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第十話『鬼も角折る』
しおりを挟む「鬼も角折る」――どれほど凶暴で非道だった者でも、ふとしたきっかけで心を改めることがある。
刑罰でも脅しでもない。人の純粋さが、鬼の心を揺さぶるときだ。
⸻
雨上がりの新宿・職安通り。
ネオンが濡れたアスファルトににじみ、涼介はいつものように裏道を抜けて歩いていた。
革ジャンの内ポケットには、仲間から受け取った“次の仕事”のメモ。
暴走族を束ね、半グレの幹部にまでのし上がった男――“鬼のリョウ”は、今日も獲物を探していた。
ふと前方で、**カツ…カツ…**と規則的な音がした。
白い杖の先が、歩道を叩く音だった。
小柄な少女が、足元を確かめながらゆっくりと歩いている。
「おい、邪魔だろ」
酔った若い男二人が彼女の脇をすり抜けざま、杖を蹴り飛ばした。
杖がカランと転がり、少女の手が宙を切る。
その瞬間、涼介の足が勝手に動いていた。
「……おい」
低い声に振り向いた男たちは、次の瞬間、背中を壁に叩きつけられていた。
「二度とやるな」
男たちは何も言えず逃げていく。
涼介は転がった白杖を拾い、少女に手渡した。
「……これ」
「ありがとうございます」
少女は柔らかく笑い、杖を握り直した。
「これ、私の“目”なんです。折れたら、何も見えなくなるんですよ」
涼介は返す言葉を持たなかった。
ただ、うなずくことしかできない。
その日から、彼は夜の街で彼女の帰り道を遠くから見守るようになった。
名前は美優。先天性の弱視だったが、事故の後に視力を失ったという。
音楽学校でピアノを学んでいて、来月は発表会があると話していた。
発表会の日、涼介は人目を避けるように会場の隅に立った。
照明の下で、美優の指が鍵盤を舞う。
静かな旋律が、涼介の胸の奥深くに染み込んでいく。
忘れていた――こんなにも優しい音が、この世にあったことを。
翌晩、仲間が声をかけてきた。
「なあリョウ、明日、ウブなカモ見つけたんだ。締め上げようぜ」
涼介は一度も見せたことのない笑みで、首を横に振った。
「……悪い、降りる」
数日後の帰り道、美優がふと立ち止まり、涼介の方を向いた。
「音でわかりますよ」
「何が」
「歩き方が優しい人は、心も優しい」
その言葉に、涼介は笑った。
胸の奥で、長年固まっていた何かが音を立てて折れた気がした。
白杖が舗道を叩くリズムは、もう二度と忘れられないだろう。
雨が降り出した夜、涼介は駅前で美優を見つけた。
傘を差さず、立ち止まっている。
「美優、傘は?」
「持ってないんです。天気予報、外れましたね」
涼介は黙って自分の傘を差し出す。
二人で並んで歩くのは、これが初めてだった。
しばらく歩くと、美優がぽつりと言った。
「涼介さん、昔から優しかったんですか?」
涼介は一瞬、言葉に詰まった。
優しい? 俺は鬼だった――そう言いかけて飲み込む。
「いや……そんなもんじゃねぇ」
だが翌日、その“鬼”だった過去が突然美優の耳に入る。
彼女のクラスメートの兄が、かつて涼介に痛めつけられたことがあったのだ。
「どうして、あんな人と一緒にいるの?」
そう責められた美優は、返す言葉を失った。
数日後の夜、いつもの路地で二人は向かい合った。
美優は白杖を握りしめたまま、静かに言った。
「本当なんですか? 涼介さんが、人を殴って、お金を奪ってたって」
涼介は目を伏せる。
「……ああ。本当だ。俺は人間のクズだった。誰よりもそう思ってる」
「じゃあ、なんで今は――」
「お前と会ったからだ」
美優は小さく息をのんだ。
涼介は続ける。
「俺はあの日、お前を助けたんじゃねぇ。助けられたんだ。お前が杖を握って笑ったとき、俺の角は……折れたんだ」
雨音が、二人の間を包む。
美優はゆっくり近づき、涼介の手に自分の白杖をそっと握らせた。
「じゃあ、この杖は、涼介さんの“目”でもあるんですね」
涼介は言葉を失った。
その手は、かつて人を傷つけた手。
けれど今は、守るために握られている。
夜の歌舞伎町、涼介は久しぶりに裏路地を歩いていた。
呼び出したのはかつての半グレ仲間、梶原。
「大事な話がある」と言われれば、無視もできなかった。
薄暗いビルの裏口に立つと、梶原の他に数人の顔が見えた。
「リョウ、お前、最近“足洗った”って噂、本当か?」
「本当だ」
「笑わせんなよ。俺たち捨てて、白杖の女と散歩してんだってな」
仲間たちが嘲るように笑う。
涼介はゆっくりと答えた。
「……俺はもう、人を食い物にするのはやめた」
「じゃあ、こいつを人質にしたらどうする?」
背後から引きずり出されたのは、美優だった。
彼女は口を塞がれ、震えている。
「梶原、お前……」
「俺たちに逆らったらどうなるか、体で思い出せ」
涼介の頭の奥で、昔の血の匂いが蘇った。
だが、もうあの日には戻らない。
「美優、耳を塞いでろ」
次の瞬間、涼介の拳が梶原の頬を打ち抜いた。
怒号と悲鳴、そして乱闘。
涼介は全身で美優を庇いながら、仲間たちを次々と倒していく。
最後の一人を壁に押し付け、低く唸った。
仲間たちは呻きながら逃げ去った。
涼介はその場に崩れ落ち、肩で息をする。
美優がゆっくりと近づき、白杖で彼の手を探り当てた。
「涼介さん、痛いですか?」
「いや……もう痛くねぇ」
夜風が二人を包む。
春の陽射しが新宿の路地に差し込む。
涼介は作業着姿で、自動車整備工場のシャッターを開けた。
出勤はまだ早い時間だが、今日だけは特別だった。
半年間の試用期間を経て、正式に整備士として雇われる日。
工具箱の匂いも、油の感触も、もう彼の日常になっていた。
昼休み、工場の隅でスマホを開くと、一通のメッセージが届いていた。
――「発表会、来てくれますか?」
美優の音楽学校の定期演奏会だった。
涼介は、迷わず「行く」と返信した。
⸻
夜のホール。
涼介は観客席の一番後ろに座り、静かにステージを見守る。
照明の下に美優が現れ、深く一礼して椅子に腰掛けた。
ピアノの鍵盤に触れると、柔らかく、そして力強い旋律が響き始める。
その音は涼介の胸にまっすぐ届いた。
暴力の世界にいた頃は、こんな音を聴く機会すらなかった。
「俺は……生き直したんだな」
涼介は、誰にでもなく呟いた。
演奏が終わり、拍手の中、美優は白杖を手にステージから降りた。
出口で待っていた涼介に気づくと、少し驚いたように微笑む。
「来てくれたんですね」
「ああ。お前の音を聴いたら……角なんて、二度と生えてこねぇ」
美優は少し首をかしげ、笑った。
「角がない方が、似合ってますよ」
涼介はふっと笑い、ポケットから小さなものを取り出した。
それは折り畳み式の白杖だった。
「予備に持っとけ。お前の“目”は、俺が守る」
二人は並んで歩き出す。
街の雑踏が遠くに感じられるほど、足取りは軽かった。
もう、涼介の背に鬼の影はなかった。
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