潮風をまとう人

百門一新

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 アラタが大浜(おおはま)という男に出会ったのは、たびたび父と大学について電話越しで話すようになってから、一ヶ月半が過ぎた頃の七月の事だった。

「駅ですっかり迷子になっちゃってさあ。乗り間違えて大変だった」

 初対面の日、大浜は妙な訛り口調でそう気軽に話しかけてきた。大学の保証人となってくれるらしいその男は、一見すると外人のような彫りの深い顔立ちをしていた。

「君がアラタ君だろ? 俺、大浜ナヅムってんだ」

 待ち合わせ場所の駅で手を差し伸べられ、アラタは困惑混じりに手を握り返した。
 その反応は、大浜にとって予想していた物と違ったらしい。格闘技の選手にも思える大柄な彼は、顎先の無精髭に手をやって「あれ?」と首を傾げた。

「お父さんから話は聞いてない? ほら、君のお父さんとは長い付き合いの大親友、大浜ナヅムだよ!」

 そう言われて、アラタはますます困ってしまった。父からは、「古い友人の『大浜』という男だ」としか聞かされていなかったからだ。

 そもそも、あちらこちらに流れて生活している父に、友人がいたという事実を先日の電話で初めて知った。長い付き合いの友人と自己紹介されても、大浜はどう見ても三十代後半ほどであるし、五十代半ばの父との関係性が想像出来ないでもいた。

「俺が保証人になるッ。どーんと任せとけ!」

 人混みを気にすることなく、大浜は元気たっぷりに断言した。自分ペースの陽気な男のようで、ぺらぺらと聞き慣れない訛りで「大学に進学とは偉い」やら「地下鉄は迷路」やら「みんな歩くの速い」やらと話し出す。

 父とタイプが違いすぎて、アラタが困惑してしまうほど表情が豊かだった。周りの目さえ気にせず野太い声で大笑いし、思いつくままに手振りを交えて喋り通した。

 出会って二十分間ほど、一人で話していた彼が、唐突に真面目な表情を浮かべた。

「腹が減った」
「は……?」

 思わず呆気に取られた。大浜が「まずメシにしよう」と提案したかと思ったら、勝手に歩き出してしまい、アラタは慌ててその後に続いた。

「俺は『ウミンチュ』なんだ」

 駅を出たところで、入る飲食店を探しながら大浜が誇らしげに言った。

 それが一体なんであるのか、アラタには分からなかった。つい気後れして質問出来ずにいると、彼が巨大ハンバーグと書かれた看板に気付いて「あそこにしようぜ」と誘ってきた。

 昼食時間はとっくに過ぎていたので、広い店内に客は数える程度しかいなかった。少しレトロ風の店内は、どこかほっと落ち着ける優しい色合いをしていた。

「さっきも言ったけど、ほんと電車の乗り方が分からなくてさぁ。案内板と睨み合ってもちっとも理解出来ねぇし、バスも普段利用しないから見方もさっぱりだし、まいったもんだ」

 大浜は、食事を豪快に食べ進めつつも、仕草や表情を交えて話し続けた。彼の前には巨大ハンバーグ定食、単品のエビグラタン、モッツァレラチーズのバジルピザが三切れ、小皿に入ったトマトサラダが並んでいて、お喋りだけでなく食事量も多かった。

 アラタは適当に相槌を返しながら、彼の赤く日焼けした頭髪の逆立ち具合を眺めたりしていた。ハンバーグカレー定食だけで、お腹がいっぱいになった。

「それにしても、あいつも老けたよなぁ」

 注文したメニューを全てペロリと完食した大浜が、爪楊枝で前歯をいじりながら、ふと思い出した様子で呟いた。

「お前の親父さんはさ、正義感が強くて熱血バカで、そのうえすぐにプッツンする奴だった。よく俺や近所の悪ガキ連中を、問答無用でまとめて海に放り投げていたもんだ」
「そんなことがあったんですか?」
「しょっちゅうだったよ。まぁ地元じゃ面倒見が良くて頼れる『近所の兄ちゃん』というか、それでいて結構頑固なところもあったからなぁ」

 自分には長く暮らした地や、帰るべき故郷と呼べる場所もないせいだろうか。地元、という言葉に何故だか寂しさを覚えた。

 これまで聞かされた事もない父の故郷の話をしていた大浜が、ふと思い出したように店内を見渡した。目が合った男性店員が食器を下げにきたついでに尋ねる。

「ここ、煙草は大丈夫っすかね?」
「はい。今の時間は大丈夫ですよ」
「なるほど、時間によって変わるわけね」

 でもまぁ店内喫煙可能なのは助かるよ、と大浜は打ち解けた口調で言った。やっぱり独特の訛りが入っていて、それでも不思議と温かい印象がある。続けて「皿、ありがとう」「メシ美味かったよ」と伝えられた男性店員も、ずっとニコニコしていた。

「あ、煙草は大丈夫か?」

 煙草を一本取り出した彼が、ジッポライターを用意したところで気付いたように目を向けてきた。アラタは、そんな事かと思って「別に構わない」という意思表示をした。
 大浜は「ふうん」と呟いて火をつける。一口、二口と吹かせると、テーブルに頬杖をついて、どこか興味深そうにじっとアラタの顔を見つめた。

「なんですか。僕の顔に、何か?」
「お前、そうやって素の感じでいると、随分あいつに似てんなぁ。今の顔をチラッと顰めた時の表情とか、とくに目元。若い頃に見たあいつのまんまだ」

 眉を顰めたアラタに、大浜が「あいつが俺より年下になったみたいで、変な感じ」と言って、ちょっと困ったように笑った。
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