蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新

文字の大きさ
37 / 42

鬼と獣 下

しおりを挟む
 宮橋が、ポケットにしっかり『白豆』をしまうのを、雪弥は見届けた。ネクタイをシャツの中に一部しまい、スーツの袖口もしっかりと絞め直す。

 標的を見据え、冷静に支度する雪弥の隣から、宮橋が奥の黒い何かを眺めやって言う。

「それにしても、面白い。一体何かと思ったら、あれは〝蜘蛛の糸〟か」
「蜘蛛?」
「ふふん、あの魔術師風情が風間(かざま)の店の奥に入れたカラクリが、少し分かった。あの蜘蛛の糸は、自由にどこにでも繋がれて、そして気付かれない類の能力を固有に宿しているらしいな。僕くらい目が良くないと、なかなか〝見えづらい〟」

 不思議な能力、という事だろうか?

 雪弥は、そういえば夜蜘羅(よるくら)と初めて遭遇した際、夜狐達でさえ察知していなかった事を思い出した。
 よくよく考え直してみれば、それは〝異様な状況〟である。

「蜘蛛の糸、ですか……」
「覚えおくといいよ。今は多様でも、いずれ君に必要な情報の一つになるだろう」

 その時、黒いモノが消えた。

 ぞろぞろと場を埋め尽くし、向かってくるのは鬼の大群だ。その先頭に立った怨鬼が、一度彼らの足を自分の後ろで止めさせた。

「それじゃあ、行きます」

 そろそろか、と察して雪弥は言った。

「ああ、行ってくるといい。ただ、これだけ言っておく」

 一歩踏み出して飛び出そうとしたところで、雪弥は、自分のスーツの裾を掴んできた宮橋を振り返った。
 活き活きとした彼の明るいブラウンの目が、雪弥の鈍く光る青い目と合うと、強気に笑んだ。

「〝周りの事情も環境も関係ない。君が、どうしたいのか〟だ」

 それは相談役としての、最後の宮橋なりの『答え』の形のように思えた。

「それ、アドバイスだったりしますか?」

 思わず尋ね返してみると、彼が答えないまま、にっこりと笑って手を離した。

 やっぱり、その読めない笑顔は兄を思わせた。雪弥は兄のそれを前にした時のように、条件反射でぞぞーっとしてしまう。

「さて」

 笑み一つで雪弥を黙らせる事に成功した宮橋が、手を打った。

「雪弥君、派手な〝化け物退治〟といこうじゃないか。僕が許可する。この一帯は〝無音状態〟だ――存分に暴れまくれ」

 雪弥は、小さく溜息を吐いた。

「言われなくとも」

 そうしないと、あなたにも被害が行くでしょうに、と思いながら雪弥は飛び降りた。

 その時、怨鬼が叫んだ。

「さぁ殺せ! 狩りの時間だ!」

 直後、最後の箍が外れたかのように、鬼共が雄叫びを上げて一斉に武器を持ち、雪弥へと向かい出した。

 まるで獣の咆哮なようだ。
 下へと落下していきながら、雪弥はその光景を見て思った。叫びは言葉の羅列として、耳に聞こえても来ない。

 人、ではないのか。
 もはや自我は、ないのか。

 怨みに、鬼。己の感情に呑まれて人を捨て、なんらかの形で〝人〟を〝失ったモノ〟。それほどまでにして、自分を抑えきれなかった者も中にはあるのだろうか。

 ――今となっては、いや、そもそも雪弥には知った事でもないのだけれど。

『バケモノ退治と行こうじゃないか』

 風を切る音がする耳元で、先程の宮橋の声が蘇った。
 不思議と、その言葉が親しみ慣れた語彙のように、聴覚に沁みた。

 ――兄を、そして家族を守る。

 不意に、カチリ、と頭の思考が切り替わるのを感じた。

 殺せ。害になるモノ、要らぬ存在、全てを〝殺せ〟。獰猛な激情が込み上げた直後、雪弥は飛んできた鈍器を足場に、空中で軌道を変えて前方に飛び出していた。

 ドゥッ、と鳴った鈍い音の一瞬後には、一人の鬼の首が胴を離れていた。

 雪弥の伸びいた長い爪が、日差しを受けて血飛沫の中で凶器に煌めく。

「さすがは番犬候補! 話に聞いていた通りの爪(ぶき)よ!」

 大将の怨鬼が、腕を組んで堂々と構えた姿勢でアッパレと叫ぶ。

 番犬候補とはなんだ、次期副当主と、何故みんなしてさせたがるのか。今、そんなのはどうでもいい。

 斬りごたえのある肉感が、冷めや指先から伝わってくる。次々に襲いかかってきた鬼の、腕を引き千切り、眼球ごと顔を手刀で貫通させ、その腹部の臓腑を容赦なく引き裂いて切断した中で、雪弥はそう思った。

 振り降ろされた大きな己を、込み上げる不快感のまま、拳で打って粉砕した。

「ここにいるのが、殲滅部隊の〝全員か〟」

 雪弥は、光る青い目で向こうの怨鬼を見据えて、声を響かせた。この中でまともに話せるのは彼しかいない。

「怪力も、その細い身で我と互角か。なんとも良き好敵手か」

 怨鬼が、隠せない鬼の闘気を滲ませて、赤く光る目でニィッと笑った。

「そうとも。命を受け、我が一族が持つ兵を全員連れてきた。たった一人に対してこのような待遇は、初めてである。光栄に思うがいい」

 つまり負けたとしても恥ではない、と彼は言いたいようだ。

 ――初めて?

 雪弥は、覚えた違和感に思考がぐらついた。殺意に淀んだ目で標的の肉塊を見て、思う。とても不快だ、と。

 この場に溢れたモノらからも、独特の覚えがある気配を感じるが、あの大男からは特にとても厭な気配を感じていた。殺したくて、殺したくて、たまらなくなる。

 ――愚かな鬼の大将よ。一人、前門で迎え討ってやったのを、忘れたか。

 ぐるるる……と憎悪に嗤う獣の呻きを聞いた気がした。噛み砕いた感触、血の味、殲滅した後の荒れ果てた大地のイメージが脳裏を過ぎる。

 ――あれは〝私〟だったのか。それとも〝獣〟の方だったのか。

 ああ、今は、どちらでも構わない。

 雪弥は翻った一瞬後、周囲の鬼共をバラバラにしていた。ふわりと舞うように、そのまま手を真っ赤に染めた血を外へと振り払う。

 殺さなければならない。殺していい。目の前の鬱陶しい雑魚を片付けねば、あの大将は出てこないのだから。嗚呼、殺してやった――とても心穏やかな気分がした。

 ぐらりと揺れていた脳が、元に戻る感覚。

「ならば、好都合」

 短い思考を終えた雪弥は、そう物憂げに口にした直後、不意に凍える青い目で怨鬼をロックオンした。

 強烈な殺気に、飛びかかった鬼が唐突に嘔吐した。目も向けないまま、雪弥は〝反射的に〟その垂れた頭(こうべ)を処刑のごとく〝斬り落とした〟。

「全員ここで殺して、一人も兄さんのところへは行かせない」

 この三日間、思い返すたびに不快だった。それをここで片付ける。

 雪弥は、宣言すると一気に突き進んだ。首を、胸を、胴を、腕ごと切断して斬り落としていきながら、喚く鬼共の間を行く。

 身軽な動きをした鬼が、高く飛んで頭上から雪弥に迫った。

 ――その次の瞬間、血の雨が降り注いだ。

 一瞬にして、爪でバラバラに切り裂かれた残骸が、ぼとぼとと鬼共や地上に落ちる。雄叫びを上げる鬼が、雪弥が通り過ぎた直後には生きたまま四肢をもがれ、身体の一部を弾けさせていた。

「……お前、本当にただの〝候補の一人〟なのか?」

 怨鬼が、初めてやや緊張した様子で喉仏を上下した。しかし、そこに恐怖はなく、

「なんと。なんと、面白い事か」

 同じく殺戮を愉しむ怨鬼が、自分の横から向かおうとした部下の鬼を、うっかり素手で掴んで潰しながらそう言った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

《完結》当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!

犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。 そして夢をみた。 日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。 その顔を見て目が覚めた。 なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。 数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。 幼少期、最初はツラい状況が続きます。 作者都合のゆるふわご都合設定です。 日曜日以外、1日1話更新目指してます。 エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。 お楽しみ頂けたら幸いです。 *************** 2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます! 100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!! 2024年9月9日  お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます! 200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!! 2025年1月6日  お気に入り登録300人達成 感涙に咽び泣いております! ここまで見捨てずに読んで下さった皆様、頑張って書ききる所存でございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします! 2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております! こんなにも多くの方に呼んでいただけるとか、本当に感謝感謝でございます。こんなにも長くなった物語でも、ここまで見捨てずに居てくださる皆様、ありがとうございます!! 2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?! なんですと?!完結してからも登録してくださる方が?!ありがとうございます、ありがとうございます!! こんなに多くの方にお読み頂けて幸せでございます。 どうしよう、欲が出て来た? …ショートショートとか書いてみようかな? 2025年7月8日 お気に入り登録600人達成?! うそぉん?! 欲が…欲が…ック!……うん。減った…皆様ごめんなさい、欲は出しちゃいけないらしい… 2025年9月21日 お気に入り登録700人達成?! どうしよう、どうしよう、何をどう感謝してお返ししたら良いのだろう…

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...