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五話 『悠の、初夏』
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「あたしね、記憶がないんだ」
民宿の前の道は、段差になっている。
コンクリートの舗装された道路の手前はヤマガミの畑になっており、その先には街の灯りが遠くに見える。
まるで、星のように夜に煌めく夜景を、二人は段差に座りながら眺めていた。
「何もおぼえてないの?」
「うん。いつに生まれて、誰が生んでくれて、どんな暮らしをしてきたのか……全部、分からないの」
「……それじゃ、ナナちゃんは……」
ナナの表情に、涙はなかった。
先ほどまで大泣きしたせいか、彼女の瞳には…『覚悟』のようなものが、悠には見えている。
「一年に一回……もっと多かったか、少なかったか……。こんな風に、外を出歩ける日がくるの。きっとあたしにとってなにか特別な日なんだね、きっと。
それまでどこでどんな風にしてるのか、自分でも分からないんだけど……今日が、たまたま外に出れる日だった、ってことかな。
神様が一日だけ、あたしにプレゼントしてくれるの。一日だけね」
「……」
「あはは。あたしのコト見つけたの、あんたが初めてなんだよ、悠。
知らないところに連れていってもらったのも、お菓子を食べたのも、お喋りしたのも……初めて。でも、久しぶりだった気がする。楽しかったなぁ、一日」
「……寂しく、なかったの?ナナちゃん。今まで」
「んー、寂しいとかね、よく分からないの。楽しいも、嬉しいも、悲しいも……全部ない。でもそれがきっと、あたしの当たり前の『日常』なんだろうなぁ」
「……」
それはとても… 悲しいことのように悠には思えた。
「笑えたり、泣いたり、怒ったりできるのは……こんな風に、数年に何回かだけ。きっと『生きていた』頃のあたしは、そうしてたんだろうけど……今は、違うみたい。
普通の子とは、違う子になっちゃったんだね、きっと」
「……。そんなこと、ないよ」
「え?」
「ナナちゃんは、わたしとたくさんお喋りしてくれた。いっぱい笑ってくれた。……回数なんてきっと、関係ないよ。だから、普通の子と、一緒」
「……ありがと、悠」
二人の少女は、お互いに顔を見つめ合い、小さく微笑んだ。
「……きっとまた会えるよね、ナナちゃん。だからわたし、寂しくないよ」
「……うん。きっと、会えるわ」
「わたし、忘れないよ。何年たっても、何十年たっても。大人になっても、おばーちゃんになっても」
「あはは、あたしも。……っていっても、歳とるか分からないけどね。やだなー、悠だけ大人になって、あたしが子どものままだったら」
ナナはケラケラと笑う。
夜が近付く。
夕暮れのオレンジは藍色に、そして段々と黒へと変色していく。
「またね、悠」
「うん。ナナちゃん、元気でね」
「悠もね。友達とたくさん遊んで、しっかり勉強するんだぞ」
「ナナちゃん、年上みたい」
「あはは、多分年上よ」
「そうかな、ふふふ」
「……」
「……」
そして二人は、お互いに手を振り、最後の言葉を交わした。
「ばいばい、またね、悠」
「ばいばい、また遊ぼうね、ナナちゃん」
夜の闇に溶けるように、ナナの姿は消える。
初めからそこには、誰もいなかったように。
先ほどまで少女が座っていた場所には、無機質なコンクリートの地面が存在するだけだった。
そこへ、灯りをつけた自転車がやってきた。
「あれ?悠。こんなところに座ってなにしてるの?」
姉の柚子だった。
丁度学校から帰ってきたらしく、妹の悠が道路の端に座っているのに気づいて、民宿の駐車場に自転車を止め、降りて近づいてくる。
「……。友達と、お話してたの」
「……?そうなんだ。もう帰ったの?お友達」
「うん。今、帰ったよ」
「珍しいね、こんなところでお話なんて。……?悠、泣いてた?」
「んーん、泣いてないよ」
「でも、目……なんか赤いよ」
「だいじょうぶ。だって、悲しいことなんて、ないから」
また会える。
きっとまた、会える。
だから……泣いたりなんて、しない。泣いたら、会えなくなっちゃうかもしれないから。
悠は、自分にそう言い聞かせながら立ち上がる。
「お家いこ、柚子ちゃん」
「……う、うん。そうだね、暗いからね」
「うん。……おかえり、柚子ちゃん」
「ただいま、悠。……わ」
急に手を繋いできた妹の手に、姉は少し驚くが… その手を優しく握りしめる。
二人は、優しく灯りのつく民宿へと、帰っていった。
――
数日が経った。
学校が休みの今日は、悠は手伝いとして客室の掃除をしている。
本館二階の大部屋のゴミを片付け、掃除機をかけ、テーブルやテレビの埃を拭く。
小学生一人で全ての部屋の掃除をするのは大変なことだが、時間制限があるわけではない。慣れた手つきで、丁寧に、一つ一つの仕事を行う。
「……」
あの日のコトを思い出す。
ナナという、不思議な少女と出会ったコト。
あれは、自分の見ていた夢だったのだろうか。
自分以外には見えない、友達。それはひょっとして、自分の空想だったのではないだろうか。
時間は記憶を曖昧にさせ、事実だったコトも虚ろになっていく。
あの時間は、本当にあったのだろうか。その疑問は、ナナと出会って、別れた数日の間にどんどんと大きくなっていく。
……それでも、自分は、信じるしかないのだろう。悠はそう思う。
あの女の子と。あの友達と。もう一度、会える日がくることを。
「……」
それは、とても寂しいコトだと、改めて痛感した、その時。
トコトコトコトコ……。
「……?」
足音が、民宿の中で微かに聞こえる。
それは、自分の足音ではない。自分は今、座ってテーブルを拭いているのだから。
トコトコトコトコ……。
まるで女の子が軽やかに歩いているような、音。
微かだが聞こえるその音は……天井から聞こえるのだった。
いや、天井はない。
だってここは、二階。この上には……屋根があるだけなのだから。
「……」
屋根の上で、誰かが?
そんなはずはない。そんなコトをする子どもがいるワケが……。
「……あ」
悠は、理解した。
ナナは言っていた。
数年に数回。外に出てこれる以外は……どこでどうしているか分からない、と。
自分の普段いる場所が分からない、と。
それって、ひょっとして……。
「……近くに、住んでたんだね、ナナちゃん」
悠はその事実に気づいて、嬉しくなる。
彼女にはしばらく会えない。でも……その存在はきっと、すぐ傍にあるのだ。
それを、なんとなく理解して、悠は微笑み。
そしてうれしそうに、掃除を続けるのだった。
青空の下。
屋根の上。
誰に注意されるでもなく。
誰かに気付かれることもなく。
白いワンピースの少女は、見守るように屋根の上で微笑んでいるのだった。
――
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