『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第三章:「運命の交差」

第四十話:「景嵐の涙」

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戦場が静寂に包まれた。轟音は遠く、煙と血の匂いだけが残る中、景嵐はただ立ち尽くしていた。荒れ果てた大地に、倒れた護国烈の残骸と、己が胸に刻まれた風牙の姿が映る。

景嵐――幼き頃から、どれほどの痛みにも、どれほどの喪失にも、決して涙を見せなかった男。両親の死も、仲間の敗北も、彼の瞳を濡らすことはなかった。冷徹、無慈悲、計算し尽くされた戦略家として、ただ前だけを見て歩んできた。

しかし、今――

彼の胸を貫くのは、圧倒的な喪失感と無念、そして深い悲哀。かつて手を取り守ろうと誓った風牙が、自らを盾として命を散らしたその姿。無数の矢に貫かれ、仁王立ちのまま静かに息絶えた風牙――その光景が、景嵐の理性を崩し、長年封じ込めてきた感情を一気に押し上げた。

熱い血が頬を伝い、自然と頬を濡らす。初めて、景嵐の目から血の涙が零れ落ちる。

「風牙……!」

男はその名を嗚咽混じりに叫ぶ。肩を震わせ、膝をつき、身体を小さく丸める。これまで誰も見たことのなかった、戦神のような冷徹の背中が、初めて人間らしい弱さをさらけ出した瞬間だった。

地面に伏し、声を嗄らして泣く景嵐。その眼には怒りも、悲しみも、後悔も、全てが混ざり合って光る。血の涙は、ただの悲しみではない――戦場で命を賭けた者への尊敬と愛情、そして己の無力さに対する痛切な自覚を含んでいた。

そして、景嵐は静かに立ち上がる。涙はまだ頬を伝い続ける。だが、その目には決意が宿っていた。

「……お前の分まで、俺は戦い続ける」

初めて見せた人間らしい姿の中で、冷徹な戦士としての強さと、感情を抱えた人間としての深さが融合する。血の涙は、景嵐という男の、新たな戦いの始まりを告げていた。


景嵐は、涙を拭いもせず、戦場の荒廃した光景を見渡す。煙に霞む地平線には、倒れ伏した兵士たちの影と、護国烈や風牙の姿が点在していた。

しかし、景嵐の目は、単なる悲しみや怒りのままではなかった。血の涙が頬を伝う中で、冷徹な計算と人間らしい感情が同時に彼を貫いていた。

「……動くぞ」

呟く声は低く、だが決意に満ちていた。

彼は無駄な動きを一切排し、戦場を駆ける。血の涙が落ちるたびに、その歩みは重くも、確かな威圧感を伴った。崩れた矢や槍の間を縫うように進む景嵐の足取りは、まるで戦場そのものを支配するかのようだ。

遠く、遠視玄の視界に映る景嵐の姿は、もはや単なる人ではなく、戦神としての圧倒的な存在感を放っていた。護国烈の残した兵たちも、彼の足音に畏怖を覚え、立ちすくむ者が多い。

「……この戦いは、終わらせる」

景嵐の目には悲しみの影がまだ残る。しかし、それ以上に強烈な決意が宿り、戦場のすべてを巻き込みながら、次なる一手へと向かっていった。

血の涙は、ただの悲しみの象徴ではない。失った者たちへの想い、戦士としての誇り、そしてこれから待ち受ける戦いへの覚悟を形にしたものだった。

景嵐の背後には、風牙の犠牲が刻まれている。だがその重みを力に変え、彼は再び戦場の頂点を目指して歩を進める。血の涙は乾かない。だがそれはもはや、景嵐の力をさらに増幅させる燃料となっていた。

血の涙を頬に伝えながらも、景嵐の歩みは止まらない。護国烈の軍勢を蹴散らし、戦場の中心に立つ彼の視線は次なる標的へと向けられた。

遠視玄――千里を見通す瞳を持つ監視者。

高くそびえる塔の上、遠視玄は自らの目を駆使して景嵐の動きを封じようとした。しかし、景嵐の突進は無駄な動きひとつなく、わずか一閃でその腕と胴を切り伏せる。遠視玄の瞳から驚愕と恐怖がこぼれ落ち、彼の意識は戦場の煙とともに消え去った。

次に立ちはだかるは守財武――四天王の頭脳、戦略の頂に君臨する存在。

景嵐は戦場の混乱を縫うように進み、守財武のもとへ迫る。しかし、守財武は冷静に撤退の手筈を整えていた。景嵐の威圧に押されつつも、彼は最後の手段をもって姿を消す。煙と瓦礫の間を抜け、戦場の裏口から静かに撤退していった。

景嵐はその背を見つめ、わずかに眉を寄せる。
「……逃がすのか」

血の涙を拭い、冷徹な瞳に再び計算が宿る。守財武は今は消えたが、次なる戦いのための伏線となる。戦場は荒廃し、残された者たちはただ恐怖に震える。

景嵐の足元には、倒れた四天王と兵士たちの屍が累々と積まれ、戦場の頂点としての存在感を彼は確立した。

そして残るは守財武ただ一人。

景嵐の足が止まった。
戦場の彼方、兵の群れを背に立つ一人の男――その顔を見た瞬間、景嵐の眼が鋭く揺れた。

「……何だと……?」

その男の輪郭も、瞳も、眉の形すらも。鏡に映したかのように、自分と寸分違わぬ顔がそこにあった。
幾多の戦場で怪物の如き敵と相対してきた景嵐ですら、思わず刃を握る手に力を失うほどの衝撃だった。

守財武は一歩も退かず、冷ややかに告げる。
「驚くのも無理はない。お前の顔は、すなわち私の顔だからな」

血の気が一瞬で引いていく感覚。だが次に湧き上がるのは怒りでも恐怖でもない。説明のつかぬ、理屈を超えた拒絶の感覚だった。
景嵐は息を呑み、低く唸った。

「……同じ顔の男を、俺は知らん。だが――お前は確かに俺と同じだ」

刃が振り下ろされようとしたその瞬間、見えぬ鎖が景嵐の全身を縛る。進まぬ剣。止まる呼吸。
そこで初めて、守財武は静かに真実を告げるのだった。
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