仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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3章 現実世界~研究所の『ハイソン』~(2)

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 ここに所属している人間は、軍に関わる事や、科学では解明されていないテーマには触れたくないらしい。全員がハイソンより七年以上も上の先輩だったが、以前この施設で行われていた研究組織について、他にもよからぬ噂を聞き知っているのかもしれない。

 軍の深い闇には触れたくないというのが、正直な感想だろう。実際に若き所長と言葉を交わした経験はない者達であり、ただの噂話しだとハイソンは思った。

 人間とは違い、所内で愛される珍妙なペットは、訪問した若き所長によく懐いた。彼が廊下を歩くと、いつもその後をついて回り、特に彼の手を舐める事にご執心だった。

 その所長は、所内にある普通の資料庫と図書室を一日に数回往復し、トイレと食事の他は出て来なかった。どこに寝泊まりしているのか、いつ施設を出入りしているのかの目撃情報も少なかった。

 しかし、ある日、ハイソンは明朝に資料庫に入った際、窓辺に寄りかかる彼をみつけて思わず悲鳴を上げてしまった。

「わぁッ!? ――びびび、びっくりしたぁ……あの、どうしたんですか、こんな早い時間に?」
「ん……? なんだ、もう朝なのか」

 施設内は二十四時間稼働であるから、締め出される事はない。しかし、朝も明け始めない時間帯に図書室を使用する人間は、この施設内にはほとんどいなかった。

 若い所長は、どうやら普段の性格は、かなりぼんやりしているらしい。ハイソンが見る限り、薄い緑のシャツと玉柄のネクタイ、白いコートは昨日と同じ服装だった。

 所長の方はというと、現在の状況を飲み込むのにやや時間をかけ、たっぷり数十秒経った頃、ようやく気付いたようにハンソンの方へ顔を向けた。

「そういえば、君は誰だろう?」

 彼は、申し訳なさそうに呟いた。

「すまないが、人の顔と名前を覚えるのは苦手でね……どこかで会った事はあるかな?」

 話し方は非常に穏やかで、ゆっくりとしていた。慣れたような言い方だったので、それだけ多くの人間に会う機会のある人物なのだろう、とハイソンは思った。

「いいえ。僕が、あなたを見掛けた事があるだけです」
「そうか……」
「食事はされましたか? よければ、僕のチョコスティックを一本おすそわけしますが」
「ああ、それは助かるな。なんだか空腹を感じているような気はするんだ」

 チョコ菓子を受け取る彼を、ハイソンはまじまじと見つめた。アメリカ人にしては、顔はやや東洋寄りで、漆黒の髪がキレイだと思った。男に対して髪がキレイだと思うのは失礼な気がしたが、彼を取り巻く穏やかな空気の流れは、なんだか好きになれそうだった。

 若き所長は、ハイソンからもらった菓子をゆっくりと食べ進めながら、手元の資料に目を通した。

 ハイソンは、チラリと辺りを確認した。若き所長の周りには、散乱したファイルや綴られた印刷誌が積み上げられていた。元々書棚が押し込められただけの片付いていないような部屋ではあったが、引っ張り出された資料の量は多い。

「大変ですね……徹夜で調べ物ですか?」
「まぁ、そんなところだよ」

 彼は口をもごもごとさせながら答えた。「直接的には関係がないけれどね」そう含む言い方をし、空になった菓子袋を丸めてポケットにねじ込む。

 ハイソンは、積み上げられている資料の山に目を向けた。『神秘』『不思議』『非科学的』『夢の構造と心理』『妄想の原理』……と奇妙な単語の並びを見て、思わず所長を盗み見てしまった。

 物静かに資料を閲覧する彼の瞳は切れ長で、睫毛は長く、整った顔にどこか哀愁を覚えた。

「君は、不思議な事について信じる人間かい?」

 突然尋ねられ、ハイソンは飛び上がった。とりたて失礼な事を考えてしまったわけではないが、第一声がちょっとだけ裏返ってしまう。

「えっと、その……不思議な事、と突然言われてもよく分からないのですが、その、超能力とか、非科学的に起こる未知な現象についての事でしょうか?」
「そうだなぁ、非科学的に目の前で派生する現象なら、まだ簡単なんだけどなぁ」

 そこで、その男は開いていた資料をパタリと閉じた。

 意思のこもった年上の男の瞳が、横目にハイソンを見据えた。

「無から有は生まれない。しかし、何もない場所から問いかけがあり、はっきりとした意思を感じ、意識の戻った瞬間に『有』となって目の前に存在してしまっていたら、それは、どういう現象に値すると思う?」
「超現象、ですかね……?」
「さあ、私にも分からない事ばかりでね」

 そう言って一瞬ばかり伏せられた瞳に、疲労が垣間見えたような気がした。しかし、ハイソンが口を開く前に、彼が再び尋ねた。

「――君は、今どういった研究を?」
「今は、脳波をテーマに調べています」
「そうか、脳波……」

 彼は、ちょっと考え込む様子を見せた。

「脳に意思はあると思うかい」
「意思、ですか? さあ、どうでしょう……脳は記憶や思考を司ってはいても、『意思』は人間の思考そのものではないでしょうか。心や意思は形として見えませんが、僕は、人の心が『脳』だけに宿るとは考えられません」
「違うんだ。通常の思考能力の他に、頭に単独的な意思があるのか、ということだよ。潜在意識や多重人格も考えられるんだけれど、どうやら肉体にも関係がないらしいし」
「あの、一体何の話しをしているんですか?」

 ハンソンは、たまらずに訊いた。

 若き所長は、暫く一人で考え込んでいた。彼は数分ほど黙り込んだあと、唐突に独り言のように話し出した。

「脳に『夢』という現象を媒介にする、デジタルとは全く異なるネットワークがあるとしたら、どうなのだろうな……『彼』が彼女の夢を見ているのか、彼女の方が『彼』の夢を見ているのか――その全く異なる別のネットワーク上で交わされる『意思』とは、一体どこから来ているのだろうか?」

 ハイソンは言葉が出て来なかった。所長は顎をさすり、視線を別の方へ向けている。

「変だろう? 夢の中で『彼』は言うんだ。一つ一つ進めるごとにヒントを落として、そして預言師の如く忠告する。この世界にも『陰』と『陽』があるように、我々はそれぞれ対極で決して会わず、触れあえず、それは理を外れて手に負えなくなった場合の最終手段であるのだと」

 語る男の口調は、ひどく落ち着いていた。
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