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十話 血肉の晩餐《焼肉屋》

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――

「うう、やっと着いた……」

 城門にある掛け時計は、午後の二時半を過ぎていた。
 マグナ達と別れたのが十二時であったから、オキト城に戻るまで二時間半もかかった計算になる。橋の倒壊さえなければ一時間程度で到着出来た道のりなだけに、ルーティアのショックも大きい。
 とはいえ、無事に帰還が出来た安堵感もある。
 かなりの遠回りはしたものの、あとは騎士団長に諸々の報告をして、食堂に直行をすればいい。報告書は後回しだ。城内食堂の昼食は栄養価にこだわり過ぎていて味つけが薄めなのが難儀だが……今のルーティアに、そんな事を気にしている余裕はない。
 早く空腹を満たしたい。その一心であった。

「……え」

 ガアを門番の兵士に預け、駆け足気味にオキト城に続く扉を開けたルーティア。

 しかし、彼女の目の前に写るのは、いつもとは違った城内の様子だった。

 ガシャァンッ!!

 ドタドタドタ!!

「そっちに行ったぞ!追え、追えーーっ!」

「わー!あんな狭いところ逃げ込んだら捕まえられねェぞ!進路を塞げー!」

「オキト騎士団の名が泣くぞーーっ!なんとしても捕らえろー!」

 扉の前で立ち尽くすルーティアの前を通り過ぎていく、数十人の騎士団員達。
 虫取り網やホウキなどを手に持ち、城のあちこちを駆け回りながら彼らは何かを追いかけている様子だった。何人かの団員は、息を切らせて疲れ果て、その場で動けなくなっている。

「……なんだ、これは……」

 状況を必死に把握しようとしているルーティア。
 そこに、必死に走り回る騎士団員の後をのんびりとついていくように…… 魔術団の少年、クルシュ・マシュハートがローブをずるずると引きずりながら歩いてくる。

「騎士団のみなさーん。ご迷惑おかけしておりまーすっ。よろしくお願いしますのですー」

 息を切らせ、汗だくの騎士団員達とは対照的にその顔は実に呑気なものであった。
 クルシュは今し方城内に入ってきたルーティアの存在に気付き、てくてくと近づきながら声をかけてきた。

「おかえりなさい、ルーティアさん。魔獣用の罠設置の任務との事でしたが、随分遅かったのです」

「あ、ああ……少し、トラブルがあってな。それにしても、これは一体……」

 ルーティアはクルシュより城のあちこちを走り回り、何度も自分の前を通り過ぎていく見知った騎士団員達の様子に釘付けであった。何が起きているのかを必死に考えている彼女に、クルシュがのんびりと答えを出した。

「魔術団の方で捕らえていた研究用の魔法生物が逃げ出してしまい、騎士団の方々に協力をお願いしているのです」

「魔法生物が……逃げた?」

「ええ。希少な魔法生物だったので色々と生態データを観測したり魔力を測定したりして野に放すつもりだったのですが…… 観測用の魔方陣に載せようとしたら、あっという間にこのザマになってしまいまして」

「この、ザマ。……どんな魔法生物なんだ?」

「マジックラットといいまして、体長は10cmにも満たない小さな魔法生物なのです。ネズミのような見た目をした可愛らしい生き物なのですが、魔力を保持していて主に加速魔法を使用して逃げ回る事を得意としています」

「……加速魔法……。それは……厄介なものを逃がしたな」

「ええ、本当に」

 そういえば、騎士団員達の追いかける先には何か黒い影のようなものがヒュンヒュンと飛び交っているように見えた。あの高速で動く物体が目的の魔法生物なのだとしたら……並の人間では捕まえられないぞ、とルーティアは戦慄する。


「はあ、はあ……。あっ、る、ルーティア!戻ったの!?」

 今度は城の奥から、オキト国王が慌てて走ってきた。息を切らせながら直々に来るとは……どうやら国王がわざわざ見に来るほどの大事らしい。

「国王。ルーティア・フォエル、ただいま戻りました」

「お、おかえりっ!早速で悪いんだけど……ルーティアもマジックラット捕まえるの、手伝ってくれない!?」

「え」

「頼むよー!城に残っている騎士団のメンツじゃとてもあのすばしっこい魔物を捕まえられなくて……!」

「魔物ではなくて、魔法生物なのです国王」

訂正するクルシュに、国王は少し顔を赤くして咳払いした。

「なんでクルシュはそんなに落ち着いてるのー!魔術団の失態なんだよ、これは!」

「研究データがほとんどない魔法生物で、拘束魔法を打ち破るほどの魔力を秘めているとは誰も予測できなかったのです。過失ではなく、起こるべくして起こった事故なのです」

「うぐ。で、でもちょっとは反省しなさいよっ。研究リーダーはクルシュでしょ!?」

「しないのです。研究にこのような失敗はつきもの。これを繰り返し、より綿密な次回の研究へと役立てていくのです」

「うぐぐぐぐ」

 少年に言い負かされる国王を、なんだか不憫そうな目で見てしまうルーティア。
 国王は助けを求めるようにルーティアを見つめた。

「……とにかく!あんな素早い生き物を捕まえられるのは城内でルーティアしかいないんだよー!帰ってきたばかりで疲れていると思うけれど……お願いだから協力してくれないかな……!?」

「う」

 ルーティアは、また鳴りそうになる腹を両手で押さえる。
 国王直々のお願いだ。断るわけにもいかないルーティアは必死で空腹に歪みそうになる表情をおさえて……小さく、頷いた。

「わ……かり、ました。私も魔法生物の捕獲に協力します」

「助かるよルーティアーっ!それじゃ、お願いね!ワシ、城内の出口全部閉めてくるからっ!」

 二人の目の前から走って消え去る国王。……現場主義のいい国王だな、となんだか少し感心をしてしまうルーティアであった。

「ボクも魔術団で連携を図ってどうにか捕まえてみるのです。ですが……あのスピードに追いつけるのはルーティアさんしかいないと思うのです。お疲れのところ申し訳ないのですが、よろしくお願いします」

「……あ、ああ。分かった」

「……?どうかされましたか?」

 首を傾げて顔を覗き込むクルシュに、ルーティアは言いたい言葉をぐっと飲み込んだ。

 疲れては、いないんだ。
ただただ……腹が、減っているんだ。

 それを言いたかったが、あまりにも情けないのでやめておく稲光の騎士であった。

――

「―― ピッ!?」

 マジックラットは、驚いた。

 廊下の端。天井にぶら下がる照明に身体を落ち着けていた魔法生物。
 そこにいきなり、人間の手が伸びてきたからだ。

 数十分、加速魔法を使い城内を逃げ回ってきた自分に追いついた人間がいるなど、想像もしなかったからだ。しかも隠れた場所は天井に近い位置。どう考えても人間の手が届く場所では――。

 「よっ!」

 ルーティアは廊下の壁を蹴り、いとも簡単に正確な三角跳びをしてみせた。並の人間では天井付近にいる小さなネズミのような生物に場所を合わせてジャンプをするなど不可能に近い事ではあるが……ほとんど物音を立てずにマジックラットの油断する瞬間を待ち、付け狙っていたルーティア。

 そして、その右手は正確にマジックラットを優しく掴み、地面に降り立った。

「ぴーーっ!」

「こら、暴れるな。獲って食おうというワケではないんだぞ」

 右手でしっかりと腹を持たれて藻掻くネズミ。しかし、攻撃魔法は使えない様子で、ただジタバタと四本の足を動かすしかないマジックラットは、やがて観念したかのように大人しくなった。

 そこへ、クルシュを先頭にした魔術団員数名が駆け寄ってくる。

 「さすがルーティアさんなのです。捕獲用の魔法アイテムをいくつか用意してきたのですが、無用の長物でしたね」

 「なかなかの素早さだったな。野っ原だったら確実に逃げられていたところだったが……城内で逃亡スペースが限られていたのが幸いした」

 ルーティアはふう、と額の汗を拭い、右手で捕らえた魔法生物をクルシュの方へと差し出した。
 その後ろにいるトンガリ帽子の魔術団員二名が、一メートル四方ほどの鋼鉄製のオリを持ち扉を開けた。魔方による拘束が出来ないと分かった以上、こうした物理的な拘束方法に転じたのであろう。重い鉄製の扉を閉められると、マジックラットはすんすん、と辺りの匂いを嗅ぎながらその中を走り回った。

「ありがとうございました。あとで魔術団のほうでお礼をさせてください」

「礼をされるほどの事はしていない、気にするな」

「国王には僕の方から報告しておくので、ルーティアさんは業務の方に戻ってください。出張終わりのところにすいませんでした。お急ぎでしたか?」

「ああ、いや、まあ」

「それは本当に申し訳ありませんでした」

 ぺこり、と頭を下げるクルシュにルーティアは「いやいや」と手を振って謙遜した。
 ……騎士団長への報告は、後にしよう。
 早朝からの出張と昼食を抜いた事に加え、戻ったらいきなり数十分もネズミもどきと追いかけっこをする羽目になったルーティア。空腹はもはや限界値を超え、正常な判断が出来なくなっている。普段の彼女であれば騎士団の任務を優先するが、今は何より腹に何かを入れるのが最優先だ。

「それじゃあな、クルシュ。マグナもすぐに戻ると思うぞ」

「ありがとうございます。それでは」

 手を振るクルシュを背にして、急ぎ足で食堂に向かうルーティア。普段の様子とは違うその焦った様子に、首を傾げながらその姿を見送る少年であった。

 しかし、ルーティアはまだ、気付いていない。

 オキト城一階の食堂は――。
 只今の時刻、十五時をもって、夕食まで仕度中という看板を掲げ、門を閉ざす事を。

――

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