についても、僕は無関係ですよ。子として認知されたのも、本家に関わる権力がないこと前提の話でしたから。というか、蒼緋蔵家からお呼ばれするような事態になろうと、こちらは断固拒否の姿勢です。そもそも、僕十八歳未満ですし」

 苛立ちから一気に言葉を捲くし立て、雪弥は唇をへの字に曲げて彼を思いっきり睨みつけた。

 当主や副当主などを含めた蒼緋蔵家の地位については、二十歳を越えた者であることが条件とされていた。それを夜蜘羅が知っている可能性があると踏んで、ひとまず未成年である事をアピールした。

 夜蜘羅と蒼緋蔵家が、どういう関係にあるかは知りたくもないが、こっちはとんだとばっちりである。来月行われる蒼緋蔵家の当主交代が決まった矢先、突拍子もない蒼慶の発言に巻き込まれかけているのだ。まったく勘弁してほしいと思う。
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