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3部 精霊女王の〝首狩り馬〟 編
76話 子守りの精霊 上
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夕食後にリビングでゆっくりと過ごした後、いつも通り夜の九時に家の閉じまりと消灯がされて、就寝時刻を迎えエインワース宅は寝静まった。
大きめの月の光りが、窓から差し込んでいた。
しばらくメイベルは、時計の針が動く音を聞いて、じっとしていた。
どれくらいそうしていただろうか。十分に待った後、ゆとりある就寝衣装を揺らしてベッドから抜け出した。下に置かれてある靴を履いて、そっと窓を開ける。
「よっ、と」
そのまま、ひらりと窓の外へと飛び出した。
足首まであるスカートが、外へとジャンプした動きでふわりと舞った。緑の髪先が、月光を浴びてほんの少しだけ透けてキラキラしたような色合いを放つ。
着地したのち、振り返って確認してみた。寝室内のベッドで、エインワースはぐっすりと眠っている。
メイベルは、彼を起こしてしまわないようゆっくり窓を閉め直した。
その時、玄関側からカサリと音がした。振り返ってみれば、そこにはシャツ一枚にズボンという、就寝前に別れた時の軽装姿をしたスティーブンが、腕を抱えて立っていた。
「まさかと思っていたが、女が窓から出掛けるなよな」
注意半分、呆れ半分といった様子で、彼が軽く眉根を寄せてみせる。
メイベルは仏頂面を返すと、体系が隠れてしまうゆったりとした衣装を揺らして向き直った。ひらりと揺れた髪と白い裾が、月光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がっている。
「わざわざ起床したのか? それとも警戒でもしていたのかよ」
軽く睨み付けてやったら、彼の方も同じく睨み見下ろしてきた。
「もともと寝付きが浅いんだ」
そう言われても説得力がない。
メイベルは、何度か見た彼のぐっすり就寝中な光景と、巻き込まれた寝起きの悪さが頭によぎった。あ、そういえば報復し返すのを忘れていたな――。
「チッ、仕返しするのもするで面倒だな」
「何がだよ?」
「なんでもない」
こっそり愚痴ったメイベルは、早々に話を打ち切って歩き出した。
すぐにスティーブンも後を追ってきた。庭を歩き過ぎて門扉から出たら、彼も外へと踏み出し、後ろ手で門扉を閉めて後に続いてくる。
「で、どこに向かってる?」
後ろから問い掛けられた。
勝手に付いてきた彼を、メイベルは肩越しにチラリと睨みつける。
「お前、付いてくる気満々で待ち伏せしてたのかよ。そういうのは関心しないぞ」
「女が夜に独り歩きするのを、黙ってさせるかよ」
「私は『夜の精霊』だ」
「だからなんだっていうんだ?」
その返答に、メイベルはなんだか違和感を覚えてしまう。出会ったばかりだった頃とは随分違っている、と思い出し比べる暇もなく彼が言葉を続けてきた。
「あの廃墟だろ」
ズバリと言い当てられて黙り込む。
もし自分が精霊でなかったとしたら、一旦『違うよ』と嘘の言葉だって言えた。しかし出来ない以上は、言葉を考えなければならない。
そもそも彼が待ち伏せしていたのは、こちらの行動を見越しての事だろう。だとすれば、あの廃墟で出会った精霊の事である、と気付かれていると見ていい。
「なんで向かう?」
目的地を確信した状態で、そう追って理由まで尋ねられてしまった。
探究心が強い学者気質のせいなのだろうか。それとも先日、初めて彼の依頼を手伝った際に見た、スティーブンの教授としての責任感と行動力の強さのせいか?
いや。単純に考えれば、彼もあの精霊を気にしているのだろう。
言葉を交わしていた様子を思い返したメイベルは、前へと目を戻した。日中に歩いたのと同じ道を歩きつつ、指で隣へくるよう促したら、スティーブンが少し駆けて寄ってきた。
「いいって事か。なら教えろ」
「もう、彼女に残された時間は少ないから」
メイベルは、目を向けないまま簡潔に答えた。
「恐らくは、今夜あたりが彼女の『最後の日』だ」
「どういう事だ?」
「お前も少し感じていたように、彼女はかなり弱っている。もう、魔力も体力も僅かにしか残されていない」
明るい月明かりに照らし出された夜道は、歩くのに不便を感じないくらいよく見えた。
腑に落ちた様子で、スティーブンが「そういう事かよ」と吐息交じりに言いながら、目を落として頭をガリガリとかいた。
「つまりあの精霊は、寿命が尽きようとしているってわけか。それでいて、今夜がヤバいってか?」
「もうほとんど、消えかけていると言っていい。【子守りの精霊】は、精霊王が統べる昼に属する精霊。夜の闇と月光も、彼女にとっては負担になる」
「残っている体力では、もう一晩を越すのも厳しい状態である、と?」
「――言っただろう、もう消えかけているんだ」
メイベルは、彼女に触れたのを思い出して手を見下ろした。
「私達と話せたのも、ようやくギリギリの状態だった。彼女の場合であれば、望めばまだ間に合っていた頃もあっただろうけれど――もう無理だ。そうして本人も、きっとそれを望まないんだろうなぁって」
精霊には寿命がない。
けれど精霊は、永遠を終わらせる事が出来る。
そんな事を思った直後、カチリと思考を切り替えた。メイベルは進む先へ目を向けた。知らずきゅっと小さな手を握り締めて、力強く一歩を踏み出す。
「出会ったのも『縁』ならば、私は、彼女を見届けなければならない。精霊世界ではなく、たった一人、人間界のあの土地で消えようとしている彼女のために」
そんなのは寂しいから、とは続けなかった。それなのにスティーブンが、察したみたいに「俺も付き合う」と答え、それ以上は何も訊いてこなかった。
並木道は森へと続いていた。日中の時と同じように、メイベルは途中から道を外れて森の中を進んだ。
やがて木々が開けて、ポッカリと開けたオーウェン家の敷地へと出た。一面の白い花が、眩しい月光に照らされて、ぼんやりと光っているようで一瞬、見入ってしまう。
拭き抜けた風が、花々の良い香りを運んできた。
幻想的な花の原の中、そこには小さな花を絡ませた青銀の髪を持った、美しい女性の姿をした【子守りの精霊】が横になっていた。
大きめの月の光りが、窓から差し込んでいた。
しばらくメイベルは、時計の針が動く音を聞いて、じっとしていた。
どれくらいそうしていただろうか。十分に待った後、ゆとりある就寝衣装を揺らしてベッドから抜け出した。下に置かれてある靴を履いて、そっと窓を開ける。
「よっ、と」
そのまま、ひらりと窓の外へと飛び出した。
足首まであるスカートが、外へとジャンプした動きでふわりと舞った。緑の髪先が、月光を浴びてほんの少しだけ透けてキラキラしたような色合いを放つ。
着地したのち、振り返って確認してみた。寝室内のベッドで、エインワースはぐっすりと眠っている。
メイベルは、彼を起こしてしまわないようゆっくり窓を閉め直した。
その時、玄関側からカサリと音がした。振り返ってみれば、そこにはシャツ一枚にズボンという、就寝前に別れた時の軽装姿をしたスティーブンが、腕を抱えて立っていた。
「まさかと思っていたが、女が窓から出掛けるなよな」
注意半分、呆れ半分といった様子で、彼が軽く眉根を寄せてみせる。
メイベルは仏頂面を返すと、体系が隠れてしまうゆったりとした衣装を揺らして向き直った。ひらりと揺れた髪と白い裾が、月光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がっている。
「わざわざ起床したのか? それとも警戒でもしていたのかよ」
軽く睨み付けてやったら、彼の方も同じく睨み見下ろしてきた。
「もともと寝付きが浅いんだ」
そう言われても説得力がない。
メイベルは、何度か見た彼のぐっすり就寝中な光景と、巻き込まれた寝起きの悪さが頭によぎった。あ、そういえば報復し返すのを忘れていたな――。
「チッ、仕返しするのもするで面倒だな」
「何がだよ?」
「なんでもない」
こっそり愚痴ったメイベルは、早々に話を打ち切って歩き出した。
すぐにスティーブンも後を追ってきた。庭を歩き過ぎて門扉から出たら、彼も外へと踏み出し、後ろ手で門扉を閉めて後に続いてくる。
「で、どこに向かってる?」
後ろから問い掛けられた。
勝手に付いてきた彼を、メイベルは肩越しにチラリと睨みつける。
「お前、付いてくる気満々で待ち伏せしてたのかよ。そういうのは関心しないぞ」
「女が夜に独り歩きするのを、黙ってさせるかよ」
「私は『夜の精霊』だ」
「だからなんだっていうんだ?」
その返答に、メイベルはなんだか違和感を覚えてしまう。出会ったばかりだった頃とは随分違っている、と思い出し比べる暇もなく彼が言葉を続けてきた。
「あの廃墟だろ」
ズバリと言い当てられて黙り込む。
もし自分が精霊でなかったとしたら、一旦『違うよ』と嘘の言葉だって言えた。しかし出来ない以上は、言葉を考えなければならない。
そもそも彼が待ち伏せしていたのは、こちらの行動を見越しての事だろう。だとすれば、あの廃墟で出会った精霊の事である、と気付かれていると見ていい。
「なんで向かう?」
目的地を確信した状態で、そう追って理由まで尋ねられてしまった。
探究心が強い学者気質のせいなのだろうか。それとも先日、初めて彼の依頼を手伝った際に見た、スティーブンの教授としての責任感と行動力の強さのせいか?
いや。単純に考えれば、彼もあの精霊を気にしているのだろう。
言葉を交わしていた様子を思い返したメイベルは、前へと目を戻した。日中に歩いたのと同じ道を歩きつつ、指で隣へくるよう促したら、スティーブンが少し駆けて寄ってきた。
「いいって事か。なら教えろ」
「もう、彼女に残された時間は少ないから」
メイベルは、目を向けないまま簡潔に答えた。
「恐らくは、今夜あたりが彼女の『最後の日』だ」
「どういう事だ?」
「お前も少し感じていたように、彼女はかなり弱っている。もう、魔力も体力も僅かにしか残されていない」
明るい月明かりに照らし出された夜道は、歩くのに不便を感じないくらいよく見えた。
腑に落ちた様子で、スティーブンが「そういう事かよ」と吐息交じりに言いながら、目を落として頭をガリガリとかいた。
「つまりあの精霊は、寿命が尽きようとしているってわけか。それでいて、今夜がヤバいってか?」
「もうほとんど、消えかけていると言っていい。【子守りの精霊】は、精霊王が統べる昼に属する精霊。夜の闇と月光も、彼女にとっては負担になる」
「残っている体力では、もう一晩を越すのも厳しい状態である、と?」
「――言っただろう、もう消えかけているんだ」
メイベルは、彼女に触れたのを思い出して手を見下ろした。
「私達と話せたのも、ようやくギリギリの状態だった。彼女の場合であれば、望めばまだ間に合っていた頃もあっただろうけれど――もう無理だ。そうして本人も、きっとそれを望まないんだろうなぁって」
精霊には寿命がない。
けれど精霊は、永遠を終わらせる事が出来る。
そんな事を思った直後、カチリと思考を切り替えた。メイベルは進む先へ目を向けた。知らずきゅっと小さな手を握り締めて、力強く一歩を踏み出す。
「出会ったのも『縁』ならば、私は、彼女を見届けなければならない。精霊世界ではなく、たった一人、人間界のあの土地で消えようとしている彼女のために」
そんなのは寂しいから、とは続けなかった。それなのにスティーブンが、察したみたいに「俺も付き合う」と答え、それ以上は何も訊いてこなかった。
並木道は森へと続いていた。日中の時と同じように、メイベルは途中から道を外れて森の中を進んだ。
やがて木々が開けて、ポッカリと開けたオーウェン家の敷地へと出た。一面の白い花が、眩しい月光に照らされて、ぼんやりと光っているようで一瞬、見入ってしまう。
拭き抜けた風が、花々の良い香りを運んできた。
幻想的な花の原の中、そこには小さな花を絡ませた青銀の髪を持った、美しい女性の姿をした【子守りの精霊】が横になっていた。
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