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五話 『悠の、初夏』
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夕方の太陽は暮れ始め、辺りをオレンジ色に染めていく。
どこからか17時を告げる「七つの子」のパンザマストが、南桑村中に響いた。
「帰らなきゃ」
悠が、空を見上げて呟くように言った。
「……そっか、もう五時だもんね」
その声に、ナナも応えるように空を見上げて言う。
紫陽花が広がる山賀美家の畑の周辺には街灯はなく、少しでも暗くなれば道が分からなくなるような場所だ。
暗くなる前に帰らなければいけない事は、二人ともよく分かっているようだった。
「ナナちゃん、お家かえる?」
「……うん。そう、だね」
「お家、どこにあるの?」
「……ま、とりあえず悠の家まで行く。その後……自分の家に帰るわ」
「暗くなるけど大丈夫なの?」
悠が少し心配そうにナナを見つめる。
心配なのは、辺りが暗くなる事だけではない。
夜が近づくにつれて、あれだけ明るかったナナの表情や声のトーンが次第に暗く、重いものになっていく気がしていたのだった。
そんな悠の視線に気づいたナナは少し驚くが、悠を安心させるようにニッコリと笑ってみせた。
「平気よ。あたしの家、悠の家のすぐ近くだから」
「そうなんだ」
「さ、いきましょ。 かーらーすーがなーくから かえりましょー♪」
ナナは先陣を切り、パンザマストの音に合わせて明るく歌いながら歩いて行く。
その後を、悠はついていく。
民宿ヤマガミの周辺に民家はあるが、どの家も近所付き合いがあり、悠もどの家にどんな人が住んでいるのかは知っている。
そして……今日初めて知った、ナナという自分と同じくらいの年頃に見える女の子。
10年間。山賀美家に生まれて……ナナは初めて、この女の子の存在を知った。
……もし、ナナが本当に近所に住んでいるのだとしたら。自分が今までその存在を知らなかったなんて事は、ほとんど有り得ないのだ。
悠は、そのナナの嘘がなんとなく分かっていた。
そして、何故そんな嘘をつくのかも。
それはきっと……自分を、悲しませたくないから。そして、ナナ自身もきっと、たまらく寂しい思いをしているから。
だから彼女はきっと、自分にこんなにも無理矢理、明るく振る舞っているのだ。
それを悠は、察していた。
――
『民宿ヤマガミ』の看板には電飾が施されており、少しでも薄暗くなると感知して光るようになっている。
民家の灯りと少数の街灯しかない村のこの区域では、その看板は一際目立ち、安心するものだった。
看板の灯りと、自販機の灯りが照らす、民宿前の道。
その前で、二人の少女は向き合う。
「じゃ、わたし……家に帰るね」
先にそれを切りだしたのは、悠だった。
「……」
「ナナちゃんも、家に帰るんでしょ?」
「……」
先ほどまで無理矢理明るくしていたナナも、限界のようだった。
伏せた目線を時々悠の方に合わせては、また気まずそうに、時折悲しそうに、地面に視線を戻す。
その様子は、悠に何かを告げたくてたまらない。そんな様子だった。
「……」
「……」
しばしの、沈黙。
今日の民宿は客はおらず、辺りを通る人はいない。
風が近くの森をざわめかせる音と、虫の音色が静かに響き渡っていた。
そして……。
黙りきったナナに対して、悠は覚悟を決めたように、言う。
「ナナちゃん、嘘ついてるよね」
「……え……」
虚を衝かれたナナは、驚いて悠を見た。
「ナナちゃん、この近所の子じゃないよね。それで……たぶん、普通の女の子じゃない。ナナちゃんのコト……わたししか見えない、んだよね」
「あ……」
「だから他の人の目につきそうな所は行かなかったり、逃げてたりしたんでしょ。バレるのが、こわかったから」
「……」
「ちがう?」
「……うん」
しばらく間を置いて、ナナは頷いた。
「……怒ってるよね、悠。……ごめん。……あたし、嘘、ついてたの。……悠みたいに、普通の女の子じゃないから……」
「怒ってない」
「え……」
ナナの言葉を遮り、悠は強く言った。
それをしっかり、ナナに伝えたいから。
「怒ってない。 ナナちゃんきっと、わたしの事気遣って、嘘ついてくれてたんだよね。だからわたし、怒ってないよ」
「……」
「ナナちゃん、きっと……今日で、お別れしなきゃなんでしょ?だからそんなに、寂しそうなんでしょ?」
「……っ……どう、して……」
悠は、全て気づいていた。
ナナは、近所に住むごく普通の女の子ではないこと。
ナナが、自分にしか見えないこと。
そして……彼女とは、今日、お別れをしなくてはいけないこと。
今日一日過ごした『友達』のことが、悠にはよく分かっていたのだ。
悠は、驚いて自分を見つめる友達に対して、もう一度ハッキリと言った。
「怒ってない。 だから……聞かせて。 ナナちゃんのこと」
「――ッ……!ごめん……っ、ごめんね……はるか…!!うそ、ついて……あたし……っ、あたし……!!う、うぇぇ……!!う、くっ……!!」
白いワンピースの少女は、その場に泣き崩れる。
そして、悠は……その女の子の前にしゃがみ、綺麗なストレートの黒髪を、そっと撫でたのだった。
――
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