『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
42 / 146
第三章:「運命の交差」

第四十二話:「血の鎖を断つ」

しおりを挟む
月明かりに照らされた小道に、二人の影が向かい合った。
景嵐は一歩も退かぬ眼光を弟に向ける。その視線には怒りも慈愛もなく、ただ冷徹な算段だけが潜んでいた。

「リン……俺の代わりに守財武を斬れ」
低く放たれた声は、抗いがたい圧を帯びていた。

リンは目を細め、深く息を吐く。
「……景嵐、私がお前に手を貸すとでも思うのか?」

景嵐の眉がわずかに動いた。
「手を貸す? 違う。これはお前の務めだ。俺と奴は術に縛られて斬れぬ。だが、お前にはできる。だから――やれ」

リンは静かに首を振り、声を強めた。
「私は駒じゃない! お前の野望のために生きているんじゃない」

沈黙が落ちた。
月光の下で、二人の視線が激しくぶつかり合う。

「……ならば聞け」
景嵐の声音は鋭く、氷のように冷たい。
「俺とお前は烈陽に生まれた兄弟だが、それだけではない。お前にはもうひとりの兄がいる。守財武だ。奴は俺の双子――そして、俺が唯一斬れぬ相手だ」

リンの瞳が大きく揺れた。
「……何だと?」

「生まれた時から術が仕組まれていた。俺と奴が刃を交わせば、双方とも果てる。それゆえ、どうしてもお前の剣が要るのだ」
景嵐の言葉は重くのしかかり、弟を圧迫するように響いた。

リンは息を整え、真っ直ぐに兄を見返した。
「それが、私が守財武を撃つ理由とでも言いたいのか?」
その声には揺るぎない決意が宿っていた。
「私はお前とは違う。これほどの殺戮を繰り返して、まだ分からぬのか? 血と屍の山の果てに、何も残らぬことを……愚かなり」

景嵐の眼に苛立ちが閃いた。
だがリンは一歩も退かず、さらに言い放つ。
「兄が双子だろうと術が絡もうと、私の剣は理由なき殺戮には使わぬ」

月下。二人の兄弟を隔てていたのは血の絆ではなかった。
そこにあるのは、決して交わることのない意志の対立だった。

景嵐の眼が、怒気を孕んで鋭く光る。
「……兄の頼みでも聞けぬと言うのだな!」

リンは眉一つ動かさず、静かに応じた。
「聞けぬ。兄の願いであろうと、私が正しいと思わぬ道には従わない」

景嵐の喉から低い唸りが漏れる。
月明かりの下で二人の間に張り詰める気配は、もはや一触即発だった。
景嵐は歯を食いしばり、弟を睨み据える。
「……お前は甘い。理想を抱え、己を縛る。だからこそ駒として必要だったのだ」

「駒ではなく、人として生きる」
リンの返答は揺るぎなかった。
「お前の双子である守財武も、人だ。私は剣を掲げるならば、人を守るために振るう」

沈黙が落ちる。
景嵐の瞳に浮かぶのは、苛立ちと……かすかな迷い。
だがその奥底にはなお、冷徹な炎が燃え続けていた。

月明かりに照らされた小道、二人の兄弟の間に流れる沈黙は、風さえも凍らせるかのようだった。景嵐の眼光は怒りに燃え、リンの剣先は動かぬ決意を示す。

その時、背後から風を裂くような轟音が響いた。木々の影から現れたのは、夫婦武神――烈陽国を守護する最強の存在、夫・天翔と妻・星華。二人の気配は、戦場に立つ者の魂を震わせる圧倒的な威厳に満ちていた。

「止める!」
天翔の声が小道を震わせ、鋼のような腕が空を斬った。瞬く間に景嵐とリンの間に立ち、どちらも前に進めぬ状態に封じる。

星華は静かに景嵐を見つめ、冷徹ながらも慈愛の光を帯びた声で告げる。
「兄弟同士の争いは、これ以上許されぬ。あなた方の力は、守るべき者のためにあるはず」

景嵐の剣がかすかに震え、握り直される。
リンも剣を下ろし、心の奥底で安堵の吐息を漏らした。

天翔はさらに一歩前に出る。
「景嵐。リン。互いに刃を交えることで解決するものなどない。血と憎しみで国を裁くのは愚行だ」

星華は手を差し伸べ、二人の間に立つ。
「今は怒りに溺れる時ではない。深呼吸し、冷静になりなさい」

その圧倒的存在感と威厳に、景嵐の焔も、リンの緊張も、一瞬にして沈静化する。

「……分かった」
景嵐は低く呟き、剣を垂らした。

リンも同じく剣を下ろし、険しい顔を緩める。
月光の下、三者が並ぶ姿は、戦場に差し込む一筋の光のように、静かで、しかし力強い安堵をもたらした。

月明かりの下、静寂の森で景嵐とリンは互いの視線を交わしていた。そこに星華がゆっくりと歩み寄る。その姿には威厳と冷静さが漂い、二人の視線を自然と引きつけた。

「お前たちに、初代四武神の秘密を話そう」
星華の声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。

「龍華帝国の創世に、初代四武神は深く関わっていた。当時、大陸は暗君の支配下にあった。人々は重税に苦しめられ、過酷な労働を強いられ、まるで虫けら同然の扱いを受けていた。病気が蔓延し、飢えや渇きで命を落とす者も少なくなかった」

景嵐の眼が微かに光を増す。リンは固く口を結ぶ。

「その惨状を見た二武神は、海を渡り腐敗し堕落した国を破壊し、新たな国家建設へと邁進した。しかし、破壊を司る武神の行き過ぎた行為を止めるために、創世の武神が立ちはだかった」

星華の声音が森に重く落ちた。

「破壊の武神は、確かに暗君を討ち、人々を苦しみから解放した。だが……その手は止まらなかった。王侯を倒し、都を焼き、やがて『力あるものは皆倒すべき敵』と見なすようになったのだ」

リンの眼が揺れる。景嵐はわずかに眉を寄せた。

「民を守るための破壊が、やがて民そのものをも巻き込み始めた。街は瓦礫と化し、救われたはずの人々すら恐怖に震えた。――それを見て、創世の武神は剣を抜いたのだ」

星華は一歩、兄弟に近づく。
「創世の武神は言った。『破壊は始まりを与えるためにこそある。だが、秩序なき破壊はただの暴虐でしかない』と」

月光に照らされた景嵐の横顔が硬直する。
自らの行いと、伝えられた歴史が重なり合うのを感じたからだ。

星華の声が一層低くなる。
「とうとう破壊の武神と創世の武神は戦い、国土の半分を焼き尽くすほどの激闘を繰り広げた。破壊と秩序が激突したその戦いは、単なる戦争ではなく、文明の行く末を賭けたものだった」

沈黙の中、星華の声だけが響く。
「だからこそ武神は力を誇示するのではなく、守るために在らねばならぬ。お前たちの対立は、その歴史の繰り返しにすぎない。景嵐、リン――そのことを胸に刻め」

景嵐は拳を握りしめ、胸の奥で燃え盛る破壊の焔が、初めて揺らぎを覚えた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...